2021年7月10日土曜日

ながいつぶやき(150) 東京駅に行きたいな。

出版社の隣にあるコワーキングスペースで、翻訳の仕事をしている。

その出版社のドアが開いたとき、本の匂いが鼻をついた。

自分にとっての青春ってなんだったろう、と考えた。

それは、東京駅にある丸善の本店で、大学の帰り、毎日のように閉店まで語学書のコーナーで本を読んでいたときのことだ、と思った。

本に囲まれていたことそのものが青春だ、というのではない。

でも、大学生になって、まるきり新しい世界と触れるようになって、その象徴として、中心にあることが何か、と考えると、oazoの中にある丸善だった。

地理的に、地元の横浜から、大学に着くまでの中間ぐらいだった、ということもある。

それと、授業がある日もない日も関係なく通った場所だった、ということもある。

僕はよく東京駅からバスに乗って成田空港に行っていたから、日本と他の世界をつなぐ玄関口のような感じもしている。


東京駅に行きたいな。

2021年7月8日木曜日

ながいつぶやき(149)

朝、全然起きられず。前日夜にお酒を飲むと大体こう。夜はサイダーとかコーラの方がいいな。ガブガブ飲めるしね。お酒を飲むなら、お昼か夕方の暑い時間に、しっかり発酵した味のするビールを一本飲む、くらいがいい。この間飲んだクラフトビール、美味しかったな。名前忘れちゃったけど。

外の方が仕事が捗るに違いない、と桜木町のスターバックスにきた。

以前、「コロナは存在しないおじさん」と激闘を繰り広げたカフェである。


※※※

僕は、仕事をしたいのではなく、「交易」をしたいのだ、と考える。

「交易」は非常に重要なキーワードである、と考える。

交易の結果として、日本銀行券もある程度手に入るが、基本的には、心が満ちることを主旨とする。

2021年7月7日水曜日

ながいつぶやき(148)

 急にアライグマのことを調べた。

そもそも、アライグマその辺にいるという認識がなかったのだけれど、日本でもそこそこいるようである。

みんな、見たことあるんだろうか?

アライグマを見かけたことって、ないかもしれない。

2021年7月6日火曜日

ながいつぶやき(147)自分の思惑がすぐに現実になる行為

午前中、しばらくできていなかった掃除と、某フリーマーケットサービスでの出品をしていた。割と大きいものを出品した。これで部屋がすっきりする。

「面倒くさい」を「時間がかかる」に言い換えて過ごすと、なんか色々できるようになるということに気がついた。時間がかかることさえ受け入れられれば、できちゃうんだ。ただ、時間がかかるだけ。

そして、出品したそばからもう売れた。

後悔するかもしれないけど、とにかく想像が現実になっていくことが楽しいんだよね。

出品も創造的な活動だね、とチャーハン食べながら思った。

※※※

無印良品でたくさんのバウムクーヘンと、コットンペーパーのハガキの山を買ってきた。後悔するかもなー、と思ったんだけど、もう心は決めていったので、やっぱり買っちゃった。

また一つ、想像が現実になった。

直感通りの購買も、想像が現実になることの一つ。

買い物がストレス発散になるのはそういう理由だ。

自分の思惑がすぐに現実になる行為だからだ。

持続性のことを思ったら、自分の手で作れるようになるのが一番。

だからそれを目指す。

2021年7月5日月曜日

ながいつぶやき(146)自分のカンで正解を探り当てていく

アコースティックギターでケルト音楽を練習している。音と映像を頼りに、運指をコピーするだけ。幸運にも好きな曲がとてもいいアレンジでYoutubeに載っていた。Tony McManusさんという人の演奏。そのアレンジを、トニーさんがどのように構成しているか、考え方から、ゆっくり解説されている(内容と関係ないけど、彼の喋り方は、すごく好ましい)。

でも、指の動かし方について逐一詳しい説明があるわけではなく、どちらかというと、「どうやるかは君に任せるけど、僕は、こういう考えのもとこのやり方をしているかな」という言い方をする。弾くこと自体は、基本的には見て覚えるしかない。

