2021年2月28日日曜日

ながいつぶやき(57)実はその不安のもとになっている課題に取り組むこと、であったらよかったり

昨日、書いたと思っていたら、書いていなかった。書く内容だけ決めていて、それについて考えていたらもう書いたような気になっていた。

※※※

時間が足りない、と思うことは最近特に多いんだけど、時間が足りない時に必要なのは、絶望することでも、諦めたいような感情になることでも、自信をなくすことでもないんだよなぁ。

特にこの「自信をなくす」ということについては、自信なくしても何にもいいことないな、と思う。そんなもの勝手に持ってればよろしい、と思えてくる。

心に余裕がないなぁ、と思ったら、一旦不安を雑音で紛らわすのが良くて、その雑音というのは、実はその不安のもとになっている課題に取り組むこと、であったらよかったりする。

2021年2月26日金曜日

ながいつぶやき(56) 猫一匹を、真剣に描けるかどうかでしかないのだ。

昨日、猫が味のある格好で寝ていたから、絵に描きたいなと思って写真を撮った。帰ったら、仕事はいっぱいあるんだけどとにかく俺はこの猫を描くんだ、と思って、携帯電話もオフラインにして、ブライアン・イーノの音楽をかけて、一時間真剣に向き合った。

出来上がった絵は自分でも納得のいくものだった。

去年の11月から毎日絵を描いているが、ある時には、ただ毎日描く、ということだけを満たすような絵を描いていた。

でも、そんなんじゃだめだよ、と思う。

自分が本当に描きたいと思うものを、なんで俺はこの絵を描きたくなったのか、全身で考えながら描かなきゃ意味がない。

そういう一時間が、たとえば一万日続いてようやく、何かが積み重なった、という感じがする。

俺はなんでこの絵を描きたくなったんだろう、と自問する。それに対して、絵で答える。

「自分にとって絵を描くとはどういうことか」の答えが、そのまま絵として出来上がる。

これはジャグリングでも文章でも歌でも、何でもかんでもとにかく一緒だと思う。

「僕はこれこれこういう理由で絵を描くんです」なんて言葉で言ったってだめだ。

それは、質問に対する本質的な答えではない。

自分の理想を「言いたくなる」時は、大体、「本当はこうでありたいけどそうはできていない時」である。

「俺はなんでこれを描きたくなっているんだろう、どういう絵が好きなんだろう、どういうことをこの紙の上に、ペン一本で表現したいんだろう」と心底考えながら、一時間でも、時間がないなら30分でもいいから、とにかくそういうことを心から向き合いながら、実際に「描く」からいいんだ。

猫一匹を、真剣に描けるかどうかでしかないのだ。

2021年2月25日木曜日

ながいつぶやき(55)「今はこれ!!」と思えるものについては、もう、全力で、「これ!!!!!」と言えばいい

暖かくなったり寒くなったり大変だ。
今朝は、布団の中でも随分と寒かった。
部屋がアパートの一階なこともあって、底冷えがするんだ。

一昨日までの二日間の暖かさはどこに行ったんだ、と憤りながら、ちょっと寒さについてかんがえた。

毎年冬が来るたびに、こんなに寒かったっけ、と驚いてるんだよ。
実感としての寒さって、それなりに暖かい季節になるとすっかり忘れてしまう。
朝布団から出るのがどれだけ辛いか、とか、寒いとどれだけやる気がなくなるか、とかも全部忘れる。
来年の(というか今年の末の)冬に備えて、どんなことが必要か、自分に書き残すなりなんなりしてあげておいた方がいいんじゃないか、という気すらしている。

本当に、人間ってな、すぐ忘れるもんだと思うのである。
それがいいこともあるけどね。

※※※

そういえばこれまでの人生で、いろんな気づきをしてきたはずなんだけど、そしてその中には「もうこれに気付いたからには、これを淡々と実行していけば、もう全部うまくいくな」みたいに思ったこともあったはずなんだけど、見事に、まるっきり忘れている。

