2021年8月29日日曜日
ながいつぶやき(171)学びたいこと、実行したいこと
2021年8月28日土曜日
ながいつぶやき(170) はこぶ、本を読む。
昨日のこと。
前日は21時に寝た。6時にはすっかり目が覚めた。行動は遅く、寝転んで本を読んだり洗濯したり。9時ごろ。恒例のみなとみらいの臨港パークへ行く。少しジャグリングする。
相変わらずできないから、ちょっと集中して練習しようかとおもう pic.twitter.com/RfRn9FEwop
— 青木直哉 / AOKI Naoya (@PONTE_aoki) August 27, 2021
パシフィコドトールへ行き、昼12時ごろまで滞在。大豆ミートバーガーとコーヒー2杯(お客さんが全然いないので、この心地よい空間が潰れないように、ささやかながらなるべくお金を落とす)。本を読んだり文字起こし。荻田泰永さんの『考える脚』も読む。非常に面白い。そこからいつものように昼Uberを少し。暑くて限界がきて、3本でやめる。帰ったら、昼ごはんを作る。ナスとツナのパスタ。ナスやパスタは実家から送ってきてくれたもので、安上がりである。ありがたし。コーヒー淹れ、本の続きを読む。本当は仕事しようと思っていたが、本の方があまりに面白いので読み切った。感想書く。
北極冒険家・荻田泰永さん(@ogitayasunaga)の著書『考える脚』(KADOKAWA)を一気に読了。
— 青木直哉 / AOKI Naoya (@PONTE_aoki) August 27, 2021
久々に時間を忘れ読書をした。
三つの冒険を軸にした三章構成。それぞれの章に異なる魅力がある。
最後の章で、僕がここ数年で感じていたのにどうにも言葉にできなかったことが書いてあった。思わず声が漏れた。 pic.twitter.com/Bt9aPZi1Py
読み終わったら18:30ごろ。またUberしに出る。 そんなにやるつもりなかったが、流れが良かったので21時ごろまで。終盤のお宅で、直接チップもらう。丁重にお礼する。こういうのは、額に関係なく、気持ちがいい。逆にたとえば、マンションのインターホンで、何も言わずロビーの自動ドアを開けられ、すぐにガチャリと切られるのは、少し寂しい。「はい、はーい」ぐらい言ってくれるだけでもめちゃくちゃ気持ちいいのだが。僕はてっきり、大体それくらいは、誰しも宅配がきた時には、一言ぐらい発するもんだと思っていた。でも、意外と挨拶を発する人、少ない。10件やって1件ぐらいかな。ドアの開け方とかも、本当に人それぞれ。意地でも中を見せない! と食べ物が通るギリギリの隙間を開けてひったくるように取る人もいるし、下着みたいな格好(っていうか下着)でドア全開でへろーっと出てきて、ニコニコと「ハイっ、どうもー、ありがとうございまーす」みたいな人もいるし、5階まで階段でしか上がれない古い団地もあれば(団地は号棟とか部屋番号を見つけるのがちょっとトリッキー)搬入口から入って、23階まで延々エレベーターに乗って、さらに1分少々歩いて部屋までたどり着くようなSFの世界みたいなタワマンもある(そういうところに行くと、僕は吹き抜けの部分から下を恐る恐る見て、ヒャ! っていうのを必ずやる)。同じ横浜の、バイクで10分、15分で走れる圏内にでも、たくさんの暮らしがある。まだ僕は去年始めてから800本ぐらいしかやっていないけど、それでも結構見てきた感じがある。
この仕事は、家や人の様子がわかるのが興味深い。この面白さ、移動に伴う人との出会いが、金銭的対価以上に大事。交易をしている感じがある。僕はフードデリバリーをアクティビティとしてかなり面白がっている。性に合ってるんだね。カレーを一軒家に届けたら、3歳と5歳ぐらいの小さい女の子の姉妹が手を振って「おーい、おーーい」なんて叫んで待ってた時とか、よかったね。
※※※
いただいたチップでスーパーでホルモンを買って、家に帰ったらピーマンと炒めてサイダー飲みつつ、食べる。その後、ふと思い立って絵を描く。音楽もかけず、線を引く。少し遅く、寝る。
2021年8月27日金曜日
ながいつぶやき(169)眠い日、再び、動く日
2021年8月25日水曜日
ながいつぶやき(168)行ったり来たりのこういう日が好き
朝、唐突に熱っぽい感覚で5時前に目が覚める。昨日のワクチンの副作用?少し心配になるが、起き上がったら落ち着いた。コーヒーを入れて、かりんとうを朝ごはんの軽食がわりに食べる。文字起こしを一本終わらせる。洗濯も終わらせる。これで7時ごろ。やっぱり5時に起きると全部が気持ちいい。暑くならぬうちに公園に行こう、とカブで臨港パークに行く。もうすでに日が出て暑くなっている。6時ぐらいには着いているのが理想だ。1時間ほど、ジャグリングしたりスケッチしたりして遊び、ドトールに向かう。しかし、ドトール、9時からのオープンでまだやっておらず。ガーン。しょうがないので、公園で待つことも考えたが、蚊が増えてきたので、結局カブごと移動し、僕の第二のお気に入りドトールに行く。ここも、眺めよく、絶対に座れる。ここでしばらく仕事。朝は人が多いかなと思ったがそうでもなかった。