2021年11月23日火曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(11)

 2021年11月20日(土)

朝は8時ごろ起きる。やっぱり部屋が暗い。シャワーを浴びる。ホステルは現代的な設備が整っていて清潔で、快適である。書き物をしたりする空間があまりなく、その点はいまいちだが。しかしホステルを出て駅前にはいろいろなカフェが揃っているし、かえって外に出る気になるのでいいかもしれない。

今日はバイクで近隣まで出かける予定だが、少し仕事をしたい。駅前で済まそうかとも思ったが、しばらく考えて、カブで商店街の方へ出て行く。駐輪場の場所はもう大体把握している。2時間までは無料だし、それ以上いてもたった100円。駅前の駐輪場に至っては無料だから嬉しい。商店街の中のカフェ・サンマルクに入る。フレンチトーストとコーヒー。文字起こしの残りをやる。

寒いので、上着を買いに古着屋を回る。サンマルクの向かいの店や、そのまま上通りを行って何件か回ったところ、最後に、ここでなかったら諦めよう、と思った店で話しかけてくれたお兄さんがとてもいい人だった。バイクに乗る人だ、というので色々と情報をもらう。こんなのが欲しくて、というと、何着も出してきてくれる。お兄さん、店内を走り回る。ここで働くのが楽しいんだろうな、と思う。こういう縁を求めていたのだ。「これはやっぱりお値段はしますけど、でも一番いいです」と言って出してきた服を僕が試着すると確かに着心地良く、雨も風もバッチリ防いでくれそうだった。僕が鏡を見ていると、お兄さんは、「ね、よかでしょう!?」ととても嬉しそうに言うので、これには抗えなかった。お兄さんは終始熊本弁で、阿蘇のよさを語ってくれた。阿蘇市出身なのだそうだ。「阿蘇に行くなら間違いなくこれです」だそうです。店を出ようとした時、「そうだ、ちょっと待ってください」といって店の奥に走っていき、手にスチール缶の十六茶を持って出てきて、「これしかないですけど、どうぞ」と言って、くれた。

宿に戻って、先日バイクの関連で意気投合した宿のHさんと待ち合わせをして、近所の温泉に行く。これは、橙書店の久子さんがとてもいい、と薦めてくれたところである。ちなみに、古着屋のお兄さんも、「温泉、よかですよ」と言っていた。

駅から西に進み、時折ギア2でも苦しいくらいの山道を登っていく。途中、宮本武蔵がそこで五輪書を書いたという祠の霊巌堂にも寄り、全行程が1時間ほど、ちょうど、夕日が見られる午後4時半ごろについた。途中見た、山腹に沿ってぎっちりと広がるみかん畑と山々の様子が美しかった。

温泉の入湯料は600円で、絶景が見られる温泉にしては非常に安い。

いそいそと露天風呂に直行して、石造りの浴槽から、雲仙岳に向かって沈んでいく夕日を眺めた。

浴槽の前には一切壁がなくて、前に住んでいる人たちが目を凝らしたら、こちらが見える程度の距離にある。すぐそこは坂になっていて、その向こうに裾野が広い山並みと、その前に広がる穏やかな海。色合いは鈍い。

完全に日が沈むまでの30分の間で、露天風呂に少しずつ人が集まってきていた。

太陽が山に差し掛かって半分くらいになっていた時には、10人ほどのおじさんが集まって黙ってそれを見ていた。

いよいよ太陽が山にかかって、最後の光がぽっと消えた時、「おぉ」と一斉に声がした。

映画が終わったあとみたいに、戻る人はそれぞれまた中に戻っていった。


海岸線側を通って熊本駅に着く。そのまま、気になっていた「にぼらや」のラーメンを食べにいく。優しい味で美味しかった。

ロビーで少しゆっくりしてから、夜12時ごろ就寝。



踏み切り板をとべ - 九州の旅(10)

 2021年11月19日(金)

早く起きて仕事をしようと思っていたのに9時起床。部屋が暗いせいもある。本当は今日がチェックアウトの予定だったが、二日間延泊することにする。

その相談をしたときに、ホステルのスタッフの人と色々と話をして、よかったらもう一人のバイクに乗るスタッフの人も誘って飲みにでも行きましょう、ということになった。

ホステルを出る。前日の話だが、夜に少し仕事をしようと思ってスターバックスに入ったら、思っていたより2時間早く閉まってしまったのですぐに出ることになった。

もう一度、とばかりに同じ場所に行く。駅ビルの5階にあるガラス張りの店内からは、駅前の様子がゆったりと見える。外は気持ちよく晴れていて、路面電車がとことこと走る様子や、人々が行き交う様子が見える。パソコンで仕事をするにはこういうところがいい。「ドリップ、ショート、ホット、マグで」と注文する。全国津々浦々、スターバックスに行ったらこの一言で済ます。今日はついでにスコーンも食べる。

翻訳の仕事をする。集中してささっと終わらせて、ぎりぎりのところで、五車堂というグリルの専門店に行く。たまたま調べたら一番近くにあった美味しそうなところがここだった。

ハンバーグカレーを注文する。ランチ1000円のセットで、サラダ、スープもついてきた。どれも全部美味しくて、メインのハンバーグカレーに至っては、熱々のげんこつハンバーグをスプーンで割ると肉汁が溢れ出して、それがほどよい温度のカレーと混ざり合って至福の味わい。ご飯のシマには、少し炙ったようなプチトマトとポテトが乗っていた。もう午後の2時でランチの営業は落ち着いており、客は僕一人だった。

本当に美味しくて、僕が生涯で食べてきたカレーの中で一番美味しいと本気で思った。それをそのまま、お店の人たちに言葉で伝えた。

※※※

橙書店へ。昨日も行ったが、今日も行く。わざと、museumに行く前に行く。そうしないといつまでも喋り続けてしまうからだ。まだ仕事はある。

カブを店の下に置いて、階段を上がって、ドアを開ける。

今日は久子さん、昨日とは違った表情で迎えてくれる。

チャイを頼む。たまたまカウンターにいたふじもとさん、という埼玉在住の方と話す。出身が熊本で、今は帰省中だそう。ぜひ横浜に来た時は生活綴方に寄ってください、と言っておく。

30分ほど話をしてから、数軒先にある早野ビルの中にある「坂口恭平Museum」に行く。彼が作り出したパステル画、アクリル画、陶芸作品が置いてある。

お店番の女性とも少しだけ話す。

上の階に上がって、今度は坂口恭平さんの奥さん、フーさんのお店に行く。手作りのアクセサリーを売っている。繊細な作りの、感じのいいシルバーアクセサリーだ。展示の仕方も、控えめでいい。

話し始めると、フーさんも横浜の出身だとわかって一気に話が広がる。育った場所も近い。やっぱり横浜の人フーさんと僕は、どこか話し方が同じで、旅で話してきた九州の人や、他の地方の人とはちがった親しみがあった。

同じように標準語で喋っていても、関東近辺の人が話すそれと九州の人が話すそれとでは、ほんの些細なことが、しかし決定的に違うのだ、と思った。イントネーションの違いももちろんあるのだが、何より相槌の打ち方や、話のテンポ、話題の振り方などが同じだ、と感じる。

僕が喋っているのは横浜方言だったんだ、と思う。

白川水源、蜂楽饅頭など熊本に10年住んだ人ならではのおすすめを教えてもらう。今回の熊本滞在で行けるところにはいろいろ行きたいが、次にとっておこう、という気もする。逆に少し残っているぐらいで、じっくりひとつひとつのことを、その時なりに楽しむのがいいのだろう。

お店を出たら、一応熊本城も見ておこうか、と思いそちらに回るも、午後4時半になっていて、タッチの差で入れなかった。中に入りたい、という感じでもなく、外からその存在感を感じられればよかった。きっと震災の影響でこうなっているのかな、と思うような箇所が確かにあった。以前の姿はわからないが、全く変わっているのだろう。

新町にある長崎次郎書店にも寄ってみる。中は普通の書店だが、建物は昔のままだ。2階の、古くて趣のある喫茶店に行きたいと思ったが、今回はやめておいた。また熊本にもっと長い時間滞在する時に来よう、と思う。

「珈琲アロー」というお店も生活綴り方の店長に薦められていたのだが、行ってみたらあいにく2日後まで休み。店内改装のため、という。滅多に休まないお店のようなので、残念。これも、次回。

一度駅の方にカブで戻り、無料の駐輪場に置いておく。シアトルズベストコーヒーという、関東ではほぼ見かけないチェーンに入る(Wikipediaで調べたら、運営母体がJR九州であるらしい)。レモンソーダのようなものを飲んで、コンセントでパソコンを充電しながら文字起こし。だが、最後の最後だけ残して、時間が押してきたのでパソコンをしまい、店を出る。駅前から路面電車に乗って、町の方へ出る。路面電車は、暗くて外がよく見えず、格段面白いということもなかった。バイクで走る方が、周りがよく見えて面白いし早い。でも、何も乗り物を持たずに来ている場合には、全く違った見え方をすることだろう。

バイクを持ってきてこの土地にいるということは、行こうと思ったところには大体行けるのだ、という可能性を持ってここにいる、ということである。

※※※

餃子の店で待ち合わせをしていたので、辛島町の電停からそこまで歩く。スタッフEさんはもうそこで待っていた。店は満杯だったが、10分ほど待って入ることができた。ビール、焼酎ハイボールなどを飲む。なかなか安くて美味しい。別に特別に熊本の食べ物、という感じもしないが、美味しいのでそれでいい。1時間ほど飲んで食べて、もう一人のスタッフHさんが来る時間になったので、外に出て待つ。

当初は、ケーキが出てくるバーに行く予定だったが、ケーキ完売、とのことで、少し探した挙句に、野菜の肉巻き専門店に行くことにした。22:30ごろに入って、23:30には閉店だ、ということだったが、みんなそれなりに疲れていたので、ちょうどよかった。楽しく飲んで、みんなでタクシーで帰る。1000円ほど。

明日も遅く起きるんだろうな、という予感がする。



2021年11月22日月曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(9)

 2021年11月18日(木)

いよいよ熊本市内を見て回る日。とりあえずの目当ては橙書店。村上春樹さんによるエッセイで初めて知って以来、この書店にはずっと行きたかった。

カブでも行けるけど、ここはあえて路面電車で行ってみようかと一度路面電車に乗ったのだが、間違えて反対方面に乗ってしまう。これはカブで行けということだな、と思う。結局一駅先で降りて(情けない気分だ)もう一度駅に戻って裏の駐輪場に廻り、カブに乗って町へ。

12時ごろに橙書店に到着。昨日の夜もこのあたりを通ったが、その時には場所が分からなかった。看板らしきものは(ほぼ)出ていなくて、とても分かりづらい。それがいい。カブを建物の下に停めて階段を上がる。

ちりん、とドアが鳴って、本で読んで想像していた通りの内装。いや、想像よりもいい。

看板猫はいない。でも、猫のベッドと砂場はある。

本をじっくり見る。

せっかくだからゆかりのある本を買おう、と吟味する。

ひとまず一通り見てから、頃合いを見て「食事いいですか」と言って席に着く。チキンカレーとコーヒーを頼む。

もう一人若い女性の人が隣で何かを飲みながら、じっくり外を眺めていた。 

僕は店内のスケッチをした。

そのうち、店主の田尻久子さんと顔馴染みの、女性の方々が何人か来た。楽しそうに話している。店内は本を見るお客さんでも賑わってくる。おそらく20代の男女5,6人。若い人ばかりだ。

自分が飲んだコーヒーのカップをカウンターに下げるついでに、久子さんとカウンターにいたお客さんと、少し打ち解けた雰囲気になったので話をする。横浜の本屋で手伝いをしていて、という話をし、店名を出すと、あっ、生活綴方ですか、なんだ、アルテリ置いてくれてるじゃないですか、と、嬉しそうにしてくれる。

そこからは話が弾んだ。

そのまま、近所の美術館でやっている展覧会の招待券までいただいた。

シュヴァンクマイエルの本と、渡辺京二さんの本、それから田尻久子さんの著書、そして雑誌「アルテリ」を、合計9000円分ぐらい買った。

2時間は中で過ごしがお店を辞去し、カブで、古書汽水社、ポアンカレ書店を覗いてみた。どちらもやっていなかった。ポアンカレ書店は元々ガソリンスタンドだった西洋のお城のような建物である。Googleマップを見ると閉業となっているが、後で調べると、日曜日しか開いていない、とのこと。でも、もうやっていないのだろうか。

デパートの中にある美術館でやっている展覧会にも行ってみる。カブはそこから少し行ったところのまちの駐輪場に停める。

「こわいな!恐怖の美術館展」というその展示、入り口はお化け屋敷になっていて、そこから先は、怖い絵や彫刻やらが展示されている。じっくりとでも1時間ほどで見られる内容に力のある作品が詰まっていて、お客さんも多すぎず、とても見やすくて、やっぱり熊本は文化度が高いなあ、と感心する。

この展示の最後のいしいしんじ氏の作品を本の形にしたものを、橙書店が発行している。そのために招待券を貰えたのである。

まちを散策しつつ、駐輪場の場所も少しずつ把握していく。バイクで移動するときはこれが大事だ。乗っているのもカブなので、大体の駐輪場に停めることができる。しかも、2時間までは無料、というところも多い。なんて親切な町だろうか。

美術展を出て、このまま帰るのもなあ、と思って、街からすぐのところにある江津湖まで行ってみる。バイクで走ればあっという間、15分ほどだ。

北側から、右回りで南の端まで行く。湖自体は小さなものだが、その周りを取り囲む公園がきれいだ。南の方に大きな駐輪場があったので、そこにバイクを停める。それなりに寒いが、セブンティーンアイスのチョコレート味を買って食べた。朝ご飯を食べず、橙書店のチキンカレーも食べきりサイズだったので、まだまだお腹が空いていた。

駐輪・駐車場のところはとても広い芝生の広場になっている。そこで遊ぶ犬たち、子供たち、大人たちの様子がのどかだった。

気つけば空は夕暮れに染まっていて、手前に江津湖、奥には雲仙岳が少し靄がかって見えた。

その様子を見ていて、僕は明日この土地を去る気になれなくなって、もう少し熊本にいよう、と思った。



2021年11月20日土曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(8)



 2021年11月17日(水)

朝、再びゆっくりめ。今日は熊本に出発する。

熊本に行く前に、もう一度みさきと会ってお昼食べる。一回来たことのある港に面したコーヒー屋。だが、ランチで出てきたのはチーズ回鍋肉。おいしい。ご飯にはパセリ。食べたらみさきは職場の美術館に戻る。少し滞在が長かったし、共通点の多いジャグラーとの別れはやはり寂しい。

そのままテーブルでコーヒーの残りを飲みつつメールを一本だけ打ってから、さて、と、時間もたっぷりあるわけではないので、美術館前に停めてあるバイクに乗って、熊本を目指した。

