2020年5月20日水曜日

33.「コロナ感」のようなもの(てーてん観測・フィンランド語学習記)

久々にこっちにも書きます。
と言っても、それほど書くようなこともない。
ただ言えるのは、「コロナ感」のようなものは、個人レベルでは薄れてきたということ。最初に思っていたほど、devastatingな感じにはならないのかもなー、とも思い始めている。もちろん、自分では見えないところで社会は蝕まれていて、もうしばらくしたら、とんでもないことになっているのかもしれないし、一方で、デトックスみたいになって案外みんなスッキリしているのかもしれないし、とも思う。
にしても、「ポストコロナ」ということを聞くと、なんかそれは違うんじゃないかい、という気もする。個体の認識としてはそれも自然だと思うんだけど、集団として経験するのは、「ポストコロナ」か「ウィズコロナ」かと言ったら間違いなく「ウィズ」の方だと思う。つまり、コロナとは永遠にではないかもしれないが、ずーっと付き合っていくことになるのだろうと思う。それが何か要請してくるのならば、それに合わせて生きていくだけなんだろうな、と思う。

そして、最近はめっきり坂口さんにハマり直している。
完全なる私淑である。
でも、これがいいんだ。
長いこと僕には先生と呼べる人がいなかったからね。

※※※

しばらくフィンランド語学習は停滞中。申し訳程度に教科書をパラパラめくる。これだとダメなんだけど、イマイチ言葉の勉強の仕方、ってわからないんだよね。口を開いて機械的に何かを勉強したいんだけど、どうしたらいいかしら。
けど、まぁ、少し意地でやるのも大事だよなー、と思う。
しばらくただ受動的に流し込んでいるだけの時期にしようと思っている。
あと、5、6月を「基本的な文の型を覚える時期」「基礎単語をそのまんま覚える時期」にしようと思っている。
しかし、単語を原型で覚えても、フィンランド語は特に格変化が激しいから、素直にすぐ使えるようになる気がしないんだけど、まぁ、なんとか、ジグソーパズルを、端からではなくて、自分が好きなピースから埋めていくような感覚でやるしかないかな。

-iPadの設定をフィンランド語にした。
-Selkouutisetを1日3回聞くことにした。

2020年5月12日火曜日

32.面倒とはなんなのかな(てーてん観測・フィンランド語学習記)

そろそろまた、毎日書くのも面倒だねえと思っている。
そこで「面倒」とはなんなのかについて分析してみる。

面倒だ、というのは、つまり「これをやるよりももっと他やるべきことがあるはずだ」という焦りである、と僕は思う。
でも逆にいうと、これは「もっと報酬性を感じられることをしたいな」ということなのだ。
だからそれはまだ一応、「生産性」を志向しているのだ。
面倒だ、と無気力だ、とは違うのだ。
そして今僕は大概のことを「面倒だ」と思っているので、まだ希望があるだろうな、と思うのだ。
けど、その「面倒さ」というのは同時に、「短期間で報酬が欲しい」という欲も表してもいるのだ。
てね、まぁ、何をいっているんだかね。

相変わらずずーっと家にいる。
今日は翻訳をそれなりに。
サイバーセキュリティ一本と、もう一つの方。
昼、少し外に出てピンカーを読む。
夜、ふじくん家に呼び、『ストレンジャーシングス』を2本見る。

久々に、ビールと梅酒、飲む。

※※※
・selkouutisetの記事をフィンランド語と英語と日本語で出力して読み比べてみている。
確かに単語を読んで識別する能力は少し上がるかも。
でもちょっとハードルが高すぎるかなぁ。
調整していこう。記事一本に絞るとかね。
あんまり簡単すぎても燃えないんだよなー。

2020年5月11日月曜日

31.(てーてん観測・フィンランド語学習記)