そのままここで、11時過ぎまで話を書く。色々と試行錯誤してみたが、仕切り直した方が良さそうなので仕切り直して書く。いい予感はする。ここで図書館に移動する。中央図書館。昔高校生の頃は、時々ここに来て友人と勉強をしていた。人は少なめ、静かで、心地よい。2時ごろ、駅に移動。桜木町駅で友人と待ち合わせ。会うなりいきなり、直行してノリでロープウェイに乗る。4月ごろ開業していたが乗るのは初めて。面白いといえば面白かった。そこから、おもちゃ屋を冷やかしたり、銀行に言って用事を済ませたり。マークイズ4階でうどんを食べる。友人の方はスムージーを飲んでいる。そこから、再びドトールへ。同じドトールで今日3杯目の飲み物。ちょっとお腹の調子悪く、コーヒーではなく紅茶飲む。一緒に仕事する。そこで文字起こし一本終わらす。キリのいいところで終わり、そこから駅まで歩く。バイクで白楽の方へ。綴方の人と夕飯。初めてしっかりと話す(感じがする)。そして妙蓮寺に戻る。今日はいろんなところを行ったり来たりである。こういう日が好きだ。
ながいつぶやき(167) 海の日
昨日。とりあえず臨港パークに向かう。そこで30分ほどジャグリングをする。ジャグリングを終えると、すぐそこにあるドトールに向かう。近未来的なビル群に囲まれる、清潔な店だ。ドトールに行く途中、公園内でフラワースティックを持った女性を見かける。ドトールに2時間ほど滞在、昼前には出た。帰り際もまだ女性二人組がおり、クラブとフラワースティックを練習していたので、なんとなく嬉しくて声かけてみる。大学のサークルでジャグリングしているそう。サークル活動できないから、二人で練習中、だそうだ。楽しそう。公園スタートで、Uberちょこっとやる。3本だったかな。家方面に進んでしまう展開もあり、ちょっと残念だったが、もう一回桜木町に戻り、そこから電車で東京駅へ。
東京駅から、ハトバスが運行する送迎車で、自衛隊の運営するコロナワクチン大規模接種に向かう。会場は古いビルだった。内装は綺麗。混んでいたが、流れがとてもスムーズで、15時ごろに入ってから15時30分くらいには外に出ていた。歩いて東京駅に向かう。東京を歩いて見て回りたいな、という感情が芽生える。東京駅周辺は、大学時代に通学路の途中であった。また、有楽町の無印良品で働いていたこともあったから、このあたりのことはそこそこ知っている。しかし改めてビルを見上げながら歩くと、やっぱり観光客気分になる。丸の内オアゾ内にある丸善本店に行く。ここはまさに大学への往復の途中で歩いて前を通るところだったので、帰宅中に入り、閉店までここにいることも度々だった。長いときには3、4時間滞在していた。語学書コーナーの本をたくさん持って、(今はカフェになってしまって無い)選書コーナーで延々めくっていた。まぁだからといって何が身についたというのでもない。友人を誘って遊ぶ、というようなことが少し苦手だったのだ。でも一人で直行直帰、のようなこともしたくなくて、限られた楽しい時間を薄く引き伸ばすような気分で、書店にいた。
そのまま丸善のカフェで仕事でもしていこうかと思ったが、やはり帰ることにし、電車で再び桜木町へ。無印でモップの替えを買って、一旦家に帰る。文字起こしやろうと思ったが、思い直し、再びUberに出る。もう3本だけやる。
帰って少し仕事していたが、突然電源が落ちるような眠気に襲われ、すぐに寝る。
2021年8月24日火曜日
ながいつぶやき(166)
2021年8月22日
綴り方行く。15:30から、少し久しぶりに綴り方の店番に立つ。その後ちんしぇんのトークライブの配信手伝い。途中で小さな女の子が、「ガチャガチャできますかぁ」と入ってきたのが面白かった。あまりこの日の記憶がない。
2021年8月23日
8時ごろ起きる。ワクチンの予約。横浜市の方のサイトにはつながりもせず。その間に自衛隊のやっている方の予約ページをコマンド+Rで更新し続けていたら、パッと一個枠が空いたので、そこをとる。明日だ。逆に良かったかもしれない。東京駅はとても馴染みがあるからかえって嬉しい。明日は丸善に少し寄って行こうかな。ちょっとワクワクする。予約を取ったら、一応、大きいバッグを背に仕事に。バッグを持って行ってしまったら、やっぱりつい注文を取りに行ってしまう。そのまま6本だけやって、ドトールの近所のもので終わったので、一旦ドトールで仕事する。一旦家に帰ったのち、改めて出発し、注文拾いながら綴方へ。矢部くんとご飯食べる。そのあと、少し仕事するつもりだったが、2階閉められていて、まぁわざわざ開けてこっちでする必要もないか、と家に帰る。冷蔵庫に一本だけ入っていたビール開ける。気づいたら寝ていた。
2021年8月21日土曜日
ながいつぶやき(165)「思い出す装置」として
