2021年9月29日水曜日

ながいつぶやき(191) 音楽 ジャグリング 絵 外国語

 

ジャグリングをするのは楽しくていいが、何かパフォーマンスをするというのなら、どこかしら際立っていないと、とおもう。

というか、そう本気で思い込んで遊ぶ、というゲームである。

別にこうじゃないといけない、という主義主張があるというのではない。

ただ、そういう遊びが楽しいだろうな、というだけ。

2021年9月27日月曜日

ながいつぶやき(190)

一日一冊ペースぐらいで本ばっかり読んでいると、自然と読むスピードが速くなってくる。同じように、文章ばっかり書いていると、自然と書くスピードは速くなってくる。それは、「筋肉が鍛えられる」というイメージよりも、「脱抑制」である、と思う。力が、むしろ、「抜ける」ほう。慣れていない状態だったら行動の前に色々と考えてしまうのだけど、慣れてくると、その一歩手前で考える、という行程が省略される。

意識して外国語を「摂る」ようにしている。そもそも日本語以外の言語に触れる時間が常態だ、という状況にするのが目標である。

一年間イタリアに住んでいた頃のことを思い出す。

2021年9月24日金曜日

ながいつぶやき(189) 「今、ここ」以外

外国語に浸る時間を持てていて嬉しい。分厚い英語の本を読んだり、スペイン語を聴きながら絵を描いたりしている。
「今、ここ」以外に完全に没頭できる世界を持てることはとても幸せである。
それはだから、ある人にとっては映画であって、ある人にとってはどうぶつの森であって、ある人にとってはサッカーであったりして、僕にとっては外国語がそれである、ということ。

2021年9月23日木曜日

ながいつぶやき(188)

熱が引き、とりあえず‪食べ物の配達に出る。昼間にやると結構日差しがキツイ時もあるが、まぁ家に引きこもっているのもなんなので、とにかく仕事にでる。外に出ると、色々考えてしまわないで済むのである。けど、その一歩目がね、難しいよね。
快調に進めて、終わって帰ってきたら、再び熱が上がっている。ちょっと油断した。やや熱中症のような気がしないでもない。
そのまま、でも何もしないのも何なので、冷えピタ貼りながら大吾さんと対談。JJFの話、する。

ずっと進むでもなく、立ち止まるのも手だな、と思ったりする。

※※※

「〜〜をやりたい」とばかり言うのもなんかね、と思ったりする。
やれよ、と半分の自分が言い出す。
やろうね、ぐらいがいいね。

何に追い立てられてるんでしょうね。

2021年9月22日水曜日

ながいつぶやき(187)

 1日寝込んでいた。解熱剤飲んだら一瞬で楽になった。

やー。

ダメな日もあるねえ。

ながいつぶやき(186)


久しぶりに外でジャグリング。その様子、動画に撮る。

動画を少し編集してアップロードする。

真面目な文章書くより、動画作ってる方が断然面白い。

俺は何てったって、小学生に上がっても、一人でぬいぐるみでずーっと遊んでるヤツだったのである。

モデルナワクチンの2回目を注射した。自衛隊の方々はテキパキしていて、あっという間に終わった。

体の、なぜか右肩が痛くなってきた。打ったのは左腕。

まぁ、こんなふうに説明してないで、とにかく何でも作ることだね。






2021年9月21日火曜日

2021年9月19日日曜日

ながいつぶやき(184)似たような議論が



最近、いわゆる欧米の文脈における「アート(art)」の見方について、現代アーティストでもある筆者が説明する本を読んでいる。なかなか面白い。

ジャグリングの文脈で、「これはアートだろうか、スポーツだろうか」というような議論の種がある。似たような議論が、アートなどの分野ではとっくに行われていたりすることもあ流。

