すでに休止していたも同然ですか、ここを一旦休止します。また書く気になったら、戻ってきます。
2022年1月27日木曜日
2022年1月24日月曜日
毎日の修行
2022年1月21日金曜日
加藤典洋さん
養老さんの『ヒトの壁』を読んでいて、師匠だった加藤典洋のことが触れられていた。
大学時代に加藤ゼミ生として、つまり加藤さんが教授という立場だった状態で僕と接していた頃、僕はあまりうまい距離で付き合えていなかったのではないか、という気がしている。逆に、卒業してから会った時の関係性の方を、僕は好ましく思っている。
というのも、卒業してから1年か2年経って、彼のお気に入りだったキャッツ・クレイドルというカフェで小さな同窓会のようなものをやったのだが、その時の加藤さんは柔和な表情で僕を手放しで褒めてくれたのである。そんなことは学生時代、なかった。そしてそれはごく自然に出てきたものだった。
加藤さんはあまり大学に浸りきった人ではなく(教授会なんかもすごく嫌そうだった)、比較的自由な人だった。とはいえ僕は「指導をするべき学生たちの1人」としてそこにいた。
それに結局のところ、彼はやはり大学の中にいたから、授業(ゼミ)という場で会う加藤さんがそこで一番表面に出す個の側面は、「戦後の問題について考える人間」「文学批評に取り組む人間」であった。
だがカフェで会った時の、クロシェ帽を被った加藤さんは違う。猫やなんやらの話を山形の訛りで嬉しそうにしながら、アイリッシュコーヒーを飲んでちょっと上機嫌で、くふふふふ、と笑う、物静かだけれど陽気なおじさんだった。その時一番表面に出していた側面は、「生活者としての加藤典洋」だった。
僕は、批評や文章表現を学ぶ学生として、あまりいい学生だったとは思わない。
お互いに生活者として接した時の加藤さんの記憶が、僕の中では一番の思い出である。
今こそ、また会いたかったな、と思う。
2022年1月20日木曜日
新しいこと
2022年1月18日火曜日
感謝したいひと
映画や雑誌の最後にある「Special Thanks」みたいに、人生の最後に、この人は特に名前を挙げることで感謝したい、という人がいる。
ハッピーだ、という思いをたくさん共有してきた人にそう感じるわけだ。
人との関係って本当に色々あって、定型化は決してできないことの連続である。けどその中で後に残るのは、結局、あれが幸せだったなぁ、あれも幸せだったなぁ、ということである。それについて、特に記したいな、と思ったりする。
落ち込んだりなんだりするのは、結局、幸せであることに基づいている。
※※※
今日からしばし家に友人がいる。いつまでいるのかは知らない。家を出て、生活綴方に寄ってから、二子玉川に大吾さんに会いに行った。少しジャグリングをして、それからコーヒーを飲みつつ話をした。1時間弱話したら、池袋に移動して、バスに乗って新潟に来た。新潟は雪がたくさん積もっている。
2022年1月16日日曜日
いいないいな
このところ抽象的な絵を多く描いていた。最近、風景をまた描き始めている。
風景は、インプロで描く抽象的な絵と違って時間がかかる。
まず題材を用意するのに時間がかかる。iPhoneにある写真の中から、これは絵にしたいなぁ、というものを選ぶ。次によく構図を観察して、どういう法則で描いていくかを頭の中で少し吟味する。それから描き始める。描き始めれば、描き込むところもたくさんあるから、時間がかかる。
本当は、もっとシンプルな絵が描きたい。一つのルールに沿って描けていないのが歯痒い。
だが僕は、これまでの人生、絵なんかろくに描いたことのなかった人間である(漫画とか、描いていたけど、美術と日夜向き合っている人からしたら準備運動にも及ばないような量だろう)。
そんな人間が急に始めたことだから、甘い部分があるのは重々承知なんだけど、「まぁ、趣味だから」と逃げないで、とにかく「真剣にやってるんです」と笑顔で言うようでありたいね。もう、それだけだと思うよ。素人から出発する方法っていうのは。
(絵について #1)
2022年1月15日土曜日
(9)なりたいやりたい くあるとどーら - 15分で書けること
