2014年8月31日日曜日

うちゅう

Web上でものを書くという行為は、机に向かってノートにものを書きつけている時とは結構わけが違うのである。

というのはいいとして、今日スターシップ・トゥルーパーズを観たのだけど、なんだかすごく良かった。1997年の作品。それにしては映像がよくできている。
スターウォーズのエピソード5(1980年公開)もなんとなくまた観たくなったので観たけど、こうまで違うと面白い。
ただこのスターウォーズのかつての「拙さ」が、結構味のあるものに思える。
たとえばエピソード4では、2004年に公開されたバージョンで、クリーチャーやなんかがCGで付け加えられているのだけど、余計だなぁと思う。

エピソード7はどんなになるのかなぁ。

2014年8月13日水曜日

それが人生との付き合い方なのだ。



にっき。
今日はTIDC(東京国際ディアボロ競技会)に顔出し。
台湾やマレーシアから、たくさんの選手が来日。どんどん大きくなる
普段より台湾の選手の顔つき、少し余裕が無い。
自分が海外の大会に出てくる時の気持ちを思うと、納得
敏腕の選手たちからすら「じんつぁん(緊張)!」という声を多く聞いた。
やはりアウェーということは誰にとっても厳しい
台湾人は根本的にメンタルが強いんだと今まで思っていた
蓋し、日本人とてホームなら俄然強いのである。

そんなこんなで、一日中大会に居た後に、一人こっそり抜けて早稲田まで歩いて、いつものラーメン屋で夕飯を済ませ、帰りにふと思い立って少し桜木町のスターバックスでくつろぎ、帰宅。
本当はインターネットが使いたかったのだが、スタバの回線、あまり安定しておらず。
今月、はしゃぎすぎてルーターの通信制限がもうかかってしまったので、どこか無料で、安定したインターネットが使えるカフェを探したい。
なければ図書館に通うしかないか。困った。

今日は、毎回の競技会と違って、随分楽しめた。
色々と理由は思い当たるがやはり人間関係のことがあるか。
一般的ではなく、すごく限定的な意味で。
身の施しようというか、諦観というか、そういう類の、なんだか一歩大人になったような、達観した感情芽生える。今まで少し不安定だったのである。今はもう大丈夫な気がする。
それはひとえに、「自分を支えてくれる人」としっかり向き合えるようになったからかもしれない。実は、ちょっと視野を外せば、自分を愛してくれる人はいるのだ、ということが見える。それを直視できるかどうかの問題である。
人間、物理的にも、そして感情的にも、人を直視するというのがそもそも難しい。
それが見知らぬ人であろうとよく知った人であろうと。人そのものが結構怖いのだ。
だからこそ、人間の関係というものには、慣性がある。
ほっといても、つまりあえて目線を合わせなくても、出来上がった関係がある程度の時間維持されるようにできている。
関係性の慣性は、しばらく会わなくても安心な交友関係を築いたりもするけれど、恋の問題のような、「やっかいごと」も生む。
また一度できた関係性を、「無かったことにする」ということはできないから、それが一番やっかいである。
そういう時は、やっぱり何か他のことで、自分なりに納得のいく「そこからの歩き方」を考えるより仕方が無い。人生は、「その道全て」が、そもそも人生なのであって、コンピューターのように気軽にデリートしてその部分に上書きされるわけではない。だからこそ苦しいし、でもだからこそ一回の人生に真剣になる。
人生は長さのわからない川でもある
その中でただぷかぷか浮かんでも、もう前に進みたくないから立ち泳ぎしても、頑張って流れに逆らおうとしても、ずんずん前に泳いでいっても、結局はどんどん流されていくのだ。
結局は皆、その終わりにたどり着く。
でもそれがいつかは分からない。
僕も好きだったロビン・ウィリアムズは、今日、死んでしまった。
考えてみると、どうせ最後は滝壺に落ちるのなら、がんばって泳ぎまくって、ぷかぷか浮いている人を尻目に一心不乱にバタ足してゆくのが一番かっこいいような気がする。
とどのつまりは同じように滝壺に落ちるのだが、その時も、「ああ、気持ちよかった」と言って滝壺に落ちられるような気がする。