僕は毎回毎回、それをかろうじて書き残していたものを読み返すたびに「完璧に忘れてるなあ」と思っている。

もう慣れてきたので、「これは一生忘れない感覚だろう」とその時は思っても、絶対にそれを信用しないようにしている。

むしろ絶対忘れるという前提の方がいい。
人はどんなに熱い想いも、悲しい気持ちも、そして冬の寒さの実感も、程度の差はあれ流れに沿って緩やかに忘れていく。
それが自然である。

まぁ、それを受け入れて気楽に生きるのがいいですね。

とりあえず、「今はこれ!!」と思えるものについては、もう、全力で、「これ!!!!!」と言えばいい、あとは流れに任せよう、っていうことです。
ね。

2021年2月24日水曜日

ながいつぶやき(54)なんか、一人でやってると気が抜けちゃうんだよ。

忙しいからって、ここをなおざりにしちゃあいかんよな。
こういうときってなんかさ、いいこと書かなきゃ、とか思うと、余計にそもそも始められなくなっちゃうんだよね。
だからこそタイマーが大事だよ。
いきなり始めちゃって、もう時間が来たら、それで終わり、という、後に引けないスタイルでなんでもやるのがいい。
なので、明日以降も仕事をそういう感じでやっていこうと思う。

なんか、一人でやってると気が抜けちゃうんだよ。

2021年2月22日月曜日

ながいつぶやき(53)自分が一番ワクワクすることを後まわしにするのって、なんか、本末転倒な感じもするんだよね。

仕事の量は夜寝て朝起きても変わらない。
あいかわらず大変な状況のはずなんだけど、なぜか朝は余裕な感じがするね。なんなんだろうね。
朝日を浴びるのはいいよね。
この勢いを使って、一番やっておきたいことはバーっとやってしまう方がいいように思う。
それも、「やらなきゃいけない部分」じゃなくて、思い切って、「自分が一番やりたいこと」を、深海のような集中力でやるのである。ふふふ。

ってね。

自分が一番ワクワクすることを後まわしにするのって、なんか、本末転倒な感じもするんだよね。

ながいつぶやき(52)だったらいっそ、没頭してしまって

「妥協するのは簡単じゃないですか」と心から楽しそうに言うのが一番いいんじゃないか、と思った。

色々たまっちゃって、嫌だなぁ、とおもって、ちょっと力を抜いたりするのは結構簡単なんだけど、それはそれ相応の心の負担があったりするんだよね。

だったらいっそ、没頭してしまって、妥協をしない、というか、「課題をひたすらやってしまう」道を選ぶほうが気分もいいし、課題もいい質で終わる、ということになるかもしれない。

※※※

キーボード、いいものを使ってみることにする。

明日届く。

仕事道具、色々と投資してみる。

こういうの、本当に楽しいね。

2021年2月20日土曜日

ながいつぶやき(51)そして誰もいない時間に起きればいい。

こんなことをインターネット場に書くのも変だけど、インターネットのもたらす情報量にアテられてしまう時があって、今がそれである。
知らなくてもいいような情報がどんどん自分の中に注ぎ込まれている感覚がある。
何か、100のことをやりさしで後ろに残していっているような、そんな感覚がある。
こういう時は、さっさと寝てしまうのがいいね。

そして誰もいない時間に起きればいい。

2021年2月19日金曜日

ながいつぶやき(50)「わ、やばいぞ」という状況って、やる気になってしまえば結構楽しかったりする。

むむ、これは結構やばいな、というくらいの頼まれ仕事の量を抱えている。

でもこれが終わった暁には、ちょうど月末くらいのタイミングで、新しいMacBookが届くことになっているので、非常に楽しみである。

それまでは怒涛の仕事ラッシュ。

でも、ちょっと、「わ、やばいぞ」という状況って、やる気になってしまえば結構楽しかったりする。文字起こしとか、翻訳とか、どんどん進むだけでいい仕事だから、と言うこともあるだろう。

