2021年8月12日木曜日

ながいつぶやき(157)とりあえず、冷蔵庫からはお出ししておきます

6時に起きる。以前は4時おきも試した。早起きのリズムに慣れるまでは6時でいいか、という感じ。自然に、もっと早く起きたくなったらずらしていく。文字起こし1本40分ほどのもの、終わらせる。清々しい。朝ごはんのためにオクラの漬物やごま油、買ってくる。ご飯を炊く。長いこと使えていなかった卵、2個とも割り、目玉焼きにする。納豆も食べる。しめじも買ってくる。食べてお茶を用意しようとしたらいつの間にか1時間ほど寝ていた。ひと仕事終わっているので、気分は悪くない。起きたら桜木町の秘密のドトールに向かう。相変わらず空いている。思うところあって、いきなり行動を開始、今、ちょっとバスで移動中。

昨日、久々に一年前の日記を読んだ。たくさんの記憶蘇る。日記には、功罪ある。思い出せるのは悪いことではないかもしれない。しかしなんとなく、余計なことまで思い出している気もする。でも日記を書くということは衝動でどうしてもしてしまうこと。

MさんのInstagramのストーリーを見た。自分が文章を書いていることにもやっぱり影響があるんだな、と思った。その場では明示的な反応がなくても、時間が経って、実は読んでいました、と知らされることがある。僕はそういう時のことを信じて、瓶に文章を詰めて、岸まで行って放り投げる。それを日々淡々と続けるだけ。その営為にだけ取り組んでいく。最初から最後まで、向き合っているのは自分。

LINEを使っているとニュースが出てくる。Twitterを使っているとゴシップが表示される。「サービスが無料である時、商品はあなただ」という文言を思い出す。

ひとまず翻訳の仕事も大事なものは終えた。早く起きさえすれば、あまり気張っていなくても、大体のことは終わる。一番いい方法は、常にシンプルだ。それを継続できるかどうか。

PONTEくんを主人公にして、漫画を描いている。描き始めると、止まらぬ。自分が切に読んでみたいと思う漫画があったことを知る。他の人が何を言うかは知らない。夜中に漫画を描く。自分で何度も読んで、ある時はゲラゲラ笑って面白がる。実に平和な営み。漫画って、いいね。面白い漫画が描けた時は、以心伝心の友達と冗談を言い合っているみたいな気分になる。側から見れば、実にくだらぬこと。僕が描く漫画なんかよりも面白いものは世にごまんとある。でも、それがなんだ。何かを作り出す、ってそもそもそんなに高尚なことじゃない。ただ何か語りたくて仕方がないのだ、と思う。だからそれを身体に語らせてあげる、ただそれだけ。

漫画は、あくまで「ビール会社が作る烏龍茶」として続けていくのが良かろう。自分が飲むための烏龍茶。でも飲みたい方がいれば、とりあえず、冷蔵庫からはお出ししておきます。

2021年8月11日水曜日

ながいつぶやき(156)今日は、ほぼ誰ともしゃべっていないけど

今日は朝の6時に起きて、そのままずっと起きて仕事をし続けている。途中、ギターを弾いたりジャグリングをしたりもしたが。洗濯もした。午前中に、おおかた今日やろうと思っていたことは終わった。しかしその後も、早めに色々と終わらせておくつもりで、ガンガン業務を片付けていく。一度「全消し」した文字起こしのタスク。夕方にまた新しいものがきた。でも、もう全部終わってるもんね、と嬉しくなる。現在午後7時。いやあ、10時間ぐらい働いたんじゃないか、素晴らしいな、と思った。でもこれって、一般的には、いたって普通で、むしろこれが週5とかなのだろう。いや、よくわからないけど、実態はもっとすごいんだろう。こんなこと言っていると「なまぬかしやがって」と思われるんだろうな。なんだか気が遠くなる。特に今、特定の医療従事者の方なんかは、もう寝る暇もないぐらい忙しく、疲弊しながら社会を守ってくれているのだろう。それを事実として受け止め、感謝しながら、自分はドトールでシェイク啜ってキーボード叩いている。黙して自分のことをやる。最近、「修行をしたい欲」について考えている。PARCOでのはしもとみおさんの展示(既に終了)がきっかけ。

今日は、ほぼ誰ともしゃべっていない(「シェイク、コーヒーで」と言っただけ)。僕は半日も人と喋らないと、頭がおかしくなりそうになる。だからコワーキングスペースに行くなり、誰かをご飯に誘うなり、綴方(本屋)に行って店番の人を冷やかしたりする。無理にでも人に会う。イタリアにいる間に身についた、おしゃべり気質なのかもしれぬ。けどその気質のおかげで、こうして文章も書ける。僕はこうして文章を書くことで、誰かに話しかけたい欲求を満たそうとしている。人に会ってしまうことは、その原動力をふいにしてしまう行いかもしれぬ。しばらく実験をしてみる。これは修行である。誰かと会う時には、基本的にあらかじめ予定を立てる。できれば数日前。それ以外は、黙々と1人でいること。そして、きたるべき時に備えて準備をすること。それは、1人でも多くの人と「感覚を共有するため」の準備である。