昨日すっかり何かを書いた気でいたのだが、書いていなかった。こういうこと、たまにあるんだな。
毎日その日ぐらし、というのか、特に決まったところに行くわけでもないし、その時々で、行きたいところに行き、やりたいことをやる生活をしている(その「やりたいこと」には当然、文字起こしだとか翻訳だとかの日銭稼ぎの仕事も含まれる)。
これからやることをいちいち考えているので、最低限やらなければいけないこと、というのをやり忘れることもある。まぁ、いいんだけど。
※※※
今日は、持っている50ccのカブ(プレスカブという)のメーター内のインジケーターの電球を変えた。ホームセンターに行って、電球とドライバーを買う(手持ちのものだと少し大きすぎた)。カバーを開けて、中のランプを引き出して、その電球を引っこ抜いて取り替えるというだけの作業。でもこれが自分にはできる、ということがとても嬉しい。またこの3速ランプというものがついていることでより走りやすくなるのもとても嬉しい。
※※※
こんなことは言う前にさっさと行動に移すのが吉なのだが、それでも言う。
思いついた面白そうなことを全部やりたいな。フランス語も中国語もイタリア語もドイツ語もスペイン語もフィンランド語も韓国語も英語ももっともっと上手くなって、ジャグリングを使った見せ物ももっと上手くなって、カブは、基本的なところは自分で好きにいじれるようになって、お金にはもっと余裕があって、面白い映画もたくさん見ることができて、何か日常で触れたことを言語化する修行をたくさんして上手くなって、倒立も上手くなって、絵ももっともっとたくさんの作品を描いて、本も自分で作るべきものは自分で作れるようになりたい。
2022年1月13日木曜日
(8)ギュッとしているのがいい くあるとどーら - 15分で書けること
東海道線で横浜から東京に向かう車内で、iPhoneで書いている。時間制限がいいのだ。
自分に何かしらの負荷をかけることに意識的でありたい、と思っている。
脳みそをギュッと絞り出すような体験を1日に一回すべきなんだ、そうだそうだ、とおもう。
人のことを考えてばかりいるのは、自分が課題に真剣に接していないからだ、と思う。
※※※
昨日の夜、久しぶりにディアボロを3つ回した。とてもいい気分。自分でもこんなことができるとは思わなかった、という気分がある。今持っているディアボロは、ドイツの会社ヘンリースものだが、最近買った3つのものは、どうも昔と素材が違うので、回した感じがあまり好みではない。
と、ずっと思っていたけれど、昨日改めて回してみると、これはこれで別に不足はないかもしれない、ともおもう。
僕は以前のヘンリースサーカス何を好きでいたのだろうか? たぶん、回していて気持ちがいい、重くて摩擦が大きいけれども、その分ゆっくりと動くことができる、ということが僕にとっての心地よいディアボロのあり方なんだろう。
2022年1月11日火曜日
雪掘り日記 - 十日町の古民家へ③「しゃけ、そば、最後の光」
昨日は夜10時前には眠りについていたから、朝もすっきり寝覚めがいい。
本当のところ、明け方5時には目が覚めていた。だが居間に行っても寒いだけなので、布団にもぐっている。じっとしていると、カリカリ、という音、なうー、とか弱い鳴き声なんかが聞こえてくる。そのたびに戸を少し開けて、猫がいるかどうか確かめる。いるときには、よしよしと撫でてやる。枕元にあるマスクに興味を持っていたので、ヒョイと動かしてやると、すぐに、頭を低く、腰を高くの臨戦体制になった。
8時に朝食。今日はご飯としゃけ。昨日はおにぎりだったから、今日は十日町の米をしっかり味わってもらいたくて、としのぶさん。こちらに来て、水とお米のおいしさに感動する。それでも十日町は新潟の中では水質はベストではない、とのこと。だけど横浜のアパート暮らしから比べたら比較にならないぐらい美味しい。
ご飯を食べてひと段落したら、上着と防水ズボン、長靴を着込んで作業へ。最終日の今日は、家の裏側の除雪も行う。かんじき(忍者が水上で履く「あの」靴みたいなもの)をはいて、新雪の上を歩いて行って、裏へまわる。雪はこんもりと積もっている。家の周り全体を高さ数m、すっかり覆っている。その上を歩くのだ。