クリエイティビティが関与してくる仕事(まぁ翻訳もある程度はそうだけど、割とテクニカルな作業なので)が多いと、特にそれに締め切りが設定されているとなると、なんだか嫌な気持ちにもなりそうだけど、まぁ、そう言うことは、ない。

ひとまず、「締め切りの3日前ぐらいに終わっちゃってる」を目標に頑張ってみる。

※※※

一緒に仕事ができる人がいる、というのはとてもいいねえ、と思う。

※※※

なんか、タイピングをする機会がやたらに多いんだけど、タイピングを演奏するみたいに、体を揺らしながら、その流れに身を任せてみたらちょっと楽しくなってきました。

ジャズピアニストみたいに。

おすすめです。

2021年2月18日木曜日

ながいつぶやき(49)その日1日、それについて思い出すことになる

自分で自分に課したノルマは、1日の初めの方でやってしまうのがいいなぁ、と思っている。
最近あまり早起きをしていないので、まぁ、そのせいもあるのだが、終わりさえすれば1日の終わりでもいいや、と思っていると、よくないことがある。
それは、「そのこと」について考える機会を逸失する、ということだ。
1日の初めに例えばフィンランド語に少しでも触れると、その日1日、それについて思い出すことになる。
その違いは大きい。

※※※

結局、MacBookは新調することにした。以前から使っていたものは誰かに譲る。
今もそれを使っていて、それなりに愛着があるんだけど、でもモノは一番使いたい人のもとにあるのが一番いい。
コレクション目的で持っていても仕方がないので、持っている以上はガシガシ使う、しっくりこなければどんどん譲る、という方針で生きていたい。

※※※
自分の水準を上げる、ということについて考えている。
淡々と絵を書いたり、淡々とフィンランド語をやったり、ということについてである。
で、この淡々と、というのは、実をいうと「あまり考えずに」ということでいいんじゃないか、という気がしている。
あんまり考えすぎると帰って続かなくなること、って非常に多い。
自分の体に、自然に身についている能力について考えてみる。
日常的に使っている能力の中で、嫌になりながら意識的に身につけた能力、って、それほどない気がするのである。
タイピングも、歩行も、食事の仕方も、人との付き合い方も、料理の作り方も、絵の描き方も、文章の書き方も、なんもかんも、「考えよう」と意識して考えて身につけたことって、ない。そっちの方が、理想的である気がする。

2021年2月17日水曜日

ながいつぶやき(48)むしろ「やればいいだけですね」みたいな

今年に入って最大級の仕事量を迎えている(笑)
でも嫌にならずに、むしろ「やればいいだけですね」みたいな、あくまで歩いているだけ、という状態が重要である。
というわけでここもちょっと省略。

2021年2月16日火曜日

ながいつぶやき(47)今はそこそこ、いい感じ。

今日も机に張り付いて仕事をする。
※※※
昨日、京都でApple Watchを買った。ここ数年ずっと欲しかったので、とても嬉しい。
まぁ、買うだけ買ってみて、特に必要だと思わなければ、次の使い手を見つければいいか、という気でいる。
今のところ、なかなか面白くて、気に入っている。
※※※
今月、今までになかったくらいの仕事の量。でも、なんだか、「お金が必要だな」と思うと仕事がフラッと舞い込んでくる、という不思議な縁が本当にここ数年ずっと続いていて、あんまり余計な仕事、みたいなのをしたことがない。
これは、いいことである。
※※※
その分、自分で管理している仕事、例えば毎日絵を描くことだとか、このブログとか、そういうことの質が、外部からくる仕事の量の波に左右されないように、最新の注意を払わねばなるまい。今はそこそこ、いい感じ。

