2022年11月24日木曜日

教えながら学んでいる

 今日は昨日と比べて特別書きたいということはないのだけど、一旦意識を解放する。10分間ぐらいかな。素振りはなんたって毎日、定量が大事である。やることが多岐に渡っていて、でもそれは悪いというのではないのではあるが、なんだか、まとまりがなくて嫌だな、という時もある。ざっとあげるだけで、翻訳を二人から定期的にもらっていて、文字起こしのバイトをもうかれこれ6年間ひとつの事務所からもらっていて、それに加えて最近は毎週逗子に行って中学生に英語や数学を教えていて、納得できるぐらいまで絵を描き、そして2月の台湾に向けてジャグリングのことを考えている。その合間にいろんなイベントが入ってくる。断ればいいんだけど、なんだか僕は、基本的にはイエスマンなので、どんどん予定を入れてしまう。それでいて、もう一冊本を書こうとしていて、その合間で、今まで溜まった原稿をまとめようとしている。外国語のメンテナンスだってしているのだが、でも、こうして書き上げてみると、大したことはない。じゃあ何が邪魔をしているのか、と思うが、きっとそれは迷い、である。迷いなく次から次へと、とりあえずやらないといけないとわかっていることをどんどんやっていれば、勝手に終わっていくのである。多分今の半分の時間でできる。今日だって、絵を書くのは夜にしようと思っていたけど、そんなことを考えながら、もうなんとなく筆をとってしまって、サラサラと描いたら、いつの間にか終わっていた。そういうものである。怖くなる前に飛び込んでしまう、ということが、たくさんの物事をやり切る秘訣である。この文章だって、ああ、今日は書かなくていいかな、と思いながら、もう画面を開いて、描き始めてしまうのである。本当は、今文字起こしをやっていて、今日の夜までに、ということだったので、一分でも早く終わらせたほうがそれはいいのだけど、でも、いや、まぁ、やり始めたほうがいいかも、と思って、パッと開いてしまった。このスピード感が大事なのである。自分が気づくよりも先に始めてしまう、ということである。

今日は二つのことがうまく行った。ひとつは、ジャグリングの演技について、少し先が見えたこと。本当は、全部全部新しい演技を持っていこうと思っていたのだが、それを諦めることにした。ただ、これから先のことをも考えつつ、これが終わりじゃなくて、これから続いていくんだ、というこれから毎日何をするのか、ということを考えて、発展の予感は、頭の片隅に置いたまま、自分が一番安心できるセットは何か、ということを考えていくのだ。それこそ、もう時間がない。体育館もとっているけど、現実的には、あと多分10回も行ったらもうそれで本番がくる。となると、なるべく新しいことは少なくして、堂々と見せられるものを鍛錬したほうがいい、と思うのである。もちろん新しいものが見せられたらそれはそれでいいけど、台湾に行って僕がジャグリングを見せる相手は、9割9分9厘が僕のことを知らない人である。自分の中での新しさ、というのは、ここでは価値を持たない、としておく。ただ、自分がイキイキとやれることが大事なので、少なくとも今回に限っては、今までのものにより丁寧に向き合う、ということにする。自分にとっての定番の演目を磨く機会だと思ってやっていく。でもその中で並行して、自分なりに見つめてみたいテーマ、で、演技を作ることもしていく。今日は技術的な練習を主にしていたのだが、やっぱり、アイデアは、技術が先行して生まれるものだと思った。結局僕が見せているのは技術なのである。

そして二つ目、いいことは、なんとなく英語を教えるときの流れができたこと。教科書通りにやればいいや、という結論に達した。今まで、自分なりに教材を見つけてきたり、なんだかいろいろしていたけど、もう、いいや、これで、と思った。でもこれは功を奏して、一冊の本に向き合ってやっていると、これからどれぐらいのことをやるのか、これまでどれぐらいのことをやってきたのか、ということが可視化されるので、多分僕も相手も取り組みやすいだろうなと思った。

これまでの量とこれからの量がはっきり可視化されているというのはいい。やる気になる。もちろんそれがオープンエンドな追求であることはわかっていながら、僕らはやっぱり有限の中を生きているので、一旦区切りをつくて、そこそこ上達した自分を目指して、まずは量を決めてやる、ということである。僕は教えながら学んでいる。

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