本当は家の裏には、暖かい季節にはピザが焼けるような薪窯がある。それもすっかり覆い尽くされていた。その周りの雪をある程度どける。
裏がひと段落つくと、今度はまた表にもどってきて、道を少し広げたり、灯油タンクの周りをすっきりさせる。4人で行うとあっという間に雪はどけられる。全部で2時間半ほど作業をして、おしまい。最後に記念撮影。
お昼は蕎麦を食べにいく。すぐに行くと混んでいるから、というので少し家で猫と戯れてから。もう今日でお別れなので、いつもより入念になでなでしておく。
車で「清兵衛」という蕎麦屋まで行く。民家をそのまま蕎麦屋にしたようなところ。へぎそば、というものが出てくる。「へぎ」というのは、どじょうすくいのあのカゴのような器のことで、それで出てくるのがへぎそば、ということである。しんごさんが「蕎麦湯が美味しいんです」というので、食後に出てきた蕎麦湯を試したが、確かに、美味しい。どろっとしていて、つけ麺の後のスープのような、濃厚な味わい。
そこから、ジェームズ・タレルというアメリカのアーティストがデザインした「光の館」を見に行く。
車で少し山を登ったところにある。着いた時には2時35分。どうも受付に人がいない。しばらくすると女性が出てきて、説明してくれた。僕らはてっきり3時半が最終入館だと思っていたら、どうも締め切りは2時半であったらしい。だが、どこから来たんですか、というので、神奈川です、と言うと(僕以外にもう1人手伝いに来ていた女性も、川崎から来た人だった)少し考えて、「ちょっとでよければ」と言い、中を見せてもらえることになった。
「光の館」は、泊まって体験できるアート、という触れ込みである。和室の屋根が動いて、部屋の中まで陽が差してくる。ちょうど僕らが言った時には、十日町はすっかり晴れていて、四角い穴の空いた屋根から注ぐ陽光が、角ばった陰影を作り出す。お風呂やキッチン、外を巡る回廊も見せてもらったが、とても感じが良かった。僕はこういう上質な情報だけで満たされたシンプルな空間が好きなのだ、ということを認めよう、と思った。気候と、一緒にいる人と、それからガイドさんの親切心も手伝ってのことだとは思うのだが、とても幸せな気分だった。
最後に、十日町駅の近くにある、キナーレという施設に行く。MonETという名の現代美術館もこの施設の中にある。だが時間もないのでパス。
今回は、同じくキナーレに入っている「明石の湯」という温泉へ。結局、毎日温泉に入った。
1時間弱、そこでゆっくりしてから、最後は車で十日町の駅まで送ってもらい、そこから横浜への帰路についた。上越新幹線の中では、くたびれてぐっすり眠った。
※※※
この日記を仕上げている今、僕は横浜の家で、暖房の効いた室内でMacのキーを打っている。
iPhoneで雪景色の写真を見ながら、少しだけ、寒気を頭の隅っこで感じる。
これはまだ昨日のことだ。
まだ手では、雪の感触が思い出せる。
7匹いた猫たちの毛並みの感触も思い出せる。
2022年1月10日月曜日
雪掘り日記 - 十日町の古民家へ② 「トースト、雨、峡谷」
夜、寝る時は天井がとても高い部屋で寝る。小さめのファンヒーターをいれるのだが、なかなか温まらない。それでも、つけないよりはと思って、スイッチを入れて、足元を温めた。夜中、廊下を猫がなぁなぁ言いながら歩いていた。入りたいのかな、と思って戸を開けるのだが、フンフンにおいを嗅いでまたどこかに行ってしまう。
朝は8時に朝ご飯。目玉焼きとハム、トーストにサラダをいただく。コーヒーは昨日帰りがけに買ってきたミールクラフトというお店のコーヒー。しんごさんがハンドミルで挽いてくれたが、挽きが細かかったので、すごく濃いコーヒーが入った。
朝の9時には雪掘りの作業を開始。今日は、昨日掘ったところをさらに広げていく。まずは優先して、車道から家に至る道を広げていく。連休が明けたらまた大雪が降るというので、それまでできる限り道を広げておく。だんだん道具の使い方がわかってくる。大きく崩して、小さく放り投げていく。飲み物は、ペットボトルを雪の中に突っ込んでおいて、そこから飲む。
