2021年1月7日木曜日

ながいつぶやき(9) 距離感

今日は5時起き。湯を沸かし、その間に外に出て昨日と同じドーナツを買ってきて、食べながら1時間絵を描く。題材選びに時間がかかるのが歯痒い。いっそ、これの題材についても、はっきり決めてしまいたい。選択の自由があることはいいけれども、結果、取り掛かるのは遅くなる。気持ちよく行動にいきなり入りたい。

続けたいことに関しては選択肢を絞るのが賢い選択かもね。間違っていたな、と気付いたらその時点で修正すればいい。取り返しのつかないこと、って世の中にはそんなにないんじゃないか。むしろ「手遅れだったこと」の方が多いような気がする。

絵を描いた後、Twitterを眺めていたらアメリカの議会にトランプ支持者が侵入した、というニュースを見て、不安がおそう。

けど、これも、あまり自分にとって有益ではないかもしれない、と思い、30分ほどライブ中継を見て(聴いて)、いったん離れる。

どこまでが自分に関係のある事象であると考えるか。


アメリカの状況が日本と無関係だ、とは思わない。

一方で、アメリカの情勢と、自分の健康と比したときどちらが大事か、というと、僕は自分の健康の方を選ぶ人間でいようと思う。

それは、情報を得ることも、結局のところ健康を保つための、「自衛」の選択肢の一つであると思うからだ。

もし僕がもっとアメリカの政情について詳しくて、かつもっといろいろと関わりのある立場にいたのなら、もう少しこれについて考えたり、意見を整理したりするのだが、僕にとっては、差し当たり、これから翻訳するブログに出てきそうだな、とか、そういう程度の認識に留めておくのが、一番「自分にとって最適な」距離感である感じがする。

おそらくまたこれから数日、周りの友人たちが憤ったり、不安になっていたりする姿を見、「これは日本人にとっても無関係ではないどころか、大いに『自分ごと』なのである」っていう言説がまたバーっと流れると思う。またそれがある面で真実で、切実な場合があるのも知っているんだけど、でも僕自身は、これにすぐさま反応する必要はない、と思っておく。

頭に血が上るのは、当事者とその周辺の人たちで十分で、特に今、実質的な影響を受けない距離にいる僕は、いったん、深呼吸して、距離を保つのがいいように思う。

「我」を忘れないように。情報によって不安になりすぎて、関係のない他人どうしで非難しあったり、不安を増幅させるのは、なんか、本末転倒じゃん、と思う。むしろこの事件の根本にあるのは、まさに「情報によって受けた不安から自分を守るために他者を攻撃する」態度であるとも思うからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