経路はいくつかあった。雲仙を見ながら海側を通って島原に抜け、フェリーで熊本港に行くルートにした。

陽が当たっているので今日はそれほど寒くない、が、日陰に入るとやはり途端に寒い。一度諫早方面に北上する。数日前に来た道を少し戻るような形だ。そして雲仙の連峰を右手に見ながら東進する。途中、事故が起きていた。片道一車線しかないので渋滞しているが、傍をスイスイ抜けて行く。

この道は、山並みが実に綺麗だった。

フェリー乗り場に着いて、そのまま1時間ほど待つつもりだった。だが、自分が調べた路線とは違う路線がもう一つあるようで、そちらがもうあと数分で出発するところだった。全然乗る気はなかったのだが、係員のおじさんが「まだ乗れるかな」と確認してくれて、結局乗れることになった。そこで、急いで船に入って行き、僕がカブを停めるとともにタラップが閉まり、船は出航した。立ち入り禁止の柵をくぐり抜けて客室に上がる。料金は売店で支払った。

船はゆっくりと進んでいく。

行きに北九州に着いたときに乗った船とは随分違う速度である。横須賀から新門司港行きの船はとても速い船だったので、甲板に出ることもできなかった。今回の船は、甲板に出て風を感じることができた。進行方向と逆側の、エンジンの泡が出る方に立って、さっきまで走ってきた雲仙のあたりを眺めた。

ちょうど夕日が沈む頃で、裾野の広い雲仙と、その上に広がる空を見た。船が何艘か見えて、カモメが飛び交い、とても美しかった。

船は1時間ほどで熊本港に着いた。もう、だいぶ暗くなってきている。カブに乗って走り出す。船からバイクで降りるのも慣れてきた。

今回の旅でしっかり雨に降られたのは初日だけで、それからはかなりいい天候が続いている、このまま続いてくれるといい。

熊本港から市内までは、30分弱。熊本は来ることをとても楽しみにしていた。早速、見ている景色にどこか親近感を覚える。遠くに山ばかりが見える。畑が広い。

駅に着いて、まず宿にチェックインする。駅前のビルに入った、きれいなホステルである。ほとんどホテルのような見た目である。

しばらくバイクを停める場所を探す。唯一見つかったのが1日500円のところで、ここに停めるしかないか、と諦めかけたが、反対側に目をやると、スルッと入れそうな駐輪場を見つけた。

ひとまず入っていって、バイクを停めたが、料金など書いていない。これはどういうことだろうと思ったが、誰にも見つからないうちにささっと駐輪場を抜け出した。あとで調べたら無料だということだった。うーん、いいなあ、熊本。


街に出る。もう随分遅い時間だったが、足で走って新市街の方まで出てみた。

アーケードが連なっていて、そちらの方はとても賑やかだった。

駅前のひっそりとした空気とはだいぶ違う。


最初に目についたラーメンを食べた。

洋食屋風の服に身を包んだおじいさんが、「よいしょよいしょ」といいながら作るラーメンだった。

宿に戻ってくる。

すると、出発する時にいたバーカウンターにいた二人が、まだバイクの話で盛り上がっていた。

そこで、一本だけビールを頼んで、会話に混ざった。

結局2時ぐらいまで話し込んでいた。


2021年11月19日金曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(7)



 2021年11月16日(火)

前日の疲れもありゆっくり起床。

12時ごろに大吾さんの泊まっている宿へ。大吾さんは今日帰る。

みさきに連絡をとって、長崎駅付近のビルで集合。レモンとんこつラーメンを食べる。そのビルの中には映画館があった。みんなどこで映画をみるんだろうね、どんな映画がかかるんだろうね、という話をする。

ジャグラー、こうたくんとも合流。カフェに行こうか、どうしようか、と迷ったが、みさきが、県庁の上にはフリースペースのようなものがあって、そこがガラガラですよ、というのでそちらへ。西友で飲み物を買う。

県庁の建物は新しく気持ちいいところ。たしかに人が全然いない。大吾さん、みさきが作ったボールを広げて4人で話をする。

大吾さんはここを最後に帰路に着く。バス停まで送りに行く。そのまま、こうたくんもバスで帰る。

残った僕とみさきでしばしぶらぶら。港を眺めたりなどする。立ち飲み屋でもあるといいねえ、と話しながら街の方を歩くと、ちょうどいい塩梅の、安い、立ち飲み居酒屋があった。小銭で飲めて、本当に安い。

ここでしばらく話に花を咲かせる。二人ともジャグリングそのものの練習はコンスタントにしている方ではないが、ジャグリングと人生が絡んだ話がお互いにたくさん出てくる。店員さん、お客さんが時々話に入ってくる。映画、マーベルの話など。

飲んで、そのまま僕が泊まるホステルに行く。ここは期せずして、みさきが関係しているところであった。なのでふらりと入れる。ロビーで酔いを覚ましながらしばししゃべる。僕はコーヒーを飲む。みさきは水を飲む。

8時を過ぎたころに解散。


そのあと、妙に寂しい気分になって、ホステルを出て町を歩き回った。

アテもなく気が向くままに歩いた。ふと顔を上げると長崎の初日に行ったイタリアンレストランが目の前にあった。また歩く。とにかく、歩く。旅が続くなあ、とおもう。

ラーメンでもないかな、と思って歩いたものの、見つからず、しょうがないか、と思って宿に戻ろうとしたら、宿のほぼ真向かいに三八ラーメンというラーメン屋があった。ぱっと入って、ラーメン、と注文する。もう二人おじさん入ってくる。片一方はラーメン。もう片一方は、ビールを頼んだ。「もうすぐ閉めようと思ってるんですが」と店員がいうと、「すぐ飲んじゃうから」と言った。

おでんとラーメンも食べていたけど、すぐ帰ったんだろうか。

宿に戻る。

ベッドに入ると、なんだか同じ部屋で、配信をしているような人がいて、小声でずっと喋っており、うるさかった。何回か文句を言いに行ったが、結局最後までうるさかった。


2021年11月16日火曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(6)



2021年11月15日(月)
二人で9時半に起きる。眠い眠い。

宿は五島町にある。
部屋の窓には、少し重みのある木製のブラインドが付いている。向こうは湾。船着場がよく見える。建物には黄色い巨大な球が上についている。遠くは山の斜面を覆い尽くすようにたくさんの家屋がある。

宿を出て、コーヒーとパンを売っているお店に行く。古い建物の風合いをそのまま生かした室内で売っている。空間は広いが、置いているものはシンプル。数種類のパンとエスプレッソマシンだけ。テイクアウトして港に行く。チョコパンが大きくて美味しい。カリッと、というよりはサクッとしている。

ロープウェイで稲佐山という山の頂上の展望台まで上がれるので、それを目指す。宿を完全に離れたので重い荷物を持っていて、やや疲れる。あまり寝られていないせいでもある。

途中、駅前の新しいイベントスペース「出島メッセ」のトイレを借りる。広いですねえ、新しいですねえ、と言いながら建物を出ようとしたら、自動ドアが開かなかった。どのドアを調べても開かず、結局インフォメーションにいた人に鍵を開けてもらった。今日は休業日なんです、という。なぜ入る時は開いたんだろう。まだ開業して2週間ほどだそう。

ロープウェイは、可もなく不可もなく、というところ。少し高かった。バイクで頂上まできた方がよかったな。

山を降り、ご飯を食べる。だいごさんが前日にマークしておいた中華屋でちゃんぽん、皿うどんを食べる。僕はちゃんぽん派である。
その後今日と明日の宿にチェックイン。しばし呆然とする。

港の喫茶店に行って、みさきと合流。少し遅れて大吾さんもくる。
ジェラティーナを頼む。コーヒーゼリーにミルクが注がれている。
みさきはカフェラテ、だいごさんはエスプレッソ。ハマっているのだ。

話している途中で、にゃー、にゃー、と声が聴こえてきた。店の脇の階段にいた猫だった。思わずかわいいねえ、と猫を撫でた。そうか、猫撫で声ってこのことか。

美術館に行く。隈研吾事務所設計の建築。建物もとてもいいし、展示も良かったのだが、お客さんは僕と大吾さんとみさきしかいなかった。展示について語り合いながら堪能した。ミロの絵がハイライト。

街に戻り、カレーを食べる。特に長崎らしいというのではないが、これでいい。おいしかった。途中でしゅうじさんも合流。

昨日の疲れもあって早めに退散。
しかし、最後に山に登っておこう、と、カブでだいごさんと鍋冠山に登る。15分ほど。
夜景が綺麗だ。綺麗だが、綺麗すぎなくて、横目に話すくらいがちょうどいい感じが好ましかった。一時間くらい、お互いのこれからの話をする。

寒くなってきたのでそれぞれの宿へ。
帰ったら、シャワーもあびずにすぐ寝てしまった。

踏み切り板をとべ - 九州の旅(5)

2021年11月14日(日)

昨日少し飲み過ぎた。7時に起きる。シャワーを浴びて、荷物をまとめて、ロビーに降りた。別に希望したわけではなかったのだが朝食がついているプランで、食券を渡したら野菜カレーが出てきた。ドリンクはハーブティーとコーヒーが選べた。ハーブティーを選んだ。なんとなくお酒の後の日にはこちらがよい気がした。
出発しようと思ったら、空が薄暗い。道ゆく人をみると、中には傘をさしている人もいる。あまり寒さのことを考えない格好で来てしまっているので、ゲンナリした気持ちになる。もう一枚、もっと暖かい上着が欲しい。
とにかく、カブにまたがって長崎の滑石を目指して出発。
走り始めて5分でもう体が冷え込んできた。太陽が出ていないと、とても寒い。暗いと気分も晴れない。
早く陽が出てくれることを切に願う。

途中、佐賀市と久留米市が交互に出てくる箇所がある。筑後川と、それを挟んだ向かいの山脈の様子がとてもきれいだった。

休憩したセブンイレブンで、小さい男の子がカブに興味を示していた。
「カブみたい! ねえ、カブみたいだよ!」
そう、カブはカブでも新しいカブだよ、と教えてあげる。
「家にね、カブがあるんだけど、無くしちゃったの」
という。
見つかるといいね、と言った。
「カブ、カッコいい!」
そう言って男の子は手を振りながらお母さんとコンビニに入って行った。

かっこいいカブに乗って、滑石についた。
後半はだいぶ陽も出てきて楽だった。それまで安っぽいレインコートまで着て寒さを凌いでいたが、太陽が出てきてから、途中で脱いだ。

滑石の公民館横のスペースで、大橋昂汰くん、大吾さん、Misakiに会う。大橋くんと一緒にジャグリングをしている子供たちもいる。
動画で見たことのある場所だった。

大人と子供、互いに自己紹介をする。
一部の子を除いてみんななかなかシャイである。
男の子からいろんなお話を聞き、女の子と一緒にごっこ遊びをした。
ローソンで軽食を買ってきて食べる。集まりは誰にも何にも拘束されていない。

しばらくして、みんなにあいさつをしてバイクで長崎に一足先に帰る。
泊まる部屋に入って、仕事をする。

明日以降の宿を調べたりしながら窓の外を見やって、不安な気持ちが襲ってきた。
ずっと移動してホステルに泊まっていたら、お金が目減りするだけだな、と思って。
働いてはいるし、収支で言えばプラスなのだが、そういうことではないのだ。
でも、定住がスタンダードだ、ということへの本能的な違和感もあるから、その両方を等しく感じたんだと思う。
いい時間だった。

仕事を終え、改めて大吾さんとみさきと、みさきのパートナーのしゅうじさんと合流。長らく行きたかったイタリアンのお店でご飯を食べる。
これも、店主のケンさんを交えて長々と話し、とてもいい時間だった。
壁に絵も描いた。

大吾さんと部屋に帰り、対談をしたり、絵を描いたり。寝たのは3時半だった。

2021年11月14日日曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(4)

2021年11月13日(土)

朝7時のアラームをかけたが、4度か5度スヌーズを止めて、起きたのは8時。部屋は暗い。シャワーを浴びて、バイクに乗るための暖かい格好に着替える。ヒートテックを履く。上は4枚重ね着する。だがこれから乗るのは電車だ。

その前に、昨日行ったカフェにもう一度、今度はモーニングを食べに行く。僕が最初の客だった。その後すぐに4、5人の人が入ってきて注文する。二番目に入ってきたいかつい男の人が、クリームソーダを頼んだ。僕はサラダと目玉焼きとトーストの豪華なモーニングを箸で食べ、締めにクリームを入れたコーヒーを飲む。

小倉駅へ。昨日、門司港にバイクを置いてきたので取りに帰る。ついでになんの縁か、たまたま今日門司港に着くという、かつて一緒に働いていた二人の友人M、Iと、昨日の友人Kとで合流して会うことになる。

僕は一足先にバイクを回収する。昨晩お酒を飲んだから、カブはKが働く宿に置かせてもらっていた。宿の「女将」であるさくらさんにもお礼を言う。昨日見た地平線を、今度は明るいうちに見に行く。同じ道を走っても、夜、雨の中で行くのと晴れた青空の下で行くのでは全く違う。走るには、晴れている、明るいうちがいい。

灯台に着いて、100段くらいある階段をまた上まで登る。50代同士くらいの夫婦が階段の途中で景色を見下ろしていた。天気いいですね、と挨拶し、追い越す。灯台がある高台のてっぺんに着いたら、僕も海を、上から見下ろす。

船が行き交っている。

夜の方が船は大きく見えていたような気もする。

波の音は聴こえない。

今日は、いい景色だな、とだけ思った。

カブで、門司港駅まで一気に戻る。20分ほど。20分というとすぐなような気もするが、バイクで走る20分は少し体感が違う。20分間バランスをとっている。

予定よりも早く駅に着いたので、ベンチに座って少し仕事をする。カブは港に置いた。多分こういうことには寛容だろうなと思った。向こうから、Kと宿で出会った人二人が来る。一緒にMとIを待った。

※※※

K、M、Iと一緒に洋食屋で昼を食べて、港で少し過ごし、通りがかりの子供にジャグリングを見せてから、3人に見送られて出発。ここから久留米まで一気に走る。2時間半ほど。門司港を抜けてからはほとんど真っ直ぐ。山道を抜けていく。地図上で見た時は、山の中のひとけのない道を走るのかと思っていたが、それなりに家や畑はある道を通っていく。途中、余裕だと思っていたガソリンが少なくなってきて給油。現金のみの小さなスタンド。また走る。意外に暗くなるのが遅い。17時を過ぎてようやく暗くなってくる。南に走っていってるんだな、と思う。

久留米に着いたが、ホステルに着く直前まで、本当にここでいいのかな、と思う。周りがあまり明るくなかったからである。都市に近づくと、それなりに明るくなっていくと思っているが、久留米ではそれがあまりなかった。

