2020年5月5日火曜日

26. そして生活はつづく(てーてん観測・フィンランド語学習記)

日記も少しお休みした。

今日はNETFLIXで映像をたくさん観た。
Black Mirror を4エピソード、Rick and Morty を4エピソード観た。
どちらも最高に面白い。
5年もやった少林寺拳法のことを思い出して、映像を見た。
本も読んだ。
『そして生活はつづく』と『日本の弓術』だ。『ホモ・デウス』も進めた。面白い。
800pある"THE BETTER ANGELS FOR OUR NATURE"も読んでる。本は一日2、3冊読むぐらいが精神安定上いい。

身体をすっぽかして、頭の刺激になりそうなものばかりやたらに摂取してる。
時おり罪悪感を感じる。
でもこういうのを「堕落」だとか感じないで生きるのが一番健康にいいんだろう。
きついなーと思ったら、自分に対してぶすっとして、無愛想で、無関心になっていいよね、別に。好きなだけセルフ不良やったって、いいよね。
本読んで映画見てりゃいい。
自虐とか他人への攻撃とかしてもいいことない。
怒りは怒りのままその当人に表明しても意味ない。
作り出すことで変換する。
とにかく、作ったり読んだり観たりするのがいい。創造行為は世界への反乱なのダ。
ツイッターやってもしょうがないし、フェイスブック下まで見てもしょうがない。

手に負えないもんは、手に負えませーん、って素直にスルーするー。
本当にやんなきゃいけないことなんて、ほとんどない。
安い蕎麦屋の天ぷらの中身くらいしかないんじゃなイカ。
作りたいものを作り、読みたいものを読み、聴きたいものを聴き、観たいものを観て。
それでも大事だと思うことは勝手にやってる。

だんだんニュースを見るのが億劫になってきた。どうせまた次元の違う、滑稽な大人に瞬刻腹を立てたのち、明るい気分になるまで時間を無駄にしなきゃいけないんだろ。
距離感の程よい、新聞を買っている。
だから正直現在、あんまり世の中の、特に政治のナウい趨勢に詳しくない。
でも全然今のところ困ってない。

地震速報とか、神奈川県知事からのメッセージ音とか、この音の精神的負担は大きい。
僕は怖がりなので、一旦悲惨な光景が頭をよぎると、人一倍最悪の事態を想定してしまう。毎回、僕はこれで死ぬかもしれない、と一度覚悟を決める。今日も一回死んだ。窓を勢いよく開け、窓際に腰掛け、次は何がくる、と靴下履きながら身構えてたよ。

インターネット、ちょっと離れて思った。

誰からも「そうそう、そのままでいいんだよ」とは、言われたくない。一貫性も求められたくない。慰められたくもなく、怒りを向けられたくもなく、愚か者を見たくもなく、生産性の高い素敵な時間の過ごし方の見本を見たくもなく、「こんな時だからこそ」とか勝手に落ちてもない気分を努めて明るくしようとしてくる言葉も見たくなく、「ここはみんなでひとつになって」とかnaïveな発言も見たくなく、「本当に大切なこと」なんか他人に教えて欲しくなく、思いやりを装った、その実は知性の高さの競い合いにも参加したくない。
「みんな気づいてないみたいだけど、実は僕は賢いので、これに気づいていてですね…」っていう高慢な語り口にどうしても見えてしまう。顔と声を奪われた、編集を経ていないインターネット上の言葉は。「共感」や「優しさ」や「思いやり」に見せかけた、立場の差の証明なんじゃないか、と感じるんだ。

…だって自分が書いててそう思うんだもの。

しかし僕と同じように、時々そういう反発的な気分になってる人が書く、マイナスのオーラも入れたくない。

うーん。つまり、「悪い『気』」を摂取したくない、という問題なのかもしれぬ。


全然関係ないが、昨日若い女性二人組の仏教系の宗教の人たちがドアこんこん叩いて勧誘にきた。
「コロナは日蓮さまがメッセージを具現化した」とか、なんとか、お経唱えると全部良くなる、とかおっしゃっていたが、あの人たち自身は、どこまでその話の論理的な妥当性を信じてるんだ?知性を全部封印したようなおとぎ話レベルの言説を、平気な顔でひょうひょうと言えるのはなぜなんだ?
僕だったら絶対あんなの、ちょっとコモンセンスからかけ離れすぎてて、真顔で言えないよ(笑)
逆に、僕にはない特殊な条件を持ってるんだろう。
まぁ、サークル活動みたいなもんで、一応、そういう話だ、っていうことにすることで、ある共同体の人たちと一緒に居られる資格が得られて、それがあの人たちにとっての癒しなんだと思う。だって、「真の解答があるんだけど、私はまだそれにたどり着いてないだけ、一刻も早く、そのdefinitive answerにたどり着きたい」っていう気分は、悪いもんじゃないだろからね。

でも俺は、「真の解答がある」ことを担保として、それを知る過程を共に過ごし、研鑽する共同体があったとしたって、そんなことするぐらいなら、自分の手で、一人で闘うよ。永遠にわからないし到達しないから苦しい、っていう方を、選ぶよ。

※※※
フィンランド語は癒しなのでやってる。
まぁ、癒しじゃなかったら語学なんてやる必要ないかな。
お気に入りの言葉を聞き、読み、知らない世界に思いを馳せることが癒しじゃないんなら、多分それは語学をやるときじゃない。
もっと楽しいことは他にある。

今日はセルコウーティセットという、外国人向けの簡単なニュースのサイトを読んだり見たり聞いたりした。
https://yle.fi/uutiset/osasto/selkouutiset/

Uutiset selkosuomeksi

簡単なフィンランド語のニュース、ということかな。
いいなあ、いいなあ。フィンランド語は、いいな。
僕が今一番癒される言語である。

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