2021年1月23日土曜日

ながいつぶやき(23) インターネットの世界に現れたり消えたり

夜中の3時に書いているのだが、起きているので、今日(22日)の分ということで。

人にはそれぞれ生活のリズムがあり、その中で、このインターネットの世界に現れたり消えたりしているんだよねえ。
その「向こう側」を想像すると、また違った認識が立ち上がる。

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何か待ち望んでいることがある時というのはとてもいい。

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なんだか、今日は書くこと、ないや。

2021年1月21日木曜日

ながいつぶやき(22) 手遅れ感というのは

何か取り組むべき課題があって、でもそれをやるには、今、ちょっと、なんていうか、3時間ぐらい遅れていて、「あーあ、もっと早くやっておけばよかった」と思う手遅れ感ってある。

でも、その手遅れ感というのは、実はそれに取り組み始めた瞬間に雲散霧消する。

そのものに没入したとたんに、「それ」以外見えなくなる。

問題は、「それ」の課題設定があっているかどうか、ということである。

でも面倒なことというのは、往々にして「少し頑張らないと解決しないもの」であることが多くて、そういうものは、結構適切な難易度であることが多かったりもするのである。

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一個一個のやり切ったなぁ、を、1日2、3個でいいから、積み重ねていく、というそれだけで、多分生きていてよかったなー、と感じるのである。

昨日は夜更かしをしたもんで、今日はつい遅く起きてしまった、という日も、とにかくさっさと課題に嫌々ながら取り組んでしまう、というのがいい。

段取りを作ろうとするのが一番もったいない。

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最近メルカリでものを売ることを始めてみたのだが、思っているよりも代謝が早い。

そうか、このスピード感なら、確かに、とりあえず買ってみて、自分の用途に合わなければ売ってしまう、という風になっていくなあ、と思った。

売るのがあまりに簡単なので。

お金を稼ぐ、というよりは、そういう経済のあり方に自分を合わせていく、という感じがある。

2021年1月20日水曜日

ながいつぶやき(21)「〜〜のため」という作為がないとき

 何について書くと言うのでもないが、ひとまずタイマーをセットして画面に向かうと、ひとりでに言葉が出てくる。頭の中ではいつでも言葉が響いてるんだな、と感じる。

これは絵についても言えることで、何を描く、というのではないのだが、ペンと紙を用意して、あとは「描かなければ」という意志さえ用意すれば、勝手に絵は出てくる。それがいいものか悪いものかはわからないけれども、とりあえず、作品とか、文章とか、何かが出来上がる時というのは、「やるぞ」という意志を持って取り組み始めたときである。

人と相対したときに、勝手に会話が進む感じにも似ている。

だから、僕は何か一人で作っていたり、文章を書いたりしている時も、誰かに話しかけているような感じでそれをやっている。

「〜〜のため」という作為がないときに、一番流れるようにものが出来上がっていく感じがある。その作為がないとき、欲がないときに、かつ、質が高いものが流れているとき、というのが理想。そのために、「練習」が必要であったりする。そのための練習だったら、いいかな、という感じ。

外国語学習なんかも、そうだよな、と思う。


2021年1月19日火曜日

ながいつぶやき(20)「仲が良くなる」というのは、つまりそういうことじゃないか、と

毎日絵を描くことも、なんだか、別に決めたわけではないのだが、自然な習慣になってきた。

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今日はなんだか一日家にいた。

まぁ、たまにこういう日があるのもいいな。

このところ、本当にほぼ毎日、妙蓮寺にある本屋の二階に行っていてまるで出勤をするみたいになっていて、まぁ、それもいいのだけど、たまに家にいたくなったりもするのであった。

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他人について、自分だけは知っているなにかがある、というのはいい。

「仲が良くなる」というのは、つまりそういうことじゃないか、と思ったりもする。

2021年1月18日月曜日

ながいつぶやき(19) ああ、来たんだね、と言って、にこりとする

自分が「いてもいい」場所があるっていうのはいいよな、と思うのである。
「いなきゃいけない」でなくていいのである。
いても全然いい、いると、誰かがいて、その誰かが、なんとなく、あ、来たんだね、とにこりとしてくれる、そういう場所を個人が持てることが一番いいことだと思う。
何かの役に立とうとしなくていいのである。
ただ、そこにいることで、ああ、来たんだね!と、にこりとしてもらえる、そういう場所さえあれば、人はとても楽しく生きていけるんじゃないか、という気がするのである。

それだけでいいのだ。
でも、なんとなく、「大人」の社会では、役に立ってこそ、にこりとしてもらえる、という風に思い込まされてしまうところがあるんじゃないだろうか。

全然、そんなことないのだ。

ただ、ああ、来たんだね、と言って、にこりとする、それだけで、救われる魂だってたくさんあるとさえ思う。

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今日はたくさんの面白いことがあった。
店番にfujiくんが初めて入って、そうしたら、YDCの人がたまたま遊びに来てくれたりして、他にもいろんな、関わりのある人が遊びに来てくれたりして、いやあ。
楽しかったな。

そして、家に帰っても、やっぱりとっても楽しいのであった。

やっぱり、一緒にいて楽しいひとと一緒にいるっていうのが、とてもいいね。

2021年1月17日日曜日

ながいつぶやき(18) 「商品」というラインに乗らない、ノイズがたくさん入ったもの

 的外れで下手なことをしてるのが普通だ、と思えば、ほんと、生きるのがとても楽である。

「商品」というラインに乗らない、ノイズがたくさん入ったものは、一般には素人芸、みたいなことになってしまったり、優れてはいない、と言うことになってしまいがちだったりするんだけど、「人が作ったものだ」とはっきりわかるものって、それはそれで結構いいよね、と思う。

玄人が作ったものだけが鑑賞に値するものだと言うわけでもないしさ。


2021年1月16日土曜日

ながいつぶやき(17) 船、翻訳

最近はもう、「いちいち上がり下がりしない」ことを旨として生きている。

成功したり、失敗したり、すごく嬉しいことがあったり、がっかりしたり、何か揺さぶられるようなことがあったり、色々ある。

自分のやりたいことに関してもそう。

人と一緒にいれば、それで一緒に受ける波もある。

けど大体において、波っていうのは放っておけば勝手に鎮まるのである。

だから足元をすくわれないようにするのがとっても大事。視線は遠く、遠くを見ていること。

そして波の力は、推進力にすること。

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シンガポールの友人からおすすめされたポッドキャスト。

https://www.wnycstudios.org/podcasts/radiolab/episodes/translation

「translation」という言葉を、「何かを別のものに翻訳する」という広い意味で捉えた話のアンソロジー。言葉から言葉への翻訳の話もある。

見えるものを舌で感じる振動に変えるとか、サイエンスの話もあれば、電話口で翻訳をする仕事をする人の話とかも。

こういう良質な話をいっぱい外国語で聞きたいね。