これを頼りに、少し流しては止め、コマ送りで観察して、1フレーズずつ何回も何回も練習している。

こういう学び方が好きだ。「攻略方法」みたいなものがほとんどなくて、自分のカンで正解を探り当てていくこの感じこそ、学びの醍醐味ダヨ、ととても興奮している。

僕は「サクッとマスター」みたいな標語を見ると、それはあんまり楽しい学びじゃないんじゃないか、と懐疑的になる。そして、楽しかろうが楽しくなかろうが、体の動きにせよ、頭の動きにせよ、ある一定のパターンの身体化は「サクッと」実現することはないんじゃないかと思う。

※※※

先生がいようといまいと、学びをする段階はみな孤独だ。自分の体の動かし方は、自分自身で振り返って直すしかない。むしろ突き放されているぐらいの方が、自分で考えて反省するので、長い目で見ると教育としての滋養が高い感じがする。

けど、そういう風に教えることを体系化するのって難しいよね。

そもそも、学びっていうのは、自発的に熱をもった人と、たまたまそこにいた見本になるような人間の存在が重なって、偶発的に起こるものだろう。それをシステム化しようとすると、そこにはすでに矛盾があるんだろう、と思う。

※※※

ジャグリングの学びの初期の頃を思い出している。系統だった教えられ方は特にされず、とにかく少ない情報をもとに、自分自身で正解を形成していた。

そうそう、これは語学でも一緒だね、と思っている。

とにかく響きを何度も何度も聞いて、単音と全体との対応を何十回何百回と自分の頭で考えて、仮説を立てては失敗し、少しずつ自分の体でそれを再現できるように、獲得していく。

2021年7月3日土曜日

ながいつぶやき(145)独学インターネット学習の醍醐味

 絵を描くのが楽しい。

何より、自分で勝手に「何がいい絵か」を考えることが楽しい。

それに合わせた必要な技術と知識の獲得とか、そういうことについて考える、というその過程を含めて楽しんでいる。

誰かに習うのも大いに結構だと思うんだけど、僕自身が、何か、人からものを教わるのがとても苦手な人間なのだ。しょうがないので、自分の見てきたり聞いてきたものに照らし合わせて、何が「正しい」とするか、というのを自分で全部決めることにする。その上で、自分の脳みそと身体を変えていく。

世界的な視座でみたら、もちろん些細な活動であるのはわかっているんだけど、自分にとってはいつもいつも発見の連続で、これが独学インターネット学習の醍醐味だ、と思う。

2021年7月2日金曜日

ながいつぶやき(144)憧れに一直線で

家に WiFiなし生活が10日ぐらいになった。全然困っていない。このまま、継続してみよう。家からzoomを繋いでください、みたいな時は困るかもしれないけれども、でも、なんとかはなるはず。とりあえず、一対一だったら、速度制限のかかったスマートフォンでも、LINEでビデオ通話だってできたのだ。


最近家にギターがある。
それで、地道に一歩一歩基礎からやってもいいんだけど、例えばこういうのをいきなり弾きたいとも思っている。
ジャグリングで、いきなり、うまい人の真似をするのと同じに。
なんかさ、やっぱり憧れに一直線でいく、っていうのがいちばんいいとおもうんだ。

2021年7月1日木曜日

ながいつぶやき(143) 激しい情動から一瞬でプリンになる、という訓練をたくさんすればいいのかな

時々、どうしようもなく途方に暮れる時がある。

別に誰のせいというのでもない。原因もよくわからない。その30分前まで、最高に充実した人生を送っているような、そんな実感があったとしても、悲壮な感覚がどこからともなく、唐突に訪れる。

自分は、一体何を成し遂げたというのだろうか、という思いが頭から離れないのだ。

でもそんな思いも、例えばとんでもなく美味しいプリンを食べたりすると、全快してしまったりするんだよね。

これはねえ、思うに、「なんか寂しいな」とちょこっと思い始めた自分、という文脈を無意識に継続しようとしてしまう、という妙な本能が原因である気がするんだな。

怒り始めちゃったら、もう怒る理由が無くなったとしても(例えば自分の勘違いだった、とか)すぐ「あ、そうか、ごめん、もう怒るのやめる、ていうかプリン最高だよね!!」って1秒後に言えないんだよね。

なんとなく、怒っているなら怒っている空気を、寂しいのなら、寂しい空気を、まるで抗うことのできない眠気みたいに、体にまとってしまうんだよね。

そういう時の対処って、一体どうしたらいいんだろうね。

激しい情動から一瞬でプリンになる、という訓練をたくさんすればいいのかな。