2022年6月30日木曜日

ちいさいワープロ

  iPhoneをちいさいワープロだと認識して使う。消費者であるより、生産者でありたいと切に思う。無心になって画面をすいすいしていたことにハッと気づいて、あ、今幼児みたいに画面にかじり付いてたよ、実に情けないな、と僕はよく思う。メガカンパニーの戦略に、完全に体も心もハックされているよ、と思う。

 すべては生産という名の抵抗をする手段だと、襟を正せ。インターネットは、侵略戦争なのだ。サービスが無料である時、企業にとっての商材はユーザー自身である。

 自分でつくることは、抵抗である。オフラインでむちゃくちゃ作って、ただそれを広げるためにだけ、電信網を使うこと。

※※※

 絵を描く行為と文章を書く行為とが、僕の中でシンクロしている。決まったサイズのキャンバス/文字数の中に、自由に形を描き/書き出す。「ハガキ大一枚」という制限があれば毎日スイスイ絵を描いてネットに載せられる。同じように、文章に関しても、自分が心地よいと思える文章を制限付きでとにかく書いて、それを次々に発表することが最高の練習になるはずだ。

 では僕にとっての文章を書く上での制限は何かといえば、「発表をする」という行動が一つの制限性の付与である。書き終えて「公開」ボタンを押す、ということが一個のピリオドだからだ。

 僕は、書くという行為によって、意識して作品をつくりたい。なぜなら僕はこの技術を一生かけて伸ばしたいからだ。

 繰り返すが、文章を書いたら、ある程度の緊張感を持ってひとつの「作品」として人に差し出すこと。これが重要だと考える。なぜか。それは、人に差し出す、ということが、「気取り」と「背伸び」を促すから。

 技術を伸ばすというのは、毎日ちょっとずつ、その支配領域を押し広げることである。そのためには、自分が自然にできることの、ちょっと先を見据えて、そこに辿り着こうと毎日試行錯誤しなければいけない。だから、小さくてもいいから作品にして発表することで、背伸びをするんだ。ちょっとだけでいいから、周りを意識するんだ。「どうせ大したものじゃないから」じゃダメだ。誰かから見たら大したものじゃないかもしれないけど、少なくとも自分にとっては面白いもの、大したものを作ってやるつもりでやることが大事だ。「気取らなさ」と「いい加減」を混同しちゃいけないよな。

(「森の生活」 6日目)

2022年6月29日水曜日

なんのための早起きなら

 一昨日の夜、クーラーをつけずに寝た。扇風機は稼働させていた。しかしとても寝苦しかった。勝手に朝早く起きた。ただ、それで一日の動きが鈍かったわけではない。むしろ快調だった。時間に余裕があった。掃除や仕事が、さっさと終わった。気分がよかった。
 昨日の夜はクーラーをつけて、時間としては7時間ぐらい寝た。でも身体が冷えて動きが鈍い。
 さて、今日の夜はどうするか。

 6月の頭ぐらいに、自分で本棚を作った。

 もう一個同じものを横に作ろうと思っている。だが作業は進んでいない。木材が部屋に立てかけてあるままだ。棚を固定する「棚受け」にするための木材がない。買ってもいいんだが、自分で作ってもいい。でもそれほど高いものでもないからさっさと買ってもいい。

 お金を使うことに罪悪感を感じる。それはお金がないから、というより(まぁそれもそうなんだが)、お金を稼ぐのが面倒だから。

 部屋の掃除、整理、改装をこまめにしよう、と今は思っている。そのための早起きなら習慣になりそう。

2022年6月28日火曜日

早寝早起き、朝執筆

 毎日何かを書きたいと思う。でもいちいち書く内容について決めるのは面倒だ、と思う。

 だから、日記という形を媒介にして毎日書く練習とする。日記ならば、とりあえず書き始めることができるからである。書き始めることができれば、あとは自然と広がっていく。無理に広げようとして広げるのではなくて、自然と広がるというのが理想だ。

