2021年8月8日日曜日

ながいつぶやき(153) 心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える

朝。外は大雨だ。風はそれほどない。外に出たくはない。昨日、ドトールに書類の入った黒いファイルを忘れてきた。電話をかけて、発見してもらう。今日か明日には取りに行こう。 さて今日も仕事しよう、と思い立ったが、もう昼の12時。昨日夜寝るのが遅かったせいもある。まいった。とにかく、今からやる。雑多な仕事をぐるぐる回しながら、少しずつ終わらせる。雨やみ、ドトールに来た。ファイル受け取る。いつも通り、シェイク頼む。夏のうちにいっぱい飲みたい。本当に美味しい。しかも安い。

旅を欲する気持ちが収まらぬ。どこに行こうか。頭の中だけでもいい。どこかに行きたい。たくさんエッセイを書いて、旅で感じる充実感をもう一度再現したい。

もしどこかに本当に行くのであれば、気持ちが落ち着くところがいい。しかし、横浜とは全然違う感じがするところがいい。場所を動いていると、仕事なんかできないんじゃないかと、思う。でも、実はそんなことないかもしれぬ。動いて動いて、気分が高揚している方が仕事が捗りそう。

リッキーのイタリア語を聞いてる。彼の声はすごくいいし、話し方もむちゃくちゃいい。イタリア語、好きじゃないと思っていた時期もあったけど、やっぱり好きだ。愛着がある。

どこか海外に行くつもりで、きれいな図書館で読書三昧をする、なんてどうだろう。徹底的に紀行文を読んだり、自分で旅行記を書いたりするのである。うーん、いいなぁ。

目標を決めて、それに向かって邁進するという体験を常にしていたい。それが生きがいってもんである。でもこういうことを言うのは、現状、自分にはそれができていない、と感じているから。海外旅行と同じ高揚感を家で味わうにはどうしたらいいのか。一度徹底的に考えてみてもいい。そういう追究がしたいのだ。海外旅行の代替手段として、ステイホームで我慢しましょう、ではつまらない。そうじゃなくて、海外へと旅立てない時にこそ、海外に行くことの本質について考えやすいから、この機をのがすまい、と思うのである。人と離れているときの方が、その人のことについて考えるのと同じ。

図書館、美術館のサイトをいくつかみる。場所によって表に出す態度がそれぞれ違う。「分散来館にご協力ください」、「滞在は30分までにしてください」。注意事項は小さく印し、「本日開館」と書いているところもある。スタイルとして、やたらに脅さない、というのは好きだ。こちらの知性に信頼を置いてくれている感じがする。でもこれは、感染予防、働く人の安全、という観点で実際に即しているのがどちらか、という議論とは無関係のただの僕の感想。

インターネット上で得られる情報について考える。カフェで気持ちよく本を読んでいたら、いきなり隣の人に「おい、コロナウイルスで死んでいく人がたくさんいるのにお前は何ノンビリした顔してんだ」と言われるようなところが、インターネットにはある。いま自分が物理的に置かれている状況とは全く関係なく、脈絡のない形で正論を言われる。それを無視することも心が痛むようなとき、どうするか。やっぱり、その前の二つ手前の角で、違う方向に行っておく、というのが最適な自衛の手段かな、と思う。「情報を避けることによる自衛」は自分勝手な逃げではない。先回りで賢く自衛することで、自分が本来発揮できる力を発揮して、それが世の中に還元される方がいい、と感じる。心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える。

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