朝6時前に起きる。手洗いで洗濯する。布団干す。コーヒー淹れ、飲む。大体家事が終わったので、バイクで臨港パークまで。まだ8時ぐらい。暑すぎず、気持ちがいい。少しジャグリングをする。途中暑くなってくる。男女2人が仲良く波打ち際に腰掛けていて、これは横浜らしいなぁ、と思ってスケッチをする。写真ではなく、情景を見ながらのスケッチをしてこなかった。ああ、こういうことか、と嬉しくなる。こういうスケッチの方が、僕が何をいいと思ってこれを描いたのか、今見てもよくわかる。「思い出す装置」としてスピーディなスケッチはいいね。僕はこの歳になってようやくこれを知った。まぁ、これから先の人生、これで存分に遊んでみる。その後、ドトール。文字起こしなど。メールも返す。そのままちょこっとウーバーする。綴方に行ったら、ジャグラーのこーら君が来ている。一緒に蕎麦屋へ。これからの話などする。『偶然の装丁家』(矢萩多聞 晶文社)を買う。読んだことはあったが、実は手元に持っていなかった。かわいい絵とサイン入り。嬉しい。そのまま本屋の二階で仕事をする。もう一度ウーバー行くか迷っているところ。現在7時。まあ今日は文字起こしを終わらせてしまうかな。
※※※
自分が会ったことのない人のことを考える。僕たちは、お互いのことを全然知らない。そのほうが自然だ、というだけだが。インターネットで繋がっている、みたいに錯覚してしまうと、突然、実は全然繋がってなんかいなかった、お互いのことを知らなかった、という現実がドカン、と目の前に現れて、びっくりする。どこまでいっても、他人、とは、自分の想像の中に住んでいる人。
でも一方でね。僕が今まで会って来た人たちは、まだほぼ全員、この地球上のどこかにいるんだ、今もどこかで何かをしているんだ、と考えると、頼もしいような気分にもなる。まだ会ったことのない人たちも、とりあえず今地球のどっかにいる。
いるのかな?
マルクス・アウレーリウスの『自省録』とか読んでいても、古代ギリシャと自分の繋がり感じて面白いなーなんて思う。本の中では、今いる人も、いない人も、同じ地平に並んでいるね。岡本太郎の著作も読んでいるんだが、そこにいるようだしね。
ああ、でも、さっき知り合いに道端で会って、生身での言葉の交わし合いほど根源的なエネルギーの交換の欲求を満たすものもないな、とも感じたね。それは、つまり完全に想像の中の人間(や、あるいはそのほか全て)と会うのとは、全く異質の体験なんだな、と直感した。こういう時間を増やしたい。猫に会いに行くのだって、その一環だ。
2021年8月20日金曜日
ながいつぶやき(164)ペッと終わるんだな
朝、7時起き。これでもちょっと遅いな、と感じる体になってきている。身体は3日で変わるね。コーヒー淹れて、飲む間に、洗濯済ませる。部屋掃除する。長らく取りかかれないでいた作業をする。やってみれば30分で終わる。朝から自転車で運動を兼ねてカフェ探しに。本当はドトールに行く予定だったが、途中で良いカフェを見つけたので入ってしまう。お金はないが(本当に)、新鮮な体験をするということを第一義に生きることにしている。なのでピンときたら、良さそうなお店に入ってしまう。これはもう僕のサガである。昨日大吾さんと、「とにかく条件反射のように動いて、たくさん失敗をしたい」という話をした。そのことを思い出す。まぁ、結果、いい感じである。
昨日の夜、新横浜駅の駅舎を自転車を押しながら歩いていた。不意に、「嬉しかったり悲しかったりしてるうちに人生はペッと終わるんだな」と思った。日々感じる感情の浮き沈みに関して、メタな観察は別にいらんだろうと思った。何かを感じれば感じる、感じてない時は感じてない。他人の死生観や、とにかく価値観一切合切に関しても、別に干渉しなくたっていいじゃないかと思った。
※※※
一度帰宅。暑い。気づかないうちに消耗している感じ、ある。コンスタントに身体は最低限動かさねばね。帰ったらパスタ作る。ナスをもらっていたので使う。ちょっとお腹壊す。なんだったんだろう。そのまま一時間ほど寝る。起きたら、目を覚ますためにもういちど別のカフェに。今、そこでこれを書いている。でも、ちょっと移動しようかな、とも思っている。あまり理想的な環境、という感じしない。ちょっと騒がしく(主に後ろのおじさん二人)普段はもっと人が少なくて静かなのだが、今日はちょっと違うので。
居場所を求めていつもぶらぶらしている。曜日や天気によって、チャートを作ってその中から選んでみようかな。
ながいつぶやき(163) 本でもなんでも
朝から自転車で生田緑地へ。岡本太郎美術館でだいごさんに会う。Google MAPでは1時間半と出たのでまぁ2時間以内には着くだろうと見積もったが、途中休憩なども挟んで2時間半ぐらいかかった。だが、自転車での移動は実感があっていい。
行く途中、ぱっとドトールに入り、20分ほどで今日中にやっておきたかったことを終わらした。おかげで清々しく鑑賞できた。まさに夏休み気分。
美術館、よい。体験として優れていた。
駅の方まで歩いて、シャノアールへ。ここもいい。じっくり話す。実りある。
帰りもたらたら寄り道しながら。帰宅19:30。
ねむし。
だがだいごさんに借りた本、読む。面白かった。やっぱり作ろうと思ったものはなんでもさっさと作るもんだなと思う。本でもなんでも。
2021年8月18日水曜日
ながいつぶやき(162)同じように船を漕いでいる人を、語り合える距離に集める
