2022年8月15日月曜日

企画書作戦

 妄想癖がある、という言い方をあえてしてみる。僕には、妄想癖がある。何か面白いアイデアの種を思いついたら、それがバーっとウイルスのように広がっていくのである。思考が全てそれに支配される。今日も僕は、このあいだ友達に言われて気づいた台湾のワーキングホリデービザ受付再開のニュースが気になってそれを検索して、自分ではてっきりもう30歳だから資格がないと思っていたんだけど、実は10月生まれの僕は、10月が来て31歳になるまでは、まだ応募資格がある、ということがわかったのだった。

 その瞬間に、実際に行ったらどうだろうか、ということについて具体的に考え始める。でも、実際には行かないのだろう、と思う。でも、こうして妄想でもいいから、考えている時間が楽しい。でも実際にはやらない。

 これは別に「まぁそんなことはあり得ないんだけどね」と諦めているわけではない。むしろこのような妄想をしている間というのは、「行こうと思えば簡単に行ける」と思っている。不可能なことなんてないからね、と至極自然に思っている。為せば成る。為さねば成らぬ。本当にただそれだけだと思っている。

 でも、本当に行くつもりで考えを進めていると、なんだか最後にはやるせなくなる、ということももう僕は知っているので、ここは一つ、「企画書作戦」を使ってみる。企画をめちゃくちゃ具体的に立てるという行為に昇華するのだ。でも、それは実現しなくていい。ただ、その妄想を文章なり、絵なり、漫画なりにする、という結びつけかたをすればいい。

 これは、自分の妄想に具体性を付与する訓練になる。それだけでもめっけもんではないか。無理に実際に台湾に行く必要がないのである。ただ、その具体的な計画だけ考えて、それで遊んで、スッキリすればいいのである。

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 でもそれとは別で、僕は来年台湾にパフォーマンスをしに行くかもしれないので、その計画はちゃんと立てるつもり。自分がジャグラーとしてどうもまだ色々やりたいことがあるなぁ、ということに気がついたので。やりますよー。

2022年8月7日日曜日

時間で区切って

 日記は日記で、別にやめることもないかな、と思い、ここも簡単に書いておく。ツイート5、6個分検討で、700文字くらいで。

昨日の朝から連載が始まった。と言っても、自分で勝手に連載、と称して文章を書いているだけ。でも、この時間がすごく好きである。とにかく僕にとっては、どんどん進む、というのが一番気持ちいい、ほとんど唯一と言ってもいい満足の方法なので、これを徹底して突き詰めてゆく。何でも、とにかく、どんどんやる、それでいいと思う。僕はそもそも、一個に絞って何かをやる、ということがとことん向いていないのである。無意識に任せてやっちゃうくらいがちょうど良くて、後でそれを修正していけばいい。

この日記も、もうほとんど画面も見ないような状態で書いている。特に誰に読まれる、というのでもないし(それでも、数十人の方は読んでくれているようで、ありがたいことです)ただ、朝の体操みたいな感じで、はい、今日も書きました、という様な、リズムを生み出せればいいと思う。

自分自身の生活のリズムが整っていれば、自然と生み出すもののリズムも整ってくるんだろうな。だから、連載をする、とか、毎朝絵を描く、とか決めてしまうのがいい。自意識に何か決定を任せていると、ろくなことがない。システムの方をきっちりしてしまって、それを守れ、と簡単なやり方にしてしまう方が有効だ。

今日は配達の仕事を少し多めにやりたいと思っているんだけど、うまくいくかな。とにかくやりたいことだけはいっぱいあるので、一日のスケジュールを綿密に組まないといけない。時間がきたら、パッと動けるようでありたい。

