今年の4月に書いていたものをなんだかiPad 放置していたので適当に加筆修正して載せる。
TRASH(FUNNY BONES公演感想)
長らく、といっても5、6年間のことだが、私はこのファニーボーンズというコンビの演技が好きである。初めて彼らの演技を見たのは、六本木だった。本当はドイツからはるばる来ていたGet the shoe というコンビを見るために行ったのだったが、ついでに他にもやっていた大道芸を見たのである。そのうち一組がファニーボーンズだった。
ファニーボーンズは、英国出身のクリスと日本人のけーぼーのニ人組。パントマイムやジャグリングもするが、それらは技術を見せるためというよりは、コメディの手段として使われる。だいたいどの演目も最終的にコメディになるような、「笑い」をベースにしたショーが彼らのスタンスだ。演劇の要素も強く、ジャグリング中心の大道芸では出せない、観客との一体感が魅力である。中でも彼らの面白おかしいパフォーマンスを際立たせるキャラクターが、「東京ゾンビーズ」。詳しくは実際に見ていただきたいのと、楽しみをフイにしたくないので説明は最低限にしておくが、簡単に言えば、大きなゾンビが演目中に登場するのである。これが本当に面白い。5、6回はこの演目を見ているはずだが、未だにゾンビーズが出てくると目がキラキラしてしまう。『TRASH』は、彼らにとって初めての舞台ソロ公演。大道芸では見慣れているファニーボーンズが、舞台上でどういうことをするのか、非常に楽しみであった。
場所は池袋駅から徒歩10分ほどのところにある、シアターグリーン。こじんまりとはしているが、綺麗ですっきりとした劇場である。舞台と客席の距離が近い。劇場の小ささというのは、特にジャグラーだとよく感じるのだが、演じる側が多少やりづらい。だが臨場感が増す。場合によっては、ただ広いだけの劇場と比べると、かえって魅力的である。あまり広いと動画で見るのとそう大差がなかったりする。実際に足を運んで観劇するなら、「ひと」を感じられる距離感がいいな、というのはよく思う。
劇場に入ってすぐ、薄暗く照らされた、ゴミ置き場に模した舞台装置のかわいさが目を引いた。早速、「ファニーボーンズらしさ」を感じる。
内容は、大道芸の方を見慣れている私からすると、ほぼ「いつも通り」であった。このことは、またゾンビーズや、お馴染みの演目が、こんな近さでゆったりと見られる、という期待でもあったし、一抹の物足りなさでもあった。だが大いに楽しんだのには変わりがないので、見に行って本当によかった。
序盤は、スカイダイビングをネタにしたコメディ。ファニーボーンズらしく、オチから本筋に入るまでが鮮やかであった。彼らの演技には隙が無いな、といつも思う。長年同じ演目で演じ続けて来ている蓄積のおかげもあるだろう。アドリブがあるにしても、大体、冗長すぎず、かといって一瞬で流すのでもなく、適当な長さでうまくまとめる。これは見る側が思うほど簡単ではない。クリスのジェスチャーやけーぼーのコミカルな演技は、言葉無しで少々複雑なことでも伝えてくる。
欲を言わせて頂けるのであれば、もっと新ネタを見たかったと言えば見たかったのだが、しかしあれだけうまいこと全てのネタをつなぎ合わせ、最後まで雰囲気を損なわず、飽きさせることなく一時間以上も演じ続けるだけでも脱帽である。非常に力のあるパフォーマーだと思う。
さて、ファニーボーンズの魅力とは、一体なんなのだろう。一番に思い浮かぶのは、彼らの所作である。クリスの変顔、けーぼーの小ネタ。決して、「技術」にあるのではないな、と思う。むしろ「技術」は当たり前のものとして、如何に自分を見てもらえるかということが、彼らの関心であろう。だから決して、ファニーボーンズの演技を見て、「うわぁ、スゴイ」とは思わない。たとえばテープを使ったパントマイムのアイデアの素晴らしさに嘆息することはあるが、彼らが鍛錬した技術そのもの、とは言えない気がする。彼らが舞台で演じている様子を見ると、彼らが、好きになる。彼らの「技」を好きにはならない。この点において私は、ジャグラーの多くが、少なくとも日本のジャグラーの多くが、ダンサーのように「自分を見せる」ことを不得手とする原因の説明の手がかりを見出す。
なぜかというと、ジャグリングは、「じぶんとモノとの関係」だからである。すなわち、ジャグリングの練習をするということは、特別意識をしない限り、「モノについて考えること」なのだ。それに対して、ダンスはどうか。ダンスは、つまり「舞い」は、「じぶんの肉体をどう扱うのか」ということとして考えられる。パントマイムにしても、おそらくそうだろう。もしかすると、「じぶんと、自分の想像力との関係」かもしれない。
なんにしても、今起こっていることが、観客の反応を通してしかわからない、という点に、大きな違いがあるような気がする。
そういうわけで、ジャグリング「で演じる」ということと、ジャグリングを「見せる」ということにはまた、大きな隔たりがあるなあと思うものである。
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