もちろんなんでもかんでも議論の換骨奪胎が可能というわけでもないが、大いに参考にはなる。

あと、以前よりも意識して外国語を遊んでいる。

2021年9月18日土曜日

ながいつぶやき(183) 断捨離の本を買ったんだけど

カフェに入って、隣で女性二人が話をしていた。

断捨離の本を買ったんだけどすごくいいのよ、説得力があって。二冊届いちゃって、今度あげるわ。持ってくればよかったわあ。

  えー。

もう、一冊ね、前に届いてたんだけど、また今日届いちゃって、二冊届いちゃって、でも受取拒否なんてするのも、たかが900円でさぁ、もういいわ、誰かにやるわ、と思って。

  へえー、ラッキー

断捨離って、なんだっけ、ヨガの、「だん」なんとか、「しゃ」なんとか、あと、「なんとか」っていうのの頭をとってね、「断捨離」だ、っていうの、あんたヨガやってたわよね。

  あ、でも、私のはね、ヨガじゃなくてね、えっとね、ヨーガ、って、ほら、ヨガじゃないのよ、あの、「ヨーガ」っていう

うん、でね、その、「だん なんとか」「しゃこう」とかなんとか、そういう三つのね、頭をとったのが、断捨離だ、っていうのね

  へえー。

それでほら、財布なんかにさ、レシートとか、10%オフの割引券とか、溜め込んじゃうじゃない、ほら、いらないものをさ、

  溜め込んじゃうわぁー。私も今、お財布がね

そういう小さいものから始めなさいっていうのね、一気にやろうとするとさ、ほら、やる気なくなっちゃうじゃない

  そうそう、ね、一度に全部、家中やなんかやろうとするとね、もう途中で

でね、私、その、無料のゲームやるじゃない、そうすると、ほら、無料だから、広告が、コマーシャルが出るじゃない。

  広告の。でもわかんないわ、私やらないから。

あ、あんたやらないのね。「初回500円」って言って、その本が出てきたわけ、無料のゲームをやってるとさ、広告が出るのよ、こんな、無料だから。で、一度は住所やなんか入力したんだけどね、やっぱりいいや、なんて、結局ほら、それを送らずにね、やめたのよ。それで、注文ができてたらさ、メールが来るじゃない。それがきてないもんだから、前のは消えたんだと思ってたの、私。そしたら、また無料のゲームやっててさ、ほら、広告が出るもんだからさ

  広告なんて、そんな本なんかも出るのねぇ

やっぱり500円のだけ欲しいや、なんて思ってもう一回注文したわけ、そしたら、ほら、同じ本が二冊届いちゃって。さっき届いたのよ。前のがね、メールが来るのかと思ってたらきてないからさ。消えたんだと思ってたのにね。今日また、もう一冊届いちゃって。

  えーっ。

で、受け取り拒否なんて面倒じゃない、逆に。

  でも受取拒否なんてできるの、そんなの。

なんかできるみたいよ。ほら、何万円もするものだったらあれだけど、たった900円じゃない。送料込みで。そして、本はすごくいいのよ、断捨離のね、断捨離っていうのは、ほら、ヨガのなんとかっていうの、きっぱり捨てる、みたいなのから取っててね。それで、もう二冊になっちゃったけど、900円ばっかしでそんな受取拒否で、ああだこうだなんて逆にややこしいじゃない、だから、一冊もう、誰かにやるわ、と思って。

  ヤダァ、ラッキー。

そうなのよ、なんか、小さいことから始めなさい、っていうのよ、すごく内容はいいのよ、でもほら、無料のゲームの広告が出てきて、なんだか、自分ではそんなつもりなかったのにさ、ほら、住所を入力するじゃない、それで、そんな、注文ができちゃってるなんて思わないからさ、また出てきたもんだから、今度は欲しいやなんて思って、また入れちゃったのよね。

  それで、きちゃったのね。

そうなのよ。それで、でも返品や、受取拒否だなんて、面倒じゃない。だから、もういいやわ、誰かにやるわ、と思って。

……

このあとこの二人は、「イタリアンレストランに入ったものの、『お客さん、ナポリは行ったことありますか』と講釈を垂れるシェフに啖呵を切った話」を5回以上繰り返していました。