 そういう意味で、とりあえず書き始めることができる、というのは、創作において何よりも重要なことだ。僕はまた、こんなふうにして、さも創作というものがなんたるかを知ったふうな口ぶりだ。でもそれでいい。自分を卑下しちゃいけない。僕はこう思うんだ、ということは真剣に言わなくちゃいけない。責任を持って断定することは、信頼の基礎である。受けて立つよ、ということは態度で示せ。

 日記を書くのは、一日の動き方を反省する時間でもある。できる限りこれは朝に書いたほうがいい。朝たっぷり時間をとって書くためには、早起きしなければならない。ということは、早く寝なければならない。だから、あんまり夜遅く人と会ったりするのも控えなければならない。そうそう、こういうことを自分の意識にのぼらせておくために、日記を書く。

 昨日も朝からむさしの森珈琲に行った。連続3日目。今これを書き終わったら、また行く。昼過ぎに森を出て、少しウーバーしようと思った。でも暑すぎて全然やる気が出なかったからパス。昼ごはんを白楽の中華屋で食べる。麻婆茄子定食とミニラーメン。店内は賑わっていた。それから綴方に行ったら、砂田さんがいた。最近起きていることについて話した。本屋の二階に行くと、知っている人しかいなかった。集中して仕事をしていたKさんとも話す。僕の本を持っていたので、サインする。嬉しい。結局夜まで二階にいた。にゃらやのにゃらさんと他数人でホルモンを食べに行く予定だったが、日付を間違えていて、本当は明日だった。家に帰ったら、カップラーメンを食べて寝た。

 夜に無性に寂しくなることがある。それも、さっさと寝て次の日朝早く起きて自分のことをたくさんやれば解決する。ことも、知っているのだが、いつでもできるわけでなく、まぁ、こういうふうに書くにとどめておく。

2022年2月12日土曜日

そうすると、すこしだいじょうぶ

 言葉にする意味があることが見つかった。といっても、誰か第三者のために役に立つ意味を見つけたのではない。ただ自分にとっての意味がある。気がしているだけ。
 気持ちがぐらぐらと煮えているときは、とにかくそれを線の上に広げてみるしかない。不安や、期待や、後悔や、焦りや、いろいろな気持ちが一緒になって目の前にある。まいったなぁ、という感情がある。それは、たとえば大学の友人と一緒にカレーパスタでも食べてる時は、窓の外の景色みたいになる。でも、「じゃ」と言ってカブに乗って発進した途端に、まいったなぁ、という雲がまたやってくる。自分では処理できない感情が自分の頭の中に、形を持たない状態で存在していると、突然空を覆う雲のように、蘇ってくる。だから雲を言葉にして、自分に宛てた手紙にしておく。そうすると、すこしだいじょうぶ。

※※※
 自分の描くもの、書くものなんて全然見られていないだろう、と思う。でもふとしたタイミングで、ああ、見られていたんだ、と突然わかったりする。そういうもの。びんに手紙を入れて投げる、という行為はそういうこと。
 僕は人に宛てても実際に手紙を書くべきじゃないか、と思っている。
 実際に手紙を書いてもいいし、とにかく、きっと、見ていることが僕にはわからなくても、伝わると信じて、とにかく書くだけ。それがその宛先の人にとっていいことなのかどうかも、僕にはわからない。ただ書いたり描いたりするしか僕には手段がないし、直接話すよりきっといいことなんだろうと思う。
 人は、人を前にしたときに、正直な自分の感情を、話し言葉、というツール一つで伝えきることなんてできないだろう、と思う。それは楽しいけど、探り合っているだけで、不安も多かったりする。だからいろんな方法で試すしかない。対話になるのかどうかもわからない。やたらな手紙なんて、ただ迷惑なだけなんじゃないか、という気持ちだってある。でも僕が雲に流されるよりは、少しでも、樹につかまって、流れていかないように、これは僕なりに自分を守る方法としてでもある、誠実に手紙を書くしかない、と思う。