着いたホステルの前にカブを停める。西鉄久留米駅の目の前にあるとても新しいホステル。入り口の上にはネオンサインがあり、中はおしゃれなバーのようになっている。一階が広いバーだ。カブの隣には自転車があって、ここに二輪は置いておけそうだ。受付を済ませて部屋に上がる。

部屋に落ち着いてからInstagramを開いたら、大学時代の友人Aが久留米にいるということがわかった。そう言えばそうだった。その場でチャットしてみる。するとすぐに返事があって会うことになった。一時間後には駅で会っていた。

歩いて街を案内してもらって、いつも通っているという焼き鳥屋に行く。席に着くなり、店員のおいちゃんに「焼酎でいいっちゃろ」と言われていて、なじみであることがわかる。でも今日はビールで乾杯してもらう。店にいるみんなの距離が近くて居心地がいい。それからすぐ近くのラーメン屋に入ってラーメンでしめる。

そのあと帰り際、雰囲気がいいバーの近くを通る。せっかくなら、と入ったら、中はまるで魔法学校のような佇まい。1957年からやっているそうだ。カウンターにいたのはもう今年で84歳だという女性。でも元気。昔の話をしてくれた。Aと同じ高校だというので、その話で盛り上がっていた。昔の写真も見せてもらう。

一杯飲んだだけで帰ったが、ひとり2500円だった。びっくりしたけど、でもいいお店だった。

明日は長崎に向けて走る。



2021年11月13日土曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(3)

2021年11月12日(金)

少し小倉を探検してみようと思い、ショルダーバッグを肩にかけて歩き出す。1日では到底この地域のことなんてわからないと思う。でも、それは1年でわかることなのか。一生かけたらわかることなのか。

駅前まで歩いてユニクロに入る。びしょ濡れの靴の代わりに履くためのスリッポンを買う。二足を適当に入れ替えたほうが靴も長持ちするから、この方がいい。
駅前の雰囲気がだいたいわかったので、宿の方に戻り、旦過市場に入ってみる。ボロボロの建物に、今にも崩れ落ちそうな屋根がかかっている。韓国を思い出す。これはいい。売っているものに生々しさがある。店の奥を覗くと、ざっと50年以上は前から使い続けられているであろうものたちが顔を覗かせている。シンガポールの小汚いけど美味しい屋台のことも思い出す。

一度部屋に帰りパソコンをとってくる。外に出て、タリーズコーヒーに入る。さっき散歩している間、川沿いにあるのが目に入ったのだ。川沿いの席に座ると、机の高さもちょうどよく、作業の手を止めて顔を上げると川が見えた。しっかり気が紛れるのでいい。ずっとは集中できないからこれがいい。カフェラテを飲みながら、文字起こしをする。目の前には、NHKの北九州放送局と、小倉城が見えた。雨が不規則に降っている。時に前が見えなくなるくらいの雨が降る。でもそれは10秒もすると止んで、いきなり晴れたりする。妙な天気だ。

文字起こしの仕事がひと段落つき、今度は商店街にある別の個人経営のカフェに行く。もう開業54周年だそうで、年季の入った店内だ。カウンター席とテーブル席がある。カウンターにはランプが吊り下げられ、テーブル席は少し低めの革張りのソファ。純喫茶である。奥のドアを開けた先に喫煙席があって、店内には煙はない。おそらく数年前まではここも紫煙に包まれていたのかな、と想像する。来るお客さんは若い人が多く、主に動いている店員さんも若い学生ふうの女性で、マスターはずいぶん歳をとって椅子に座っているけれども、なんだか今でも店が、地元の人に生き生きと利用されている感じがする。頼んだコーヒーもとても美味しかった。チーズケーキも食べた。ここでは絵を描く。場所ごとに作業は決まる。

その純喫茶をあとにし、今度はドトールに入る。さっきタリーズにいる間にメールで来た仕事を終わらせたい。今日中に終わらせたい。ココアを頼んで、集中してやる。わざわざ小倉まできてドトール、でいい。仕事がそれなりにある方がいい。場所はどこでもいい、と思えるのがいい。

予定通り終わらせてドトールを出て、カブを取りに行って、そこから30分ほどかけて門司港に行く。かつて一緒に働いていた友人がそこにいるのである。たまたま、僕がこちらに来る日程と被って門司港のゲストハウスで働いているのだ。

途中からポツポツと雨が降り始めた。少し激しくなったかと思うと止み、また降り出し、を繰り返す。そうこうするうち、完全に止んで、雲は晴れ、月が眩しいほどに浮かんでいるのが見えた。岬の灯台の方までバイクで行ってみたのだが、さっきまで真っ暗であまり先が見えなかったのが、今は月明かりのおかげでかなり先まで見える。

5、6艘の船が常に行き来している。

地平線が長い。

今いる地表の様子が少し違って感ぜられる。

向こう側は山口県だ。

星も多い。

いや、星はずっと同じ数だ。ただ、そこにあるのが今はこちらに分かる、ということだ。

岬から帰ると、件の友人と一緒にご飯を食べることにした。
唐揚げと瓶のキリンビールを頼む。甘いタレがかかった唐揚げは、今まで食べたどんなものよりも肉が柔らかくて、まったく違う食べ物のようだ。

ホッとする気持ちと、いつもと違う土地にいることの高揚感が、二匹の子猫のようにぐるぐると、じゃれあっているような気分になる。

市場で、今までまるで存在も知らなかった日本の姿を見ること。
川沿いのタリーズで仕事をすること。
知らない土地で美味しい唐揚げを食べること。

店を去り際に、ここは何時までやっているんですか、と聞いてみた。「本当は10時くらいなんですけど」と言った。今は夜の11時。20人ほどが座れる店内だが、ほとんどお姉さん一人でやっているそうだ。
「来ない時は平日なんて全然来ないから、お客さんが来てくれる方が嬉しいんですよ」

帰りはJR門司港駅まで見送ってもらって、終電で帰った。
小倉駅からは、歩いて宿まで帰った。小倉の町は飲み屋が星の数ほどあって、まだまだ楽しそうな人たちで賑わっていた。


2021年11月12日金曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(2)

2021年11月11日(木)フェリー「はまゆう」〜小倉

朝7時ごろに一旦目が覚める。寝床そのものは、小さいが快適だった。しかし、船がとにかく揺れる。地震でいえば震度3ぐらいの揺れが常に身を襲っている(横になっていると余計に浮き沈みがわかる)。寝入る前は落ち着かなくて、地震に似た揺れがくると反射的に身構えてしまい、なかなか寝つけなかった。それでも一応「朝」と言える時間に目が開いた。ひとまずズボンを履いてロビーに出てみた。

人はほとんどいなかった。そもそも乗船客が少ない。50人ほどだろうか。朝日が差し込んでいる。昨日の夜中には気が付かなかったが、この船の窓からは景色がよく見える。朝のうちにひと仕事しようかとも思ったが、どうにも眠いのでもう一度布団に入った。

8時を過ぎると、船中の明かりがついた。ロールカーテン越しに明かりを感じる。まだ眠いので、横になったまま目を閉じる。

「横須賀を目指す船それいゆとすれ違います、またとない機会ですのでぜひご覧ください」

と放送が入った。またとないも何も、毎日運行してるんだから1日1回はすれ違うだろう、と思った。

10時半ごろに、再び起きる。今度はぱっちりと目が覚めている。売店でクリームパンを買った。保存の効くパネトーネ種の小麦を使ったパンだった。わりに美味しい。レストランにあったコーヒーマシンでコーヒーも淹れて、朝ごはんらしくした。カフェオレを買ったのだが、やたらに甘かった。

大浴場に行く。浴室にいたのは一人だけで、露天風呂でずっと半身浴をしていた。僕もそこへ混じる。風がものすごい勢いで吹き付けている。水面に激しく波が立っていて、海の様子と共鳴している。これも昨日の夜には気が付かなかったが、屋上だけあって、一段と綺麗に海の様子が見えた。少し遠くに陸地も見える。

風呂を上がって、ロビーに戻り、しばらく机で仕事をした。とても静かだ。聞こえるのは、船の唸りだけである。隣にスリランカの人が座ってきた。話を聞くと、福岡に住んでいて、筑波から車を買って帰ってくるところなのだという。もう8年も日本に住んでいるというので日本語はとても流暢で、まるで日本で生まれ育った人かのようだった。

昼は、一回ぐらい行っておくか、と思って船内のレストランで食べた。長崎ちゃんぽん800円。安くもないし特別な味はしないが、美味しかった。横に、昨日横目で見ていた取材中の女性が座った。船に泊りがけで取材をしているのだ。

昼を食べて再びロビーの仕事スペースに行く。どうにも何か口にしていないと落ち着かず、缶コーヒーをちびちび飲みながら文字起こしと翻訳の仕事を交互に行った。途中で場所も移動して、レストランからの景色を描いたりした。持ってきた『コン・ティキ号探検記』も読んだ。たくさんのことを一度にやらないと落ち着かない。一個のことをじっとやり続けることができない。

今回の旅は、自身の生活態度と向き合うためのものだ。

「踏み切り板をとべ」というのは、加藤典洋さんという大学時代の師匠からもらった、文章への批評である。青木はいつまでも調べてばかりで肝心の中身になかなか踏み出さないけど、文章を書くには、どこかで踏み切り板を飛ぶ、もうそこから先は躊躇して線を越えたらアウト、という線を作るんだ、ここからはもう後戻りしないで、勢いよく飛ぶんだ、そういう書き方をしなさい、という主旨だった。

この指摘は、文章に対するもの、というよりも僕自身の性格に充ててなされた批評だと解釈している。加藤さんは、間違ってもいいからもうここを越えたら自分の選択についてつべこべ言わない、そういう「振り返らない」態度を持て、と言ったのだ。

九州を、いつも通り仕事をしながらバイクであてもなく旅する、というテーマとしてはごくシンプルなこの移動は、振り返らない、納得をどこでするか、という線引きをより明瞭にするための修行としての旅である。

自分でルールを決めるんだ。

そういうテーマのある旅である。

もうすぐ下船の時間になる。


※※※


下船する直前、件のスリランカ出身の青年と連絡先を交換した。歳を聞いたら同い年。「博多通る時はいつでも連絡してよ」という。旅は人を軽くする。

下船時、「新門司港の天候は雨です」という放送が入った。雨用の装備に着替える。人数が少ないせいもあるが、下船が始まってすぐにロビーの外に出た。カブに乗る。

出口まで徐行し外を見ると、嵐のようだった。風は強く、雨も激しい。この時点でカッパを羽織って、手袋も防水のものに替えておけばよかった。しかしただ単に嵐のように見えるだけなんじゃないか、という理由のない自信があって、そのまま外に出た。

案の定1分もたたないうちにびしょ濡れになり(当然です)、手も足も冷え込んできた。ここから小倉の宿まではおよそ30分。暗いし、寒いし、ひとけはないし、惨めな気分になる。しかも、船で長時間振動が加わったのが原因か、温度差か何かが原因と思うのだが、ブレーキをかけると停止直前にキイキイ音がする。靴は一足しか持っていない。濡れてしまうと明日以降が不快である。なんで靴用のカバーを持ってこなかったろうか。「持って来ればよかったものリスト」は旅の序盤から、いや、序盤こそどんどん更新される。簡単に動けるジーンズ以外のズボンも持って来ればよかった。ジーンズをいちいち履くのが面倒だ。散々旅をしていても、全然学習しない。

明日ユニクロにでも行って足りないものを買おう、と思う。

宿は、旦過市場という古い市場の横にあるホステル。その目の前に駐輪場があったので、そこにバイクを停める。

中に入ると、お姉さんが部屋まで案内してくれた。びしょびしょになった装備を絞ったりハンガーにかけたりして、明日までにそれなりに乾くことを願う。

ひとまずホッとしようと思って、ホステルの下にあるローソンでビールとお菓子を買ってきて、飲みながら本を読む。

バイクで旅をするというのがどういうことかを学習しているんだな、と思う。



2021年11月11日木曜日

踏み切り板をとべ - 九州の旅(1)

しばらく九州の旅に出る。カブに乗って、気が済むまで走るつもりである。道中では色々なところで仕事をしながら、ものを考えながら過ごすつもりである。

2021年11月10日(水) 横浜自宅〜横須賀
綴方でTak.さんに絵を渡して、夜9時に横浜の家を出る。
本当は8時半に出る予定だったが、支度が思ったよりかかった。バイクにどう荷物を積むか試行錯誤していたせい。
おおむね国道16号をまっすぐ下っていき、一時間と少しで横須賀に着く。横須賀に入った途端、5分間くらいだけアメリカを感じた。
道が広い、建物が平坦。
米兵がおり、英語を喋っている。
僕はマーベルコミックの映画シリーズにどハマりしているので、そのせいでアメリカンイングリッシュを聴くと気分が高揚する体になってしまっている。
フェリー乗り場は、コンテナが積んであるエリアを入って少し奥まったところにあった。旅という理由がなければ入らないであろうところに入っていくのは楽しい。乗り場はとても新しい。目の前でトラックが停車していて長いことかかっていたので、誘導の人をスルーしてとりあえずターミナルに向かい、停車する。
これから遠くに行く、ということがいつにも増して大袈裟な実感を持って去来する。とても、とても興奮する。
これか、これが欲しかったのか俺は、と思う。同時に、これは、新鮮なうちにこれからの旅の糧になるように、「やり方」として定着させなければいけないぞ、自分にとって旅とは、何が本質的にいいのかを見極めて、それを次のもっと大きな旅の時に同じようにできないといかんぞ、と思った。

なんでこんなに興奮しているんだろう?

