※※※
久しぶりにイタリアに留学をしていた頃の写真を見た。
Facebookで「誕生日おめでとう」とコメントをくれた友達のプロフィールを見に行ったら、数枚写真を戻っただけで2011年に辿り着いた。ベルギー出身のおじいさんロブが教室で撮った集合写真だ。僕もよく知っている、シエナ外国人大学の教室である。ロブはにっこり笑って写真に映っている。ロブの周りを囲むのは全員女性で、20人ぐらいいる。ブラジルから来た人、ドイツから来た人、中国から来た人、いろいろな国籍の人がいる。
僕自身も、周りにいろいろな国からきた老若男女がいる環境に身を置いていた。教室の匂いだって思い出せる。休憩時間によく飲んでいたコーヒーの味だってありありと思い出せる。自動販売機で1ユーロのコーヒー。プラスチックの容器に入って、プラスチックの小さなマドラーが付いている。少し化学的な味がする。
初めてシエナという町に着いて、何があるのか確かめに行こう、と言って友達と夜中に寮を出てぶらぶらした。国立のワイン醸造所まで歩いて、そこを取り囲む城壁に座って、パーティを眺めた。
台湾から来たリャンウェイが帰る日には、一緒に寒い寒いと言いながら、城壁の上をぐるっと歩きつつ、ビールを飲んで過ごした。
全てが新しかった。出会うものひとつひとつに喜んでいた。人と仲良くなったり、喧嘩したりした。
秋らしいスッキリした晴れの気候が、ヨーロッパで過ごした記憶をはっきりくっきりと思い出させる。シエナは、多少暑い日でも湿度が低いから過ごしやすかった。洗濯物なんか、すぐ乾いちゃったな。
僕がイタリアで暮らしていたのは19歳だった。多感な時期だったから、あの留学はこんなにも嬉しいものとして思い出されるんだろうか。あれぐらいの年齢でなかったら、鮮烈な喜びは味わえないものだろうか。僕は今でもああいう気分になれるものだろうか。
僕は希望を抱いている。その気になったら、今でもああいう懐かしい感じを味わうことができるんだろう、と思っている。
ただ自発性が必要だ。20歳になるぐらいまでは、自分が動かなくても、勝手に、幼稚園、小学校、中学校、(ある人は)高校、大学と、多くの人が進むものとして、とりあえずのステージが用意されている。
今は、もっと自由だ。自由だから何もしなければ何も動かない。
別に31歳になったから何か一念発起するわけじゃないんだけど、たまたま写真を見ていてそういうことを思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