2022年8月5日金曜日

トレーニングとしてのfromsvankmajer

ここを書くことは、ジャグリングで言ったら5ボールカスケードを一分やる、とかそういう程度の、頭を鈍らせないための最低限の体操だ。別に体操自体に意味はないので、ただ毎日淡々と続けるというところに意味がある、そういう態度でここを書くのなら、なんだかちょっと筋トレみたいで楽しいな、とも思う。
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また新しい仕事を始めた。といっても文字起こしの仕事で、僕はかれこれ6年くらいの経験がある。最近の目標が、バイクデリバリーの仕事の比率を減らしていく、ということなのである。もちろんあれはあれで楽しいんだけど、なんとなく、都市に縛られて働かなければいけない感じに飽きが来ている。しばらく、横浜ではない別の場所に住んでみたいなぁ、という思いもあって、そのためには仕事の配分を変えていかないといけないのである。端的に言って、デスクワーク、リモートワークの仕事を増やすということである。それに加えて、支出を減らして、そんなにあくせく稼がなくても大丈夫かな、という状態にすることも望ましい。あとは、もう少し貯蓄があれば、余裕あるよな、とは思う。そういう心の余裕が、創作をするときに細かく心情に作用してきたりするので、そのシステムの構築に対してしっかり力を注ぐということが、あるいは30代に行うべきゲームかもしれない。こうして、何か文章を書いている、あるいは絵を描いている、具体的にやるべきことについて紙に書き出して検討している、という時間をどんどんどんどん増やしていく、ということでもある。

2022年8月4日木曜日

リズムと美術館と

別に特別意図があってここを休止していた訳ではないのだが、また復活させる。まとまった量の文章を書きたくなった。今、少しぼーっとしている。別に格別悪いことがあったのではなくて、ただ単に、ローな気分。でも、そういう時の方が、内側からたくさんのこえが聞こえてくる。だから、それを元手にしていっぱい文章は書けたりする。内側からたくさんの「こえ」が聞こえてくるという状態が、つまり僕にとっては落ち込んでいる、ちょっと鬱々としているという状態なので、これはある意味で当然といえば当然である。今日はどんなこえが聞こえているかというと、なんか、関わる人が、迷惑に思っているんじゃないか、とか、そういうこえである。これは、自分ではいかんともしがたくて非常に厄介である。自分の性向なのか、それとも、デジタル技術で、遠くの人と顔の見えないやりとりが増えたからなのか。たぶんちょっとずつどちらの要素も関連している。あるいは、急激な気候の変化で少し心身ともにやられてしまっている、とかそういうこともあるのかもしれない。あんまりそれで慌てたってしょうがないのはわかっているんだけど、特に誰かからの何か返事を待っている時、というのはどうも落ち着かない気分で、なんなら、どんどん悪い方に考えてしまうのだ。これは僕の生物として持っている防衛反応なんだろうけれど、随分過剰に作用しているなぁ、と自分でも思う。自分でも何をから騒ぎしているんだろう、と俯瞰して見ている部分もあるし、でも自分の身体は何らかのSOSを発している、というような状態で、まったく困ってしまうのである。まったく。こういう時は、何か落ち着くことを身体にしてあげるに限る。というわけで今は、お風呂を沸かしている。まぁ、行動の方から変えていくしかないんだよねえ。

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昨日はPM Jugglingの大吾さんと一緒に、木場公園の中にある美術館へ行き、ジャン・プルーヴェ展を見た。フランスを、世界を代表する建築家が作ってきた、椅子や建築を見る。途中で大吾さんが、なお君はどういうふうに絵を描いているのか、と質問してくる。設計図を眺めながらのことであった。僕にとって絵を描くというのは、ほとんど感覚でやっている。だからこういう精緻な予想図、というようなものとは関連がないようでいて、実際、完成したものについて考えるときには、感覚を使っているとも言えるので、似ているといえば似ているのかもしれないが。でもひとまず毎朝描いている絵に関しては、ただそのときに、聴きたい音楽をきく、という感覚に似ている。自分が見て楽しみたいと思うリズムをその場に出す、というくらいの感覚である。

美術館を訪れるというのはどういう体験だろうな。つまりそれは、他人が考え出したリズムを聴きに行く、ということなのかもしれない。僕は自分のリズムが枯渇してきたときに、定期的に人のリズムを聞く、ということで、しなしなになった野菜が復活するみたいに、元気を出そうとしているのかもしれない。でも、それだけだと我慢ができないので、次第に自分のリズムを刻むようになっていく。

リズムが乱れたな、と思った時は、一旦休むに限る。それは、「遮断」という手段で良い。歌いたいと思っていた歌がわからなくなっちゃって、「あ、ちょっと、待って、たんま」というくらいの感じである。無理に自分のリズムを思い出そうとしても、できない時がある。

ま、ゆっくりしようぜ、で、もう、いいのだ。ね。

結局何かに思い悩む、というのも、自分自身のリズムを刻めていないことへの焦りとも解釈できるよ。