今日もジャグリングのイベントに出演。
遠くから。
朝から仕事をして、備えようと思ってたんだけど、なんだか全然落ち着かなくて、うまく行かず。

でも、発表の方は、思っていたよりはうまくいったかな。
乗り越えていく、感じ。

終わってもなんだかぼーっとしてしまった。気が抜ける。

「自分の思い通りにならないこと」について考えている。
たとえば計画したことができない、だとか、人から思っていたような反応をもらえない、だとかね。


※※※
・ニューエクスプレスフィンランド語 第1-6課 復習
また、録画勉強法を再開。やっぱり、形になるやり方で勉強をしないと、ペースがつかめないのだ、と思った。
なので、そういう形を模索していく。

2020年5月10日日曜日

30.(てーてん観測・フィンランド語学習記)

朝は結局9時半だったね。
文字起こしの仕事をする。
14時から京都のジャグリングのイベントに出演、のようなことになっていたのでつなぐ。
途中15時からになり、機材トラブルで、始まったのは、15:37くらい。
終わったのは4時。
向こうの様子が見えないので、なんだか変な感じ。
そのあと藤くんくる。
キャベツニンニクパスタ食べる。
ストレンジャーシングスも一本だけみる。

あれえ、もうトルコ人のエゲを泊めてから一年近く経つのか。
http://mailbox.jugglingponte.com/2019/05/383.html

だが、一年、ってそういう単位を作っちゃうから長い、とかいうんで、まぁ要するに、時間がそれなりに経った、ということなんだよな。

※※※
またユーチューブの動画を見ているが、もう少し自分に関わりのある内容のものを見つけたいな、と思っている。

2020年5月9日土曜日

29.明日から8時に起きて(てーてん観測・フィンランド語学習記)

少し出かけた。
近所のカフェに行った。
けんとくんもいる。
お店の夫婦の娘さんと犬もいる。
サーモンとアボカドのパスタを食べて、幸せな時間だったなぁ。

部屋を掃除した。
明日、みみずくんの主催するピンとくるくる浄土というイベントに出演するからだ。
部屋の中から配信するので、どうも、綺麗にしとかないと落ち着かない。
だいぶスッキリした。

今日は机を部屋の中で移動させて仕事をしていた。
これ、効き目ある。
陽の当たる方に机を移動した。
普段は、陽の当たりづらい方に机がある。
なんかな、でもこの大きい机をいちいち動かすの、骨が折れるんだよな。
骨は折れるが、動かすことで掃除もできるし、机の上もリセットされるし、まぁこれがいいのかもしれぬ。
骨は折ったほうがいいってことかな。

そして、ちょっと今の所日課が変わりつつあるんだよな。
これをまた、修正しなければ。うむ、うむ。
明日から8時に起きて、朝はトーストとコーヒーを摂って、朝は風呂に入って英語でサピエンスを20分間読んで、それから9時に仕事を始めて、14時までには終わらせよう。そうしよう。

※※※
今日からしばらく、一週間の間に取り組むYouTubeのビデオを一本決めて、フィンランド語に関してはそれを見たり書き写したり真似したりして、表現の仕方を練習することにする。
車はどんどん運転しないとね。

今見てるのは、これ。
お姉さんがゆっくり話してくれます。
https://www.youtube.com/watch?v=cgzBhqnt9Qo

2020年5月8日金曜日

28.文法書と実用は、免許と車(てーてん観測・フィンランド語学習記)

2020年5月6日(昨日)の話。

雷、すごかったな。
夜になって急にめちゃくちゃに雷が鳴った。
人生でこれほどの嵐は体験したことがない。
ちょうどふじくんが一緒にいて、勉強を終えて『ストレンジャー・シングス』を見ていたのだが、なんだかおどろおどろしさがマッチしていた。

2020年5月7日の話。

打って変わってむちゃくちゃに晴れていた。
洗濯物がよく乾いた。
訳あって少し出かける。
相変わらず、ブラック・ミラーとリック・アンド・モーティを見ている。
リックアンドモーティはひどいアニメだな。
まったく。
褒め言葉である。


※※※
最近は、yleのかんたんなニュースをGoogle翻訳で英訳して並置して読んでいる。
まぁでも、もう少し、実戦に近い練習をしようかな。
文法書と実用は、免許と車に例えるとちょうどいいかも。

2020年5月6日水曜日

27. ナスがうまい。(てーてん観測・フィンランド語学習記)


