僕は小学校のころ、『がまくんとかえるくん』が大好きだったんだけど、今、あれを読むと、どうしてもいろんなことが気になってしまって、読みづらい。
がまくんとかえるくん、そんなんじゃ強い奴らに狩られるから、しっかりしてくれ、と思ってしまって。うまく読めなくなってた。
素直に「これいいよね」って言えないんである。
もっとアイロニーと強さを持て、君たち!
と、アーノルド・ローベルののんびりした絵を前にして思ってしまう。
自分の好きなものが「か弱い存在」であるとき特有の、恐怖感からくる反発だよね。
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「 普通でいつづける」というモットーどうかな。
文字起こしをしながら、ふと思いついたので、いったんタイマーを止め、改めて15分のタイマーをセットしてこれを書いている。
人間、生きていると、欲を出したり、ガッカリしたりするじゃん。褒められて嬉しくなったり、ちょっとした言動に深い意味を読み取ってしまって落ち込んだりするじゃん。あとは、自分の世間における相対的な能力が気になって、そのことばっかり考えてしまう、っていうこともある。
そんなとき、「普通でい続けよう」と心がけるのが一番いいと思った。自分の中に、荒波を立てない。普段の波みたいにさーっと寄ってきて、さーっと引いていく、その繰り返しを、深呼吸みたいな暮らしをできたらいいな、と思って。
そうでないと、大きな岩が動かない、という感覚があるからである。
有名になりたいとか思わないけど、生きているうちに、自分が動かせる一番大きな岩を動かしてみたいなぁ、という希望がある。でも、その大きな岩は、瞬発的な力じゃなくて、毎日飽きずに、じっと力を加え続けることで動くと思っている。
僕はこの日記(みたいな何か)では、「日課」についてひたすら書いているね。毎日何かをずっと続ける、ということについて、書いているね。
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そうそう、「詩」を読もう、と思っても、どうしてもあまり読めない自分もいて、それはなんでだろう、ということも折に触れて考えている。
外国語であればガンガン読める気もしていて、それも少し何かを説明している気がする。
詩というものが、あまりに自分の急所と距離が近いんだろう。
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