その延長で、「やたらにシェアしない」ということを考えている。少しSNSの運用について慎重になっている。そのうち、整理しようとも思っている。どうせ使うのならば、自分の修行の場として使いたい。PONTEもスッキリリニューアルしたし、この夏は、それぞれのチャネルの質を高める夏である。

ながいつぶやき(155)

横浜をとにかく隈なくバイクで回っていく。これぐらいが今一番ちょうどいいかな。いつも「今日どこかに行きたいな、この天気を逃したらもったいないな」なんて思っていた。そう思うならその通りのことをすればいい。でも別にそれが遠出でなくてもいい。



2021年8月9日月曜日

ながいつぶやき(154) こういうテンポ

朝起きたら11時半。あれあれ。外で、スケボーで遊んでいる子供たち。お父さんがスマホをいじりながら見守っている。ドトールへ。シェイク。数時間仕事してから、ジャーマンドックとコーヒー。「本日のコーヒー」にしてみたが、ちょっと思っていた味ではない。やっぱり今後もブレンドでいいや、と少し後悔。Twitterを開いたら、渋谷のPARCOで、 はしもとみおさんの彫刻展が今日で最終日、という知らせを見る。まだ間に合う。急いでバイクで妙蓮寺の駅に向かい、東横線で渋谷へ。この時点で、祝日であることを知る。数年間カレンダーに関係なく生きている。暦の進行を全然わかってない。お盆がいつなのかも、わかってない。わざと各駅停車に乗る。乗車が30分ぐらいあるので、その間に一本文字起こしを終わらせる。展示見ても見なくても、仕事量変わらず。むしろちょっとスケジュールが逼迫される方が、集中して早く仕事が終わる。常にこういうテンポで生きたい。この文章も、今帰りの電車で各駅停車に乗って書いている。

「これは行動すべきだ」と確信が持てる時がある。しかし少し無理がある、と感じるときもある。少し無理があるくらいのことを実行するのがちょうどいい。お金も勿体ぶらずに使ったらいい。その上で生じた欠損を埋めるような形で、日銭稼ぎの業務をすればいい。とにかく深く考える前に動くことで、生きていることの快楽を感じる。歳をとって動けなくなる前に、これ以上ないくらい動くべし。もっと移動をしたほうがいいのだ、と肌で感じる。

渋谷の街を、ポッドキャストを聞きながら歩いた。不意に、街で遊ぶ、ってこういうことをいうんだ、と思った。僕は「目的のない移動」が苦手だ。でも、苦手だと思っていたけど、やってみたら、これ、すごく楽しいんじゃないか、と思った。ただ今目の前にあるものに反応すること。なんだか、変に理性が邪魔をしてしまって、僕は勢いで行動することが苦手だと思っていたのだが。もっと体のことを考えよう。楽しいことをしよう。

2021年8月8日日曜日

ながいつぶやき(153) 心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える

朝。外は大雨だ。風はそれほどない。外に出たくはない。昨日、ドトールに書類の入った黒いファイルを忘れてきた。電話をかけて、発見してもらう。今日か明日には取りに行こう。 さて今日も仕事しよう、と思い立ったが、もう昼の12時。昨日夜寝るのが遅かったせいもある。まいった。とにかく、今からやる。雑多な仕事をぐるぐる回しながら、少しずつ終わらせる。雨やみ、ドトールに来た。ファイル受け取る。いつも通り、シェイク頼む。夏のうちにいっぱい飲みたい。本当に美味しい。しかも安い。

旅を欲する気持ちが収まらぬ。どこに行こうか。頭の中だけでもいい。どこかに行きたい。たくさんエッセイを書いて、旅で感じる充実感をもう一度再現したい。

もしどこかに本当に行くのであれば、気持ちが落ち着くところがいい。しかし、横浜とは全然違う感じがするところがいい。場所を動いていると、仕事なんかできないんじゃないかと、思う。でも、実はそんなことないかもしれぬ。動いて動いて、気分が高揚している方が仕事が捗りそう。

リッキーのイタリア語を聞いてる。彼の声はすごくいいし、話し方もむちゃくちゃいい。イタリア語、好きじゃないと思っていた時期もあったけど、やっぱり好きだ。愛着がある。

