2021年8月7日土曜日

ながいつぶやき(152)ドバドバとかける時

 すべての興味を追っかけたい、という欲があるね。一度、それを徹底的にやってみる。

「あ、こういうことがやってみたいな」と一日の中で、たくさん思う。それらをやっていたら時間が足りない、とか思うわけだが、でも、やってみたこともないので、時間が足りないのかどうかも実際にはよくわからない。

この場所は、こうして、何かを「つぶやきたい」と思った時にパッと開いて使うメモ帳のような存在として使う、と改めて確認する。

Twitterで呟くよりは、少し蓄積されるし、後になって検索性もあるし、読む方もあんまり強制されないからいいだろう、と思う。とにかく僕はなんだか意見の洪水に疲れた。

意見よりも事実を知りたい。事実を見て、事実を読んで、事実を味わいたい。僕が味わいたい事実はコーヒーシェイクだったので、またドトールにきて、コーヒーシェイクを頼んだ。

頭の中を全部こうしてドバドバと流すところがある、っていうのはいいね。いろんなやり方が創作というものにはある。そのうちの一つとして、こうしてもう自動筆記のように、ただ頭に浮かぶことをどんどん文字にして打っていく、ということがある。書き始めからここまで、まだ5分ぐらいしか経っていないけど、これはとても気持ちがいい。

でも、こういうふうにドバドバとかける時というのはどちらかというと少ない。普段は、うーん、とうなって断続的に数時間かけてやっとこさ1000字くらい書く、なんていうことだってしょっちゅうある。誰かが、自分と比べて何かをさらっとやっているように見える時があるけど、それはかけている時間が違うだけだ、と思う。達人とは、要するに一つのことにたくさん時間をかけている人であって、才能なんてないだろう、と思う。本当に。まぁ、でも、人の目につくような部分では、その人が実際には「それ」にどれぐらいの時間をかけているかというのはわからないので、「才能」と呼ぶことにしているのだ。

とにかくこういう風に、流れるように次々に新しいものを生み出していたい。ジタバタするのではなく、そのためには修行が必要だ。修行、というのは今の僕のテーマである。もっともこれは、ここ数日の、ということであり、僕の哲学というのは早ければ分単位で変わるし、長く続いてもまぁせいぜい3週間である。3週間後には全く違う哲学で動いていることだろう。

メールマガジンの方で、PM Jugglingの板津大吾さんと毎週対談をしているんだけど、一ヶ月前に書いたことすら全く忘れている。そういうものである。

眠かったんだけど、カフェにくるとなんだかんだで作業ができる、ということに気づいた。でもこれって学生の時にはいっつもやっていたことだ。つまり、眠くても強制的に学校に行く、っていうこと。やっぱりこれが必要だな。いやー、難しいね。でもさ。

自分の好きなように生きる、っていうのは、最高に楽しくて、最高に難しい課題だと思うぜ全く。

ところで、サルデーニャ島人の友達のリッキーが、イタリア本土に渡って旅行をしているようで、その写真がめちゃくちゃ楽しそうで、奥さんは美人で、子供もめちゃくちゃ可愛くて、もうなんだこれは、こんな家族になりたいぞ、と思っている。

これぐらいのスピードで毎日ツイートしていたらどうなるんだろうね?まだ、書き始めてから経過時間は15分ぐらいだよ。頭の中がそのまんま流れ出ていれば、こういうスピードが可能になるけどね。

まぁ、こうして書いたものを結果的に「作品」にできればそれが一番いいな。とにかく、他の人が待ち望んじゃうような、そういう作品を作る人間でありたいよね。

※※※

こうして何も考えずに打った文章って、本当に、自分とは完全に距離のある産物になる。自分のことを書いてはいるのだが、そこに自意識みたいなものがほとんど存在しない。読み返しもせず、ただ人に何かを話す時のように、頭に浮かんだことを即興でそのまんま文字にして行っている。これは、気持ちがいいね。

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