少しでもプロアクティブなことを書こうと思う。
ものを書くのは難しい。
いいものが書ける直前は、「これを書いて、目に見える形にしたらきっとおもしろいぞ」と、たねがキラッと光る。
そのままの集中で、それを、相応の時間を与えて書きあげれば、おもしろいものができる。
だがアイデアというのは、夜に見る夢と似ていて、その場で言葉にしないとあっという間に消える。
また、書こうと思った時には、その種はものすごく光って見えたのに、形にしてみると、あれっ、なんだか、大したことないな、ということもある。
一喜一憂があると、ものを書くことを続けるのは難しいよね。
だからものを書き続けようと思ったら、絶望してはいけない。
そして、希望を持ってもいけないとおもう。
毎日きっかり、淡々と、決まった量をこなすのが何よりも大事である。
だから、すでに成果を上げている人を見て、ガッカリしてもいけないし、対抗心を出してもいけない。
ただ自分の描くべき量と、リズムを守るだけである。
動物を育てるのと同じようなことだね。
「習慣」とは、飼うものなんだな。
何かを飼うときの至上命題は、とにかく、のびのびと生きてもらうこと。
だから、「俺の習慣」がのびのびと生きてもらうにはどうすればいいかを考えよう。
毎日、適切な量の水をあげて、餌をあげて、でも、あげすぎてはいけない。
かまいすぎてもいけない。
その習慣に見あった世話の量を知って、あとはそれを毎日、淡々と続けるだけさ。
「ものを書く」という習慣のいいところは、たとえ旅をしていてもちゃんと世話ができるところ。
むしろものを書くという習慣君は、旅をすると、尻尾を振って喜んでくれるんだな。
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