結局自分がやりたいことを勝手にやる、という以外に人間のアクションなんてない。そうだと思って活動する。何かを期待する。期待はするけど、その期待は外れて、別の形で何か反応が返ってくる。
自分1人で楽しく遊んで、たまたまそれが人目に触れる。そういう姿勢でしか、個人的ないいものは作れない。今こうして書いている文章は、これから絵を描くために書いている文章。絵を一枚描くために、こういう具体性の全然ない文章がいる。
怒りを向けなくてすむように、怒りが発生しそうなところを二つ前ぐらいの角で避けておくようにしている。政治に関して怒っていた頃もあったんだけど、何か僕はインターネットでたくさん情報を集めた気になっていて、本当は重大なことを見逃しているような気がして、徐々にそういうことをやめた。ただフラットに情報を情報としてそのまま受け取るのみにとどめている。地域には地域の、集団には集団の独特の事情がある。これは、考えるのが面倒くさいが故の諦念ではない。これは散々考えた末の、「自分が思っている以上に現実は複雑だから、容易にジャッジしないに限る」という結論だ。ある集団から一歩外に出た時点で、中の実情なんて全然わからないということを肝に銘じている。また、世の中の事象は、僕みたいなちっぽけな人間が想像できる範囲の数万倍の要素を以って成り立っているのだ、ということをゆめゆめ忘れないようにしている。本当に必要に迫られるまでは、他人の行いがどんなに醜悪に見えても、それをジャッジするようなことを言わない。生理的に何かを感じるのは当然だが、それを表出させないで、理性的に考える。一次情報を集め続ける、ということが何より、僕の考える「批判性」だからである。自分の足で得た情報や経験に対しては、個人が追う責任としてガンガン断定を下していっていい。そうでない、「報道」程度の三次情報に関しては、判断を極力しないで、自分の方の想像力を限界まで広げること。
動物の世界には、報道なんてない。「自分の身体が経験したもの」をひとつでも多く語り、写しとり、書いて死にたい。
万が一何か怒りそうになったら、怒るよりももっとやることがあるはずだ、と自分に言い聞かせること。怒るよりも効果のある復讐は絶対にある。反逆として、自分がとことん楽しんだっていい。怒りを認めつつ、でも怒らなくていい。怒りを増幅させると、自分の知らぬ間にダークサイドに堕ちてしまう、というのは、『スター・ウォーズ』で学んだのだ。
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具体性のある話を書こう。具体性のない話は、書くほうも読む方も疲れる。
朝はゆっくり。昼、ドトールコーヒーに。近所に、ガソリンスタンド併設のドトールがある。そこがお気に入り。日差しがしっかり入るし、バイクも止めやすい。都会に住んでいると、ちょっとバイクで行ってどこかに停めるのにも気をつけないといけない。昨日も、路上駐車で捕まっている人を見た。たかが原付を少し止めていたぐらいで切符切らんでもいいのに、と思った。まぁ、色々あるんだろう。その真意は、わからぬ。ドトールではコーヒー豆を買った。「マイルドブレンド」という豆がお気に入りである。もちろん、コーヒー豆専門店で買うのもいいんだけど、ドトールのこの気軽さが良いのと、あとは普通に美味しいから。前も書いたな、これ。数時間いるうちに、ミラノサンドと、エスプレッソと、ジャーマンドッグと、ドトールシェイクのコーヒー、を食べた。ドトール、安上がりで助かる。あと全部うまいんだ。
その後本屋の2階へ。今日は綴方の関係者しかいない。こういうこともよくある。ちんしぇんの写真展、始まっている。いい感じ。オレも軽やかにいきたい。OKでヒレカツ弁当買って食べる。Dr.Pepperも飲む。
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