2021年1月4日月曜日

ながいつぶやき(6) タイムプレッシャーの訓練、定量的な日課で狩人になる。

必ず、15分きっかりでこの文章を書き上げることにする。今、Macの隣にはiPhoneで15分のタイマーが設定してある。泣いても笑っても、15分がたてばもうそれで終わりだし、15分経っても何も出てこなければ、それで終わり。これは、いい。以前にもこのことについて書いたことはあったのだが(いつだったかは忘れてしまった。多分このブログで検索すれば出てくる)「1日1個の文章を書く」だと、規則性が生まれなくて、いったいいつ終わったのやら自分でもわからない。なので、いまいち切り替えがうまくいかない。もちろんブログを開けば、ああ、今日も書いてあるや、と思えるわけだが、それでも、なんだか、特に上手くないことを毎日続けているようで、すっきりしない。「時間や量で決める日課」は大事だ、と思う。質で決める日課でもいいが、その質の評価が定量的であるのがいい。結局のところ、僕が日課で得たいのは、日々の達成感なのである。達成感の何がいいかというと、一つ達成感を感じることで、次の行動をさっぱりした状態で始められるからである。すこし厳しめの日課を設定することで、「やるべきことはやったな」と思える、というそのことが大事なのである。

学校にいた頃は、とにかく、時間というのは決まっていた。それで、時間割通りに動いて、始まりと終わりはしっかりあった。今、特に誰に決められるでもなく生活をしているので、何か時間割がないと、どうも規則性のない生活になってしまう。そして、規則性のない生活というのは、とても不安なのである。なぜなら、「今僕はこれをやっているのが一番正解である」という正当性をいちいち自分に言い聞かせなければいけないからである。そしてそういうことを常にやっているのは、精神的コストがとても高い。いちいち疲れちゃうのである。もちろんそれでやる気が満々になる時もあるんだけど、いや、そのやる気満々、までにえらく時間がかかっているので、結局1日2、3個しかやりたいことが終わらない、というふうになってくる。それでは困るのである。

量で決める日課を作って、それを一週間単位ぐらいでやってみて、修正して、また次の一種間を過ごして、というふうにしたい。これは、原始的な「仕事」と関係があるんじゃないか、という気もしている。狩りができる時間やタイミングは、限られている。その中で、のるかそるか、で「仕事」をするのである。見逃したら、もうそれで終わり、というのがいい。

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現在の日課

  • 朝15分このブログを書く。
  • Duolingoのフィンランド語を決まった量(なんか、経験値みたいのがある)やる。

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