2021年2月15日月曜日

ながいつぶやき(46)ことばは、それを聞いた瞬間に本能が違和感を察知する

京都を出る。

せっかく来たので「京都らしいもの」でも見ていこうかとも思った。
でも雨が降っているし、仕事も溜まっているので、結局駅に向かって30分ほど歩くだけにして、京都を出ることにした。

駅の近くで時間潰しにスターバックスに入る。
テラス席で仕事をする。
隣に、男女3人組が座った。
彼らは一様におそらく京都の言葉で話している。

僕は、これこそ京都で体験しうる至高の体験だなぁ、と本気で思った。

このところ旅らしい旅をもうしていない。
でも僕は「ことばに出会う」ために旅をしていたんだねぇ。

自分が、生活圏とはまったく別のところに来たのだ、と感じるのは、まさに、ことばを通してである。

街の風景から地域差を感じる、ということはなかなかない。たとえ寺院を見ても、あんまり感じない。

でも、ことばは、それを聞いた瞬間に本能が違和感を察知するので、大変に面白いのである。

自分が外国の言葉を話せるようになる、という経験の面白さも、そのような違和感を乗り越えることができる感じに基づいていると思う。

※※※

僕は方言を聞くとついその方言を真似してしまう、というくせがある。
今日もお店の人と少し長話をしていたら節々でイントネーションを真似してしまった。
一度僕は地方に住んでみて、その土地の言葉に染まる、ということをしてみたい。

で、なんで僕はこう言う風に真似をしてしまうのか、と言うと、なんか、横浜方言、まぁ、いわゆる標準語に近い話し方で話すと、なんか、威圧的と言うか、冷たいと言うか、馴れ合うことを拒否しているような感じがして、すごく嫌なんだよね。
これ、本当に、どうにかしたい。

2021年2月14日日曜日

ながいつぶやき(45)これは、「失うことを異常なことだと思わない」という態度でもある気がしている。

横浜を離れて遠方に来ており、昨晩の地震のことを知らなかった。

このところ、「ものに執着しない」ことについてずっと考えていた。

あんまり将来の収入とか、安定とか、確定性とか、予見をあてにしない、ということも考えていた。

やりたいことがあれば、できるときに、余裕があるうちに早めにやっておいた方がいい、ということも考えていた。

これは、「失うことを異常なことだと思わない」という態度でもある気がしている。

2021年2月13日土曜日

ながいつぶやき(44)移動がちょっと増えている。

移動がちょっと増えている。
今日はパン屋でちょっとだけ働いて、一度妙蓮寺に行って、そして、中目黒まで行って、また妙蓮寺に戻る。

京都にも行くことになった。
京都で、友達のジャグラー、中西みみず君が率いるジャグリングユニット・ピントクルの公演があるので、その様子を見に行く。
※※※
相変わらずMacBookのことを考えている。
なんだか、移動をしなくてもいいや、と思っていたのだが、やっぱり移動をしやすいように生活を組んでおいた方がいいな、と思ったのである。
今日は休みの日だ。今中目黒に向かう東横線の中だが、多摩川沿いにはたくさんのテントが張ってあって、思い思いに遊んでいた。

ながいつぶやき(43)増やすための資産をたくさん持っていることよりも、躊躇なく「増やさない」方を選べることの方が資産だなぁ、と思う。

最近「増やして解決するのではなくて減らして解決する」と考えるようにしている。
別に誰に言われたのでもないのだが。
例えば「ペンが増えてきたので、ペン立てを買いたい」と思ったとする。
でもそこで立ち止まって1分間考えるだけで、「でもペンを減らせばそもそも問題はないし、むしろ机がスッキリして仕事が捗る」ということに気が付く。

増やすための資産をたくさん持っていることよりも、躊躇なく「増やさない」方を選べることの方が資産だなぁ、と思う。

ゆえに、罪悪感なしに減らす手段をたくさん持っていることも大事だ、と思う。
捨てるための自分なりの確固たる方針を持っている、ということもそうかもしれないし、メルカリみたいに、誰かに使ってもらえる、という場所を確保することかもしれないし、とにかく大事な人に、もらって欲しい人にあげちゃう、ということかもしれない。

