2022年2月12日土曜日
そうすると、すこしだいじょうぶ
2022年1月27日木曜日
2022年1月24日月曜日
毎日の修行
2022年1月21日金曜日
加藤典洋さん
養老さんの『ヒトの壁』を読んでいて、師匠だった加藤典洋のことが触れられていた。
大学時代に加藤ゼミ生として、つまり加藤さんが教授という立場だった状態で僕と接していた頃、僕はあまりうまい距離で付き合えていなかったのではないか、という気がしている。逆に、卒業してから会った時の関係性の方を、僕は好ましく思っている。
というのも、卒業してから1年か2年経って、彼のお気に入りだったキャッツ・クレイドルというカフェで小さな同窓会のようなものをやったのだが、その時の加藤さんは柔和な表情で僕を手放しで褒めてくれたのである。そんなことは学生時代、なかった。そしてそれはごく自然に出てきたものだった。
加藤さんはあまり大学に浸りきった人ではなく(教授会なんかもすごく嫌そうだった)、比較的自由な人だった。とはいえ僕は「指導をするべき学生たちの1人」としてそこにいた。
それに結局のところ、彼はやはり大学の中にいたから、授業(ゼミ)という場で会う加藤さんがそこで一番表面に出す個の側面は、「戦後の問題について考える人間」「文学批評に取り組む人間」であった。
だがカフェで会った時の、クロシェ帽を被った加藤さんは違う。猫やなんやらの話を山形の訛りで嬉しそうにしながら、アイリッシュコーヒーを飲んでちょっと上機嫌で、くふふふふ、と笑う、物静かだけれど陽気なおじさんだった。その時一番表面に出していた側面は、「生活者としての加藤典洋」だった。
僕は、批評や文章表現を学ぶ学生として、あまりいい学生だったとは思わない。
お互いに生活者として接した時の加藤さんの記憶が、僕の中では一番の思い出である。
今こそ、また会いたかったな、と思う。
2022年1月20日木曜日
新しいこと
2022年1月18日火曜日
感謝したいひと
映画や雑誌の最後にある「Special Thanks」みたいに、人生の最後に、この人は特に名前を挙げることで感謝したい、という人がいる。
ハッピーだ、という思いをたくさん共有してきた人にそう感じるわけだ。
人との関係って本当に色々あって、定型化は決してできないことの連続である。けどその中で後に残るのは、結局、あれが幸せだったなぁ、あれも幸せだったなぁ、ということである。それについて、特に記したいな、と思ったりする。
落ち込んだりなんだりするのは、結局、幸せであることに基づいている。
※※※
今日からしばし家に友人がいる。いつまでいるのかは知らない。家を出て、生活綴方に寄ってから、二子玉川に大吾さんに会いに行った。少しジャグリングをして、それからコーヒーを飲みつつ話をした。1時間弱話したら、池袋に移動して、バスに乗って新潟に来た。新潟は雪がたくさん積もっている。
2022年1月16日日曜日
いいないいな
このところ抽象的な絵を多く描いていた。最近、風景をまた描き始めている。
風景は、インプロで描く抽象的な絵と違って時間がかかる。
まず題材を用意するのに時間がかかる。iPhoneにある写真の中から、これは絵にしたいなぁ、というものを選ぶ。次によく構図を観察して、どういう法則で描いていくかを頭の中で少し吟味する。それから描き始める。描き始めれば、描き込むところもたくさんあるから、時間がかかる。
本当は、もっとシンプルな絵が描きたい。一つのルールに沿って描けていないのが歯痒い。
だが僕は、これまでの人生、絵なんかろくに描いたことのなかった人間である(漫画とか、描いていたけど、美術と日夜向き合っている人からしたら準備運動にも及ばないような量だろう)。
そんな人間が急に始めたことだから、甘い部分があるのは重々承知なんだけど、「まぁ、趣味だから」と逃げないで、とにかく「真剣にやってるんです」と笑顔で言うようでありたいね。もう、それだけだと思うよ。素人から出発する方法っていうのは。
(絵について #1)