今日は猫は外に出さない。「邪魔だから」としんごさん。昨日は少しだけ外に出してやって、ちょいちょいと歩いていた。2時間弱やったところで、目処がついたのでお昼休憩。室内に入ると同時に雨が降ってきた。雨が降ると、寒いし、雪も重くなるので作業はしづらくなる。ひとまずお餅と豚汁を食べながらどうなるか様子を見たが、結局止まなかったので、十日町観光に出かけることにした。
清津峡、旧東川小学校跡、松之山温泉(「ナステビュウ」という名の施設)を回る。
清津峡は、峡谷に掘られたトンネルを進んでいくもの。旧東川小には、クリスチャン・ボルタンスキーの作品がある。松之山温泉、露天風呂からの眺めが良かった。5時ごろには、和食屋さんの「山愛」で早めの夕飯を食べる。店内では演歌が流れていた。なんだか年の瀬みたいな気分になってくる。カツ丼が一押しだったのでカツ丼を食べる。
まだ時間は早かったが、家に帰ると自由時間に。おやつを食べつつ、猫と戯れてから、少し作業をして就寝。まだ21時半だった。
明け方に、なー、と鳴く猫が何匹かいた。ちょこっと戸を開けてやると、少しだけにおいを嗅いで、ちょこっとだけ部屋に入るが、またすぐどこかに行ってしまった。
昨日とくらべると夜もそこまで寒くなくて、ヒーターが途中で切れたけれどそのままにしておいた。
2022年1月9日日曜日
雪掘り日記 - 十日町の古民家へ① 「超特急、ゴザ、雪」
新幹線を越後湯沢駅で降りる。大半の乗客はスノースポーツをしに来ている人たちだ。みんな、大きな棒状のものを抱えて雪で真っ白になった山の方に向かっていく。そういえば7年ぐらい前に、僕は越後湯沢にスノーボードをしに来たことがあった。その時は帰りに新幹線を使ったのだった。だから上越新幹線は初めてではない。
はぁー、と息を白くしてみる。
越後湯沢駅を出ないで、構内で乗り換え、ほくほく線のスノーラビットという電車に乗る。一両電車だ。思わず笑った。会話の内容を聴くと、鉄ちゃんがたくさん乗っているようで、みんなしきりに直江津、直江津と言っている。直江津がどうしたというのだろう。
乗客は、それほど厚着をしているわけではない。むしろ僕が一番の厚着だ。もこもことした小豆色のジャケットを着ている。
スノーラビットは時折雪をゴゴオー、と押しのけるような音を立てて一直線に走る。超特急だそうである。車内の英語字幕を見たら"Cho" rapid train と書いてあった。
30分ほど乗ったら、最終目的地である十日町駅に着いた。雪がこんもり積もっている。駅には、古民家の主である夫婦の旦那さん、しんごさんが迎えに来てくれていた。そこから車に乗り、約20分。山に少し入っていった道路沿いに古民家があった。茶色がベースの二階建て。玄関にはひさしが張り出していて、二階部分にはもうひとつ玄関大の窓がある。屋根は黒い。真っ白な雪とのコントラストがある。
玄関に辿り着くまでには細い道を進んでいく。雪を掻き分けて作った道だ。これから僕たちはこの道を広くする。
家に入ると、奥さんのしのぶさんがこたつで迎えてくれた。7匹の猫たちも思い思いの場所から出迎えてくれる。お茶をしながら自己紹介を済ませる。ぼちぼち時間が経ったところで、はじめましょう、と外に出る。
長岡の方から、たかきさんという方も手伝いに来てくれた。一緒にスコップやら、大きなそりを半分にしたような「スノーダンプ」やらで雪をとにかくザクザクとかいていく。
思い切り雪に薄い金属を突き刺して、てこの原理で大きな塊を崩すのは快感だ。どんな装備で行ったらいいのかわからず、とりあえず上下をヒートテック、さらにTシャツ、シャツ、セーター、の上に、ダウン、の上に防水ジャケット、という出立ちだったが、ものの10分もやっているともう内側に汗をかいてくる。
途中で、たかきさんが平に慣らしてくれた雪上にゴザを敷き、お茶会をした。焚き火をする小さな装置で、薪の火を囲む。コーヒーや紅茶を入れ、僕が横浜から持っていったお菓子のクルミッ子や、キットカットなどのお菓子を食べた。お茶を飲む間に陽が傾き、太陽が山の陰に隠れてしまった。
