書くことがあるないにかかわらず、さっさとタイマーをセットするの、本当に大事なのわかっているんだけどできないので、昨日は書くのを忘れていた。あらら。
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https://note.com/daigoitatsu/n/n66fd7107c56a
PMジャグリングのだいごさんの毎日の日記がとてもいい。そうか、身近な人が毎日ものを書いているのを読むのって、こんなに楽しいのか、と思った。
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こういう毎日の記録は畢竟自分のためにやっているのだと思わないと続かない。そしてもはや目的なんかいらない、ただ自分が没頭している時間を、1日の中で15分でいいから、もつのだ、そういう決意のもとでやるような感じが、いい。
絵を描くのも、没頭の時間のためである。
振り返らず、ただ進むだけ、みたいな時間を、持っているかどうかということは、直接、幸せと結びついているような気がする。
それは、じっくりとした自分の幸せなのだが。
「他人とは全然関係のない、低温の、でもくっきりとした幸せ」である。
このことに気がついて、今、パパパーッと書けるようになってきた。
時間をかけすぎるのもいけない。頭のスピードについていく。論理のスピードにしてはいけない。
論理なんか無いけど、頭の中にある色と、輪郭のない形みたいなものの形象を捉えられた、と感じられればそれでいい。
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昨日の夜、ある人と電話をした後に、思うところあってiMacを注文した。少しずつ払い続けるのだが。
先日からメルカリで出品しだして7、8点売ったのだが、「モノはいつまでも手元に置いておくわけではない」というサイクルが成り立つ、ということが実感として分かった。
デスクトップコンピュータはずっと欲しいと思っていて、でも、いらないと言えばいらないかな、と思って保留し続けてもうかれこれ2年ぐらいになっていた。それで、ふと思い立って、そうか、月賦で買ってみて、いらないと判断したら、手放せばいいのだ、と思った。そのお金で残金を払っちゃえばいい。
今風に言えば、「定額サブスクリプションのサービス」を自分で構築する、という感じである。
で、ここで重要なのは、「モノそのもののサイクルを考えることで自分自身の生活の態度が見直される」ということにある。
モノはいつまでも所有しない、という考えで生きていると、必然的に、それ以外で大事なことってなんだろう、と考えるようになるのだ。
僕の場合、最終的な目標は、飛躍があるようだけれども、早寝早起きによって自分の好きなことを猛烈にやることだな、と思った。
そのために、「必要だ」と直感で判断したワクワクするような行動に対して、パッと時間とお金を投資することが結構大事なんだ、と気がついたのであった。
「行きたい!」と思ったところに、さっさと行く、ということも実はその延長。
実際、今年の正月にちょっとそれを実行してみたんだけど、結果、めぐりめぐって今とても幸せな気分が続いていたりする。
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