2016年9月8日木曜日

二人のシンガポール人と会うことについて

今日は昼からシンガポールから来てくれた友人と一緒にラーメンを食べたり、カフェに行ったり、美術館に行ったりなど。ピッツァを締めとして食べたのだが、これがまたいい時間だった。

なぜだかこの二人は日本にいることがとても自然に感ぜられた。
一方で、変わったのは自分の方かもしれない、とも思う。

ひとところにとどまる、ということが当たり前であるような今までの自分のなかでの揺るがなかった基本的立場が、いつの間にかなくなっている。
おおいに隠されていた古いビルが、あるときそこを通りすぎたら綺麗さっぱりおおいが取れてさら地になっていた、という感覚に少し似ている。
中で何が起こっているかというのはさして重要ではなくて、実はそれがなくなっていた、ということを認識する瞬間にはじめて驚きと新鮮な感覚が流し込まれる。

つまり二人に会ったことは、「何度か通ったことのあるそのビルの前を通り過ぎること」で、そうか、誰が世界のどこにいたって別に何も不思議ではないんだよね、という、その感じなのである。

2016年7月14日木曜日

ねこにゃあ

夜公園でひとりで塀に座ってものを考える時がある。

たとえば酔って帰ってきたときに少し外にいたいな、とおもってじっとしている。

しばらくするまで気づかないんだけど、猫がこちらを向いて眺めている時がある。

あ、猫が眺めているな、とおもうと、すこし安心する。

でも、ねこがこちらを眺めてくるときの気持ちを言葉にするのはすごく難しい。

ほんの一瞬、よぎった気持ちをことばでスケッチするのはすごくむずかしいんだ。

2016年2月24日水曜日

ほっかむる黒人

まちで出会ったかわいいもの。

うでを身体の前でレレレのおじさんのように、自然に横に振って歩く女子高生。

エスカレーターに乗った途端、はっとした顔をして、右手を見て指折り何かを数えだす20代の女の人。

白黒チェックのマフラーを、頭にほっかむる黒人。

2016年2月10日水曜日

鳩が突進してくることについて

 今自転車で駅前を走っていたら、とてつもないスピードで幾羽ものはとがこちらに向かってきた。

 しかも一羽二羽どころではなく、もうマトリックスの弾丸のシーンのように次々に飛んでくる。

 ついでに、ちょっと面白かったのは、そのはとたちが私の目の前に来ると、横にくんっと逸れていくことで、やっぱりちょっとマトリックスみたいであって、思わずネオ気分になった上に吹き出してしまった。

 昨日、朝公園を走っていて、はとがくるぽー、と群れで木の実をついばんでいたので、そこに向かって手を拡げて突進していった。
 そのはとたちは、もう一目散に飛んで行って、でも不思議なことに、彼らはそのまま大きく迂回して、みんな同じ樹に止まるんですね。

 これ、習性として見慣れているので知ってはいたんですが、それを見て、ああ、やっぱり危ないと群れで飛ぶんだなぁ、ということを思ったものです。

 それで今日の話に戻るわけですが、今日向かってきたはとたちは、別にバカなんではなくて、(そんな滅相もないことは言えない)

「 群れで飛ぶよ!」

 と一度決まると、もう目の前に障害があるかなんか関係なく、何羽かが既に飛び始めた方向に向かって飛んでいくのだな、と思ったのです。

 思えば、人間にもそういうところはあるな、と思う。
それは、たとえば何かとんでもないものが来た時に(ゴジラとかなんか怖い人とかなんでもいいけれど)、とりあえず逃げるとしたら、皆が逃げている方に本能的に向かいます、でしょう。

 そこでわざわざファーストペンギンを選ぶ人はあんまりいないでしょう。

 はとにもファーストピジョンはいなくて、というか彼ら、常にパニクってるんだなぁと思うと、小動物もなかなか大変だなぁと思うと同時に、ただ木の実をついばんでいただけなのに手を拡げて突進なんかをしてしまったことを深くお詫びいたします。