だから。

少しくらいなにかでつまづいても、すっきり前を向いて、「そこからの歩き方」を考えるのが、一番人生というものとの付き合い方に似合っているのだ、と思う。

目は前に付いている。
人は前を見るようにできている。

人間生きてりゃ深かった関係だって壊れるし、大事な人だっていなくなるし、辛いことだって起こる。

だからいつでも前を向いて歩き出せる準備をしておかなければなるまい。

それが人生との付き合い方なのだ。

とりあえずなかなか良い一日でした。

2014年8月11日月曜日

ジャズを聴く

 めっきりジャズにはまってます。別に知識がある訳じゃないですが、ジャズを聴きながら部屋でゆっくりすると、最高に気持ちがいい。ことの発端は、ジャズについての授業を大学で取ったこと。内容は、「ジャズはどのように戦後日本で受容されてきたのか」というもの。詳しい説明は省きますが、音楽の受容一つで、深い考察ができることに感動したものです。
 音楽を聴きながら集中して何かをするというのは、どこかに出掛けて美味しいものを食べに行ったりするよりも、心が遠くに行くことがあります。
私が聴くのは、ジャズだったり、世界の国々の伝統音楽だったりするので、余計に気持ちが日本以外のどこかに行ってしまいやすい。
 MacBookの中身を整理して、iTunesをちゃんとアルバムワークを設定してきれいにしたので、それをランダム再生して、スピーカーに有線でつないで大きめの音量で流しています。
 落ち着くって、いいねえ。


 で、そうだ、Facebookで、友達のパフォーマーが、「フロウアートで生活してる人ってどれくらいいる?」というディスカッションをしてて、なかなか面白そうだったので紹介しようと思ったのだがまぁ機会があればまた今度。




にっき。

朝は珍しく勝手に7時半に起きる。昨日は4時寝だったのに。 朝、母が作ったシナモンロール再び。昼はカフェドクリエのパスタ。 午前中出掛けて、出先でのんびりしたにも拘らず、帰ってから部屋でジャズを流しながらTRANSITを読んでいて、床に直に寝てしまう。 起きたらもう夕飯。麻婆豆腐。 Macに向かい、いろいろ。書くジャグリングの雑誌:PONTEのことは、時間ができてから、結構いろいろ考えられるようになった。

日記みたいなブログってそういえばしばらく書いてない

どうも、べいだ〜です。

こういう書き出しで、よく昔ブログを書いてました。
一時ははまったものです。
中学生から、大学生になるくらいまで書いていましたが、なんだか時間の無駄のような気がしてイタリア留学に行く前にぱったり更新するのをやめました。(ズボラだというのもある)

今に至ってふとそんなものを再開しようと思いました。

かつては結構な時間をかけてブログを書いたものです。今見返してみると、中にはまぁまぁ考えて書いてるじゃん、と思えるようなものも。(くだらんものが多いけど)
まとめて書かなければならないというブログの特性のおかげで、一応少しくらいは、推敲に時間をかけて、考えて書いていた。きっと。
そして書いているときは、必死でした。誤植とかも、無いようにしていました。
無駄だと思ってやめたけど、なんだかんだで「書く」ことの体操になっていたのかもしれない。わからないけど。一日3、4時間くらいかけてたときもあったし。

むしろ安易で短絡的な「シェア」と「いいね!」とついでに誤植でまみれた今の発信の方が、遥かに軟弱で散逸的で受動的であります。

だからこそ、自分で雑誌なんか立ち上げたくもなったのだろう。

というわけで。
なんか、青木には、人に見せたいものがいっぱいあるんだな、と気づきました。
細かいちょろちょろした「見せかけ」にいろいろこだわってしまっていた今日この頃でしたが、とりあえずここを拠点に、「考える」ベースを作っていきたいと思います。ウェブベースで見せたいものを発信していく。
こういう、テキストだけで勝負する場所がひとつくらいあってもいいんだ。
書くことで自分の思っていることを整理したいっていうのはこういうことなんだ。