イギリスに行く時よりも嬉しい気持ちでいるように思う。そうでもないかな。

乗船時間になり、最徐行でお願いします、と係の人が言う。それに従い、ギア1速のまま、車2台がすれ違えるぐらいの長く広いタラップを登り、はるか上にある(ように見える)船の中へと登ってゆく。船に入ると、青い棒のところまでカブを進めて固定してもらう。

歩いて船内に入る。明るい色、清潔な船内だ。一昔前の安い船旅はこうはいかなかっただろうと想像する。
小さな売店、ジム、露天風呂まである。とりあえず部屋に入る。一応最低ランクのバンクベッドの部屋で、カプセルホテルのような作りではあるが、とてもいい部屋だ。ロールカーテンの仕切りもあって、自宅の部屋よりも寝やすいかも。
荷物を置きしばらく船内を散歩した後、風呂に行く。大浴場だ。普通の銭湯くらいの大きさはある。サウナは、今コロナ対策だというので使えないが、それでも、最上級の贅沢をしている気分だった。僕が入った時には一人おじさんが露天風呂で外を眺めていたが、僕が入って2、3分したら出ていったので、独り占め。空を見上げて星を見た時、角幡唯介氏が北極で星を見たときの話をおもいだした。

風呂を上がり、売店でカフェラテ味の白くまを買う。取材で来たのだろうか、スーツを着た人がいる。横目で見ながらアイスを食べる。寝る前に今回の旅でやるべきことの弾みをつけよう、と思って、一番デスクワークがしやすそうな一人用の机を見つけ、ハガキ大のスケッチブックに絵を描き、日記と今日の感想を書く。
ひとつひとつ、「これが一番のやり方じゃないかもしれない」と感じながらでいいから、とにかく手を動かし、ものを作り出す。


2021年11月2日火曜日

ながいつぶやき(206)ちまちましたことをしないで

九州に行く予定を立てている。そもそもいつからいつまで行くか、ということを決めるのに、その周りの予定も関わってきて、このぐらいの日数行くのであれば、これぐらいの予算を立てたいから、そのためにはその後の期間でこれぐらい稼ぐ必要があるな、とか、逆にこの期間を稼がないことに充てる代わりに、家にあるものを少し売って足しにすればいいかな、とか、色々と可能性を考えるのが楽しい。

楽しいのだが、こんなちまちましたことをしないで、豪快にえい、と行きたいように行きたいところに行って、カネなんか後で考える、という態度でいられたらどんなにいいか、とも思ったりする。



2021年10月31日日曜日

ながいつぶやき(205) 生活のリズムを考える

家で‪Uber Eats‬をオンラインに。方向がちょうどいい依頼を待つ。ここ最近のウーバーのUIでは、依頼がきた時点で到着地もあらかじめ表示されるようになった。ありがたい。地域を狙い打ちして動くことがより容易になっている。逆に依頼拒否も増えるんじゃないかと思うのだが、ドライバーの数も増えたから、それでも回るんだろう。

以前は「お店から届け先まで」の距離のみが料金の基準だったが、おそらく今は、「現在地から店までの距離」も賃金に加算されている。それで全体の賃金が上がったのではなく、ただ方式が変わっただけで、その分の調整はされており、どちらかといえばやや単価は下がったな、という印象。

まぁシステムを組む方も、加盟店やドライバーの増減、季節、コロナの状況、色々なファクターを受けて変化する情勢に合わせて変化を加えないといけないので、大変だろうね。こちらもそれに合わせて、稼ぎと楽しさが両立する、バランスが取れるやり方を適宜更新する。

さて、家でオンライン20分ほどで、いい感じの依頼が引っかかったのでバーっと走って終わらせて、すぐそこにあるドトールに入った。モーニングのセット、アボカドチキンサンドとブレンドコーヒー。今、そのドトールで書いている。

週末はまとめて配達をして生活に必要なお金を稼いで、あとの平日は、自分が仕事だと思っていることをやる、というスタイルが合っている感じがする。

※※※

この「ながいつぶやき」については毎日更新しよう、と思っていたが、いや、そのタイトルの通り、呟きたいことがあるんだけど、でもちょっとTwitterで言うには長いな、でも文章の形にしておきたいな、ということが合った時に使う、という方針でしばらく使ってみる。

2021年10月28日木曜日

ながいつぶやき(204)

所用で名古屋にいたが、朝方バスで帰ってくる。バス内で文字起こしひとつ終わらす。東京駅に着く手前、途中で降りて大吾さんに会う。今後の話をする。

横浜に帰って、一度帰宅、YDC(横浜大道芸倶楽部)の体育館に行く。3時間ジャグリングする。

そして再び帰宅。

明日から少し意識して働くことをしよう、とおもう。

先々の予定が決まっている方が行動がうまく行く。1ヶ月先の予定から逆算して、今から1時間何をするかが大体決まる、というのがいい。自分はなぜそれをするのか、ということが宙に浮いたままだと、集中できないのだ。「何をするのも自由」であるということはあおれだけで不安と戦うことになって、大変な精神的コストを強いるからである。

自分で決めた予定が詰まっているのが一番いい。

2021年10月25日月曜日

ながいつぶやき(203) 直感を信じたからいいか

僕は人に会うことによって、書きたいことをどんどん減らしているのだ。なかなか共有できていないことを一気にまとまった形で共有したい、ということが書くことの一つの動機付けである。あんまり人に会わなくてもいいのかも。でも僕はとにかく寂しがり屋なので、ついつい人のいるところに出かけ、やたらにしゃべってしまうのである。
※※※
USBで温まる電気毛布を無印で買ってきた。本当はニット帽を見にきたのだが、毛布の方がパッと目に入って、これだ、と思って買った。本格的に寒くなってきて、仕事をするときに重宝するのではないか、他にも湯たんぽの代わりになるんじゃないか、などと思ったのである。
だがちょっと温まる面積が小さくて、どうも思ったほどは使い勝手が良くないかも。
直感を信じて買ったから、まぁいいや。

2021年10月23日土曜日

ながいつぶやき(202)

昨日、生活綴方の数人と連れ立って、近所のクラフトビールを飲んだ。普段もお店で会っている人々だが、集まろうという意思を持って人と集まると感じがまったく違う。やたらにベラベラと喋ってしまう。

ご飯は美味しい、ビールも美味しい。

何を言おうか、と考え、その考えたことを実行するのに適した間が一瞬しかなく、絶妙な、タイミングをとらえる、ということが面白いのだ、と直感された。

2021年10月22日金曜日

ながいつぶやき(201)吹き抜け

この場所は、解像度を低く、なんでもとにかく、頭に浮かぶことを書く、という場所である。だから、書いたことは書いた端からさっさと忘れていく。別にさほど重要なことも書かない。だが、別に素晴らしいものでなくても、とにかく書いて考えるという行為そのものに体を慣らすことに意味がある。毎日描いている絵もそういうところがある。
でも、それとは別で、キリキリとした気持ちで書いている時間も欲しい、と思い始めている。

※※※
今日は、大和市にある冒険研究所書店に行ってきた。2回目の来訪。前回来た時(9月)に、「来月は角幡唯介さんの展示をやりますよ」と聞いていた。角幡唯介さんは、昨日も紹介した『極夜行』をものした探検家である。まさに『極夜行』で実際に使われたウェアや、その時の写真、他にも、店主の荻田さんと一緒に北極の旅をした際の映像が見られた。ほぼ10月いっぱいでに第一部の上映が終わり、11月2日から後編が流れる、というので、見逃さないうちに行ってきた。
角幡唯介さんの著書も多く置いてあり、最新作『狩りの思考法』と、文庫版『旅人の表現術』、それに、2冊の古典的冒険ノンフィクションを買った。最新作については、この書店での先行販売が今日からだったので、多分お金を払って買った人は第一号ではないか、という。

帰り、大和駅近くの図書館シリウスの下のスターバックスで少し読む。
吹き抜けでとても寒かった。



2021年10月21日木曜日

ながいつぶやき(201) 極夜とそうぞう

義務を朝に終わらせてしまいたいので、今、11時に文章を書いている。
昨日午後9時半ごろに寝て、午前2時に起きた。もう少し寝ていようかとも思ったが、せっかく起きたので、やれるところまでやることにする。コーヒーを淹れて、ドーナツを買ってくる。ヨーグルトも買ってくる。食べながら、本を読む。昨日買ってきた文庫版の『極夜行』(角幡唯介 著/文春文庫)である。非常に面白い。これまで読んだ数冊の角幡唯介氏の本の中でダントツに面白い。なるほど、本人も「最高傑作です」というわけだ。執筆のスタイルが、冒険の水準と合致していて、肩が凝らないような文体で、壮絶な体験が綴られている。余白がしっかりある感じがする。
あんまり冷えるので、お風呂も入れて、30分ぐらい入浴しながら本を読んだ。
上がって、今度は5時から6 時ごろまで、絵を描く。
本当の意味で一人で絵を描いていると、他にいろんなことが頭に自然と浮かぶ。
このことが、まさに『極夜行』で角幡唯介さんが体験していることと重なる。彼は、来る日も来る日も星を頼りに、真っ暗闇の中を、雪上を進行する。他に考えることもないので、自然に星たちを擬人化する物語が頭に浮かんでくる。古代ギリシア人が毎晩星を眺めて、そこに神話を紡いだことを、感覚として理解した気がした、という。
一日中一切太陽が上がらない極夜で歩くほどの壮絶な体験と比べたら、たかが早起きして机に向かっているだけだけれども、自分で何か生み出すより仕方がない、という状況に自分を置けることは幸せだなと思う。
創造は退屈と表裏一体だと思う。一日の中で、退屈だ、何か作ろう、と自然と思える時間を数時間でいいから持つことは、至上の喜びだ。

その後、6時から9時ごろまで二度寝する。9時に起きた時点で、もうほとんど今日やりたいことが終わっている。本当に心地がいい。やっぱり早起き以外に人生を充実させる方法ってない、と本気で思う。
これから、上野の方まで出かけてくる。


2021年10月20日水曜日

ながいつぶやき(200)「引き抜く」か「押し戻す」しかないもの

朝、8時ごろ起きる。
自転車のタイヤが届いた。インターホンを鳴らされると、NHKなどを警戒して(我が家には受像機器が一切ないので払わなくていいのだが)無視することも多い。今日はなんとなく確認する気になってカメラで映像を見た。郵便局の人だった。再配達では面倒だったので受け取れてよかった。
自転車の部品をわざわざ自分で注文して手に入れるのは初めてだ。イギリスに本拠がある会社に注文した。部品を持ち上げると、下にハリボーのグミが入っていた。こういうユーモアが好きだ。
天気がいいので今のうちに、と思って、すぐにタイヤ交換に取り掛かる。これまでにYouTubeを見ながら、なんとなくのイメージは掴んでいたが、もう一度おさらいの意味で同じ映像を見ながら、それに合わせて実行する。
なんてことはない、タイヤを外して、新しいのをつけて、またもとに戻す、というだけのことだった。ディスクブレーキの部分やギアの部分の取り外し、付け直しは少しだけ戸惑ったが、早い話、「引き抜く」か「押し戻す」しかない。自転車がいいな、と思うのはこういうところだ。作りがシンプルで、人間が日常生活で培うことのできる直感で大体修理できる感じがする。
本当は全ての道具がそうであって欲しいな、と思う。

※※※

自転車が直ったのが嬉しくなって、そのままカフェまで走る。一仕事終えて、今度は公園に行く。
久しぶりに外でジャグリングを練習した。とても気持ちがよかった。同じ動きを反復して練習しているうちに、ジャグリングというのは、投げたりとったりするのが楽しいからやっていることである、ということが直観された。
ジャグリングは見せものである、という前提で練習するのはちょっときついことだなぁ、と思った。別に見せるようなものではないんだけど、練習していたらちょっと人前で見せるのに手頃な、面白いものになった、というぐらいがちょうどいい。
そういう態度がいい。

ながいつぶやき(199)

 知り合いの人の娘さんに、英語を教えた。

といっても、ほとんど雑談をしているようだったが。

英語を「科目」として捉えないで、とにかく、ことばである、そこに世界が広がっている、というか、それ自体が世界の一部である、という認識について話したつもりである。


こうして人に教えていると、自分自身のことを振り返る契機にもなるね。

2021年10月18日月曜日

ながいつぶやき(198) 嬉しいの気持ちで

嬉しい、好き、の気持ちですべてがドライブされていたらいい。自分を動かすための燃料にはいろいろあるけどさ。

いやだ、の気持ちで生活がドライブされていると、どうも調子が狂う。絵にもいいものが出てこない、と思ったりする。

※※※

『DUNE』を見た。アクションもあるけど、叙情性が強調されている感じ。めちゃくちゃ面白かったか、と言われるとそうは言わないが、見られてよかった、と思った。誰かの思い出を体験したような気分になった。


2021年10月16日土曜日

ながいつぶやき(197)猫のサンプリング

熊谷守一という画家がいて、彼の絵に知らず影響を受けている。絵を描いてみると、なんだか、わかる。

サンプリング、という概念(まぁ、絵画では「引用」とかいうんだろうな)をテーマに絵を描いてみている。
※※※
美術手帖に載っていた横尾さんのインタビュー、読む。面白い。いい部分が刺激されている感じがある。自らの表現欲の青天井を見たい気持ちが湧いてくる。

2021年10月15日金曜日

ながいつぶやき(196) さっきまであっちにいたのに

頭の中にはいろんな計画がある。やるのだ、やるのだ。

僕は多動で、とにかく何かをやっていないといけないはずなのに、そこで理性が邪魔をしていて、本当に嫌になっちゃうね。

※※※

朝から実家に。墓参りに行き、久々に両親とご飯を食べる。部屋を少し整理したり、必要なものを持ち出す。そこから帰ったら、今度は東京の方へ、かつて一緒に働いていた人の展示を見に、タバネルブックスへ向かう。

タバネルブックスは、一昨年の11月にできた新しい古書店。僕はバイクで行ったので駅からどれぐらいの距離にあるのか感覚として定かでないが、住宅街の奥にひっそりとある。お店の正面には木が生えていて、それがまるで隠れ家のような雰囲気を醸し出している。

とても居心地がいい。店主の中野さんもとても親切に話してくれた。

ポストカードを買い、退出、それから妙蓮寺の綴方に向かって、一仕事終えて、今これを書いている。

※※※

自分はいったい、こんなところで何をしてるんだろう、という感じが味わいたい。さっきまであっちにいたのに、もうこっちにいる、さっきまであれをやってたのに、もうこれをやっている、と思いたい。

具体的な目標は、ただの方位磁石。

ながいつぶやき(195)とにかく、継続して、変化していく

またずいぶんほったらかしにしていた。けど、再開する。

※※※

今日は朝から出かけて、東京と現代美術館に、横尾忠則さんの展示を見にいく。仕事が全然追っ付いていない。電車の中でどんどん進める。iPadが役に立っている。ありがたい。

最寄りの清澄白河に着いたら、一緒に展示を見る大吾さんが一足先に着いてコーヒーを飲んでいたので、そこに混ざる。「ものすごく酸っぱいんだよ」と言っている。ブルーボトルは酸っぱいのがわりかし特徴だが、エスプレッソがそこまで酸っぱいとは思わなかった。そうなんだ。

歩いて美術館へ。ミナ・ペルホネンの展示ぶりだろうか。この美術館は、公園と一体になっていて、特に天気がいい日は気持ちがいい。

展示はいいものだった。必ずしも全ての作品が好きというのでもないが、横尾さんが継続して大きい作品を作り続けていることを否応なしに感じ、熱量が伝わってくる。展示を見ることは、エネルギーを受けること。

美術館を出て、ひとまず中華を食べる。四川料理。ってほどでもない感じがしたが、とりあえず四川料理やさん。でも、町中華、という感じだった。ご飯とスープがおかわり自由で、僕はご飯を二杯食べた。大吾さんはおかわりはしていなかった。油がたっぷり入っていて、これぞ求めていた中華。