※※※
 こうしてオバケみたいな雲にクラクラしているのは、別に、誰か、人が悪い、というのでは決してない。根底には本当に、何かが好きだ、とか、そういうよい感情しかない。ただ、生きてるとこういう自分ではいかんともし難いことが起こるな、と、それだけ。
 ただその恐怖心を、わ〜〜〜〜っと叫ぶことの代わりに、じゅっと抑制して、本当にその人のためになることに使わないとダメだな、って思うだけ。
※※※

 決めるべきことが多すぎると、圧倒されてしまうね。そういう時は、ひとつひとつ、少し目を瞑りながら、スッと押していく。

2022年1月27日木曜日

しばらく休止

 すでに休止していたも同然ですか、ここを一旦休止します。また書く気になったら、戻ってきます。

2022年1月24日月曜日

毎日の修行


久しぶりに、茂木さんと撮った写真が出てきたのでなんとなく茂木さんのことを思い出していた。
※※※

大学にいた頃、週一回「Brain and Cognition」という授業をしに来ていた茂木健一郎さんに、うろちょろくっついて回っていた。
頭の回転に口がついていかない、みたいな早口で、考えていることが次から次へと言葉(や行動)になっているような人だった。ああいう人になりたいなぁ、と今でも憧れている。
茂木さんが世界を飛び回る疾走感も、直で見ていてとても面白かった。「アメリカに行く」と言って授業を休んだ2週間後「アメリカどうでした」と聞くと「いやぁ、アメリカのあとイタリア行ってたんだけど良かったよ、今日はこれから鹿児島で取材だからお茶できないんだ、ごめんね」みたいな感じだった。
この写真は「俺これから美術館行くけどさぁ、お前も行くか」と言われ、タクシーで一緒に行ったとき(もう10年ぐらい前)。
茂木さんは、大学から六本木までのたった20分程度の車内で、僕と話をしながら、新書一冊分のゲラを最後までチェックし、編集者に宛てたコメントをつけていた。
衝撃だった。
※※※

こうなりたい、と思うけど、まぁ、一朝一夕になるものではなくて、一つ一つ「やらねばならぬこと」を積み上げていく、毎日の修行だよ、と思う。

2022年1月21日金曜日

加藤典洋さん

養老さんの『ヒトの壁』を読んでいて、師匠だった加藤典洋のことが触れられていた。

大学時代に加藤ゼミ生として、つまり加藤さんが教授という立場だった状態で僕と接していた頃、僕はあまりうまい距離で付き合えていなかったのではないか、という気がしている。逆に、卒業してから会った時の関係性の方を、僕は好ましく思っている。

というのも、卒業してから1年か2年経って、彼のお気に入りだったキャッツ・クレイドルというカフェで小さな同窓会のようなものをやったのだが、その時の加藤さんは柔和な表情で僕を手放しで褒めてくれたのである。そんなことは学生時代、なかった。そしてそれはごく自然に出てきたものだった。

加藤さんはあまり大学に浸りきった人ではなく(教授会なんかもすごく嫌そうだった)、比較的自由な人だった。とはいえ僕は「指導をするべき学生たちの1人」としてそこにいた。

それに結局のところ、彼はやはり大学の中にいたから、授業(ゼミ)という場で会う加藤さんがそこで一番表面に出す個の側面は、「戦後の問題について考える人間」「文学批評に取り組む人間」であった。

だがカフェで会った時の、クロシェ帽を被った加藤さんは違う。猫やなんやらの話を山形の訛りで嬉しそうにしながら、アイリッシュコーヒーを飲んでちょっと上機嫌で、くふふふふ、と笑う、物静かだけれど陽気なおじさんだった。その時一番表面に出していた側面は、「生活者としての加藤典洋」だった。

僕は、批評や文章表現を学ぶ学生として、あまりいい学生だったとは思わない。

お互いに生活者として接した時の加藤さんの記憶が、僕の中では一番の思い出である。

今こそ、また会いたかったな、と思う。