朝、遅め。寝る時間は対して変わっていないのに、早く起きられたり遅く起きられたりするのはなんでだろうね。ちょっと悪い夢を見た。多分雨のせい。みんなでびしょびしょになる夢だった。このブログを読んでいる人は極端に少ないので、(毎記事10人くらい)こちらの方でだけ、日常的に考えていることを言っていればいいや、という気分になっている。読んでくださっている方は、ありがとうございます。ただただ、地味に続けていきます。誰が読んでいるかもわからない、「読んでますよ」と直接言われることでしか確認できない場所でものを書くことの楽しみもある。
※※※
ジャグリングに関して。
個人的な視座でものを書くために、ジャグリングを遠くに見つつ、そこから遠ざかるような方向に船を漕いでいる。でも、もっとジャグリングの周りを漕いで回ることで、その全体像を掴もうとするような書き方をしてもいいかもしれない、と思い始めた。
未知の岸に到着した時、それがどれぐらいの大きさの島なのか、または大陸なのか、全然わからない。けど、その周りを、島を見つめながら漕いで回って、その規模を知る。
ジャグリングを網羅的に研究する、みたいな目標をメインにしちゃうと苦しくなるから、なんとかその苦しみからは遠ざかりつつ、同じように船を漕いでいる人を、語り合える距離に集める、という形でやっていきたいね。
ながいつぶやき(161)
あるラジオに送ったお便り。
一日中家にいて仕事をしていると、少し気分を変えようかな、カフェにでも行こうかな、と思うときがあります。でもカフェに行く15分の間に、もうちょっと仕事ができるんだよなぁ、と思うと、躊躇してしまいます。何を持っていこうかな、と思って20分経ってしまったりします。そうこうするうちに午後4時半ぐらいになって、なんだか中途半端な時間なのでもう諦めたりします。あの時、間違っててもいいからさっさと財布とパソコンだけ持ってカフェに行って、場所を変えときゃよかったワ、と思うのが常です。一度でもためらい始めてしまうと、躊躇の無間地獄に突入しますね。挙句の果てに落ち込んだりします。なので最近は、何も考えずにいきなり行動する訓練をしています。間断なく変化を加えてやることで気分をフレッシュに保つのがいいんだろうなとおもいます。
まぁこんな感じですね。
2021年8月16日月曜日
ながいつぶやき(160)その先にある風景を自分で見てもらう
はっとする何かに触れると、頭の中では全く違うことが思い出されている時がある。手元には、そのふたつの素材がある。これが、書く、ということが始まるひとつの場面だ。思い出されたそのことを、どこかに逃げて行かないように、ぼんやりと手元に浮かばせておく。そして丁寧に、その質感が変わらないように、ふたつを結びつける道筋を見つけてみよう、という意思で字を綴り始める。これが、面白い文章を書くことのひとつの方法だろうと思う。必ずしも、その「思い出されたもの」に具体的に言及する必要はない。ただ、それによって進む方向がはっきりとわかっている、ということが大事。読者は文章が進んでいるその方向を自ずと向くから、あとはその先にある風景を自分で見てもらうのである。「あれが丹波山でございます」みたいに説明しなくても、同じ方向を向いて、同じ方向に進んでいけば、大体同じものが見える。読者の方が面白いことを発見するときだって、よくある。
※※※
近所の、落ち着くカフェに来ている。ここに来ると、作業がとてもよく進む。集中しやすい。ここは席の間隔が広い。一番近いところでも席同士が1mぐらいは離れている。あとは、椅子の座り心地もとてもいい。そして、少し低い。
こういう環境を自宅で再現できたらいいな、と思う。でも一方で、周りに人がいるということも大事な要素だからな。ちょうど、今日発行した週刊PONTE (週刊PONTE vol.144 2021/08/16 https://jugglingponte.com/weekly/ponte-weekly-vol144/)で、こんな一節がある。
Webサイトの更新作業だって、カフェに行ってやる方がうまくいくんだよ。家だと延々考えちゃう。でも、周りの席に人が座ってるのを見渡すと、「どうせ画面の中で起きてることだし」って踏ん切りがつく。(PM & PONTEのジャグリングセッション または瓶に詰めた手紙 板津大吾さんの発言)
※※※
あんまり関係ないんだけど、この書評はとてもいいと思った。
---【書評】吉本ばなな「このように見えている」|坂口恭平『Pastel』書評 https://note.com/sayusha/n/n341e19430a61
2021年8月15日日曜日
ながいつぶやき(159)うほほい
朝遅め。昼、また図書館へ。綺麗な図書館という場所が自分が求めていた場所だったことを確認する。本がたくさんあって、静かで、綺麗な空間、ということだ。夕方、帰宅。書きたいことは色々あったけど、来週明けのメルマガの方にほとんど書いてしまった。から、そこまで書きたいこと、ない。