食べ終わったら、エスプレッソ専門店に向かう。最近、エスプレッソの探求が二人の間でブームである。だがそこはオーストラリア、NZ系の珈琲店で、やはり僕が最初に大吾さんに紹介したようなイタリアンカフェとは違う。でも、美味しい。

コーヒーを飲みながら対談。でも、対談、というよりお互いの最近の話が多い。これでいい、のであるが、メルマガに載せる対談としてはあまり素材にならないような会話が多く、実際、メルマガに載せている今の形式の対談は、そろそろ辞めてもいいかな、という気分になってきているので、別の方向に向かい出す時。

そのまま公園まで再び歩いて、結局1時間半ほど話す。

駅まで一緒に歩いて、僕は別れて3331千代田アーツまでシェアサイクルで向かう。小指さんのTwitterがきっかけで知った、大勢のアーティストの作品が一堂に会する展示。こちらはこちらで、全く別の、より同時代的なエネルギーがあって、よかった。入ってすぐのところに、作品も展示している安西肇さんがおり、声をかけた。何か、こういうことがあるような気がしていて、案の定、それが起こる。

帰って、また仕事する。

とにかく、継続して、変化していく。

2021年10月8日金曜日

ながいつぶやき(194) サロン・ド・調整

書くことを不定期にすると、どうも精神が不安定になる、ような気がする。
自分の考えを書くというのは絵と同じで、具現化することそのものに意味がある。
役に立つとか、立たないとか、全く事前にはわからないが、考えというものに実体がないので、行為を与えてあげて実体にして、考えを知る。そのために行う。
※※※
大事なことなんてそうそう言えない。
同じように、大事な絵も、大事なジャグリングも、そうそう現れない気がする。
いや、どちらかというと、そういうものは狙って一発で出せるものではない、ということだろう。
毎日続けていて、その上で、調整ができるようになって、というか、そもそも何を調整したらいいのか、ということがわかってくるのだろう。その過程が「上達」ということなのだろう。

※※※
このところ寂しい、と感じることが多い。
一応、言葉で言えば「寂しい」が一番近いけど、本当はもっと微妙な感触のある気分である。
そういう時僕は、もし今自分に子供がいたらどうするだろうか、と考える。
なんとなく、まぁ別に寂しい、という気持ちをそこまで大事にすることもないかな、という気になってくる。

なんでだろうね。

自分の感情って、別に必ずしも自分にとってすら切実じゃないのかも、と思うからかな。

※※※
落ち着いてものを考えるには、早起きする他ないな、と思う。
暮らしをまた変えるとき。

2021年10月6日水曜日

ながいつぶやき(193)ただ現実と一人で対峙した成果

何ヶ月前の話だろうか。

僕は毎朝早く起きて、ブライアン・イーノの環境音楽を聴きながら、絵を描いていた。朝の4時ごろだ。「知覚できる範囲に自分一人しかいない」、という感覚をありありと手にすることができた。

自分の頭の中が世界で、その世界が無限に広がっていて、目の前にあらわれているボールペンの線は、その世界の断片である、と直接感じ取っていた。

絵を描くとき、自分が「なぜ描いているのか」は考えない。ただ、記憶が現実と交差するところの軌跡を、満足する形に仕上げていくだけの動作だからである。

小さい頃、ぬいぐるみで遊ぶのが無性に楽しかった。なぜか。

僕の頭の中には物語が常に走っている。今この瞬間も走っている。

その見えない物語と、現実が交差するところ、それが、僕にとってのぬいぐるみ遊び、その音声を吹き込んだテープ、という「作品」だったのだ。

今まさに書いているこの文章もまた、僕が「絵を描く」という行為に準じて走り出した想像を、必死で現実と交差させて、摩擦で生じた一瞬の光のように、発生させている。

その喜びのために、継続して作品を作り続けたい。

自分にしか感じられていないことを、この誰もが暮らしている現実というフィールドに接地させて、熱を感じられる、黒いものにしたい。

そこには、他者が入り込めない。

何かモノを作る、と決めた人格が、ただ現実と一人で対峙した成果、ということなのだろう。

2021年10月3日日曜日

ながいつぶやき(192)しばらく、ただよう

誕生日だった。年によっては、ただただ家で過ごして、YouTubeを見ていたりする。
今年は、大学時代の友人を呼んでプラッと近所の酒場で飲もうか、と誘ったのをきっかけに、ずいぶんたくさんの人に祝っていただいた。
とても嬉しい。
本当にありがとう。

昨日、今日で二日間とも誕生日のように過ごした。

その反動だと思うのだが、今、気持ちの深さがグッと、下の方へと変わってきている。
「落ち込んでいる」というのとは違う。
エンジンの回転数を落とすために必要な動作、という感じがする。

俺ってどんな人間だったんだっけ、と確認するような時間が訪れている。
行き場がない、というのか。

これは、長いことヨーロッパに行ってきたあと、帰国した日の感じにも似ている。
しばらく以前のトラックに戻って来られない感じ。

一体自分は何に属しているのか、わからない。

しばらく、ただよう。

2021年9月29日水曜日

ながいつぶやき(191) 音楽 ジャグリング 絵 外国語

 

ジャグリングをするのは楽しくていいが、何かパフォーマンスをするというのなら、どこかしら際立っていないと、とおもう。

というか、そう本気で思い込んで遊ぶ、というゲームである。

別にこうじゃないといけない、という主義主張があるというのではない。

ただ、そういう遊びが楽しいだろうな、というだけ。

2021年9月27日月曜日

ながいつぶやき(190)

一日一冊ペースぐらいで本ばっかり読んでいると、自然と読むスピードが速くなってくる。同じように、文章ばっかり書いていると、自然と書くスピードは速くなってくる。それは、「筋肉が鍛えられる」というイメージよりも、「脱抑制」である、と思う。力が、むしろ、「抜ける」ほう。慣れていない状態だったら行動の前に色々と考えてしまうのだけど、慣れてくると、その一歩手前で考える、という行程が省略される。

意識して外国語を「摂る」ようにしている。そもそも日本語以外の言語に触れる時間が常態だ、という状況にするのが目標である。

一年間イタリアに住んでいた頃のことを思い出す。

2021年9月24日金曜日

ながいつぶやき(189) 「今、ここ」以外

外国語に浸る時間を持てていて嬉しい。分厚い英語の本を読んだり、スペイン語を聴きながら絵を描いたりしている。
「今、ここ」以外に完全に没頭できる世界を持てることはとても幸せである。
それはだから、ある人にとっては映画であって、ある人にとってはどうぶつの森であって、ある人にとってはサッカーであったりして、僕にとっては外国語がそれである、ということ。

2021年9月23日木曜日

ながいつぶやき(188)

熱が引き、とりあえず‪食べ物の配達に出る。昼間にやると結構日差しがキツイ時もあるが、まぁ家に引きこもっているのもなんなので、とにかく仕事にでる。外に出ると、色々考えてしまわないで済むのである。けど、その一歩目がね、難しいよね。
快調に進めて、終わって帰ってきたら、再び熱が上がっている。ちょっと油断した。やや熱中症のような気がしないでもない。
そのまま、でも何もしないのも何なので、冷えピタ貼りながら大吾さんと対談。JJFの話、する。

ずっと進むでもなく、立ち止まるのも手だな、と思ったりする。

※※※

「〜〜をやりたい」とばかり言うのもなんかね、と思ったりする。
やれよ、と半分の自分が言い出す。
やろうね、ぐらいがいいね。

何に追い立てられてるんでしょうね。

2021年9月22日水曜日

ながいつぶやき(187)

 1日寝込んでいた。解熱剤飲んだら一瞬で楽になった。

やー。

ダメな日もあるねえ。

ながいつぶやき(186)


久しぶりに外でジャグリング。その様子、動画に撮る。

動画を少し編集してアップロードする。

真面目な文章書くより、動画作ってる方が断然面白い。

俺は何てったって、小学生に上がっても、一人でぬいぐるみでずーっと遊んでるヤツだったのである。

モデルナワクチンの2回目を注射した。自衛隊の方々はテキパキしていて、あっという間に終わった。

体の、なぜか右肩が痛くなってきた。打ったのは左腕。

まぁ、こんなふうに説明してないで、とにかく何でも作ることだね。






2021年9月21日火曜日

2021年9月19日日曜日

ながいつぶやき(184)似たような議論が



最近、いわゆる欧米の文脈における「アート(art)」の見方について、現代アーティストでもある筆者が説明する本を読んでいる。なかなか面白い。

ジャグリングの文脈で、「これはアートだろうか、スポーツだろうか」というような議論の種がある。似たような議論が、アートなどの分野ではとっくに行われていたりすることもあ流。

もちろんなんでもかんでも議論の換骨奪胎が可能というわけでもないが、大いに参考にはなる。

あと、以前よりも意識して外国語を遊んでいる。

2021年9月18日土曜日

ながいつぶやき(183) 断捨離の本を買ったんだけど

カフェに入って、隣で女性二人が話をしていた。

断捨離の本を買ったんだけどすごくいいのよ、説得力があって。二冊届いちゃって、今度あげるわ。持ってくればよかったわあ。

  えー。

もう、一冊ね、前に届いてたんだけど、また今日届いちゃって、二冊届いちゃって、でも受取拒否なんてするのも、たかが900円でさぁ、もういいわ、誰かにやるわ、と思って。

  へえー、ラッキー

断捨離って、なんだっけ、ヨガの、「だん」なんとか、「しゃ」なんとか、あと、「なんとか」っていうのの頭をとってね、「断捨離」だ、っていうの、あんたヨガやってたわよね。

  あ、でも、私のはね、ヨガじゃなくてね、えっとね、ヨーガ、って、ほら、ヨガじゃないのよ、あの、「ヨーガ」っていう

うん、でね、その、「だん なんとか」「しゃこう」とかなんとか、そういう三つのね、頭をとったのが、断捨離だ、っていうのね

  へえー。

それでほら、財布なんかにさ、レシートとか、10%オフの割引券とか、溜め込んじゃうじゃない、ほら、いらないものをさ、

  溜め込んじゃうわぁー。私も今、お財布がね

そういう小さいものから始めなさいっていうのね、一気にやろうとするとさ、ほら、やる気なくなっちゃうじゃない

  そうそう、ね、一度に全部、家中やなんかやろうとするとね、もう途中で

でね、私、その、無料のゲームやるじゃない、そうすると、ほら、無料だから、広告が、コマーシャルが出るじゃない。

  広告の。でもわかんないわ、私やらないから。

あ、あんたやらないのね。「初回500円」って言って、その本が出てきたわけ、無料のゲームをやってるとさ、広告が出るのよ、こんな、無料だから。で、一度は住所やなんか入力したんだけどね、やっぱりいいや、なんて、結局ほら、それを送らずにね、やめたのよ。それで、注文ができてたらさ、メールが来るじゃない。それがきてないもんだから、前のは消えたんだと思ってたの、私。そしたら、また無料のゲームやっててさ、ほら、広告が出るもんだからさ

  広告なんて、そんな本なんかも出るのねぇ

やっぱり500円のだけ欲しいや、なんて思ってもう一回注文したわけ、そしたら、ほら、同じ本が二冊届いちゃって。さっき届いたのよ。前のがね、メールが来るのかと思ってたらきてないからさ。消えたんだと思ってたのにね。今日また、もう一冊届いちゃって。

  えーっ。

で、受け取り拒否なんて面倒じゃない、逆に。

  でも受取拒否なんてできるの、そんなの。

なんかできるみたいよ。ほら、何万円もするものだったらあれだけど、たった900円じゃない。送料込みで。そして、本はすごくいいのよ、断捨離のね、断捨離っていうのは、ほら、ヨガのなんとかっていうの、きっぱり捨てる、みたいなのから取っててね。それで、もう二冊になっちゃったけど、900円ばっかしでそんな受取拒否で、ああだこうだなんて逆にややこしいじゃない、だから、一冊もう、誰かにやるわ、と思って。

  ヤダァ、ラッキー。

そうなのよ、なんか、小さいことから始めなさい、っていうのよ、すごく内容はいいのよ、でもほら、無料のゲームの広告が出てきて、なんだか、自分ではそんなつもりなかったのにさ、ほら、住所を入力するじゃない、それで、そんな、注文ができちゃってるなんて思わないからさ、また出てきたもんだから、今度は欲しいやなんて思って、また入れちゃったのよね。

  それで、きちゃったのね。

そうなのよ。それで、でも返品や、受取拒否だなんて、面倒じゃない。だから、もういいやわ、誰かにやるわ、と思って。

……

このあとこの二人は、「イタリアンレストランに入ったものの、『お客さん、ナポリは行ったことありますか』と講釈を垂れるシェフに啖呵を切った話」を5回以上繰り返していました。

2021年9月17日金曜日

ながいつぶやき(182) 「思い出発生装置」を覗き込んでいるわけだ

雑多な仕事をしながら、図書館で何冊か本を読む。
メルマガ用の対談原稿を書き、本を読む。
サイバーセキュリティの翻訳を一本終わらせ、本を読む。
別件のファッション関連のメールの翻訳をたくさんして、本を読む。
ふとよぎった考えを、消えないうちにノートに書いて、本を読む。
フィンランド人のジャグラーのインタビューを聞いて、本を読む。
ふと思い立って英語のジャグリング記事を一本翻訳して、本を読む。
別の方がまとめているインタビュー記事の下書きを読んで、ふふ、と笑って、本を読む。
隣に住むベトナム人ホアさんからお願いされた、日本語ドリルの回答をし、本を読む……
ぐるぐる、いろんな用事を済ませながら、合間でブータンに行ったり、ホーチミンに行ったり、フィンランドに行ったりネパールに行ったりしている。
そういえば、まだ北極の旅が途中だったな、とか、ソマリランドって今どうなってるかな、とかも思う。


よく書けた紀行文を読んでいると、文字を通して思い浮かべた情景なのに、さも自分が体験したかのように感じる。不思議だね。だって、本当に、ソマリランドも北極も、行ったことないのにさ。僕はほとんど、そこに行ったことがある気になっている。本当は何も知らないのに。何も。

本を読むという行為は、「思い出す」行為に似ている。とても似ている。似すぎていて、ほぼ同じだ、と言って差し支えないほどだ。

本に書いてある文字や写真で、何かを想像する。
その時、脳みそは、自分の体験の中から、似たような質感の情景や匂いを連れてきて、それをじんわりと発生させ、擬似体験しているんだ。読書中はせわしなく、そういう一連の刺激をぺたぺた張り合わせている。
思い出す、ということも、同じ。自分の体験したことを自分流に好きに組み合わせて、今に持ってくる行為だ。
そう思うとさ、文章って、ヨソから刺激を与えて、人の頭に、強制的に勝手な思い出を作り出す装置だ。今僕の文章を読んでいるあなたも、僕が作り出した「思い出発生装置」を覗き込んでいるわけだ。