初日だし、慣らし運転で行きましょう、と2時間ほどで作業を終えた。
なんで俺はこんなところにいるんだろう、と思う。いつもの感じが、戻ってきた、とも思う。人間は情報を得る、ということによって、いきなり知らない土地に行って、知らなかった人たちの家の周りの雪をどけたりするものなのだ。
※※※
雪かきのあとは、車で30分ほど行ったところの温泉に行き、帰ってきたら豆乳鍋を食べながらお酒を飲み、一日を終えた。
あまりこの土地の地理や、名産や、とにかく何も調べないで、ただ指定された場所に指定した時間に行く、というだけだった。それから、猫7匹と人間4人の短い生活が始まった。
2022年1月8日土曜日
雪掘り日記 - 十日町の古民家へ⓪ ネコ、東京駅、教官
2022年1月7日金曜日
(7)ただそこにある状態 くあるとどーら - 15分で書けること
久々にフィンランド語の教科書を取り出してきて、朝ごはんを食べながら眺めていた。
フィンランド語をそれなりに熱心にやっていたのがもう1年ぐらい前のことになる。当時は、薄い教科書の20課すべてを、1課ずつ自分でカメラに向かって解説する、というのをやっていた。だから、毎日30分ぐらいはこの言葉に向き合っていた。それが時間として多いかと言われれば多くはない。それでも毎日何かをやる、というのはそれだけで「大したこと」になっちゃうのである。結果的に。
というのも、僕の場合には(か、あるいはみんなそうなのかもしれないけど)毎日やらないこと、というのは、大体において「ほとんどやらないこと」であることが多いから。結果的に、それはなんだかしおれた結果しか残らない。それで、毎回「あーあ」とか思っている訳である。
質を問わずに毎日やる、というだけでいいのだろう。毎日やっていれば、一日一回はその課題について何かしら頭を使う。
そして、その「常にそのことが頭の片隅にある」という状態がいいんだ、とふと思った。
外国語学習のアプリを毎日ぽちぽちやって、200日ぐらい継続していたこともあった。でもやっている最中は、「なんだ、こんな、これっぽっち毎日やったってしょうがないや」みたいな思いに囚われていた。結局それはやめてしまった。
けど、今もしまだそのアプリぽちぽちを続けていたらどうだったろう、と思う。中身は大したことがないかもしれないけど、僕はとにかく、500日間ぐらい、毎日フィンランド語が頭のどこかにある状態で過ごしていたはずなのだ。
(6)スタインバーグ くあるとどーら - 15分で書けること
有楽町に行った。というより、銀座に行った。見たい展覧会があったから。ソール・スタインバーグPM Juggling 板津さんと一緒である。いつもの感じだ。こういう行事があるのはいいね。
スタインバーグのインタビューもいくつか見た。とてもいい。
2022年1月5日水曜日
(5)元気 くあるとどーら - 15分で書けること
何か充実を感じられることをしたい、と思うのだけど、その「何か」がなんなのかよく分からなくて、とりあえず目先の課題をやってしまう、ということがよくあるよね。
1年という大きな時間の単位でも感じることだし、1日、1時間という小さな時間の単位でも感じることである。
じゃあそれがいけないのか、というと別にそんなことはなくて、それでいい。
でもどこか、恐ろしいような気もしている。
※※※
今日は朝6時に起きて、絵を描いたり、掃除をしたり、メルカリにたくさん出品して、それがすぐ売れて配送に行ったりして、朝ご飯だかお昼ご飯だか分からないご飯を食べて、それから少しだけ配達をして、綴方に行って仕事をした。
何かに思い悩むっていうのは、それだけ熱中することが少ない、っていうことなんだろうと思う。熱中には何が必要か、っていうと、それは単に「元気」なんじゃないか、という気もする。
2022年1月4日火曜日
(4)とにかく何も考えないで発信すること くあるとどーら - 15分で書けること
