●大学で自分を区切らないこと
ーーーーー「いろんなものを見るため」に。
大学が終わったら学究のみちは終わりだ、などと考えてはいけない。
主立った目的が学業である、という点で大学生という地位が特別であることに変わりはないが、それはただ単に学業に費やす時間があるというだけであって、そのタームが終わったらあとはお金を稼いで死んでいく、というようなものではない。
だからこそ、今のうちにいろいろなものに手を出しておく、というのがだいじ。
図書館にいけ。
使えるリソースを使え。
先生に会いにいけ。
面白い人に出会え。
旅行に行け。
モノを作れ。
そうやって、これから一生、自分は何に興味を持って、何について研究を深めながら生きていくのかというのを見極める場と考えればよい。いや、見極めなくていい。「なにが世の中にあるのか」を見る時間なのだ。
そもそも大学という場所が単なる「制度」であるということに気づかねばならない。
だから大学の意味というのは、とことん、「いろんな経験をすること」に他ならない。
そしてたぶん実は、それは人生のどのフェーズにおいても、そのレベル、内容、やりかたが違うだけであって、本質的に変わることは無い。
小学生には小学生なりの、中学生には中学生なりの、高校生には高校生なりの「いろんなこと」の知り方があるし、社会人はやっぱりお金を稼ぎながら「いろんなこと」を経験するし、60歳のお爺ちゃんもやっぱりなにか新しいことを日々おもしろがって生きているのだ。
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