今日は、内田樹『うほほいシネクラブ』(文春新書)と、昨日の続きで『地図のない場所で〜』と、近藤雄生『まだ見ぬあの地へ 旅すること、書くこと、生きること」(産業編集センター)も読む(全部は読んでない)。
とにかく書き溜めるっていいな、と思った。容易に感動を口にするのも、なんか違うなと思った。
2021年8月13日金曜日
ながいつぶやき(158)慌ててロビー
起きるの遅く、10時ごろ。パンを食べて、コーヒーを飲む。お昼、ラーメンを食べる。とても美味しいところを発見する。ラーメンは、時々ご褒美として食べるぐらいが一番いい。そのまま、図書館へ。とても綺麗なところ。と、ここで、だいごさんとの対談があったこと、思い出す。慌ててロビーのようなところでLINE通話。「修行をしたい願望」から話を展開させる。先日のはしもとみおさんの展示に触れて思ったこと。話す中で、自分はもっと本を読みたいと思う、ということを言った。その通り、今日は本を読む。
ウンベルト・エーコの『異世界の書―幻想領国地誌集成』と、高野秀行・角幡唯介『地図のない場所で眠りたい』。
気づいたら、20時。退館する。こういう時間の過ごし方がいい。これから、今日の対談を少しまとめておく。やりたいことは、片端から実現することだけを考えていたい。
2021年8月12日木曜日
ながいつぶやき(157)とりあえず、冷蔵庫からはお出ししておきます
6時に起きる。以前は4時おきも試した。早起きのリズムに慣れるまでは6時でいいか、という感じ。自然に、もっと早く起きたくなったらずらしていく。文字起こし1本40分ほどのもの、終わらせる。清々しい。朝ごはんのためにオクラの漬物やごま油、買ってくる。ご飯を炊く。長いこと使えていなかった卵、2個とも割り、目玉焼きにする。納豆も食べる。しめじも買ってくる。食べてお茶を用意しようとしたらいつの間にか1時間ほど寝ていた。ひと仕事終わっているので、気分は悪くない。起きたら桜木町の秘密のドトールに向かう。相変わらず空いている。思うところあって、いきなり行動を開始、今、ちょっとバスで移動中。
昨日、久々に一年前の日記を読んだ。たくさんの記憶蘇る。日記には、功罪ある。思い出せるのは悪いことではないかもしれない。しかしなんとなく、余計なことまで思い出している気もする。でも日記を書くということは衝動でどうしてもしてしまうこと。
MさんのInstagramのストーリーを見た。自分が文章を書いていることにもやっぱり影響があるんだな、と思った。その場では明示的な反応がなくても、時間が経って、実は読んでいました、と知らされることがある。僕はそういう時のことを信じて、瓶に文章を詰めて、岸まで行って放り投げる。それを日々淡々と続けるだけ。その営為にだけ取り組んでいく。最初から最後まで、向き合っているのは自分。
LINEを使っているとニュースが出てくる。Twitterを使っているとゴシップが表示される。「サービスが無料である時、商品はあなただ」という文言を思い出す。
ひとまず翻訳の仕事も大事なものは終えた。早く起きさえすれば、あまり気張っていなくても、大体のことは終わる。一番いい方法は、常にシンプルだ。それを継続できるかどうか。
PONTEくんを主人公にして、漫画を描いている。描き始めると、止まらぬ。自分が切に読んでみたいと思う漫画があったことを知る。他の人が何を言うかは知らない。夜中に漫画を描く。自分で何度も読んで、ある時はゲラゲラ笑って面白がる。実に平和な営み。漫画って、いいね。面白い漫画が描けた時は、以心伝心の友達と冗談を言い合っているみたいな気分になる。側から見れば、実にくだらぬこと。僕が描く漫画なんかよりも面白いものは世にごまんとある。でも、それがなんだ。何かを作り出す、ってそもそもそんなに高尚なことじゃない。ただ何か語りたくて仕方がないのだ、と思う。だからそれを身体に語らせてあげる、ただそれだけ。
漫画は、あくまで「ビール会社が作る烏龍茶」として続けていくのが良かろう。自分が飲むための烏龍茶。でも飲みたい方がいれば、とりあえず、冷蔵庫からはお出ししておきます。
2021年8月11日水曜日
ながいつぶやき(156)今日は、ほぼ誰ともしゃべっていないけど
今日は朝の6時に起きて、そのままずっと起きて仕事をし続けている。途中、ギターを弾いたりジャグリングをしたりもしたが。洗濯もした。午前中に、おおかた今日やろうと思っていたことは終わった。しかしその後も、早めに色々と終わらせておくつもりで、ガンガン業務を片付けていく。一度「全消し」した文字起こしのタスク。夕方にまた新しいものがきた。でも、もう全部終わってるもんね、と嬉しくなる。現在午後7時。いやあ、10時間ぐらい働いたんじゃないか、素晴らしいな、と思った。でもこれって、一般的には、いたって普通で、むしろこれが週5とかなのだろう。いや、よくわからないけど、実態はもっとすごいんだろう。こんなこと言っていると「なまぬかしやがって」と思われるんだろうな。なんだか気が遠くなる。特に今、特定の医療従事者の方なんかは、もう寝る暇もないぐらい忙しく、疲弊しながら社会を守ってくれているのだろう。それを事実として受け止め、感謝しながら、自分はドトールでシェイク啜ってキーボード叩いている。黙して自分のことをやる。最近、「修行をしたい欲」について考えている。PARCOでのはしもとみおさんの展示(既に終了)がきっかけ。
