2021年10月6日水曜日

ながいつぶやき(193)ただ現実と一人で対峙した成果

何ヶ月前の話だろうか。

僕は毎朝早く起きて、ブライアン・イーノの環境音楽を聴きながら、絵を描いていた。朝の4時ごろだ。「知覚できる範囲に自分一人しかいない」、という感覚をありありと手にすることができた。

自分の頭の中が世界で、その世界が無限に広がっていて、目の前にあらわれているボールペンの線は、その世界の断片である、と直接感じ取っていた。

絵を描くとき、自分が「なぜ描いているのか」は考えない。ただ、記憶が現実と交差するところの軌跡を、満足する形に仕上げていくだけの動作だからである。

小さい頃、ぬいぐるみで遊ぶのが無性に楽しかった。なぜか。

僕の頭の中には物語が常に走っている。今この瞬間も走っている。

その見えない物語と、現実が交差するところ、それが、僕にとってのぬいぐるみ遊び、その音声を吹き込んだテープ、という「作品」だったのだ。

今まさに書いているこの文章もまた、僕が「絵を描く」という行為に準じて走り出した想像を、必死で現実と交差させて、摩擦で生じた一瞬の光のように、発生させている。

その喜びのために、継続して作品を作り続けたい。

自分にしか感じられていないことを、この誰もが暮らしている現実というフィールドに接地させて、熱を感じられる、黒いものにしたい。

そこには、他者が入り込めない。

何かモノを作る、と決めた人格が、ただ現実と一人で対峙した成果、ということなのだろう。

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