2021年8月16日月曜日

ながいつぶやき(160)その先にある風景を自分で見てもらう

はっとする何かに触れると、頭の中では全く違うことが思い出されている時がある。手元には、そのふたつの素材がある。これが、書く、ということが始まるひとつの場面だ。思い出されたそのことを、どこかに逃げて行かないように、ぼんやりと手元に浮かばせておく。そして丁寧に、その質感が変わらないように、ふたつを結びつける道筋を見つけてみよう、という意思で字を綴り始める。これが、面白い文章を書くことのひとつの方法だろうと思う。必ずしも、その「思い出されたもの」に具体的に言及する必要はない。ただ、それによって進む方向がはっきりとわかっている、ということが大事。読者は文章が進んでいるその方向を自ずと向くから、あとはその先にある風景を自分で見てもらうのである。「あれが丹波山でございます」みたいに説明しなくても、同じ方向を向いて、同じ方向に進んでいけば、大体同じものが見える。読者の方が面白いことを発見するときだって、よくある。

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近所の、落ち着くカフェに来ている。ここに来ると、作業がとてもよく進む。集中しやすい。ここは席の間隔が広い。一番近いところでも席同士が1mぐらいは離れている。あとは、椅子の座り心地もとてもいい。そして、少し低い。

こういう環境を自宅で再現できたらいいな、と思う。でも一方で、周りに人がいるということも大事な要素だからな。ちょうど、今日発行した週刊PONTE (週刊PONTE vol.144 2021/08/16 https://jugglingponte.com/weekly/ponte-weekly-vol144/)で、こんな一節がある。

Webサイトの更新作業だって、カフェに行ってやる方がうまくいくんだよ。家だと延々考えちゃう。でも、周りの席に人が座ってるのを見渡すと、「どうせ画面の中で起きてることだし」って踏ん切りがつく。(PM & PONTEのジャグリングセッション または瓶に詰めた手紙 板津大吾さんの発言)

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あんまり関係ないんだけど、この書評はとてもいいと思った。

---【書評】吉本ばなな「このように見えている」|坂口恭平『Pastel』書評 https://note.com/sayusha/n/n341e19430a61

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