養老さんの『ヒトの壁』を読んでいて、師匠だった加藤典洋のことが触れられていた。
大学時代に加藤ゼミ生として、つまり加藤さんが教授という立場だった状態で僕と接していた頃、僕はあまりうまい距離で付き合えていなかったのではないか、という気がしている。逆に、卒業してから会った時の関係性の方を、僕は好ましく思っている。
というのも、卒業してから1年か2年経って、彼のお気に入りだったキャッツ・クレイドルというカフェで小さな同窓会のようなものをやったのだが、その時の加藤さんは柔和な表情で僕を手放しで褒めてくれたのである。そんなことは学生時代、なかった。そしてそれはごく自然に出てきたものだった。
加藤さんはあまり大学に浸りきった人ではなく(教授会なんかもすごく嫌そうだった)、比較的自由な人だった。とはいえ僕は「指導をするべき学生たちの1人」としてそこにいた。
それに結局のところ、彼はやはり大学の中にいたから、授業(ゼミ)という場で会う加藤さんがそこで一番表面に出す個の側面は、「戦後の問題について考える人間」「文学批評に取り組む人間」であった。
だがカフェで会った時の、クロシェ帽を被った加藤さんは違う。猫やなんやらの話を山形の訛りで嬉しそうにしながら、アイリッシュコーヒーを飲んでちょっと上機嫌で、くふふふふ、と笑う、物静かだけれど陽気なおじさんだった。その時一番表面に出していた側面は、「生活者としての加藤典洋」だった。
僕は、批評や文章表現を学ぶ学生として、あまりいい学生だったとは思わない。
お互いに生活者として接した時の加藤さんの記憶が、僕の中では一番の思い出である。
今こそ、また会いたかったな、と思う。
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