そして、とにかく、自分が幸せだ、と感じられる方に、さっさと歩いていける、というイサギのよさも大事だと思う。

2021年2月12日金曜日

ながいつぶやき(42)要は、自分が何かを名乗ってしまうことで、制限されなければ、いい、と思う。

今日はみっちり翻訳をしたなぁ。

いつもの翻訳仕事も溜まっていたし、別件でもらっているものの仕上げもあった。

少し家でやったが、すぐカフェに行って、 でもなんだかしっくりこないので、結局ずっと家で。

※※※

忙しくなってくると、目の前の目標を達成することに充足を感じる。

それじゃあよくないなぁ、と思う。

俺は翻訳家じゃねえんだ、とよくよく自分に言い聞かせる。とりあえず生きていくだけのおかんを稼いだりとか、それなりに「仕事」をすることで気を紛らわすことはできるし、それはそれで楽しいのだ。楽しいのだ、けど、それをなるべく迅速・丁寧にこなして、別のワクワクすることを次々とやっていたいね。

でもまた、「俺は翻訳家だし、画家だし、ジャグラーだし、本屋の店番だし、外国語学習者だし、色々だ」と言い張っちゃうというのもいいな、と思ったりする。要は、自分が何かを名乗ってしまうことで、制限されなければ、いい、と思う。

2021年2月10日水曜日

ながいつぶやき(41)引いた目線になってみると、生活全体で、一個一個にかける時間が、必要最低限である、ということも大事になってくる

 仕事をどんどんこなしたい、と思っている。という前提があって。

今日描いた絵はこちら。

絵を描くにあたって、以前は1時間と決めて時間が多少あまっても描きこんでいたんだけど、スピードを持って描けるようにもしたい、と思い、これでもうある程度の質感は表現されたな、と思ったら、そこですぐさま止める、という描き方にしている。

例えばここでは、背景の木なんかについて、より「印象」に近い形にしてみている。

ただの時間の短縮のため、というよりも、「複雑さと正確さと『伝わるために最低限必要な線』のちょうどいい所」を見つける実験でもある。

※※※

この文章を書くことについてもそうだけど、時間を決めて、その制限時間の中でタイムアタックのように質を上げる練習をすることも効果があるけど、それはミクロな視点で見た時その分野の能力が上がるということであって、引いた目線になってみると、生活全体で、一個一個にかける時間が、必要最低限である、ということも大事になってくる。

特に今、仕事をたくさんもらっていて、自分でもやりたいと思っていることがいっぱいあって、それらをどうやってすべてやるか、ということを考えている。

2021年2月9日火曜日

ながいつぶやき(40)誰にも奪えないものが自分の中に積み上げられている、という、確かな嬉しさが、とてもいいんだ

今日はかなり集中して仕事をした。文字起こし、翻訳、諸々。

最近、やっぱり、ずっと環境のことを考えてしまう。このパソコンを売って、別のにして、持つものを、本当にお気に入りの一台だけにしたいな、とか。

その時に、自分は最終的にどうなりたいのか? ということが頭をもたげる。

※※※

新しい能力がどんどん広がっていくことが、一番楽しい。

絵を描くこともそう。

自分でも驚くが、よし、俺は毎日ポストカード大の絵を一枚は描こう、と2021年の正月に思い立ってから毎日描き続けていて、絵を真面目に(というかなんというか)描き始めたのは去年の11月で、今およそ3ヶ月くらいが経って、何か、一つの技術のまとまりが定着したような感じがある。

大金を積まれても、懇願されても、他人がどれだけ自分より優秀であろうとも、誰にも奪えないものが自分の中に積み上げられている、という、確かな嬉しさが、とてもいいんだ。