今日は、ほぼ誰ともしゃべっていない(「シェイク、コーヒーで」と言っただけ)。僕は半日も人と喋らないと、頭がおかしくなりそうになる。だからコワーキングスペースに行くなり、誰かをご飯に誘うなり、綴方(本屋)に行って店番の人を冷やかしたりする。無理にでも人に会う。イタリアにいる間に身についた、おしゃべり気質なのかもしれぬ。けどその気質のおかげで、こうして文章も書ける。僕はこうして文章を書くことで、誰かに話しかけたい欲求を満たそうとしている。人に会ってしまうことは、その原動力をふいにしてしまう行いかもしれぬ。しばらく実験をしてみる。これは修行である。誰かと会う時には、基本的にあらかじめ予定を立てる。できれば数日前。それ以外は、黙々と1人でいること。そして、きたるべき時に備えて準備をすること。それは、1人でも多くの人と「感覚を共有するため」の準備である。
その延長で、「やたらにシェアしない」ということを考えている。少しSNSの運用について慎重になっている。そのうち、整理しようとも思っている。どうせ使うのならば、自分の修行の場として使いたい。PONTEもスッキリリニューアルしたし、この夏は、それぞれのチャネルの質を高める夏である。
ながいつぶやき(155)
横浜をとにかく隈なくバイクで回っていく。これぐらいが今一番ちょうどいいかな。いつも「今日どこかに行きたいな、この天気を逃したらもったいないな」なんて思っていた。そう思うならその通りのことをすればいい。でも別にそれが遠出でなくてもいい。
2021年8月9日月曜日
ながいつぶやき(154) こういうテンポ
朝起きたら11時半。あれあれ。外で、スケボーで遊んでいる子供たち。お父さんがスマホをいじりながら見守っている。ドトールへ。シェイク。数時間仕事してから、ジャーマンドックとコーヒー。「本日のコーヒー」にしてみたが、ちょっと思っていた味ではない。やっぱり今後もブレンドでいいや、と少し後悔。Twitterを開いたら、渋谷のPARCOで、 はしもとみおさんの彫刻展が今日で最終日、という知らせを見る。まだ間に合う。急いでバイクで妙蓮寺の駅に向かい、東横線で渋谷へ。この時点で、祝日であることを知る。数年間カレンダーに関係なく生きている。暦の進行を全然わかってない。お盆がいつなのかも、わかってない。わざと各駅停車に乗る。乗車が30分ぐらいあるので、その間に一本文字起こしを終わらせる。展示見ても見なくても、仕事量変わらず。むしろちょっとスケジュールが逼迫される方が、集中して早く仕事が終わる。常にこういうテンポで生きたい。この文章も、今帰りの電車で各駅停車に乗って書いている。
「これは行動すべきだ」と確信が持てる時がある。しかし少し無理がある、と感じるときもある。少し無理があるくらいのことを実行するのがちょうどいい。お金も勿体ぶらずに使ったらいい。その上で生じた欠損を埋めるような形で、日銭稼ぎの業務をすればいい。とにかく深く考える前に動くことで、生きていることの快楽を感じる。歳をとって動けなくなる前に、これ以上ないくらい動くべし。もっと移動をしたほうがいいのだ、と肌で感じる。
渋谷の街を、ポッドキャストを聞きながら歩いた。不意に、街で遊ぶ、ってこういうことをいうんだ、と思った。僕は「目的のない移動」が苦手だ。でも、苦手だと思っていたけど、やってみたら、これ、すごく楽しいんじゃないか、と思った。ただ今目の前にあるものに反応すること。なんだか、変に理性が邪魔をしてしまって、僕は勢いで行動することが苦手だと思っていたのだが。もっと体のことを考えよう。楽しいことをしよう。
2021年8月8日日曜日
ながいつぶやき(153) 心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える
朝。外は大雨だ。風はそれほどない。外に出たくはない。昨日、ドトールに書類の入った黒いファイルを忘れてきた。電話をかけて、発見してもらう。今日か明日には取りに行こう。 さて今日も仕事しよう、と思い立ったが、もう昼の12時。昨日夜寝るのが遅かったせいもある。まいった。とにかく、今からやる。雑多な仕事をぐるぐる回しながら、少しずつ終わらせる。雨やみ、ドトールに来た。ファイル受け取る。いつも通り、シェイク頼む。夏のうちにいっぱい飲みたい。本当に美味しい。しかも安い。
旅を欲する気持ちが収まらぬ。どこに行こうか。頭の中だけでもいい。どこかに行きたい。たくさんエッセイを書いて、旅で感じる充実感をもう一度再現したい。
もしどこかに本当に行くのであれば、気持ちが落ち着くところがいい。しかし、横浜とは全然違う感じがするところがいい。場所を動いていると、仕事なんかできないんじゃないかと、思う。でも、実はそんなことないかもしれぬ。動いて動いて、気分が高揚している方が仕事が捗りそう。
リッキーのイタリア語を聞いてる。彼の声はすごくいいし、話し方もむちゃくちゃいい。イタリア語、好きじゃないと思っていた時期もあったけど、やっぱり好きだ。愛着がある。