どこか海外に行くつもりで、きれいな図書館で読書三昧をする、なんてどうだろう。徹底的に紀行文を読んだり、自分で旅行記を書いたりするのである。うーん、いいなぁ。

目標を決めて、それに向かって邁進するという体験を常にしていたい。それが生きがいってもんである。でもこういうことを言うのは、現状、自分にはそれができていない、と感じているから。海外旅行と同じ高揚感を家で味わうにはどうしたらいいのか。一度徹底的に考えてみてもいい。そういう追究がしたいのだ。海外旅行の代替手段として、ステイホームで我慢しましょう、ではつまらない。そうじゃなくて、海外へと旅立てない時にこそ、海外に行くことの本質について考えやすいから、この機をのがすまい、と思うのである。人と離れているときの方が、その人のことについて考えるのと同じ。

図書館、美術館のサイトをいくつかみる。場所によって表に出す態度がそれぞれ違う。「分散来館にご協力ください」、「滞在は30分までにしてください」。注意事項は小さく印し、「本日開館」と書いているところもある。スタイルとして、やたらに脅さない、というのは好きだ。こちらの知性に信頼を置いてくれている感じがする。でもこれは、感染予防、働く人の安全、という観点で実際に即しているのがどちらか、という議論とは無関係のただの僕の感想。

インターネット上で得られる情報について考える。カフェで気持ちよく本を読んでいたら、いきなり隣の人に「おい、コロナウイルスで死んでいく人がたくさんいるのにお前は何ノンビリした顔してんだ」と言われるようなところが、インターネットにはある。いま自分が物理的に置かれている状況とは全く関係なく、脈絡のない形で正論を言われる。それを無視することも心が痛むようなとき、どうするか。やっぱり、その前の二つ手前の角で、違う方向に行っておく、というのが最適な自衛の手段かな、と思う。「情報を避けることによる自衛」は自分勝手な逃げではない。先回りで賢く自衛することで、自分が本来発揮できる力を発揮して、それが世の中に還元される方がいい、と感じる。心配して停滞することよりも、推進力を得ることを考える。

2021年8月7日土曜日

ながいつぶやき(152)ドバドバとかける時

 すべての興味を追っかけたい、という欲があるね。一度、それを徹底的にやってみる。

「あ、こういうことがやってみたいな」と一日の中で、たくさん思う。それらをやっていたら時間が足りない、とか思うわけだが、でも、やってみたこともないので、時間が足りないのかどうかも実際にはよくわからない。

この場所は、こうして、何かを「つぶやきたい」と思った時にパッと開いて使うメモ帳のような存在として使う、と改めて確認する。

Twitterで呟くよりは、少し蓄積されるし、後になって検索性もあるし、読む方もあんまり強制されないからいいだろう、と思う。とにかく僕はなんだか意見の洪水に疲れた。

意見よりも事実を知りたい。事実を見て、事実を読んで、事実を味わいたい。僕が味わいたい事実はコーヒーシェイクだったので、またドトールにきて、コーヒーシェイクを頼んだ。

頭の中を全部こうしてドバドバと流すところがある、っていうのはいいね。いろんなやり方が創作というものにはある。そのうちの一つとして、こうしてもう自動筆記のように、ただ頭に浮かぶことをどんどん文字にして打っていく、ということがある。書き始めからここまで、まだ5分ぐらいしか経っていないけど、これはとても気持ちがいい。

でも、こういうふうにドバドバとかける時というのはどちらかというと少ない。普段は、うーん、とうなって断続的に数時間かけてやっとこさ1000字くらい書く、なんていうことだってしょっちゅうある。誰かが、自分と比べて何かをさらっとやっているように見える時があるけど、それはかけている時間が違うだけだ、と思う。達人とは、要するに一つのことにたくさん時間をかけている人であって、才能なんてないだろう、と思う。本当に。まぁ、でも、人の目につくような部分では、その人が実際には「それ」にどれぐらいの時間をかけているかというのはわからないので、「才能」と呼ぶことにしているのだ。

とにかくこういう風に、流れるように次々に新しいものを生み出していたい。ジタバタするのではなく、そのためには修行が必要だ。修行、というのは今の僕のテーマである。もっともこれは、ここ数日の、ということであり、僕の哲学というのは早ければ分単位で変わるし、長く続いてもまぁせいぜい3週間である。3週間後には全く違う哲学で動いていることだろう。

メールマガジンの方で、PM Jugglingの板津大吾さんと毎週対談をしているんだけど、一ヶ月前に書いたことすら全く忘れている。そういうものである。

眠かったんだけど、カフェにくるとなんだかんだで作業ができる、ということに気づいた。でもこれって学生の時にはいっつもやっていたことだ。つまり、眠くても強制的に学校に行く、っていうこと。やっぱりこれが必要だな。いやー、難しいね。でもさ。

