2021年1月30日土曜日

ながいつぶやき(30)普段はあんまり触れ合うことのない人たちと触れ合える

今日もあっちへこっちへ大忙しであった。

中目黒の方へ、ジャグリングを教えに行った。

ジャグリングを教えているななちゃんは、元々ぼくのジャグリングを見て、ジャグリングをやりたい、と言ってくれたのだった。

前回は久々に会って、いろいろ楽しく遊んだのだけど、今日はなんだかいろいろ悔しかったようで(ジャグリングがなかなか上達しなかった(笑))途中泣き出してしまったのだった。

そうかぁ、小さい時、ってこうだったな、と自分のことを思い出す。

僕は4歳か5歳ぐらいの時にハイパーヨーヨーを手にしたけど、その時は、技を一個、5分ぐらいやってみて、できなかったら、その技は自分にはできないんだ、と判断して、さっさとできる技だけをやって、「犬の散歩」ができるようになって、もう飽きてやめてしまったように覚えている。

ジャグリングを通して、普段はあんまり触れ合うことのない人たちと触れ合える、というのが一番楽しいね。

妙蓮寺で仕事したり、みなとみらいと横浜にモノを探しにいったり、大忙しの日であった。

喜ばしい日でも、ある。

2021年1月29日金曜日

ながいつぶやき(29)やっぱり本能では、それを求めているんだな、と

ここはやっぱり、朝のうちにやった方がいいかもしれない。

このところ、朝は日銭稼ぎ、昼はUBER、夕方からは自分の仕事、というふうに割り振っている。

夜に語学をやるのはいいのだが、やっぱり、UBEReatsをやると眠くなってしまうのであった。

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でも、体を動かすことと頭を使うことを1日の中でどちらもやる、というのは、とてもいいことだ、と思う。

やっぱり本能では、それを求めているんだな、ということを、眠い頭で思う。

ながいつぶやき(28)まぁ、それが人間の自然というか、環境適応の方法でもあるんだけど

今日も動いた。朝は早くなかったが、勘違いしてやっていなかったとりあえず翻訳に取り組んで、昼、UBERにいき、結構稼げて(時給2800円ぐらい?)寒いなかほくほく帰ってきて、ちょっとだけ昼寝をして、(隣のベトナム人のホアさんがノックしていた音が聞こえた。雪が降ったので、知らせたかったらしい。後で会ったら、「嬉しいねえ」と言っていた)また翻訳に取り組んで、あとラストスパートだな、と思ったところで、新横浜方面に行って、無印良品に用があったのでそれを済ませ、タリーズで翻訳の続きをやり、帰ってきても、まだ続きをやり、絵を描き、それで、今、ようやく終わった。いろいろ、新しい手帳を整備したり、なんだり。

じっくり考える時間があるのはいいな。

今までの人生、「自分の生活のシステムをしっかり整備したい」という思いがずっとある。

なんか、そのいったんが掴めた感じがした1日であった。

でもまたすぐ忘れてるのは目に見えていて、まぁ、それが人間の自然というか、環境適応の方法でもあるんだけど、でも、それに争いたいな、という気もある。

2021年1月28日木曜日

ながいつぶやき(27)一つの場所で、やることを一つに絞ること。

 今日はなんだか充実していた。

朝、そこまで早かったわけではないのだが、起きたら支度をして、最近手伝いをしているパン屋に行った。そこでちょっとだけ手伝いをして、急いで家に帰ってUBERする。1時間だけだが、4本まわれた。ダブルもないのに、なかなかない。

家の近所でジャグリングをする。30分だけのつもりが、1時間半近くやってしまった。

家に帰って、翻訳を一本終わらせる。1日はやく終わっている。

その後、自分の「仕事」をしに妙蓮寺へ。絵を描いたり、フィンランド語やったり。

夕飯を綴方の人と一緒に食べて、また家に帰ってきて、今度はもう一本やるべきだった仕事を終わらせて、今。

これからちょっと話をすべき人と話をして、寝ようかと思う。

こうやって、いろいろスムーズに行った日はいいなぁ。

なんか、コツとしては、逆説的だが、一度に色々やろうとしない、ということかもしれない。

一つの場所で、やることを一つに絞ること。

2021年1月26日火曜日

ながいつぶやき(26)それは、じっくりとした自分の幸せなのだが。

書くことがあるないにかかわらず、さっさとタイマーをセットするの、本当に大事なのわかっているんだけどできないので、昨日は書くのを忘れていた。あらら。

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https://note.com/daigoitatsu/n/n66fd7107c56a 

