2022年7月14日木曜日

変換されるプロセス

 昨日はなんだって一日中落ち込んでいたのか。気圧のせいだ、とか、寝不足だ、とか色々理由は考えられるけど、はっきりとした理由はわからない。そりゃそうだ。
 僕は何でもかんでも分析をしたがる。何かが表出した時、その根本にある感情とか、原因とかを探りたくなる。これが一般的なことなのか、そうでないのかはよくわからない。
 結局、具体的なミッションの遂行からどんどん離れれば離れるほど僕は落ち込むんじゃないか、と思った。心配ばかりして、うまく取りかかれずに、実際の作業をやっていない、ということ。突然の落ち込み、というのは、頭の中で想像している「想定の面倒くささ」がある閾値を超えた時に、絶望に変換されるプロセスなんだと思う。
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 今何気なくフェイスブックを開いたら、ショーン・ガンディーニと奥さんのカティ・ユラ・ホッカラのとてつもなく格好いい夫婦写真が出てきて、気分が良くなった。定期的に圧倒されるのがいい。

ぼんやりした想像

「 満たされる」のは欲が叶った時。では、その欲がなんなのか、それを考える。何をするとき自分は幸せなのか。その時、なるべく具体的に言うのがそのための道ってもんだ。人に指示をする時、なんだって具体的に、しかもピンポイントで言った方がピッタリそれにあったことをできる。それと一緒である。

自分に指示をするのと、人に指示をするのと、ほとんど一緒じゃないか、と思う。あんまり自分をぼんやりした想像で惑わせちゃあいけないよね。

2022年7月13日水曜日

具体的に身の回りで起きていること

 ほんの2、3年前の自分の言動でも、なんなら数ヶ月前だって、「あー恥ずかしい」と思うことっていっぱいある。こんなこと表明するんじゃなかったよ、と思うこともいっぱいある。そのときはその時で精一杯の反応としてそれをやっているわけだけど、すごく部分的なものの見方だったよ、と思うこともたくさんあるし、これはちょっとあまりにこういうことに免疫がなかったね、と思うこともたくさんある。まだまだ経験していないことがいっぱいあるね、と今になって感じるのである。そして、あとになって、今の自分を見て、やっぱりそういう思いに駆られることもあるだろう。

 今は、とにかく、具体的に身の回りで起きていること、本当に感じていることについてなるべく多く語りたい、と思う。客観的にそちらに優位性がある、のではなくて、それがどれぐらい自分にとって切実か、ということに関して、その方が時間を割くべきことだと思うから。

2022年7月11日月曜日

源氏香の計算とアテンション・スパン

 さっきまで文字起こしをしていた。その中で、香道の話が出てきた。5種類の香木を5カケラずつ用意し、その中から5つを無作為に選び、順番に「聞いて」いって、どれとどれが同じだったかを当てる、という「源氏香」という遊びが紹介されていた。

 何番目と何番目が同じだったか、ということを図に落とし込み、その図柄によって源氏物語の巻に当てはめて遊ぶのだという。

 話しているうち、香道の先生は、全部で52の組み合わせがある、と言った。なんだかちょっとピンと来なかったので(予想より少し少ないような気がして)久しぶりに、紙とペンで組み合わせの計算をした。

 でも、パッと証明ができなかった。

 何より、あれ、と思いながら、紙にペンを走らせるのだが、どうにもうまく集中できなかった。2秒くらいで、別のことを勝手に考えてしまうのだ。

 ある一つの問題について考えようとすると、頭が真っ白になってしまう、というか、強制的に別のところに思考が移行してしまうというか、生理的に集中ができない頭になっていることに気がついたのだ。普段文章を書いたり、話をしたり、という程度の日常生活の中では感じていなかった思考の持続時間の短さ、要はアテンション・スパンの極端な短さを、ありありと意識せざるをえなかった。

 結果的には、この計算は少々場合わけの必要があって、(1〜5という香りが用意されていたとして、AABAAみたいな組み合わせだった時、AとBにそれぞれ例えばA=1,B=2を代入しても、A=3,B=5と代入しても、一緒とみなす、という部分に気がつくのにちょっと時間がかかった。要は「同じかどうか」と「順番」だけが区別の対象なのだ、だからお香の種類の割に、ちょっと組み合わせ総数が少ないと思ったのだ)この計算がパッとできなくてもまぁそこまで恥ずかしい事でもないんだけど、なんだかぼくは気落ちした。