ゆくゆくはもっとなんていうか、分かりやすい形で、分類して、まとめていきたいです。
なので、ここは、一応の、場所。

Japan Juggling Journal(通称JJJ)っていうのを立ち上げたいと思ってるんだよね。いろいろ、模索してます。英語発信を主な軸に、日本のジャグリングで起きていることを伝える基地にできたら良い。
それをPONTEと密接な関係にして、何か起きたら良い。ついでにウェブページをかっこよく、シンプルに、スマートに、ナイスに、ひゃっほうな感じに、したい。
あと、ただの情報だけじゃなくて、ジャグリングの新しいアイデアを、しっかり系統づけていくようなことができたらいいなと思う。これはもう、具体的にやることとして。
最近のジャグリングと、昔僕がやり始めた頃(2006年とか)の違いは、最近はもはや皆の自己主張の場ばかりになって、中身が技名などで系統づけられてないということがあるだろうと思います。
いや、ぜんぜん、自己主張はいいんだけど。
まぁ、それとは別の、「ジャグリング社会」を見据えたこと、というか。
それで、系統だてることは、結局自分の知識(経験?)の整理にもなるからいいのです。

だから、そういうのを、せっかくインターネットという世界の皆様がたが見ている場が目の前に用意されているので、英語やらなんやらでまとめようと思う訳です。
「国際教養学部」の学生だしね!一応ね!英語苦手だけどね!

なんだっけ、あと今日考えたのは。
そうそう。今はPONTEが雑誌だけなんだけれど、結局、やりたいのは「ジャグリングを面白くすること」であり、最近思うのは、「ジャグリングが依って立つ場所が欲しいなあ」ということ。昔なら、結構みんな技神をみてるとか、なんだかんだで西村さんのブログをチェックしてるとか、いろいろあって、毎日帰ってパソコンをつけると、更新されていないか確かめるのを日課にしていたものですが、最近はめっきりそういうのがない。(他の人はそうでもないのかな)
私にとっては、すっかりそれがFacebookに取って代わられてしまいました。
それは同じメディアなんだけれど、やっぱり、個人的な交換日記みたいな、なんていうか、もんのすごーーーく私的なメディアであるわけです。(こういうところ、本当はもっと厳密に言いたい。大学生だし。…あっ、もう俺大学生じゃないや)というところで、「ブログ」という、まぁ一応公的な場所にさらされているメディアでがんばってみる。ウェブサイトもしかり。

そんなようなことをしてみようかと思うのです。

いまだったら、いろんなことができるよなー。

時間もとれるし、行動範囲もずいぶん広がったし、種々のことがらに関して、ジャグリングを始めたころの8年前と比べて、曲がりなりにも8年分の経験を積んだし、まぁ、ね。いろいろね。

なので、かんがえていることをとにかく書きながら整理しつつ、実行に移るまでのハシゴのように使っていきたいと思います。

世界の使い方は自分で考えるのだ。



とりあえず今日は何をしたのかということ。

一日中部屋にこもってMac Book Proいじってました。
先日、青木愛用のMacBookPro、通称「PONTE号」(未だかつて私のパソコンをこの名で呼んだものはいない、私も含め)が内蔵HDDを認識しなくなって、「ありゃまぁ」となっていて、しばらくぐーぐるしたりなんだりしつつ様子を見ていたのですが結局直らず、少々値段の張るSSD(要は、書き込み読み込みが速い内蔵記録媒体)を買う。それに入れ替えたりなんだりしたけれど直らんので、ケーブルの故障であるということが分かり、最終的には東京の丸善の上にある「クイックガレージ」というところで直してもらいました。約8000円で。まぁ、こんなもんか。ほかのマザーボードとか、ロジックボードなどのお高い部品の損傷じゃなかったのでよかった。まぁとにかくそんなんで、焦って買っちゃったSSDを入れたら、Macが劇的に速くなったので、これを機に環境を0から再構築してました。

あとはコーヒー飲んだり、母が作ったシナモンロール食べたりしてました。

とりあえず。

雑なところから、すくすく育てていきます。

Bloggerは使いやすいなあ。