PMジャグリングのだいごさんの毎日の日記がとてもいい。そうか、身近な人が毎日ものを書いているのを読むのって、こんなに楽しいのか、と思った。

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こういう毎日の記録は畢竟自分のためにやっているのだと思わないと続かない。そしてもはや目的なんかいらない、ただ自分が没頭している時間を、1日の中で15分でいいから、もつのだ、そういう決意のもとでやるような感じが、いい。

絵を描くのも、没頭の時間のためである。

振り返らず、ただ進むだけ、みたいな時間を、持っているかどうかということは、直接、幸せと結びついているような気がする。

それは、じっくりとした自分の幸せなのだが。

「他人とは全然関係のない、低温の、でもくっきりとした幸せ」である。

このことに気がついて、今、パパパーッと書けるようになってきた。

時間をかけすぎるのもいけない。頭のスピードについていく。論理のスピードにしてはいけない。

論理なんか無いけど、頭の中にある色と、輪郭のない形みたいなものの形象を捉えられた、と感じられればそれでいい。

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昨日の夜、ある人と電話をした後に、思うところあってiMacを注文した。少しずつ払い続けるのだが。

先日からメルカリで出品しだして7、8点売ったのだが、「モノはいつまでも手元に置いておくわけではない」というサイクルが成り立つ、ということが実感として分かった。

デスクトップコンピュータはずっと欲しいと思っていて、でも、いらないと言えばいらないかな、と思って保留し続けてもうかれこれ2年ぐらいになっていた。それで、ふと思い立って、そうか、月賦で買ってみて、いらないと判断したら、手放せばいいのだ、と思った。そのお金で残金を払っちゃえばいい。

今風に言えば、「定額サブスクリプションのサービス」を自分で構築する、という感じである。

で、ここで重要なのは、「モノそのもののサイクルを考えることで自分自身の生活の態度が見直される」ということにある。

モノはいつまでも所有しない、という考えで生きていると、必然的に、それ以外で大事なことってなんだろう、と考えるようになるのだ。

僕の場合、最終的な目標は、飛躍があるようだけれども、早寝早起きによって自分の好きなことを猛烈にやることだな、と思った。

そのために、「必要だ」と直感で判断したワクワクするような行動に対して、パッと時間とお金を投資することが結構大事なんだ、と気がついたのであった。

「行きたい!」と思ったところに、さっさと行く、ということも実はその延長。

実際、今年の正月にちょっとそれを実行してみたんだけど、結果、めぐりめぐって今とても幸せな気分が続いていたりする。

2021年1月24日日曜日

ながいつぶやき(25) こういう経済の中で生きていたいな、と思った。

昨日、関内にある個人経営の居酒屋に絵を納品しにいった。

絵を頼まれて、それを描いてお金をもらう、初めての経験だった。

依頼者に会ったのは、昨年末のマーケットイベントだ。

ものづくりをしているふじ君に誘われて参加したそのイベント。冗談半分で自分でボールペンで描いた栞やポストカードを売っていた時、併せて大きめの絵を展示していたのだが、それを見て、「うちも描いてもらおうかな…」と、その、居酒屋の方がおっしゃったのだった。

それで、そのお店の外観を描くことになった。

※※※

すこし時間がかかったが、完成させ、昨日届けに行った。

額装をして持っていったこともあって、すぐにお店の入り口に飾ってもらえた。


とても嬉しい。

そして、特に嬉しかったのは、その絵を見て触発されたのか、その居酒屋を経営する夫妻の子が、ニコニコしながらいろんな絵や、手紙を書いて、僕にくれたことだった。



すごいなぁ、と思った。

絵を渡した後に、お酒と美味しい料理をいただいているものの1時間半ぐらいの間で、この人はこれを作り上げた。僕がしたことに対して、嬉しい、と思ったその気持ちを、すぐさま、その場でモノに変えて、渡してくれた。

なるほどねえ。

この人がしてくれた、こういう仕事をしたいな、と思った。
こういう経済の中で生きていたいな、と思った。

どうもありがとう。

2021年1月23日土曜日

ながいつぶやき(24) だったらより、「純」なものの方がいいかも、と思ったり、する。

カミソリの方が、シェーバーよりもいいなぁ、と思った。

最近、コンパクトでかっこいいシェーバーを買ってみたんだけど、どうも求めていたものではない、違う感じがする。

カミソリは結局のところ「髭を剃る用途のために使いやすくした刃物」である。

シェーバーだって、システムは複雑になっているが、「結局のところ髭を剃る用途のために使いやすくした刃物」である。でも、そこに利便性を追加するために、何かを犠牲にしている感じがあって、まぁ、いろいろ勘案すると、カミソリと対等だよね、みたいな感じがする。

だったらより、「純」なものの方がいいかも、と思ったり、する。