本を読む以外に身体で体験したことは、思い出すための素材になるし、読書をして思い出された感覚は、その次の自分の行動を変える。

体験は読書を変えるし、読書は体験を変えるのだ。

※※※
新しいことをすればするほど、やりたいことは、ますます増えていく。
今は、とにかく外国語を浴びるように聞いて、読んで、発したい。
ドイツ語、フィンランド後、スペイン語、中国語、イタリア語、長らくほっといてるので、浸かりたい言語はいっぱいある。とてもじゃないが、全部一日じゃできないよ、と思うが、同時に、全部一日でぜーーーんぶやっちゃいたい、という大人気ない自分もいる。漫画だって描きたいしさ。

一応、ざっくり予定を書いたりしているんだけど、まぁ守んないよね。



2021年9月16日木曜日

ながいつぶやき(181)ちょこっとだけ、負担の多いものにすることで

自分なりの理屈で物事を進める。そのために、あんまり人の意見をそもそも聞かない、ということがとても大事になってくる。慣れてくると、気持ちがいい。
※※※
自分の調子によって、いちいち何をやるのか、どれぐらいやるのか、決めるのが面倒だ。改めて、時間で区切ってぱっぱと次のことをする、という生活に移行した。「自分で決めない」ということの負担の軽さを享受するのだ。
まぁ、これもいつまで続くかはわからないけど。続かなかったら、それはそれでしょうがないね。三日坊主、とは、それも一つの身体が発揮する自衛行為である。
※※※
『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(高野秀行 集英社文庫)をようやく読み終わりそう。ほぼ毎日読んだが、一週間ぐらいかかった。
一時期、コロナが始まった頃だったか、読書メーターをやっていたのだが、また再開する。ここに書き込むことを義務化して、本を読むことの不安から逃れるつもり。本を読むことの不安って何か、というと、それは、「自分読書なんかにばかり時間を費やしてしまって、本当はもっとやるべきことがあるのに、それをやっていないんじゃないか」という感覚のことである。
ちょこっとだけ、負担の多いものにすることで、その行為に自分なりの貯蓄を生じさせよう、ということである。

2021年9月15日水曜日

ながいつぶやき(180)自分に安心を与える

 もっと俺は早く仕事をしたいもんだ、と思っている。やる、と決めたことを、ささっと、とにかくやってしまう人間になりたいものである。

※※※

今日は昼と夕方で、スタバに籠る。途中、美味しい坦々麺食べる。新しいスリッポンも買う。以前から履いているものがだいぶ汚れてきたのである。土砂降りの中でも履いていたからしょうがない。でもそれはそれで、ガシガシ洗ってまだ使うつもり。

しかし、なるべく早く仕事を遂行していく、という時にあっても、自分に安心を与えるために、毎日何か書いたり、描いたりするのはいいな、と思う。

2021年9月14日火曜日

ながいつぶやき(179)

 中目黒へ。TENTのインタビュー。駅で待ち合わせだが、早めに着いて駅隣のセガフレード入る。カプチーノ飲む。だいごさんと合流してTENT事務所へ。

ノックしたら、ハルタさんが出てくれる。中がとてもきれい。スムーズに取材、撮影が進行。

終わったら一緒に隣の沖縄料理屋でランチ。高級そうだが、意外にリーズナブル。

お別れして、もう一度セガフレード入り、手短に対談済ませる。

そして、動画もう公開されている。


なんだか、スピード感ある1日だった。



2021年9月11日土曜日

ながいつぶやき(177)そういう人間なんだなぁ、今のところ

今日は少し多めに食べ物運ぶ。

父母が物資を届けにくる。生活についての心配をされている。苦労しているように見えるのかぁ、としばしそのことについて考える。別に否定的に言っているわけではなくて、単純に心配をしている。

僕自身はお金はそんなにないけれども、日々大体幸せに暮らしている。朝起きてから夜寝るまで、何かを負い目に感じたりとか、一切ないのだが、いざ身内の人に何か生活についてコメントされると、途端に他人の想像と自分が抱える現実のギャップについて考えるようになる。

※※※

このところ、我慢ができないことについても考えている。

苦しいことも続けられない。「つまらない」という状態も我慢ができない。

まぁ、だからなんだ、というのではなく、自分はそういう人間なんだなぁ、今のところ、と思うだけ。

ながいつぶやき(176)

ちょこちょこと仕事を片付けてのち、本を読んでいた。

ふと目をあげて、窓の外の遠くに人が見えている。

この人って、僕と同じように存在しているんだろうか。

別にその人が僕と同じような意思のある個人でなかったとしても、十分成り立つ、という、なんだか古典的な哲学問題について、考えていた。

2021年9月10日金曜日

ながいつぶやき(175) しごと

今日はほとんどMacを開くことがなかった。朝起きてから、今23時46分まで、開くことがなかった。これはここ1年ほどでは珍しい日である。

PONTEを始める以前(2014年以前)は一週間ほどパソコンを開かない日もザラ。これ、もしかしてパソコン無くてもなんとかなるかもしれんな、とまで思っていた。2018年に正式にフリーランスになって、それ以来はパソコンがないとそもそも仕事が成り立たないようになったので、朝起きてすぐパソコンを開く日の方が多い。そうすると、流れ作業的に、「やるべきこと」は終わっていく。でも、それに依存している自分もいる。

今日は、大和市桜ヶ丘にある冒険研究所書店に行った。その後、大和駅前にある大型図書館に行った。PM Jugglingの大吾さんと一緒。色々と話す。これが仕事である。生業である。やりたいことをやっているぞ、という実感が一番の糧。

ただこれは仕事の過程ではあるが、まだ完成していない感じ。他の人に還元された時点で、「仕事」と呼びうる。だから、これを何らかの形で、自分がその日に受け取ったものを他の人に伝播させて、それによって、僕は「仕事をした」という実感を得る。そこで、完成。

夕飯、Uberのプロモーションが来ていたので、たまには使うか、とラーメン頼む。ほぼタダ同然で一杯のラーメンが届く。でも、だいぶ時間が経っていて、ぬるい。麺も固まってしまっていて、あまり美味しくない。「ハズレ」の経験としては良かった。届ける相手にとってフードデリバリーがどういう体験になるかを知るため、たまには自分で頼む。

夜、ドライバーの画面を開いて、もし自宅の近辺の条件が良かったら行こう、と思って開けると、いい感じだったので、その瞬間にパッと準備して、家をでる。流れよく、6件やって、最後が自宅近辺だったので、そのまま終了。一時間半くらい。

帰ったら本を読む。今日は『謎の独立国家ソマリランド』(高野秀行)と『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』をそれぞれ半分ぐらいずつ。

※※※

なんだかちょっと気分がすぐれない。でもこれは、多分何かあった、というのではなくて、食べたものとか、飲んだものとか、そういうものが脳に作用しているのだ、と思う。

自分の身体のことをいかに把握できていないか、ということを思う。

2021年9月8日水曜日

ながいつぶやき(174)ピタゴラスイッチをIMAXで見たら

昨日の話。朝からまた、いつもの公園に行く。海があるっていうのはいいね。そのまま、ドトールでコーヒー飲む。本当にお客さんいないが、ここは大丈夫だろうか。

東京の九段下まで行き、隈研吾展へ。隈さんのインタビュー映像を見るセクションに入ろうとしたら、実物の隈さんが前を歩いていた。

大手町まで歩いて油そばを食べて、東京駅から横浜に帰る。かえり、ふと思い立って、映画をみる。『フリー・ガイ』。面白かった。こりゃ、映画館で見られて良かったな、と思った。

だが考えるに、映画館で見る必要がない作品っていうのも別にないと思う。映画館で見たらそれはなんか、もう別の体験、というか別の作品とすら言えるような気がする。

ピタゴラスイッチをIMAXで見たらそれはそれで面白そうだ。

2021年9月4日土曜日

ながいつぶやき(173)絵を描こう、と

朝から、ジャグリングユニットピントクルの公演「フニオチル」ちょっと手伝い。久々にジャグリング公演に携わった気がする。
今日はあまりものを書く気せず。言いたいことがある時、実際にその言いたいことを言う欲がある時、というのは少し違うのかもしれない。
ちょっとした不安のようなものが、最近はふわふわと心に漂っている。なんだろうね。

絵を描こう、と思う。

2021年9月3日金曜日

ながいつぶやき(172) 世の中の人の真剣な部分

少し忙しくて中断していたが再開。

今日は大吾さんと目黒区美術館へ行った。現在、「包む-日本の伝統パッケージ展」というものをやっているのだ。あと二日で終わるが。ポスターのアイキャッチとなるパッケージ、卵が5つ藁で包まれているところが、ジャグリング道具を想起させる、というただそれだけの理由で向かう。それ自体、冷静に考えれば実に短絡的な行動だが、同時に、何かもう少し根源的な理由がある感じも、する。むしろあんまり関係ないからこそ、ジャグリングに引きつけてみたら発見がありそうだ、という期待がある。そこに、知性が運動をするための幅を感じるからかもしれない。

ここ数日、本を読むのが無性に面白い。直近の関心に合わせて、とっかえひっかえ乱読するのが愉快である。図書館にはお世話になっている。美術館への行き道の電車の中でも、本を読む。『巨岩と花びら』。はしもとみおさんが薦めていたので、ひとまず手に取ってみた。今のところ半分くらい読了。著者の彫刻家・舟越さんは、心の動きが上品である、と思う。

冒険、漂流、建築、彫刻、というテーマが今の興味の範疇。荻田泰永、角幡唯介、高野秀行、植村直己、関野吉晴、本多勝一、ジョン万次郎、隈研吾、はしもとみお、舟越保武、といったあたりの人物を軸に、本を検索してなんとなく順番をつけて読んでいく。

本を読みたい、というのは、世の中の人の真剣な部分を知りたいということなのだな、と察せられてくる。

2021年8月29日日曜日

ながいつぶやき(171)学びたいこと、実行したいこと

ややペース崩れているが。

人が自分とジャグリングとの距離感について時間をかけて書いているのを読むのはいいもんだなぁ、と思った。
大吾さんに教えられ、ジャグラーが書いているnoteをいくつか読む。
自分自身でもジャグリングに関する文章を折に触れて発表しているが、なかなか、他の人が、個人的な思いを長く文章にしているところというのには出くわさない(自分で探しに行っていないというだけでもある)。

このところ、学びたいことがたくさんある。
学びたいことは、「実行したいこと」に置き換えてゆく。

2021年8月28日土曜日

ながいつぶやき(170) はこぶ、本を読む。

昨日のこと。

前日は21時に寝た。6時にはすっかり目が覚めた。行動は遅く、寝転んで本を読んだり洗濯したり。9時ごろ。恒例のみなとみらいの臨港パークへ行く。少しジャグリングする。

パシフィコドトールへ行き、昼12時ごろまで滞在。大豆ミートバーガーとコーヒー2杯(お客さんが全然いないので、この心地よい空間が潰れないように、ささやかながらなるべくお金を落とす)。本を読んだり文字起こし。荻田泰永さんの『考える脚』も読む。非常に面白い。そこからいつものように昼Uberを少し。暑くて限界がきて、3本でやめる。帰ったら、昼ごはんを作る。ナスとツナのパスタ。ナスやパスタは実家から送ってきてくれたもので、安上がりである。ありがたし。コーヒー淹れ、本の続きを読む。本当は仕事しようと思っていたが、本の方があまりに面白いので読み切った。感想書く。


読み終わったら18:30ごろ。またUberしに出る。 そんなにやるつもりなかったが、流れが良かったので21時ごろまで。終盤のお宅で、直接チップもらう。丁重にお礼する。こういうのは、額に関係なく、気持ちがいい。逆にたとえば、マンションのインターホンで、何も言わずロビーの自動ドアを開けられ、すぐにガチャリと切られるのは、少し寂しい。「はい、はーい」ぐらい言ってくれるだけでもめちゃくちゃ気持ちいいのだが。僕はてっきり、大体それくらいは、誰しも宅配がきた時には、一言ぐらい発するもんだと思っていた。でも、意外と挨拶を発する人、少ない。10件やって1件ぐらいかな。ドアの開け方とかも、本当に人それぞれ。意地でも中を見せない! と食べ物が通るギリギリの隙間を開けてひったくるように取る人もいるし、下着みたいな格好(っていうか下着)でドア全開でへろーっと出てきて、ニコニコと「ハイっ、どうもー、ありがとうございまーす」みたいな人もいるし、5階まで階段でしか上がれない古い団地もあれば(団地は号棟とか部屋番号を見つけるのがちょっとトリッキー)搬入口から入って、23階まで延々エレベーターに乗って、さらに1分少々歩いて部屋までたどり着くようなSFの世界みたいなタワマンもある(そういうところに行くと、僕は吹き抜けの部分から下を恐る恐る見て、ヒャ! っていうのを必ずやる)。同じ横浜の、バイクで10分、15分で走れる圏内にでも、たくさんの暮らしがある。まだ僕は去年始めてから800本ぐらいしかやっていないけど、それでも結構見てきた感じがある。

この仕事は、家や人の様子がわかるのが興味深い。この面白さ、移動に伴う人との出会いが、金銭的対価以上に大事。交易をしている感じがある。僕はフードデリバリーをアクティビティとしてかなり面白がっている。性に合ってるんだね。カレーを一軒家に届けたら、3歳と5歳ぐらいの小さい女の子の姉妹が手を振って「おーい、おーーい」なんて叫んで待ってた時とか、よかったね。

※※※

いただいたチップでスーパーでホルモンを買って、家に帰ったらピーマンと炒めてサイダー飲みつつ、食べる。その後、ふと思い立って絵を描く。音楽もかけず、線を引く。少し遅く、寝る。



 

2021年8月27日金曜日

ながいつぶやき(169)眠い日、再び、動く日

ほとんど読まれていないこういう場所。

昨日のこと。
朝、遅めに起きる。前日に友人と少しお酒を飲んだこともある。ひとまずバイクで桜木町に向かう。大吾さんと会う。ちょっと早く着いたので、カフェにでも行こうかと思ったが、連絡をとってみると大吾さんももう着くということだったので、駅で合流。挨拶をして、昼食を食べに。野毛の方面。タンメンが有名な三幸苑に入る。僕の友人と大吾さんは初対面だが、二人とも楽しそうに話してくれて嬉しい。特に予定を決めていなかったが、外は陽が照っていて猛烈に暑く、何か室内で展示でもみたいね、ということで、県立歴史博物館に向かう。僕も初めて。途中、新市庁舎を通り、少し案内。博物館は、料金も300円と、手頃。3階から1階ずつ降りて行って、古代から現代までを史料を辿りながら概観できるスタイル。途中、ベンチで眠りこけるレベルで疲れていたが、寝たらちょっと回復して、全部見終わる。見応えあり。
僕がよく使っている、新市庁舎のスターバックスに入る。友人とはお別れし、大吾さんと一時間ほど対談。最近の探検本(マイ)ブームと絡めて、なぜ旅をしたいのか、横浜に住んでいることについて、そして、日本を周りたいな、という話。そこから少しだけ時間をとって、自転車屋に行く。大吾さんと別れて、すぐに家に帰る。暑かったからか、夕飯を準備する気力もないぐらい疲れていて、軽くインスタントの味噌汁を飲みながら『考える脚』(荻田泰永 KADOKAWA)を読んでいたら、猛烈に眠くなってすぐに布団を強いて就寝。

