2021年2月5日金曜日

ながいつぶやき(35)継続して初めて、ふくよかな体験になることが多くある。

最近「あ、絵を描かなきゃ」というと、「別に描かなきゃいけないわけじゃないジャン」と言われることがある。
ふっふっふ、とその度に思うのである。(それを言われるのは好きなのである)
いや、それは、その通りなのである。
別に絵を描かないと明日おまんまが食えない、ということでは金輪際ない。
むしろ、絵なんか描かないでお金の稼げることをもっとしたほうが、金銭的には豊かになる。
でも「毎日やろう」と思ったことは、とにかく何が何でも「毎日やる」ことによって、意味が生じるのだ。

継続して初めて、ふくよかな体験になることが多くある。

というより、それが本質的に楽しくなるかならないかは、全てのことにおいて、継続するかしないか、のその二択でしかないように最近は思う。

身体を柔らかくしたかったら、とにかく身体を柔らかくするようなことを毎日意地でもやるだけ、というのと同じだね。

遠くまで行くにはとにかく足を前に置くしかない。

このブログだって、別にやらんならやらんだっていいのに、毎日書いたら充足するから、ということで、こうして毎日毎日書いている。

その時、少し高めのハードルにするといい、ということもある。
僕にとっては、ここに15分間向き合う、というのは、それなりに真剣な作業だ。
その少しの真剣さを毎日持つことが、多分、大きな岩を動かすための唯一の方法であるから、今日もこうしてタイマーを横において書いてる。

※※※
iMacで作業をしている。
なんで買ったんだったか、思い出してみる。
元々は、文章を書く作業全般がきっともっと楽しくなるだろうな、と思って手に入れたんだよね。
でも僕は、今日仕事をしている間中、操作に慣れないこともあってか、「もっといい環境」について考えていた。
そういうのって、考え出すとキリがない。

だから、自分は一体何をもって「最高」とするのか、いまいちど、生活すべてに言える「最高」の基準をはっきりさせなければならないなぁ、と思っている。

こうして書いてみて真っ先に思い浮かぶのは、
「自分自身が『没頭したい』と思っていることに、毎日一定時間没頭していること」
こそ「最高」と認定していいんじゃないか、ということ。

あとのことは、その最高なことを作り出すための補助として有効に働いてくれていれば、それが適正だ、と思うことにするのだ。じゃないとさ、選択に関して、いちいちキリがないもんね。

早起きする。
時間を決めて、その時間は、いやでも、何かやりたいことがあっても、忙しくても、絶対やる。
朝から、順番はどうでもいいから、その時やりたいことをさっさとやる。

というあたりがコツかな、という感じ、する。

…ここまで書いて、まだ4分半余ってるんだよねえ。

※※※

こういう考え方はこんまりにも通じているし、nendoの佐藤オオキさんにも通じることであろうし、 スティーブ・ジョブズにも通じることであろうし、とにかく、自分にとっての是をなるべく単一のものに還元しておく、ということかな。
まぁ、こうやって言葉にしちゃうとなんか、あっけない感じ。

※※※

欲に負けないで淡々とやる、ということかなぁ。

※※※

でもね、やっぱり、「まぁそんなにうまくいかないんだけど、うまくいってなくていいから、とにかく考えるより先にやる」っていう、そういうことでもある、と思うんだね。
ごちゃごちゃ考えずに、どんどん作品を作り、immerse oneselfして、シャワーのように刺激を浴びる。
大丈夫、別に、死にはしないのである。

シャワー浴びよ。

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