どこか海外に行くつもりで、きれいな図書館で読書三昧をする、なんてどうだろう。徹底的に紀行文を読んだり、自分で旅行記を書いたりするのである。うーん、いいなぁ。
目標を決めて、それに向かって邁進するという体験を常にしていたい。それが生きがいってもんである。でもこういうことを言うのは、現状、自分にはそれができていない、と感じているから。海外旅行と同じ高揚感を家で味わうにはどうしたらいいのか。一度徹底的に考えてみてもいい。そういう追究がしたいのだ。海外旅行の代替手段として、ステイホームで我慢しましょう、ではつまらない。そうじゃなくて、海外へと旅立てない時にこそ、海外に行くことの本質について考えやすいから、この機をのがすまい、と思うのである。人と離れているときの方が、その人のことについて考えるのと同じ。
図書館、美術館のサイトをいくつかみる。場所によって表に出す態度がそれぞれ違う。「分散来館にご協力ください」、「滞在は30分までにしてください」。注意事項は小さく印し、「本日開館」と書いているところもある。スタイルとして、やたらに脅さない、というのは好きだ。こちらの知性に信頼を置いてくれている感じがする。でもこれは、感染予防、働く人の安全、という観点で実際に即しているのがどちらか、という議論とは無関係のただの僕の感想。
インターネット上で得られる情報について考える。カフェで気持ちよく本を読んでいたら、いきなり隣の人に「おい、コロナウイルスで死んでいく人がたくさんいるのにお前は何ノンビリした顔してんだ」と言われるようなところが、インターネットにはある。いま自分が物理的に置かれている状況とは全く関係なく、脈絡のない形で正論を言われる。それを無視することも心が痛むようなとき、どうするか。やっぱり、その前の二つ手前の角で、違う方向に行っておく、というのが最適な自衛の手段かな、と思う。「情報を避けることによる自衛」は自分勝手な逃げではない。先回りで賢く自衛することで、自分が本来発揮できる力を発揮して、それが世の中に還元される方がいい、と感じる。心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える。
2021年8月7日土曜日
ながいつぶやき(152)ドバドバとかける時
すべての興味を追っかけたい、という欲があるね。一度、それを徹底的にやってみる。
「あ、こういうことがやってみたいな」と一日の中で、たくさん思う。それらをやっていたら時間が足りない、とか思うわけだが、でも、やってみたこともないので、時間が足りないのかどうかも実際にはよくわからない。
この場所は、こうして、何かを「つぶやきたい」と思った時にパッと開いて使うメモ帳のような存在として使う、と改めて確認する。
Twitterで呟くよりは、少し蓄積されるし、後になって検索性もあるし、読む方もあんまり強制されないからいいだろう、と思う。とにかく僕はなんだか意見の洪水に疲れた。
意見よりも事実を知りたい。事実を見て、事実を読んで、事実を味わいたい。僕が味わいたい事実はコーヒーシェイクだったので、またドトールにきて、コーヒーシェイクを頼んだ。
頭の中を全部こうしてドバドバと流すところがある、っていうのはいいね。いろんなやり方が創作というものにはある。そのうちの一つとして、こうしてもう自動筆記のように、ただ頭に浮かぶことをどんどん文字にして打っていく、ということがある。書き始めからここまで、まだ5分ぐらいしか経っていないけど、これはとても気持ちがいい。
でも、こういうふうにドバドバとかける時というのはどちらかというと少ない。普段は、うーん、とうなって断続的に数時間かけてやっとこさ1000字くらい書く、なんていうことだってしょっちゅうある。誰かが、自分と比べて何かをさらっとやっているように見える時があるけど、それはかけている時間が違うだけだ、と思う。達人とは、要するに一つのことにたくさん時間をかけている人であって、才能なんてないだろう、と思う。本当に。まぁ、でも、人の目につくような部分では、その人が実際には「それ」にどれぐらいの時間をかけているかというのはわからないので、「才能」と呼ぶことにしているのだ。
とにかくこういう風に、流れるように次々に新しいものを生み出していたい。ジタバタするのではなく、そのためには修行が必要だ。修行、というのは今の僕のテーマである。もっともこれは、ここ数日の、ということであり、僕の哲学というのは早ければ分単位で変わるし、長く続いてもまぁせいぜい3週間である。3週間後には全く違う哲学で動いていることだろう。
メールマガジンの方で、PM Jugglingの板津大吾さんと毎週対談をしているんだけど、一ヶ月前に書いたことすら全く忘れている。そういうものである。
眠かったんだけど、カフェにくるとなんだかんだで作業ができる、ということに気づいた。でもこれって学生の時にはいっつもやっていたことだ。つまり、眠くても強制的に学校に行く、っていうこと。やっぱりこれが必要だな。いやー、難しいね。でもさ。