2021年9月17日金曜日

ながいつぶやき(182) 「思い出発生装置」を覗き込んでいるわけだ

雑多な仕事をしながら、図書館で何冊か本を読む。
メルマガ用の対談原稿を書き、本を読む。
サイバーセキュリティの翻訳を一本終わらせ、本を読む。
別件のファッション関連のメールの翻訳をたくさんして、本を読む。
ふとよぎった考えを、消えないうちにノートに書いて、本を読む。
フィンランド人のジャグラーのインタビューを聞いて、本を読む。
ふと思い立って英語のジャグリング記事を一本翻訳して、本を読む。
別の方がまとめているインタビュー記事の下書きを読んで、ふふ、と笑って、本を読む。
隣に住むベトナム人ホアさんからお願いされた、日本語ドリルの回答をし、本を読む……
ぐるぐる、いろんな用事を済ませながら、合間でブータンに行ったり、ホーチミンに行ったり、フィンランドに行ったりネパールに行ったりしている。
そういえば、まだ北極の旅が途中だったな、とか、ソマリランドって今どうなってるかな、とかも思う。


よく書けた紀行文を読んでいると、文字を通して思い浮かべた情景なのに、さも自分が体験したかのように感じる。不思議だね。だって、本当に、ソマリランドも北極も、行ったことないのにさ。僕はほとんど、そこに行ったことがある気になっている。本当は何も知らないのに。何も。

本を読むという行為は、「思い出す」行為に似ている。とても似ている。似すぎていて、ほぼ同じだ、と言って差し支えないほどだ。

本に書いてある文字や写真で、何かを想像する。
その時、脳みそは、自分の体験の中から、似たような質感の情景や匂いを連れてきて、それをじんわりと発生させ、擬似体験しているんだ。読書中はせわしなく、そういう一連の刺激をぺたぺた張り合わせている。
思い出す、ということも、同じ。自分の体験したことを自分流に好きに組み合わせて、今に持ってくる行為だ。
そう思うとさ、文章って、ヨソから刺激を与えて、人の頭に、強制的に勝手な思い出を作り出す装置だ。今僕の文章を読んでいるあなたも、僕が作り出した「思い出発生装置」を覗き込んでいるわけだ。

本を読む以外に身体で体験したことは、思い出すための素材になるし、読書をして思い出された感覚は、その次の自分の行動を変える。

体験は読書を変えるし、読書は体験を変えるのだ。

※※※
新しいことをすればするほど、やりたいことは、ますます増えていく。
今は、とにかく外国語を浴びるように聞いて、読んで、発したい。
ドイツ語、フィンランド後、スペイン語、中国語、イタリア語、長らくほっといてるので、浸かりたい言語はいっぱいある。とてもじゃないが、全部一日じゃできないよ、と思うが、同時に、全部一日でぜーーーんぶやっちゃいたい、という大人気ない自分もいる。漫画だって描きたいしさ。

一応、ざっくり予定を書いたりしているんだけど、まぁ守んないよね。



2021年9月16日木曜日

ながいつぶやき(181)ちょこっとだけ、負担の多いものにすることで

自分なりの理屈で物事を進める。そのために、あんまり人の意見をそもそも聞かない、ということがとても大事になってくる。慣れてくると、気持ちがいい。
※※※
自分の調子によって、いちいち何をやるのか、どれぐらいやるのか、決めるのが面倒だ。改めて、時間で区切ってぱっぱと次のことをする、という生活に移行した。「自分で決めない」ということの負担の軽さを享受するのだ。
まぁ、これもいつまで続くかはわからないけど。続かなかったら、それはそれでしょうがないね。三日坊主、とは、それも一つの身体が発揮する自衛行為である。
※※※
『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(高野秀行 集英社文庫)をようやく読み終わりそう。ほぼ毎日読んだが、一週間ぐらいかかった。
一時期、コロナが始まった頃だったか、読書メーターをやっていたのだが、また再開する。ここに書き込むことを義務化して、本を読むことの不安から逃れるつもり。本を読むことの不安って何か、というと、それは、「自分読書なんかにばかり時間を費やしてしまって、本当はもっとやるべきことがあるのに、それをやっていないんじゃないか」という感覚のことである。
ちょこっとだけ、負担の多いものにすることで、その行為に自分なりの貯蓄を生じさせよう、ということである。

