もうむちゃくっちゃむっちゃくっちゃやることいっぱいあるから、
あるからこそ、無駄なことに時間を費やしてしまう。
翻訳で、やることをいっぱい抱えている。これはもはや、神の「翻訳家になれ」というお達しとしか思えない。たぶんこれらの仕事を全部きちんと片付けた暁には、レベル5のナゾノクサを一回だけ顔出しして、95レベのカメックスで92レベのゲンガーを倒したときにナゾノクサに入る経験値に匹敵するくらい経験値が入って、私はナゾノクサの次のやつになる。何になるんだかは忘れた。間違いない。
そもそも自分にとって翻訳とは何か。気がついたら、自分は外国語がとんでもなく好きになって、そのうち、相対的に好きな学習分野、というより、外国語学習そのものが快楽を提供してくれるようになった。趣味になった。今は、そういう「趣味」の域を超えるための試練のときなのかもしれない。「仕事」になるための。
今現在も、ニューエクスプレス・フィンランド語のCDをなんとなく流しながら打っている。でもこれは単に趣味なんであって、やっぱり仕事にしようと思ったら、自然、もっと苦しんで能力を身につけないといけない。これからやって、最短距離で仕事になりそうなのは英語かイタリア語だけど、そのどちらも、まだ、全身全霊をかけて打ち込むほどの魅力を持っていない。でも、きっと魅力というのは、「打ち込み始めた時」に初めて姿を現すものなのかもしれない。
でも、初めに打ち込めなかったらやっぱりだめだから、そもそも自分にとって「とんでもなく魅力を持っている」ということは大事である。insanely greatではないが、insanely attractiveであることが大事なのである。なんでだろう?たぶん、ひとつの分野で突出するには、他の人をやっていないことをしなければいけないからだろう。そして、他の人がやっていないことをみつけて、やるのは、すごく「めんどくさい」のだ。自分がそれにぞっこんでないかぎり、絶対に見つけられないものなのだ。
これは自分の今の趣味のジャグリングにも言える。ジャグリングは、今は趣味だ。全くの、趣味だ。お金をもらったことだってあるけど、今は趣味だ。でも、これをやっぱり仕事にしたい、となると、何か越えなきゃいけない「峠」がある。そしてその峠を越えるには、それ相応の「ジャグリングへの恋」をしていないといけない。
語学では、たぶんもうその峠が来た。そして、この峠を、今後3、4年くらい同じペースで登り続けたら、たぶん何かの道がひとつ開ける。見たこともない、「分かるのが普通」、という域に入る。そう信じてやれば、きっとそうなる。信じる所からしか、面白い道は始まらない。「そんなの、まちがってるよ」と人に言われても、屁でもない。なぜなら、未来を知っている人は誰一人としていないから。自分が「これがいいんだ」と信じるところに、跳躍があって、それが「スゴい」か「スゴくない」かの境目になるんだと思う。
今何をがんばったらいいのか、本当に分からない。だから、とりあえず全部頑張っている。それに損はない。たまにばてて心まで悲しくなるけど、寝ると治る。頑張らないで虚しくなるより、だいぶいい。頑張りたいことがあるのに、それに目をつむってとりあえずの快楽に身を落とすことほどあとあと後悔することもない。
今これを書くことで、ストレス解消になっているのかもしれない。
書くことって、自分の頭から何か、溢れ始めたときに、一気に、ドッと書けるようになる。逆に、自分の頭がすっからぽんか、良くて8分目くらいの時に何か「書こう」としても、絶対に書けない。無理して放り出す感じは、いらいらする。
頭には、「エンジンがかかる時」がある。
そのエンジンのかかるときは、上級者はコントロールできるのだろうけど、普通は、ランダムに訪れるから、それをぱっとつかまえて、その場でだーーーーーーっと書き上げるすべを身につけるしかない。
そのうち上級者になれたらいいな、と思う。そのためには、きっと「プレッシャーがかかる」ことがいい。もぎさんみたいに予定にサンドイッチにされてるようになれば、自然ひとつひとつやることの馬力が跳ね上がるはず。だから、わくわくする予定を、あえていっぱい入れちゃって、無理してそれまでに仕上げるのがいいのか、と思う。
だからとりあえず今日はもう少し頑張ろう。
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