2021年2月26日金曜日

ながいつぶやき(56) 猫一匹を、真剣に描けるかどうかでしかないのだ。

昨日、猫が味のある格好で寝ていたから、絵に描きたいなと思って写真を撮った。帰ったら、仕事はいっぱいあるんだけどとにかく俺はこの猫を描くんだ、と思って、携帯電話もオフラインにして、ブライアン・イーノの音楽をかけて、一時間真剣に向き合った。

出来上がった絵は自分でも納得のいくものだった。

去年の11月から毎日絵を描いているが、ある時には、ただ毎日描く、ということだけを満たすような絵を描いていた。

でも、そんなんじゃだめだよ、と思う。

自分が本当に描きたいと思うものを、なんで俺はこの絵を描きたくなったのか、全身で考えながら描かなきゃ意味がない。

そういう一時間が、たとえば一万日続いてようやく、何かが積み重なった、という感じがする。

俺はなんでこの絵を描きたくなったんだろう、と自問する。それに対して、絵で答える。

「自分にとって絵を描くとはどういうことか」の答えが、そのまま絵として出来上がる。

これはジャグリングでも文章でも歌でも、何でもかんでもとにかく一緒だと思う。

「僕はこれこれこういう理由で絵を描くんです」なんて言葉で言ったってだめだ。

それは、質問に対する本質的な答えではない。

自分の理想を「言いたくなる」時は、大体、「本当はこうでありたいけどそうはできていない時」である。

「俺はなんでこれを描きたくなっているんだろう、どういう絵が好きなんだろう、どういうことをこの紙の上に、ペン一本で表現したいんだろう」と心底考えながら、一時間でも、時間がないなら30分でもいいから、とにかくそういうことを心から向き合いながら、実際に「描く」からいいんだ。

猫一匹を、真剣に描けるかどうかでしかないのだ。

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