2022年7月10日日曜日

習性を知ること

  あまり考えないでとにかく量をこなす、ということが、続けるという中では重要になってくる。この日記も別にやらなくてもいいといえばいいので、やらないで済ませることもできるのだが、そして今日は書かなくてもいいかもしれない、とも思ったのだが、やはり書いておくことにする。

 自然と出てくるものをいかにコントロールするか。例えば僕はまた、放っておくとYouTubeとかを見てしまうので、その習性をどう捻じ曲げて、自分が後々も嫌な気持ちを感じないようにするか。

 無理に「見てはいけない」と律するのは何か違うのではないかと感じる。むしろそれを力であると認識して、何か面白いことに結びつくように少しだけ進路変更してやる、みたいなことが重要なんじゃないかと思っている。

 まずは自分の習性を理解して、それにシステムみたいなものをくっつけることで、何か結果が変わる、というようなのがいい。

 僕は、色々見てしまう時に外国語のものを意識して選んでいて、それは多かれ少なかれ、何かの役には立っているな、と感じていたりする。

2022年7月9日土曜日

よーし、失敗しに行くか

 あれ、今日って10日だっけ、と思って、確認したら9日だった。何かを10日までにやるんだったな、と思って、ああ、そうだ、投票行くんだ、と思った。

 忙しいなぁ、と思うのに、何もできなくなってしまう、という時間がある。何だか、これやってもどうせ少ししかやること終わらないし、みたいな気分になる。これがなぜなのか、今まで全くわからなかった。やることがあるなら少しずつ終わらせるしかないのに、なぜいざそれに取り組もうとするとまるで無駄であるかのような錯覚を起こしてしまうのか。

 僕はそれが、「やり終えられたとしても、それが万全の成果ではないということが予期できてしまうから」だとわかった。

 試しに、「もう、何一つうまくいかなくていいや」と、むしろ何も成功させてはいけない、というルールを自分に課してみたら、今まで躊躇していたようなことがすいすいとできた。

 僕は今二階に住んでいるのだけど、洗濯していたTシャツが落ちてしまって、隣の人の家の庭に行ってしまった。これを取りたくて、声をかけようと思っていたのだけど、何だか二の足を踏んでいた。でも、「まぁ別に悪く思われても、迷惑そうな顔をされても、なんでもいいや、うまくいかないのが前提なんだから」と思ったら、さっと行って、すいませーん、と声をかけて、ニコニコしながらまた落ちちゃって(二日前もシーツが落ちた)、ご迷惑おかけしますー、なんて言って、向こうも「あー、はい、どうぞー」なんて言って、それで終わったのである。

 「何も考えるな」というのは無理なので、むしろ「よーし、失敗しに行くか」と積極的に思っていくと、何だか全てのことがスムーズにできるのだった。

2022年7月8日金曜日

ホッとする日記

 僕の仕事は不規則なので、あるときはぱったり仕事がないかと思えば、いきなりドバッと仕事が増えることもある。今日はドバッと増えた日。集中してかからねばならぬ。でも、この「集中せざるを得ない」という状態は非常に好き。当たり前だが、これが全て滞りなく遂行できて、うまくいった時は気持ちがいい。

 こういう状況を自分で作り出すのがいいんだろうと思う。余計なことを考える暇がないくらいに忙しいのがいい。そして金銭的にせよ精神的にせよ、何らかの報酬が確約されているのはやっぱりいい。さっさとやって、さっさと気持ち良くなっていく、っていうのがいい。

 ところが今朝は、6時に起きたはいいものの、洗濯をして、干し、掃除機をかけ、布団もスプレーをしたりして整え、窓を網戸付きで全開にして気持ちいいなぁ、と思って寝転んだところで記憶が飛び、次に起きたのは9時ごろにゴミ収集車がくる音楽が聞こえてきた時だった。

 疲れていたんだなと思った。

 そこから、森(近所のカフェ)に出勤してきて、仕事にがっと集中するわけだが、そんなにめちゃくちゃ気が進む仕事でもないので、こうして日記を書くのがホッとする。この緩急をうまく使い分けて、必要なことをさっさと終わらせて、楽にやっていく技術ってあるね。