2021年2月8日月曜日

ながいつぶやき(39)でもそれが嘘だ、というのでもなく、まぁ、大体の真実、って

生まれた街によって自分が規定されることってあるんだろうな、と思う。
僕自身は横浜に生まれて、一体どういう風に「街に育てられてきた」んだろう。
自分の周りにある、たとえば建築物をとっても、それを日々見ることによって固有の美意識が醸成されたりもするよね。

けど同時に、別に育った場所なんて関係ない、と思わないでもないし、まぁ、人が具体的に「何」に影響を受けて今のその人があるのか、なんて、本当のところはわかんないよね。ただ、なんとなく、筋道が通っていそうに見える話を、自分が、もしくは他人がでっち上げるだけである。
でもそれが嘘だ、というのでもなく、まぁ、大体の真実、ってそういう風に語られることのような気もする。

※※※

なんだか最近、今までなかった仕事をいただく機会が増えている。
いいねいいね。

2021年2月7日日曜日

ながいつぶやき(38)まぁいずれにしても、とにかく「それ」について早々に手をつけちゃう、ということでもある。

今日は昼から本屋・生活綴方の店番。ちょっと久しぶりである。やっぱり家を出ないとね。
昨日もほとんど一日中家にいた。
途中、‪Uber Eats‬をやったり、部屋を整理する収納用品を買うのに無印良品まで行ったのを除けば。
※※※

部屋に長い時間いることが最近なかった。ゆえ、部屋掃除をし始めたら、色々と行き届いていないところが目について、仕事をしながら、休憩がてら部屋を掃除する、物を捨てる、ということをしていた。

僕は仕事をしていても何をしていても、「不安になる」ということが大変に多い。
それは多くの場合、「早く物事を片付けたいのに、全然終わらない」という不安である。
そして、もっというとこの不安は、「終わらなそうだ」という予感に基づいている。

で、実際の作業量って、確かに、パッとやれば終わるようなものだったりする。

でも、実は昨日の掃除みたいに、ある程度それについて無意識で考え、醸成する時間のようなものがあって初めて満足がいく形でそれに取り組むことができる、ということもある。

まぁいずれにしても、とにかく「それ」について早々に手をつけちゃう、ということでもある。

2021年2月6日土曜日

ながいつぶやき(37)要するに、「流れ」なんだね。そうかそうか。

PM Juggling の板津大吾さんのnoteがとてもいいなー、と思っている。

まぁ何がいいって、結局、毎日それなりの量の文章を書いていることである。

毎日人が書いているものを読むのって楽しい。

※※※

iMacを買って以来、ちょっと家に引きこもってしまっていて、これはなんか違うなぁ、という気がしている。

この頃バイクに乗りながら考えているんだけど、やっぱり僕はあっちこっち移動することを前提に物を持ちたい。

今までのように旅はできなくなっているけど、細かい移動はたくさんしていて、その上で、「あちこち連れ回す相棒」がいて、あとは特にそんなに保持していない、というのが一番いい。

それはパソコンみたいな大きいものだけではなくて、あるいは服もそうだし、カバンもそう。

ここ数日間、職場みたいになっていた本屋の2階に行っていなくて、それでなんとなくしっくりきていない部分もあるんだねえ。

※※※

「お金」を、単なる手段としてしかとらえない、という考えもこの根底に流れている。

お金は大事、という完成はあるにはあるんだけど、でもその向こうにある、「それで可能になること」にしか目を向けないようにしたい、というかね。

要するに、「流れ」なんだね。そうかそうか。

2021年2月5日金曜日

ながいつぶやき(36)コンテナに積むこと / ラーメンはラーメンだ

少し珍しく早く起きた。
ぱっぱ、ぱっぱと物事を進めたいんだけど、どうしても何かを始める前に、「本当にそれでいいの?」と自問するところがある。

考えるより先に、まず始める。

「一日の中で、なるべく多くのことをやる」のは、「コンテナにできるだけものを入れる作業」のようだね。
朝起きたら、まずはなるべく大きいものから積んでいく。
でも、たとえば何時に家を出る、とか、大体この時間にはここにいたい、という制約もあるので、それをまずはさっと把握した上で、その時間内に「確実に終わること」を積んでいくのがいい気がしている。