昨日遅かったので起きたのも遅かった。
リセットするつもりで風呂に入る。
朝はパン。ファミマで買ってくる。
エスプレッソマシンの調子が良い。

ひるごはん、野菜とひき肉を炒める。
野菜たっぷり。ナスがうまい。

夜はキーマを作る。

今日もまたやたらにNetflixを観た。
本は、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』 (NHK出版新書)を読む。
注文したの、4月13日だった。
一ヶ月近くかかりようやく手をつけたんだな。
ほとんど忘れていたからな。
読み始めたら、2時間くらいで読んでしまった。

現在翻訳中。

※※※
今日はあんまりフィンランド語触れず。
なにかやることを具体的にしないといかんな。
トレーニングブックにしよう、
というわけで今日寝る前に気合で一課進める。

2020年5月5日火曜日

26. そして生活はつづく(てーてん観測・フィンランド語学習記)

日記も少しお休みした。

今日はNETFLIXで映像をたくさん観た。
Black Mirror を4エピソード、Rick and Morty を4エピソード観た。
どちらも最高に面白い。
5年もやった少林寺拳法のことを思い出して、映像を見た。
本も読んだ。
『そして生活はつづく』と『日本の弓術』だ。『ホモ・デウス』も進めた。面白い。
800pある"THE BETTER ANGELS FOR OUR NATURE"も読んでる。本は一日2、3冊読むぐらいが精神安定上いい。

身体をすっぽかして、頭の刺激になりそうなものばかりやたらに摂取してる。
時おり罪悪感を感じる。
でもこういうのを「堕落」だとか感じないで生きるのが一番健康にいいんだろう。
きついなーと思ったら、自分に対してぶすっとして、無愛想で、無関心になっていいよね、別に。好きなだけセルフ不良やったって、いいよね。
本読んで映画見てりゃいい。
自虐とか他人への攻撃とかしてもいいことない。
怒りは怒りのままその当人に表明しても意味ない。
作り出すことで変換する。
とにかく、作ったり読んだり観たりするのがいい。創造行為は世界への反乱なのダ。
ツイッターやってもしょうがないし、フェイスブック下まで見てもしょうがない。

手に負えないもんは、手に負えませーん、って素直にスルーするー。
本当にやんなきゃいけないことなんて、ほとんどない。
安い蕎麦屋の天ぷらの中身くらいしかないんじゃなイカ。
作りたいものを作り、読みたいものを読み、聴きたいものを聴き、観たいものを観て。
それでも大事だと思うことは勝手にやってる。

だんだんニュースを見るのが億劫になってきた。どうせまた次元の違う、滑稽な大人に瞬刻腹を立てたのち、明るい気分になるまで時間を無駄にしなきゃいけないんだろ。
距離感の程よい、新聞を買っている。
だから正直現在、あんまり世の中の、特に政治のナウい趨勢に詳しくない。
でも全然今のところ困ってない。

地震速報とか、神奈川県知事からのメッセージ音とか、この音の精神的負担は大きい。
僕は怖がりなので、一旦悲惨な光景が頭をよぎると、人一倍最悪の事態を想定してしまう。毎回、僕はこれで死ぬかもしれない、と一度覚悟を決める。今日も一回死んだ。窓を勢いよく開け、窓際に腰掛け、次は何がくる、と靴下履きながら身構えてたよ。

インターネット、ちょっと離れて思った。

誰からも「そうそう、そのままでいいんだよ」とは、言われたくない。一貫性も求められたくない。慰められたくもなく、怒りを向けられたくもなく、愚か者を見たくもなく、生産性の高い素敵な時間の過ごし方の見本を見たくもなく、「こんな時だからこそ」とか勝手に落ちてもない気分を努めて明るくしようとしてくる言葉も見たくなく、「ここはみんなでひとつになって」とかnaïveな発言も見たくなく、「本当に大切なこと」なんか他人に教えて欲しくなく、思いやりを装った、その実は知性の高さの競い合いにも参加したくない。
「みんな気づいてないみたいだけど、実は僕は賢いので、これに気づいていてですね…」っていう高慢な語り口にどうしても見えてしまう。顔と声を奪われた、編集を経ていないインターネット上の言葉は。「共感」や「優しさ」や「思いやり」に見せかけた、立場の差の証明なんじゃないか、と感じるんだ。