2021年8月25日水曜日

ながいつぶやき(168)行ったり来たりのこういう日が好き

朝、唐突に熱っぽい感覚で5時前に目が覚める。昨日のワクチンの副作用?少し心配になるが、起き上がったら落ち着いた。コーヒーを入れて、かりんとうを朝ごはんの軽食がわりに食べる。文字起こしを一本終わらせる。洗濯も終わらせる。これで7時ごろ。やっぱり5時に起きると全部が気持ちいい。暑くならぬうちに公園に行こう、とカブで臨港パークに行く。もうすでに日が出て暑くなっている。6時ぐらいには着いているのが理想だ。1時間ほど、ジャグリングしたりスケッチしたりして遊び、ドトールに向かう。しかし、ドトール、9時からのオープンでまだやっておらず。ガーン。しょうがないので、公園で待つことも考えたが、蚊が増えてきたので、結局カブごと移動し、僕の第二のお気に入りドトールに行く。ここも、眺めよく、絶対に座れる。ここでしばらく仕事。朝は人が多いかなと思ったがそうでもなかった。そのままここで、11時過ぎまで話を書く。色々と試行錯誤してみたが、仕切り直した方が良さそうなので仕切り直して書く。いい予感はする。ここで図書館に移動する。中央図書館。昔高校生の頃は、時々ここに来て友人と勉強をしていた。人は少なめ、静かで、心地よい。2時ごろ、駅に移動。桜木町駅で友人と待ち合わせ。会うなりいきなり、直行してノリでロープウェイに乗る。4月ごろ開業していたが乗るのは初めて。面白いといえば面白かった。そこから、おもちゃ屋を冷やかしたり、銀行に言って用事を済ませたり。マークイズ4階でうどんを食べる。友人の方はスムージーを飲んでいる。そこから、再びドトールへ。同じドトールで今日3杯目の飲み物。ちょっとお腹の調子悪く、コーヒーではなく紅茶飲む。一緒に仕事する。そこで文字起こし一本終わらす。キリのいいところで終わり、そこから駅まで歩く。バイクで白楽の方へ。綴方の人と夕飯。初めてしっかりと話す(感じがする)。そして妙蓮寺に戻る。今日はいろんなところを行ったり来たりである。こういう日が好きだ。


ながいつぶやき(167) 海の日

昨日。とりあえず臨港パークに向かう。そこで30分ほどジャグリングをする。ジャグリングを終えると、すぐそこにあるドトールに向かう。近未来的なビル群に囲まれる、清潔な店だ。ドトールに行く途中、公園内でフラワースティックを持った女性を見かける。ドトールに2時間ほど滞在、昼前には出た。帰り際もまだ女性二人組がおり、クラブとフラワースティックを練習していたので、なんとなく嬉しくて声かけてみる。大学のサークルでジャグリングしているそう。サークル活動できないから、二人で練習中、だそうだ。楽しそう。公園スタートで、Uberちょこっとやる。3本だったかな。家方面に進んでしまう展開もあり、ちょっと残念だったが、もう一回桜木町に戻り、そこから電車で東京駅へ。

東京駅から、ハトバスが運行する送迎車で、自衛隊の運営するコロナワクチン大規模接種に向かう。会場は古いビルだった。内装は綺麗。混んでいたが、流れがとてもスムーズで、15時ごろに入ってから15時30分くらいには外に出ていた。歩いて東京駅に向かう。東京を歩いて見て回りたいな、という感情が芽生える。東京駅周辺は、大学時代に通学路の途中であった。また、有楽町の無印良品で働いていたこともあったから、このあたりのことはそこそこ知っている。しかし改めてビルを見上げながら歩くと、やっぱり観光客気分になる。丸の内オアゾ内にある丸善本店に行く。ここはまさに大学への往復の途中で歩いて前を通るところだったので、帰宅中に入り、閉店までここにいることも度々だった。長いときには3、4時間滞在していた。語学書コーナーの本をたくさん持って、(今はカフェになってしまって無い)選書コーナーで延々めくっていた。まぁだからといって何が身についたというのでもない。友人を誘って遊ぶ、というようなことが少し苦手だったのだ。でも一人で直行直帰、のようなこともしたくなくて、限られた楽しい時間を薄く引き伸ばすような気分で、書店にいた。

そのまま丸善のカフェで仕事でもしていこうかと思ったが、やはり帰ることにし、電車で再び桜木町へ。無印でモップの替えを買って、一旦家に帰る。文字起こしやろうと思ったが、思い直し、再びUberに出る。もう3本だけやる。

帰って少し仕事していたが、突然電源が落ちるような眠気に襲われ、すぐに寝る。

2021年8月24日火曜日

ながいつぶやき(166)

2021年8月22日

綴り方行く。15:30から、少し久しぶりに綴り方の店番に立つ。その後ちんしぇんのトークライブの配信手伝い。途中で小さな女の子が、「ガチャガチャできますかぁ」と入ってきたのが面白かった。あまりこの日の記憶がない。

2021年8月23日

8時ごろ起きる。ワクチンの予約。横浜市の方のサイトにはつながりもせず。その間に自衛隊のやっている方の予約ページをコマンド+Rで更新し続けていたら、パッと一個枠が空いたので、そこをとる。明日だ。逆に良かったかもしれない。東京駅はとても馴染みがあるからかえって嬉しい。明日は丸善に少し寄って行こうかな。ちょっとワクワクする。予約を取ったら、一応、大きいバッグを背に仕事に。バッグを持って行ってしまったら、やっぱりつい注文を取りに行ってしまう。そのまま6本だけやって、ドトールの近所のもので終わったので、一旦ドトールで仕事する。一旦家に帰ったのち、改めて出発し、注文拾いながら綴方へ。矢部くんとご飯食べる。そのあと、少し仕事するつもりだったが、2階閉められていて、まぁわざわざ開けてこっちでする必要もないか、と家に帰る。冷蔵庫に一本だけ入っていたビール開ける。気づいたら寝ていた。

2021年8月21日土曜日

ながいつぶやき(165)「思い出す装置」として

朝6時前に起きる。手洗いで洗濯する。布団干す。コーヒー淹れ、飲む。大体家事が終わったので、バイクで臨港パークまで。まだ8時ぐらい。暑すぎず、気持ちがいい。少しジャグリングをする。途中暑くなってくる。男女2人が仲良く波打ち際に腰掛けていて、これは横浜らしいなぁ、と思ってスケッチをする。写真ではなく、情景を見ながらのスケッチをしてこなかった。ああ、こういうことか、と嬉しくなる。こういうスケッチの方が、僕が何をいいと思ってこれを描いたのか、今見てもよくわかる。「思い出す装置」としてスピーディなスケッチはいいね。僕はこの歳になってようやくこれを知った。まぁ、これから先の人生、これで存分に遊んでみる。その後、ドトール。文字起こしなど。メールも返す。そのままちょこっとウーバーする。綴方に行ったら、ジャグラーのこーら君が来ている。一緒に蕎麦屋へ。これからの話などする。『偶然の装丁家』(矢萩多聞 晶文社)を買う。読んだことはあったが、実は手元に持っていなかった。かわいい絵とサイン入り。嬉しい。そのまま本屋の二階で仕事をする。もう一度ウーバー行くか迷っているところ。現在7時。まあ今日は文字起こしを終わらせてしまうかな。

※※※

自分が会ったことのない人のことを考える。僕たちは、お互いのことを全然知らない。そのほうが自然だ、というだけだが。インターネットで繋がっている、みたいに錯覚してしまうと、突然、実は全然繋がってなんかいなかった、お互いのことを知らなかった、という現実がドカン、と目の前に現れて、びっくりする。どこまでいっても、他人、とは、自分の想像の中に住んでいる人。

でも一方でね。僕が今まで会って来た人たちは、まだほぼ全員、この地球上のどこかにいるんだ、今もどこかで何かをしているんだ、と考えると、頼もしいような気分にもなる。まだ会ったことのない人たちも、とりあえず今地球のどっかにいる。

いるのかな?

マルクス・アウレーリウスの『自省録』とか読んでいても、古代ギリシャと自分の繋がり感じて面白いなーなんて思う。本の中では、今いる人も、いない人も、同じ地平に並んでいるね。岡本太郎の著作も読んでいるんだが、そこにいるようだしね。

ああ、でも、さっき知り合いに道端で会って、生身での言葉の交わし合いほど根源的なエネルギーの交換の欲求を満たすものもないな、とも感じたね。それは、つまり完全に想像の中の人間(や、あるいはそのほか全て)と会うのとは、全く異質の体験なんだな、と直感した。こういう時間を増やしたい。猫に会いに行くのだって、その一環だ。


いろいろ方向について迷いそうになったり落ち込みそうになったりするが、文章書いて絵描いて、とにかく頭がいっぱいになりそうになったら、作品を1個でも多く世に出し続ける以外に面白く過ごす方法ってないんだよ。悩むのは、毎日真剣に一編の漫画と文章でも書いてからにせよ、と切に思う。

2021年8月20日金曜日

ながいつぶやき(164)ペッと終わるんだな

朝、7時起き。これでもちょっと遅いな、と感じる体になってきている。身体は3日で変わるね。コーヒー淹れて、飲む間に、洗濯済ませる。部屋掃除する。長らく取りかかれないでいた作業をする。やってみれば30分で終わる。朝から自転車で運動を兼ねてカフェ探しに。本当はドトールに行く予定だったが、途中で良いカフェを見つけたので入ってしまう。お金はないが(本当に)、新鮮な体験をするということを第一義に生きることにしている。なのでピンときたら、良さそうなお店に入ってしまう。これはもう僕のサガである。昨日大吾さんと、「とにかく条件反射のように動いて、たくさん失敗をしたい」という話をした。そのことを思い出す。まぁ、結果、いい感じである。

昨日の夜、新横浜駅の駅舎を自転車を押しながら歩いていた。不意に、「嬉しかったり悲しかったりしてるうちに人生はペッと終わるんだな」と思った。日々感じる感情の浮き沈みに関して、メタな観察は別にいらんだろうと思った。何かを感じれば感じる、感じてない時は感じてない。他人の死生観や、とにかく価値観一切合切に関しても、別に干渉しなくたっていいじゃないかと思った。

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一度帰宅。暑い。気づかないうちに消耗している感じ、ある。コンスタントに身体は最低限動かさねばね。帰ったらパスタ作る。ナスをもらっていたので使う。ちょっとお腹壊す。なんだったんだろう。そのまま一時間ほど寝る。起きたら、目を覚ますためにもういちど別のカフェに。今、そこでこれを書いている。でも、ちょっと移動しようかな、とも思っている。あまり理想的な環境、という感じしない。ちょっと騒がしく(主に後ろのおじさん二人)普段はもっと人が少なくて静かなのだが、今日はちょっと違うので。

居場所を求めていつもぶらぶらしている。曜日や天気によって、チャートを作ってその中から選んでみようかな。

ながいつぶやき(163) 本でもなんでも

 

朝から自転車で生田緑地へ。岡本太郎美術館でだいごさんに会う。Google MAPでは1時間半と出たのでまぁ2時間以内には着くだろうと見積もったが、途中休憩なども挟んで2時間半ぐらいかかった。だが、自転車での移動は実感があっていい。

行く途中、ぱっとドトールに入り、20分ほどで今日中にやっておきたかったことを終わらした。おかげで清々しく鑑賞できた。まさに夏休み気分。

美術館、よい。体験として優れていた。

駅の方まで歩いて、シャノアールへ。ここもいい。じっくり話す。実りある。

帰りもたらたら寄り道しながら。帰宅19:30。

ねむし。

だがだいごさんに借りた本、読む。面白かった。やっぱり作ろうと思ったものはなんでもさっさと作るもんだなと思う。本でもなんでも。

2021年8月18日水曜日

ながいつぶやき(162)同じように船を漕いでいる人を、語り合える距離に集める

朝、遅め。寝る時間は対して変わっていないのに、早く起きられたり遅く起きられたりするのはなんでだろうね。ちょっと悪い夢を見た。多分雨のせい。みんなでびしょびしょになる夢だった。このブログを読んでいる人は極端に少ないので、(毎記事10人くらい)こちらの方でだけ、日常的に考えていることを言っていればいいや、という気分になっている。読んでくださっている方は、ありがとうございます。ただただ、地味に続けていきます。誰が読んでいるかもわからない、「読んでますよ」と直接言われることでしか確認できない場所でものを書くことの楽しみもある。

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ジャグリングに関して。

個人的な視座でものを書くために、ジャグリングを遠くに見つつ、そこから遠ざかるような方向に船を漕いでいる。でも、もっとジャグリングの周りを漕いで回ることで、その全体像を掴もうとするような書き方をしてもいいかもしれない、と思い始めた。

未知の岸に到着した時、それがどれぐらいの大きさの島なのか、または大陸なのか、全然わからない。けど、その周りを、島を見つめながら漕いで回って、その規模を知る。

ジャグリングを網羅的に研究する、みたいな目標をメインにしちゃうと苦しくなるから、なんとかその苦しみからは遠ざかりつつ、同じように船を漕いでいる人を、語り合える距離に集める、という形でやっていきたいね。

ながいつぶやき(161)

 あるラジオに送ったお便り。


一日中家にいて仕事をしていると、少し気分を変えようかな、カフェにでも行こうかな、と思うときがあります。でもカフェに行く15分の間に、もうちょっと仕事ができるんだよなぁ、と思うと、躊躇してしまいます。何を持っていこうかな、と思って20分経ってしまったりします。そうこうするうちに午後4時半ぐらいになって、なんだか中途半端な時間なのでもう諦めたりします。あの時、間違っててもいいからさっさと財布とパソコンだけ持ってカフェに行って、場所を変えときゃよかったワ、と思うのが常です。一度でもためらい始めてしまうと、躊躇の無間地獄に突入しますね。挙句の果てに落ち込んだりします。なので最近は、何も考えずにいきなり行動する訓練をしています。間断なく変化を加えてやることで気分をフレッシュに保つのがいいんだろうなとおもいます。