何かがやりかけのまま次のことを始めると、どうもその作業がパソコンのメモリに作業を記録するように頭の中に残ってしまって、全体の効率が落ちていく感じがある。

一度に一個のことを、深い集中で積んでいくこと。

※※※

昨日老舗のラーメン屋でラーメンを食べていて、店主の人が五輪大会組織委会長森さんのことについて言っていて、その発言について思うところがあった。
しかしそれでいろいろ考えちゃって、ラーメンがまずくなるのも嫌なので、というかなんだか損なことであるような気がして、ラーメンはラーメンだ、と思うことにした。
すると、別に何か気になることはなくて、ラーメンは美味しいラーメンのままだった。

生活において、この人の考えはどこまでいってもこの人の考えだ、ラーメンは、ラーメンだ、とした方がいいことって多い気がする。

※※※

なんだか朝は散歩をするおじいちゃんおばあちゃんが多いね、と、朝焼けの中で洗濯物を干しながら思った。



ながいつぶやき(35)継続して初めて、ふくよかな体験になることが多くある。

最近「あ、絵を描かなきゃ」というと、「別に描かなきゃいけないわけじゃないジャン」と言われることがある。
ふっふっふ、とその度に思うのである。(それを言われるのは好きなのである)
いや、それは、その通りなのである。
別に絵を描かないと明日おまんまが食えない、ということでは金輪際ない。
むしろ、絵なんか描かないでお金の稼げることをもっとしたほうが、金銭的には豊かになる。
でも「毎日やろう」と思ったことは、とにかく何が何でも「毎日やる」ことによって、意味が生じるのだ。

継続して初めて、ふくよかな体験になることが多くある。

というより、それが本質的に楽しくなるかならないかは、全てのことにおいて、継続するかしないか、のその二択でしかないように最近は思う。

身体を柔らかくしたかったら、とにかく身体を柔らかくするようなことを毎日意地でもやるだけ、というのと同じだね。

遠くまで行くにはとにかく足を前に置くしかない。

このブログだって、別にやらんならやらんだっていいのに、毎日書いたら充足するから、ということで、こうして毎日毎日書いている。

その時、少し高めのハードルにするといい、ということもある。
僕にとっては、ここに15分間向き合う、というのは、それなりに真剣な作業だ。
その少しの真剣さを毎日持つことが、多分、大きな岩を動かすための唯一の方法であるから、今日もこうしてタイマーを横において書いてる。

※※※
iMacで作業をしている。
なんで買ったんだったか、思い出してみる。
元々は、文章を書く作業全般がきっともっと楽しくなるだろうな、と思って手に入れたんだよね。
でも僕は、今日仕事をしている間中、操作に慣れないこともあってか、「もっといい環境」について考えていた。
そういうのって、考え出すとキリがない。

だから、自分は一体何をもって「最高」とするのか、いまいちど、生活すべてに言える「最高」の基準をはっきりさせなければならないなぁ、と思っている。

こうして書いてみて真っ先に思い浮かぶのは、
「自分自身が『没頭したい』と思っていることに、毎日一定時間没頭していること」
こそ「最高」と認定していいんじゃないか、ということ。

あとのことは、その最高なことを作り出すための補助として有効に働いてくれていれば、それが適正だ、と思うことにするのだ。じゃないとさ、選択に関して、いちいちキリがないもんね。

早起きする。
時間を決めて、その時間は、いやでも、何かやりたいことがあっても、忙しくても、絶対やる。
朝から、順番はどうでもいいから、その時やりたいことをさっさとやる。