2021年9月15日水曜日

ながいつぶやき(180)自分に安心を与える

 もっと俺は早く仕事をしたいもんだ、と思っている。やる、と決めたことを、ささっと、とにかくやってしまう人間になりたいものである。

※※※

今日は昼と夕方で、スタバに籠る。途中、美味しい坦々麺食べる。新しいスリッポンも買う。以前から履いているものがだいぶ汚れてきたのである。土砂降りの中でも履いていたからしょうがない。でもそれはそれで、ガシガシ洗ってまだ使うつもり。

しかし、なるべく早く仕事を遂行していく、という時にあっても、自分に安心を与えるために、毎日何か書いたり、描いたりするのはいいな、と思う。

2021年9月14日火曜日

ながいつぶやき(179)

 中目黒へ。TENTのインタビュー。駅で待ち合わせだが、早めに着いて駅隣のセガフレード入る。カプチーノ飲む。だいごさんと合流してTENT事務所へ。

ノックしたら、ハルタさんが出てくれる。中がとてもきれい。スムーズに取材、撮影が進行。

終わったら一緒に隣の沖縄料理屋でランチ。高級そうだが、意外にリーズナブル。

お別れして、もう一度セガフレード入り、手短に対談済ませる。

そして、動画もう公開されている。


なんだか、スピード感ある1日だった。



2021年9月11日土曜日

ながいつぶやき(177)そういう人間なんだなぁ、今のところ

今日は少し多めに食べ物運ぶ。

父母が物資を届けにくる。生活についての心配をされている。苦労しているように見えるのかぁ、としばしそのことについて考える。別に否定的に言っているわけではなくて、単純に心配をしている。

僕自身はお金はそんなにないけれども、日々大体幸せに暮らしている。朝起きてから夜寝るまで、何かを負い目に感じたりとか、一切ないのだが、いざ身内の人に何か生活についてコメントされると、途端に他人の想像と自分が抱える現実のギャップについて考えるようになる。

※※※

このところ、我慢ができないことについても考えている。

苦しいことも続けられない。「つまらない」という状態も我慢ができない。

まぁ、だからなんだ、というのではなく、自分はそういう人間なんだなぁ、今のところ、と思うだけ。

ながいつぶやき(176)

ちょこちょこと仕事を片付けてのち、本を読んでいた。

ふと目をあげて、窓の外の遠くに人が見えている。

この人って、僕と同じように存在しているんだろうか。

別にその人が僕と同じような意思のある個人でなかったとしても、十分成り立つ、という、なんだか古典的な哲学問題について、考えていた。

2021年9月10日金曜日

ながいつぶやき(175) しごと

今日はほとんどMacを開くことがなかった。朝起きてから、今23時46分まで、開くことがなかった。これはここ1年ほどでは珍しい日である。

PONTEを始める以前(2014年以前)は一週間ほどパソコンを開かない日もザラ。これ、もしかしてパソコン無くてもなんとかなるかもしれんな、とまで思っていた。2018年に正式にフリーランスになって、それ以来はパソコンがないとそもそも仕事が成り立たないようになったので、朝起きてすぐパソコンを開く日の方が多い。そうすると、流れ作業的に、「やるべきこと」は終わっていく。でも、それに依存している自分もいる。

今日は、大和市桜ヶ丘にある冒険研究所書店に行った。その後、大和駅前にある大型図書館に行った。PM Jugglingの大吾さんと一緒。色々と話す。これが仕事である。生業である。やりたいことをやっているぞ、という実感が一番の糧。

ただこれは仕事の過程ではあるが、まだ完成していない感じ。他の人に還元された時点で、「仕事」と呼びうる。だから、これを何らかの形で、自分がその日に受け取ったものを他の人に伝播させて、それによって、僕は「仕事をした」という実感を得る。そこで、完成。

