結構前々から気付いておきながら実行していなかったんだけど、膨大な量の文章を空で言えるようになるっていうのは、有効な方法であり、否、本質的でさえあるかもしれない。
話せるというのは言える、ということだからである。
重要なのは、「意味を考えずにやる」ってことだと思う。
というのも、音読ばっかりしてたら、自然意味の方は後から自発的に気になって調べたり、自分で考えたりするんで、そういう風に勝手に意味がわかるまで待つぐらいののんびりさが、かえって自然な習得を促すと思うのだ。
あんまりこういう単純作業には、余計な「おまけ」をくっつけない方が集中できそう。
よむよむ。
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