というあたりがコツかな、という感じ、する。

…ここまで書いて、まだ4分半余ってるんだよねえ。

※※※

こういう考え方はこんまりにも通じているし、nendoの佐藤オオキさんにも通じることであろうし、 スティーブ・ジョブズにも通じることであろうし、とにかく、自分にとっての是をなるべく単一のものに還元しておく、ということかな。
まぁ、こうやって言葉にしちゃうとなんか、あっけない感じ。

※※※

欲に負けないで淡々とやる、ということかなぁ。

※※※

でもね、やっぱり、「まぁそんなにうまくいかないんだけど、うまくいってなくていいから、とにかく考えるより先にやる」っていう、そういうことでもある、と思うんだね。
ごちゃごちゃ考えずに、どんどん作品を作り、immerse oneselfして、シャワーのように刺激を浴びる。
大丈夫、別に、死にはしないのである。

シャワー浴びよ。

2021年2月3日水曜日

ながいつぶやき(34)まぁ、ワクワクすることは、やってみてからそれが自分にあっているのかどうか、確かめればいいさ、という気でいる。

なんだか色々あって、(まぁ別にそんなにないんだけど)iMacを買うことにして、それで、今日モノが届いた。


もろもろ、セッティングを済ませている。

作業スペースが広がれば仕事も早く終わるんじゃないか、とか、そもそもデスクトップに憧れがあった、とかいろんな理由がある。

あとは、以前にも書いたけど、フリーマーケットサービスを使い始めて、物はずっと持っているもんでもない、という感性が身についたからでもある。

それと、単純に、そんなに節約してても、いつ死ぬかわからんし、しょうがないな、という心境だからでもある。

あとは、旅にも全然出ないから、お金は例年よりは溜まっていく、ということもある。

まぁ、ワクワクすることは、やってみてからそれが自分にあっているのかどうか、確かめればいいさ、という気でいる。

※※※

iMac、いい。

今は、トラックパッドとキーボードの配置の調整をしている。

※※※

気になること、って、いつまで経っても気になっちゃうので、そういう時は、とにかく自分を磨くしかないよね、と思う。悩んでる間に、やったらワクワクすることなんて山ほどあるのである。

2021年2月2日火曜日

ながいつぶやき(33)時々、その日の朝起きたことが、全然その日の朝起きたことだとは信じられない時ってあるよね

本を3冊買った。
本を買うのはちょっと久しぶり。

※※※
朝起きて、パン屋に行ってちょっとだけお手伝いをして、すぐに本屋の2階に行って、翻訳の仕事。ここ3日ぐらい奇跡的に仕事がなかったんだけど、今日になっていきなりドバッときた。こりゃ、明日もかかりっきりだ。
仕事を終えよう、と思って、急に、無性に、本が欲しくなったので下の石堂書店に行って、20 分ぐらいで見繕って、3冊買った。気分がいい。

朝は雨が結構降っていたけど、昼からは一転、とても天気が良かったなあ。
猫たちも気持ち良さそうだった。





猫と、KINTOで注文してたのが届いたやつ。最高。



※※※
時々、その日の朝起きたことが、全然その日の朝起きたことだとは信じられない時ってあるよね。
1日の密度が濃いってことなんだろか。
いいことです。


2021年2月1日月曜日

ながいつぶやき(32)自分自身の安定に寄与している、というところがある。

 とりあえず一ヶ月続いたぞ、と思う。

(実は一日抜けているんだけど…)

毎日何かを続けるのは、やっぱり体と心の健康にいいな、と思う。

仕事、というのは、確かにお金を稼ぐことではあるんだけど、その「仕事」とは別に、自分で決めた日課がある、ということがいいのである。

絵も、もう昨年の11月ぐらいから毎日描き続けている。別に目標はないのだが、その日課を守りきる、ということで、自分自身の安定に寄与している、というところがある。

とにかく、人と比べないで、淡々と自分の中を見つめるような日課を続けていきたいな、と思う。

今日はあんまり外に出なかったけど、ちょっとだけ公園でジャグリングをして、やっぱりいいなぁ、と思ったのだった。