2023年1月17日火曜日

落ち着きかたがわからない

 noteだと書きづらいことをこっちに書いたりしてみたりして。坂口さんの日記を久々に読み返していて、彼の「読者が4000人」という箇所を見つける。そうか、僕もその4000人のうちのひとりだけど、彼でもそれぐらいの数の想定が妥当なんだ。僕だって結局そのあたりを狙っていけばいいと思った。いや、その大きさを狙うというのではない。ただ、自分が把握できる数の読者、鑑賞者がいる、というイメージをとにかく持つということである。現時点で僕が書いたり描いたりするものには、20人ぐらいのアクチュアルな鑑賞者がいるような感覚がある。多分間違ってないと思う。これを、このイメージを保ったまま、さらに自分自身が面白いと思うことをとことん追求してみる、ということだ。まず第一に、鑑賞者としての自分自身がいる。その後に、自分と共振するような鑑賞者がいる。そういう順番である。そしてその絶対数は全然多くなくて、むしろ少なくていいから、その人たちを裏切らない、そこに存在していることを意識しつつ自分を裏切らない、という感覚、そこに関しては楽をしない、という感覚が大事だろうと思う。

 でもそれは、苦しんで、努力して、という話でもない。苦しんでいいものが作れるんだったら苦労はないのである。そうじゃなくて、具体的に作品、と呼びうる形にするための労力を惜しまない、その方向づけを誤らないよう、そこだけ慎重になる、ということである。

 今僕の手元にあって、作品になりそうなものって何があるだろうか。

  1. 『ジャグラーのぼうけん』二巻以降。
  2. PONTE BOOKSのシリーズ。(『投げないふたり2(仮)』など)
  3. ペン画のシリーズ、本にしてみたい。展示がしたい。
 本当にまとまりのないことばっかりしてるな、と思う。落ち着いたらいいのかもしれないが、僕にはそもそも「落ち着きかた」がわからない。

2023年1月14日土曜日

ホイ

  まだ何か書きたがっているので出してあげる。noteの方で、これは毎日書いているのだが、今日は特にばーっと文章を書いて、僕はこれを読み返したい気分になっている。これは僕の癖で、まぁこんなことを言うのも普通は恥ずかしいと思うんだが、まぁ言っちゃうんだが、僕はすぐに自分の書いた文章を読み返してしまう。自分が何を書いたのか知りたいのである。 でもそんなことしてる時間あったら、まだまだ先を書いた方がいいんじゃないの、と思う。なぜなら、追い求めているものは、常に自分の中にある からである。自分の書いたものも、娯楽として消費し始めたらもうすでに他者の考えになっている。それは自分の中にあるものではないのである。

 言いたいことなんて山ほどあるのである。だったら、それについて考える、と言うより、どんどん言いたいだけ言わせてあげればいいのである。僕は何か言いたいことがあるときというのは、すぐに人に会いたくなってしまう。でもそれを、何かこうして書いたり描いたりすることにうまく昇華していければいい。とにかくおしゃべりなのだ。

 どんどん出てくるものを、そのまま川の流れのようにドバドバ出していって、それ自体が何か相対として意味を持ち始めるようなのがいい。個々の意味にあまりこだわるのは、どこか違うような気がしている。言葉の使い分けをしたほうがいいような気がしている。