2021年1月3日日曜日

ながいつぶやき(5)「習慣」とは、飼うものなんだな。

 少しでもプロアクティブなことを書こうと思う。

ものを書くのは難しい。

いいものが書ける直前は、「これを書いて、目に見える形にしたらきっとおもしろいぞ」と、たねがキラッと光る。

そのままの集中で、それを、相応の時間を与えて書きあげれば、おもしろいものができる。

だがアイデアというのは、夜に見る夢と似ていて、その場で言葉にしないとあっという間に消える。

また、書こうと思った時には、その種はものすごく光って見えたのに、形にしてみると、あれっ、なんだか、大したことないな、ということもある。


一喜一憂があると、ものを書くことを続けるのは難しいよね。

だからものを書き続けようと思ったら、絶望してはいけない。

そして、希望を持ってもいけないとおもう。

毎日きっかり、淡々と、決まった量をこなすのが何よりも大事である。


だから、すでに成果を上げている人を見て、ガッカリしてもいけないし、対抗心を出してもいけない。

ただ自分の描くべき量と、リズムを守るだけである。


動物を育てるのと同じようなことだね。

「習慣」とは、飼うものなんだな。

何かを飼うときの至上命題は、とにかく、のびのびと生きてもらうこと。

だから、「俺の習慣」がのびのびと生きてもらうにはどうすればいいかを考えよう。

毎日、適切な量の水をあげて、餌をあげて、でも、あげすぎてはいけない。

かまいすぎてもいけない。

その習慣に見あった世話の量を知って、あとはそれを毎日、淡々と続けるだけさ。


「ものを書く」という習慣のいいところは、たとえ旅をしていてもちゃんと世話ができるところ。

むしろものを書くという習慣君は、旅をすると、尻尾を振って喜んでくれるんだな。

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