夕飯、Uberのプロモーションが来ていたので、たまには使うか、とラーメン頼む。ほぼタダ同然で一杯のラーメンが届く。でも、だいぶ時間が経っていて、ぬるい。麺も固まってしまっていて、あまり美味しくない。「ハズレ」の経験としては良かった。届ける相手にとってフードデリバリーがどういう体験になるかを知るため、たまには自分で頼む。

夜、ドライバーの画面を開いて、もし自宅の近辺の条件が良かったら行こう、と思って開けると、いい感じだったので、その瞬間にパッと準備して、家をでる。流れよく、6件やって、最後が自宅近辺だったので、そのまま終了。一時間半くらい。

帰ったら本を読む。今日は『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行)と『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』をそれぞれ半分ぐらいずつ。

※※※

なんだかちょっと気分がすぐれない。でもこれは、多分何かあった、というのではなくて、食べたものとか、飲んだものとか、そういうものが脳に作用しているのだ、と思う。

自分の身体のことをいかに把握できていないか、ということを思う。

2021年9月8日水曜日

ながいつぶやき(174)ピタゴラスイッチをIMAXで見たら

昨日の話。朝からまた、いつもの公園に行く。海があるっていうのはいいね。そのまま、ドトールでコーヒー飲む。本当にお客さんいないが、ここは大丈夫だろうか。

東京の九段下まで行き、隈研吾展へ。隈さんのインタビュー映像を見るセクションに入ろうとしたら、実物の隈さんが前を歩いていた。

大手町まで歩いて油そばを食べて、東京駅から横浜に帰る。かえり、ふと思い立って、映画をみる。『フリー・ガイ』。面白かった。こりゃ、映画館で見られて良かったな、と思った。

だが考えるに、映画館で見る必要がない作品っていうのも別にないと思う。映画館で見たらそれはなんか、もう別の体験、というか別の作品とすら言えるような気がする。

ピタゴラスイッチをIMAXで見たらそれはそれで面白そうだ。

2021年9月4日土曜日

ながいつぶやき(173)絵を描こう、と

朝から、ジャグリングユニットピントクルの公演「フニオチル」ちょっと手伝い。久々にジャグリング公演に携わった気がする。
今日はあまりものを書く気せず。言いたいことがある時、実際にその言いたいことを言う欲がある時、というのは少し違うのかもしれない。
ちょっとした不安のようなものが、最近はふわふわと心に漂っている。なんだろうね。

絵を描こう、と思う。

2021年9月3日金曜日

ながいつぶやき(172) 世の中の人の真剣な部分

少し忙しくて中断していたが再開。

今日は大吾さんと目黒区美術館へ行った。現在、「包む-日本の伝統パッケージ展」というものをやっているのだ。あと二日で終わるが。ポスターのアイキャッチとなるパッケージ、卵が5つ藁で包まれているところが、ジャグリング道具を想起させる、というただそれだけの理由で向かう。それ自体、冷静に考えれば実に短絡的な行動だが、同時に、何かもう少し根源的な理由がある感じも、する。むしろあんまり関係ないからこそ、ジャグリングに引きつけてみたら発見がありそうだ、という期待がある。そこに、知性が運動をするための幅を感じるからかもしれない。

ここ数日、本を読むのが無性に面白い。直近の関心に合わせて、とっかえひっかえ乱読するのが愉快である。図書館にはお世話になっている。美術館への行き道の電車の中でも、本を読む。『巨岩と花びら』。はしもとみおさんが薦めていたので、ひとまず手に取ってみた。今のところ半分くらい読了。著者の彫刻家・舟越さんは、心の動きが上品である、と思う。

冒険、漂流、建築、彫刻、というテーマが今の興味の範疇。荻田泰永、角幡唯介、高野秀行、植村直己、関野吉晴、本多勝一、ジョン万次郎、隈研吾、はしもとみお、舟越保武、といったあたりの人物を軸に、本を検索してなんとなく順番をつけて読んでいく。

本を読みたい、というのは、世の中の人の真剣な部分を知りたいということなのだな、と察せられてくる。