まぁこんな感じですね。

2021年8月16日月曜日

ながいつぶやき(160)その先にある風景を自分で見てもらう

はっとする何かに触れると、頭の中では全く違うことが思い出されている時がある。手元には、そのふたつの素材がある。これが、書く、ということが始まるひとつの場面だ。思い出されたそのことを、どこかに逃げて行かないように、ぼんやりと手元に浮かばせておく。そして丁寧に、その質感が変わらないように、ふたつを結びつける道筋を見つけてみよう、という意思で字を綴り始める。これが、面白い文章を書くことのひとつの方法だろうと思う。必ずしも、その「思い出されたもの」に具体的に言及する必要はない。ただ、それによって進む方向がはっきりとわかっている、ということが大事。読者は文章が進んでいるその方向を自ずと向くから、あとはその先にある風景を自分で見てもらうのである。「あれが丹波山でございます」みたいに説明しなくても、同じ方向を向いて、同じ方向に進んでいけば、大体同じものが見える。読者の方が面白いことを発見するときだって、よくある。

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近所の、落ち着くカフェに来ている。ここに来ると、作業がとてもよく進む。集中しやすい。ここは席の間隔が広い。一番近いところでも席同士が1mぐらいは離れている。あとは、椅子の座り心地もとてもいい。そして、少し低い。

こういう環境を自宅で再現できたらいいな、と思う。でも一方で、周りに人がいるということも大事な要素だからな。ちょうど、今日発行した週刊PONTE (週刊PONTE vol.144 2021/08/16 https://jugglingponte.com/weekly/ponte-weekly-vol144/)で、こんな一節がある。

Webサイトの更新作業だって、カフェに行ってやる方がうまくいくんだよ。家だと延々考えちゃう。でも、周りの席に人が座ってるのを見渡すと、「どうせ画面の中で起きてることだし」って踏ん切りがつく。(PM & PONTEのジャグリングセッション または瓶に詰めた手紙 板津大吾さんの発言)

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あんまり関係ないんだけど、この書評はとてもいいと思った。

---【書評】吉本ばなな「このように見えている」|坂口恭平『Pastel』書評 https://note.com/sayusha/n/n341e19430a61

2021年8月15日日曜日

ながいつぶやき(159)うほほい

朝遅め。昼、また図書館へ。綺麗な図書館という場所が自分が求めていた場所だったことを確認する。本がたくさんあって、静かで、綺麗な空間、ということだ。夕方、帰宅。書きたいことは色々あったけど、来週明けのメルマガの方にほとんど書いてしまった。から、そこまで書きたいこと、ない。

今日は、内田樹『うほほいシネクラブ』(文春新書)と、昨日の続きで『地図のない場所で〜』と、近藤雄生『まだ見ぬあの地へ 旅すること、書くこと、生きること」(産業編集センター)も読む(全部は読んでない)。

とにかく書き溜めるっていいな、と思った。容易に感動を口にするのも、なんか違うなと思った。

2021年8月13日金曜日

ながいつぶやき(158)慌ててロビー

起きるの遅く、10時ごろ。パンを食べて、コーヒーを飲む。お昼、ラーメンを食べる。とても美味しいところを発見する。ラーメンは、時々ご褒美として食べるぐらいが一番いい。そのまま、図書館へ。とても綺麗なところ。と、ここで、だいごさんとの対談があったこと、思い出す。慌ててロビーのようなところでLINE通話。「修行をしたい願望」から話を展開させる。先日のはしもとみおさんの展示に触れて思ったこと。話す中で、自分はもっと本を読みたいと思う、ということを言った。その通り、今日は本を読む。

ウンベルト・エーコの『異世界の書―幻想領国地誌集成』と、高野秀行・角幡唯介『地図のない場所で眠りたい』。


気づいたら、20時。退館する。こういう時間の過ごし方がいい。これから、今日の対談を少しまとめておく。やりたいことは、片端から実現することだけを考えていたい。

2021年8月12日木曜日

ながいつぶやき(157)とりあえず、冷蔵庫からはお出ししておきます

6時に起きる。以前は4時おきも試した。早起きのリズムに慣れるまでは6時でいいか、という感じ。自然に、もっと早く起きたくなったらずらしていく。文字起こし1本40分ほどのもの、終わらせる。清々しい。朝ごはんのためにオクラの漬物やごま油、買ってくる。ご飯を炊く。長いこと使えていなかった卵、2個とも割り、目玉焼きにする。納豆も食べる。しめじも買ってくる。食べてお茶を用意しようとしたらいつの間にか1時間ほど寝ていた。ひと仕事終わっているので、気分は悪くない。起きたら桜木町の秘密のドトールに向かう。相変わらず空いている。思うところあって、いきなり行動を開始、今、ちょっとバスで移動中。

昨日、久々に一年前の日記を読んだ。たくさんの記憶蘇る。日記には、功罪ある。思い出せるのは悪いことではないかもしれない。しかしなんとなく、余計なことまで思い出している気もする。でも日記を書くということは衝動でどうしてもしてしまうこと。

MさんのInstagramのストーリーを見た。自分が文章を書いていることにもやっぱり影響があるんだな、と思った。その場では明示的な反応がなくても、時間が経って、実は読んでいました、と知らされることがある。僕はそういう時のことを信じて、瓶に文章を詰めて、岸まで行って放り投げる。それを日々淡々と続けるだけ。その営為にだけ取り組んでいく。最初から最後まで、向き合っているのは自分。

LINEを使っているとニュースが出てくる。Twitterを使っているとゴシップが表示される。「サービスが無料である時、商品はあなただ」という文言を思い出す。

ひとまず翻訳の仕事も大事なものは終えた。早く起きさえすれば、あまり気張っていなくても、大体のことは終わる。一番いい方法は、常にシンプルだ。それを継続できるかどうか。

PONTEくんを主人公にして、漫画を描いている。描き始めると、止まらぬ。自分が切に読んでみたいと思う漫画があったことを知る。他の人が何を言うかは知らない。夜中に漫画を描く。自分で何度も読んで、ある時はゲラゲラ笑って面白がる。実に平和な営み。漫画って、いいね。面白い漫画が描けた時は、以心伝心の友達と冗談を言い合っているみたいな気分になる。側から見れば、実にくだらぬこと。僕が描く漫画なんかよりも面白いものは世にごまんとある。でも、それがなんだ。何かを作り出す、ってそもそもそんなに高尚なことじゃない。ただ何か語りたくて仕方がないのだ、と思う。だからそれを身体に語らせてあげる、ただそれだけ。

漫画は、あくまで「ビール会社が作る烏龍茶」として続けていくのが良かろう。自分が飲むための烏龍茶。でも飲みたい方がいれば、とりあえず、冷蔵庫からはお出ししておきます。

2021年8月11日水曜日

ながいつぶやき(156)今日は、ほぼ誰ともしゃべっていないけど

今日は朝の6時に起きて、そのままずっと起きて仕事をし続けている。途中、ギターを弾いたりジャグリングをしたりもしたが。洗濯もした。午前中に、おおかた今日やろうと思っていたことは終わった。しかしその後も、早めに色々と終わらせておくつもりで、ガンガン業務を片付けていく。一度「全消し」した文字起こしのタスク。夕方にまた新しいものがきた。でも、もう全部終わってるもんね、と嬉しくなる。現在午後7時。いやあ、10時間ぐらい働いたんじゃないか、素晴らしいな、と思った。でもこれって、一般的には、いたって普通で、むしろこれが週5とかなのだろう。いや、よくわからないけど、実態はもっとすごいんだろう。こんなこと言っていると「なまぬかしやがって」と思われるんだろうな。なんだか気が遠くなる。特に今、特定の医療従事者の方なんかは、もう寝る暇もないぐらい忙しく、疲弊しながら社会を守ってくれているのだろう。それを事実として受け止め、感謝しながら、自分はドトールでシェイク啜ってキーボード叩いている。黙して自分のことをやる。最近、「修行をしたい欲」について考えている。PARCOでのはしもとみおさんの展示(既に終了)がきっかけ。

今日は、ほぼ誰ともしゃべっていない(「シェイク、コーヒーで」と言っただけ)。僕は半日も人と喋らないと、頭がおかしくなりそうになる。だからコワーキングスペースに行くなり、誰かをご飯に誘うなり、綴方(本屋)に行って店番の人を冷やかしたりする。無理にでも人に会う。イタリアにいる間に身についた、おしゃべり気質なのかもしれぬ。けどその気質のおかげで、こうして文章も書ける。僕はこうして文章を書くことで、誰かに話しかけたい欲求を満たそうとしている。人に会ってしまうことは、その原動力をふいにしてしまう行いかもしれぬ。しばらく実験をしてみる。これは修行である。誰かと会う時には、基本的にあらかじめ予定を立てる。できれば数日前。それ以外は、黙々と1人でいること。そして、きたるべき時に備えて準備をすること。それは、1人でも多くの人と「感覚を共有するため」の準備である。

その延長で、「やたらにシェアしない」ということを考えている。少しSNSの運用について慎重になっている。そのうち、整理しようとも思っている。どうせ使うのならば、自分の修行の場として使いたい。PONTEもスッキリリニューアルしたし、この夏は、それぞれのチャネルの質を高める夏である。

ながいつぶやき(155)

横浜をとにかく隈なくバイクで回っていく。これぐらいが今一番ちょうどいいかな。いつも「今日どこかに行きたいな、この天気を逃したらもったいないな」なんて思っていた。そう思うならその通りのことをすればいい。でも別にそれが遠出でなくてもいい。



2021年8月9日月曜日

ながいつぶやき(154) こういうテンポ

朝起きたら11時半。あれあれ。外で、スケボーで遊んでいる子供たち。お父さんがスマホをいじりながら見守っている。ドトールへ。シェイク。数時間仕事してから、ジャーマンドックとコーヒー。「本日のコーヒー」にしてみたが、ちょっと思っていた味ではない。やっぱり今後もブレンドでいいや、と少し後悔。Twitterを開いたら、渋谷のPARCOで、 はしもとみおさんの彫刻展が今日で最終日、という知らせを見る。まだ間に合う。急いでバイクで妙蓮寺の駅に向かい、東横線で渋谷へ。この時点で、祝日であることを知る。数年間カレンダーに関係なく生きている。暦の進行を全然わかってない。お盆がいつなのかも、わかってない。わざと各駅停車に乗る。乗車が30分ぐらいあるので、その間に一本文字起こしを終わらせる。展示見ても見なくても、仕事量変わらず。むしろちょっとスケジュールが逼迫される方が、集中して早く仕事が終わる。常にこういうテンポで生きたい。この文章も、今帰りの電車で各駅停車に乗って書いている。

「これは行動すべきだ」と確信が持てる時がある。しかし少し無理がある、と感じるときもある。少し無理があるくらいのことを実行するのがちょうどいい。お金も勿体ぶらずに使ったらいい。その上で生じた欠損を埋めるような形で、日銭稼ぎの業務をすればいい。とにかく深く考える前に動くことで、生きていることの快楽を感じる。歳をとって動けなくなる前に、これ以上ないくらい動くべし。もっと移動をしたほうがいいのだ、と肌で感じる。

渋谷の街を、ポッドキャストを聞きながら歩いた。不意に、街で遊ぶ、ってこういうことをいうんだ、と思った。僕は「目的のない移動」が苦手だ。でも、苦手だと思っていたけど、やってみたら、これ、すごく楽しいんじゃないか、と思った。ただ今目の前にあるものに反応すること。なんだか、変に理性が邪魔をしてしまって、僕は勢いで行動することが苦手だと思っていたのだが。もっと体のことを考えよう。楽しいことをしよう。

2021年8月8日日曜日

ながいつぶやき(153) 心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える

朝。外は大雨だ。風はそれほどない。外に出たくはない。昨日、ドトールに書類の入った黒いファイルを忘れてきた。電話をかけて、発見してもらう。今日か明日には取りに行こう。 さて今日も仕事しよう、と思い立ったが、もう昼の12時。昨日夜寝るのが遅かったせいもある。まいった。とにかく、今からやる。雑多な仕事をぐるぐる回しながら、少しずつ終わらせる。雨やみ、ドトールに来た。ファイル受け取る。いつも通り、シェイク頼む。夏のうちにいっぱい飲みたい。本当に美味しい。しかも安い。

旅を欲する気持ちが収まらぬ。どこに行こうか。頭の中だけでもいい。どこかに行きたい。たくさんエッセイを書いて、旅で感じる充実感をもう一度再現したい。

もしどこかに本当に行くのであれば、気持ちが落ち着くところがいい。しかし、横浜とは全然違う感じがするところがいい。場所を動いていると、仕事なんかできないんじゃないかと、思う。でも、実はそんなことないかもしれぬ。動いて動いて、気分が高揚している方が仕事が捗りそう。

リッキーのイタリア語を聞いてる。彼の声はすごくいいし、話し方もむちゃくちゃいい。イタリア語、好きじゃないと思っていた時期もあったけど、やっぱり好きだ。愛着がある。

どこか海外に行くつもりで、きれいな図書館で読書三昧をする、なんてどうだろう。徹底的に紀行文を読んだり、自分で旅行記を書いたりするのである。うーん、いいなぁ。

目標を決めて、それに向かって邁進するという体験を常にしていたい。それが生きがいってもんである。でもこういうことを言うのは、現状、自分にはそれができていない、と感じているから。海外旅行と同じ高揚感を家で味わうにはどうしたらいいのか。一度徹底的に考えてみてもいい。そういう追究がしたいのだ。海外旅行の代替手段として、ステイホームで我慢しましょう、ではつまらない。そうじゃなくて、海外へと旅立てない時にこそ、海外に行くことの本質について考えやすいから、この機をのがすまい、と思うのである。人と離れているときの方が、その人のことについて考えるのと同じ。

図書館、美術館のサイトをいくつかみる。場所によって表に出す態度がそれぞれ違う。「分散来館にご協力ください」、「滞在は30分までにしてください」。注意事項は小さく印し、「本日開館」と書いているところもある。スタイルとして、やたらに脅さない、というのは好きだ。こちらの知性に信頼を置いてくれている感じがする。でもこれは、感染予防、働く人の安全、という観点で実際に即しているのがどちらか、という議論とは無関係のただの僕の感想。

インターネット上で得られる情報について考える。カフェで気持ちよく本を読んでいたら、いきなり隣の人に「おい、コロナウイルスで死んでいく人がたくさんいるのにお前は何ノンビリした顔してんだ」と言われるようなところが、インターネットにはある。いま自分が物理的に置かれている状況とは全く関係なく、脈絡のない形で正論を言われる。それを無視することも心が痛むようなとき、どうするか。やっぱり、その前の二つ手前の角で、違う方向に行っておく、というのが最適な自衛の手段かな、と思う。「情報を避けることによる自衛」は自分勝手な逃げではない。先回りで賢く自衛することで、自分が本来発揮できる力を発揮して、それが世の中に還元される方がいい、と感じる。心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える。