自分の好きなように生きる、っていうのは、最高に楽しくて、最高に難しい課題だと思うぜ全く。

ところで、サルデーニャ島人の友達のリッキーが、イタリア本土に渡って旅行をしているようで、その写真がめちゃくちゃ楽しそうで、奥さんは美人で、子供もめちゃくちゃ可愛くて、もうなんだこれは、こんな家族になりたいぞ、と思っている。

これぐらいのスピードで毎日ツイートしていたらどうなるんだろうね?まだ、書き始めてから経過時間は15分ぐらいだよ。頭の中がそのまんま流れ出ていれば、こういうスピードが可能になるけどね。

まぁ、こうして書いたものを結果的に「作品」にできればそれが一番いいな。とにかく、他の人が待ち望んじゃうような、そういう作品を作る人間でありたいよね。

※※※

こうして何も考えずに打った文章って、本当に、自分とは完全に距離のある産物になる。自分のことを書いてはいるのだが、そこに自意識みたいなものがほとんど存在しない。読み返しもせず、ただ人に何かを話す時のように、頭に浮かんだことを即興でそのまんま文字にして行っている。これは、気持ちがいいね。

2021年8月6日金曜日

ながいつぶやき(151)ルークになる

結局自分がやりたいことを勝手にやる、という以外に人間のアクションなんてない。そうだと思って活動する。何かを期待する。期待はするけど、その期待は外れて、別の形で何か反応が返ってくる。

自分1人で楽しく遊んで、たまたまそれが人目に触れる。そういう姿勢でしか、個人的ないいものは作れない。今こうして書いている文章は、これから絵を描くために書いている文章。絵を一枚描くために、こういう具体性の全然ない文章がいる。

怒りを向けなくてすむように、怒りが発生しそうなところを二つ前ぐらいの角で避けておくようにしている。政治に関して怒っていた頃もあったんだけど、何か僕はインターネットでたくさん情報を集めた気になっていて、本当は重大なことを見逃しているような気がして、徐々にそういうことをやめた。ただフラットに情報を情報としてそのまま受け取るのみにとどめている。地域には地域の、集団には集団の独特の事情がある。これは、考えるのが面倒くさいが故の諦念ではない。これは散々考えた末の、「自分が思っている以上に現実は複雑だから、容易にジャッジしないに限る」という結論だ。ある集団から一歩外に出た時点で、中の実情なんて全然わからないということを肝に銘じている。また、世の中の事象は、僕みたいなちっぽけな人間が想像できる範囲の数万倍の要素を以って成り立っているのだ、ということをゆめゆめ忘れないようにしている。本当に必要に迫られるまでは、他人の行いがどんなに醜悪に見えても、それをジャッジするようなことを言わない。生理的に何かを感じるのは当然だが、それを表出させないで、理性的に考える。一次情報を集め続ける、ということが何より、僕の考える「批判性」だからである。自分の足で得た情報や経験に対しては、個人が追う責任としてガンガン断定を下していっていい。そうでない、「報道」程度の三次情報に関しては、判断を極力しないで、自分の方の想像力を限界まで広げること。

動物の世界には、報道なんてない。「自分の身体が経験したもの」をひとつでも多く語り、写しとり、書いて死にたい。

万が一何か怒りそうになったら、怒るよりももっとやることがあるはずだ、と自分に言い聞かせること。怒るよりも効果のある復讐は絶対にある。反逆として、自分がとことん楽しんだっていい。怒りを認めつつ、でも怒らなくていい。怒りを増幅させると、自分の知らぬ間にダークサイドに堕ちてしまう、というのは、『スター・ウォーズ』で学んだのだ。

※※※

具体性のある話を書こう。具体性のない話は、書くほうも読む方も疲れる。

朝はゆっくり。昼、ドトールコーヒーに。近所に、ガソリンスタンド併設のドトールがある。そこがお気に入り。日差しがしっかり入るし、バイクも止めやすい。都会に住んでいると、ちょっとバイクで行ってどこかに停めるのにも気をつけないといけない。昨日も、路上駐車で捕まっている人を見た。たかが原付を少し止めていたぐらいで切符切らんでもいいのに、と思った。まぁ、色々あるんだろう。その真意は、わからぬ。ドトールではコーヒー豆を買った。「マイルドブレンド」という豆がお気に入りである。もちろん、コーヒー豆専門店で買うのもいいんだけど、ドトールのこの気軽さが良いのと、あとは普通に美味しいから。前も書いたな、これ。数時間いるうちに、ミラノサンドと、エスプレッソと、ジャーマンドッグと、ドトールシェイクのコーヒー、を食べた。ドトール、安上がりで助かる。あと全部うまいんだ。

その後本屋の2階へ。今日は綴方の関係者しかいない。こういうこともよくある。ちんしぇんの写真展、始まっている。いい感じ。オレも軽やかにいきたい。OKでヒレカツ弁当買って食べる。Dr.Pepperも飲む。