…だって自分が書いててそう思うんだもの。

しかし僕と同じように、時々そういう反発的な気分になってる人が書く、マイナスのオーラも入れたくない。

うーん。つまり、「悪い『気』」を摂取したくない、という問題なのかもしれぬ。


全然関係ないが、昨日若い女性二人組の仏教系の宗教の人たちがドアこんこん叩いて勧誘にきた。
「コロナは日蓮さまがメッセージを具現化した」とか、なんとか、お経唱えると全部良くなる、とかおっしゃっていたが、あの人たち自身は、どこまでその話の論理的な妥当性を信じてるんだ?知性を全部封印したようなおとぎ話レベルの言説を、平気な顔でひょうひょうと言えるのはなぜなんだ?
僕だったら絶対あんなの、ちょっとコモンセンスからかけ離れすぎてて、真顔で言えないよ(笑)
逆に、僕にはない特殊な条件を持ってるんだろう。
まぁ、サークル活動みたいなもんで、一応、そういう話だ、っていうことにすることで、ある共同体の人たちと一緒に居られる資格が得られて、それがあの人たちにとっての癒しなんだと思う。だって、「真の解答があるんだけど、私はまだそれにたどり着いてないだけ、一刻も早く、そのdefinitive answerにたどり着きたい」っていう気分は、悪いもんじゃないだろからね。

でも俺は、「真の解答がある」ことを担保として、それを知る過程を共に過ごし、研鑽する共同体があったとしたって、そんなことするぐらいなら、自分の手で、一人で闘うよ。永遠にわからないし到達しないから苦しい、っていう方を、選ぶよ。

※※※
フィンランド語は癒しなのでやってる。
まぁ、癒しじゃなかったら語学なんてやる必要ないかな。
お気に入りの言葉を聞き、読み、知らない世界に思いを馳せることが癒しじゃないんなら、多分それは語学をやるときじゃない。
もっと楽しいことは他にある。

今日はセルコウーティセットという、外国人向けの簡単なニュースのサイトを読んだり見たり聞いたりした。
https://yle.fi/uutiset/osasto/selkouutiset/

Uutiset selkosuomeksi

簡単なフィンランド語のニュース、ということかな。
いいなあ、いいなあ。フィンランド語は、いいな。
僕が今一番癒される言語である。

2020年5月1日金曜日

25.アメリカの大学生になったつもりで(てーてん観測・フィンランド語学習記)

今日もそれなりに早く起きる。
日銭の仕事なし。
思い立って、天気もいいので、家の周りを歩きに歩いた。
隣町まで行った。
ほとんど初夏のような陽気で、家の周りには林もあって、その中を歩くと草木の匂いがほんのりと香り、実に気持ちがいい。

エスプレッソマシン用のカプセルが初めて届く。
美味しい。
カフェにも行けないので、エスプレッソが家で飲めるのは嬉しい。
カプセルは一個80円で、結構高いのだが、まぁ、外にふらふら出ていた頃、カフェに行ったら、一杯200円のベローチェのドリップコーヒーを、安い安いと喜んでいたのだから、まぁいいよな。

そして、スティーブン・ピンカーの、"BETTER ANGELS OF OUR NATURE - WHY VIOLENCE HAS DECLINED"という本が届く。
Twitterで紹介されているのを読み、これは一読せねば、と思った。
本当は邦訳で読むつもりだったが、なんだか5000円ぐらいと値が張ったので、原書を探してみたら、新品で2000円しなかったため、こちらを購入。
しかし本文およそ800p、脚注だけでも100pあり、一体読み終わることができるんだろうか。
まぁ、アメリカの大学生になったつもりで、いっぱい読むかな。





※※※
・ニューエクスプレスフィンランド語 第19課
いよいよ次で終わる。
これを書いてる時点ではやっていないのだが。
毎日やっている。自分でもとても意外だ。
コロナさまさま、とも言える。