演じることについて 1
2月に台湾で開かれるサーカスフェスティバルに招待されている。なんで僕なんか呼んだんだろう、と思う部分もあるし、いや、やってやろう、と思う部分もある。なんにせよ、不安だ。不安があるから、何か積み重ねている実感がないと落ち込んでしまう。やる気があって依頼を受けているんだけど、自分が舞台に立つ人間であるという事実が遠く感じられている。最後に舞台に立ったのは3年前だ。
今日は少し研究をしていた。JJFの配信を見たり、他の動画を見てみたり、文章を書いて考えたりする。でも、お客さんの前で何かを演じる、という行為を通してしか、お客さんに何かを見せる技術は磨かれないんじゃないか、という気もしている。だから、自信がなくなっちゃうのだ。そんな経験、これから数ヶ月でそうできるもんじゃないよと。
でも一方で、いや、これはむしろ、生活の問題なのではないか、という気もしている。
もっと根本的に考えてみよう。僕はお客さんの前に立って何がしたいんだろう。何か、いい時間を過ごしてほしい、というふうに思っているんじゃなかろうか。人と人としての、ある種の対話をしたいと思っているんじゃなかろうか。
https://note.com/jugglernao/n/ned2f696be393
2年と少し前、僕は大吾さんと、公園に行って道具を作った。自然の中で道具を作ることが「デトックスだ」と大吾さんが言う。これを、僕は今改めて、いいなと思った。
ジャグリングの道具を作るという行為は、ジャグリングと関係のある行動だけど、それがもたらしている癒しは、ジャグリングそのものに依るのではない。ジャグリングを介して、人が自然の中で触れ合っている、そういう感覚である。
その感覚を、より磨くことはできないか、そんなことを考えている。僕はそんな演技をできたらなぁ、と思う。「五感に常に何か不規則な入力がある」ような演技。「演技」と言うからいけないんだろうか。技、というよりも、僕は僕がいることによって、その空間がどこか明るいものになったな、面白いものになったな、とそういう感覚を感じたい、とどのつまりはそれだけなのである。それをより洗練させてやる、というただそれだけのことなのかもしれない。
ただそれだけ、ではあるけど、一生追い求める課題だ、とも思う。
ジャグリングから一段降りて、「自分が人に普段見せる姿」について考えている。
※※※
2022/10/10
今日は久々に、以前70日間連続で通っていたむさしの森珈琲にきた。よーし、文章を書くぞ、と言うつもりできたのだが、結局動画をみていた。文章はまた、帰ってから、4000字を頑張って書こうと思う。
やっぱり僕は、方法的に書く、ということをしないといけない。書きたいことはいっぱいあるんだけど、「上手く書けないこと」を恐れて全然書けないでいるのだ。
絵は、別に無茶苦茶上手くはないけど、毎日書けている。それはやはり、ハガキ大に一日一枚、と定量を決めているからである。文章でもそれをしなくちゃな、と思っている。
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