自分の好きなように生きる、っていうのは、最高に楽しくて、最高に難しい課題だと思うぜ全く。
ところで、サルデーニャ島人の友達のリッキーが、イタリア本土に渡って旅行をしているようで、その写真がめちゃくちゃ楽しそうで、奥さんは美人で、子供もめちゃくちゃ可愛くて、もうなんだこれは、こんな家族になりたいぞ、と思っている。
これぐらいのスピードで毎日ツイートしていたらどうなるんだろうね?まだ、書き始めてから経過時間は15分ぐらいだよ。頭の中がそのまんま流れ出ていれば、こういうスピードが可能になるけどね。
まぁ、こうして書いたものを結果的に「作品」にできればそれが一番いいな。とにかく、他の人が待ち望んじゃうような、そういう作品を作る人間でありたいよね。
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こうして何も考えずに打った文章って、本当に、自分とは完全に距離のある産物になる。自分のことを書いてはいるのだが、そこに自意識みたいなものがほとんど存在しない。読み返しもせず、ただ人に何かを話す時のように、頭に浮かんだことを即興でそのまんま文字にして行っている。これは、気持ちがいいね。
2021年8月6日金曜日
ながいつぶやき(151)ルークになる
結局自分がやりたいことを勝手にやる、という以外に人間のアクションなんてない。そうだと思って活動する。何かを期待する。期待はするけど、その期待は外れて、別の形で何か反応が返ってくる。
自分1人で楽しく遊んで、たまたまそれが人目に触れる。そういう姿勢でしか、個人的ないいものは作れない。今こうして書いている文章は、これから絵を描くために書いている文章。絵を一枚描くために、こういう具体性の全然ない文章がいる。
怒りを向けなくてすむように、怒りが発生しそうなところを二つ前ぐらいの角で避けておくようにしている。政治に関して怒っていた頃もあったんだけど、何か僕はインターネットでたくさん情報を集めた気になっていて、本当は重大なことを見逃しているような気がして、徐々にそういうことをやめた。ただフラットに情報を情報としてそのまま受け取るのみにとどめている。地域には地域の、集団には集団の独特の事情がある。これは、考えるのが面倒くさいが故の諦念ではない。これは散々考えた末の、「自分が思っている以上に現実は複雑だから、容易にジャッジしないに限る」という結論だ。ある集団から一歩外に出た時点で、中の実情なんて全然わからないということを肝に銘じている。また、世の中の事象は、僕みたいなちっぽけな人間が想像できる範囲の数万倍の要素を以って成り立っているのだ、ということをゆめゆめ忘れないようにしている。本当に必要に迫られるまでは、他人の行いがどんなに醜悪に見えても、それをジャッジするようなことを言わない。生理的に何かを感じるのは当然だが、それを表出させないで、理性的に考える。一次情報を集め続ける、ということが何より、僕の考える「批判性」だからである。自分の足で得た情報や経験に対しては、個人が追う責任としてガンガン断定を下していっていい。そうでない、「報道」程度の三次情報に関しては、判断を極力しないで、自分の方の想像力を限界まで広げること。
動物の世界には、報道なんてない。「自分の身体が経験したもの」をひとつでも多く語り、写しとり、書いて死にたい。
万が一何か怒りそうになったら、怒るよりももっとやることがあるはずだ、と自分に言い聞かせること。怒るよりも効果のある復讐は絶対にある。反逆として、自分がとことん楽しんだっていい。怒りを認めつつ、でも怒らなくていい。怒りを増幅させると、自分の知らぬ間にダークサイドに堕ちてしまう、というのは、『スター・ウォーズ』で学んだのだ。
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具体性のある話を書こう。具体性のない話は、書くほうも読む方も疲れる。
朝はゆっくり。昼、ドトールコーヒーに。近所に、ガソリンスタンド併設のドトールがある。そこがお気に入り。日差しがしっかり入るし、バイクも止めやすい。都会に住んでいると、ちょっとバイクで行ってどこかに停めるのにも気をつけないといけない。昨日も、路上駐車で捕まっている人を見た。たかが原付を少し止めていたぐらいで切符切らんでもいいのに、と思った。まぁ、色々あるんだろう。その真意は、わからぬ。ドトールではコーヒー豆を買った。「マイルドブレンド」という豆がお気に入りである。もちろん、コーヒー豆専門店で買うのもいいんだけど、ドトールのこの気軽さが良いのと、あとは普通に美味しいから。前も書いたな、これ。数時間いるうちに、ミラノサンドと、エスプレッソと、ジャーマンドッグと、ドトールシェイクのコーヒー、を食べた。ドトール、安上がりで助かる。あと全部うまいんだ。
その後本屋の2階へ。今日は綴方の関係者しかいない。こういうこともよくある。ちんしぇんの写真展、始まっている。いい感じ。オレも軽やかにいきたい。OKでヒレカツ弁当買って食べる。Dr.Pepperも飲む。