15年くらい前に、自分でタグ打ちでホームページを作っていたころを思い出すと、とにかく僕は、「いい評価」のことだけを考えていて作っていたんじゃないか、という気がする。その時自分が感じたことを、いい、と思ったそのままの形で放出する、ということをしていた気がする。で、みんなこれをいいって言ってくれるんじゃないかなぁ、と想像しながらものを作っていたのだ。
本来はそれが健康な姿だろうと僕は思う。文章を書くにしても絵を描くにしても、曲を作るにしても、写真を発表するにしても、とにかく今自分が感じたことにだけ正直であればいいのであって、戦略的にそれを操作するのは、どうも僕の場合、あまり意味がないっていうか、それは別の人がやってくれ、という感じなのである。
とにかく僕は僕で勝手に自分が作りたいものを作るし、言いたいことを言うから、あなたはあなたで、一番言いたいことをどんどん言っていこう、と、そういう感じでいいじゃないか、と思う。
それでお互いこれは合わないな、と思うのであれば、遠慮なく離れればいいのであって、別にそこで無理につながりを保つ、みたいな方が不健康なのである。
まぁ、一方で、Web上という誰でもみられるところにそういう文章を置いてみたりだとか、兎角誤配されたり誤読されたりするんだけども、まぁそれはしょうがないとしか言いようがないいな。
(3)遠くから眺める、シンガポールを思う くあるとどーら - 15分で書けること
2022年1月2日日曜日
(2)長いことをする くあるとどーら - 15分で書けること
15分のプレッシャーを設定する、ということがいいようである。
実家からバイクで15分ほど走ったところにあるタリーズコーヒーで、『ダンス・バイブル』を読んでいる。「芸術としてのダンスという新しいジャンル」(本文p.1より引用)がたどってきた歴史を一覧できる、優れた本。
ジャグリングにはこういう体系的な歴史本は(少なくとも)日本語では存在しない。一度、アメリカ人のトム・ウォールさんが描いた本を邦訳しないか、という打診をもらって承諾はしたのだが、少し進めて、それから頓挫した。
たとえば一冊の本を邦訳したい、だとか、日記を毎日書いて充実したい、だとか、音楽を作って発表したい、だとか、「やりたいこと」のリストにはたくさんの項目が入っている。
でもじっくり考えて、道筋が見えてきたらやろうと思っていると、大概の場合はできない。ひとまず始めてみちゃう、ということでしか、物事は始まらないよね、とは思う。
それが受けいれられるかどうかが不安だ、という感情を持ってしまうと、そもそも始めることができない。
つまり続けることができないのは、感情が邪魔をしているからだ。「こんなことを続けても、それに見合った報酬は全然ないかもしれない」と感じている、ということなのだ。
逆にい追えば、それについて対策をしておけばいい、ということでもある。
それは、あるいは報酬を感じられるような到着地点の設定を先にはっきり決めてしまう、ということかもしれない。あるいは、行為そのものの没入の快楽をしっかりと感じること、かもしれない。
2022年1月1日土曜日
(1)休憩をスキップ くあるとどーら - 15分で書けること
九州の旅について書ききっていないが、文章を再開。文章を書く力も、やっていなければどんどん鈍る。
さて、では何について書くか、ということで小一時間悩む。
絵でやっているようなことをこちらで再現できないかと考えてもいる。言葉の音のイメージを、そのまま置く。でも別に継続してやるようなことじゃないな。
※※※
たおわたれ
明らかに広いと思えるような空間というのは、それほどたくさんは見つからないわけだが、それでも「大きなもの」という価値で測られる図式がある。それほど多くのことを経験したにしては小さすぎる、と思えるようなわか者であれば、想定内のろくでなしであるという資格はないとは言えない。しかし、苦しみの中に依って立つ経験があってもいいじゃないか。そうじゃないか、と問うた人がいたのだ。そこまで言うならしょうがないけど、やや口実を探しているようでもあった。
暮れに覚えたまさかりごとを、八つ目に増やして到達したぞ、そうだろう、きっとそうだろう。きっと朦朧とした意識であっても、やぐらみこしをグッと持ち上げるのではないだろうか。