2021年5月18日火曜日

ながいつぶやき(115)

なんとなく気分が晴れないことって多いが、それは仕方がない。

※※※

英語を話していないな、最近。

外国語を口から発していない。

なんだか物足りない。

旅行が足りない。

自分の中で、錆び付いているパートが多いと感じるとどうもいけない。

でも同時に、人間、実生活に使う能力以外が衰えていく、というのは、必要なことだから怒るのであって、まぁ、しょうがないや、と思って、今取り組んでいることをとにかく無我夢中でやる、というのがいいかな。

というか、好きなことをやり忘れてる、って、これ、本当は好きじゃないんかな、と思ったりするよね。

2021年5月16日日曜日

ながいつぶやき(114)楽しいことがしたくて仕方がないのだ。

ここに記事を書くと、無意識に「何かやったぞ」という感情が手に入るので、その点はいい。

昨日から、少し仕事のことについて考えている。別に何か大きなきっかけがあったのでもないのだが、今受けている翻訳の仕事を少しお休みして、抜本的に生活を変えてみたい。

一番平たく言えば、今の生活に飽きが来た、ということである。

もっと楽しいことがしたくて仕方がないのだ。

ロバート・ハリスさんの著書を読んだことは大いに関係しているかも。

自分の能力を使うのならば、なるべく楽しい形で役に立てたいなと思う。

2021年5月15日土曜日

ながいつぶやき(113)自分の力で輝かせたい

ここもやったりやらなかったりだな。また毎日ペースに戻すぞ。

相変わらずどうにもバイクのことばかり考えている。いっそ思いっきりやったらいいじゃないか、という感じがしている。

例えば、2ヶ月間でUBERで50万円ぐらいガバッと稼いで、それを、好きなようにバイクに充てていい資金にするとかね。自分でゲームのルールを設定する癖をつけるのに、いいかも。

50ccの原付を安く仕入れて、自分で好きなように改造したいな。

今持っているC125というスーパーカブの高級車のようなものも、半年ぐらい細々と貯金して買って、買う前からカタログを飾ってみたり、インターネットで情報をこれでもかと収集したりして、いざ買って手元にある今も、大好きなんだけど、どこか完成されすぎていて、逆につまらないと感じる。

この間自分で後ろに乗っけるボックスを自作したりして気分を変えようとしたが、どうもそれだけでは気持ちが収まらないのだ。








ピカピカだと、なんだか面白くない。ちょっと気恥ずかしい、というのもある。

多少不便でも、不恰好でもいいから、自分自身のスタイルで、自分の力でモノを輝かせたい、と思うのだ。

…いっそ、このブログ、しばらくバイクのブログにしても面白いかも(笑)

2021年5月10日月曜日

ながいつぶやき(112)

一昨日の撮影について、続き。

 


撮影をしたのは、Power In da Performance という団体を主催する優和くん。

久々に外でジャグリングを撮って、なんだか、熱心にこういうことをしていた高校生ぐらいの頃を思い出しました。いいもんです。

2021年5月9日日曜日

ながいつぶやき(111) ながく考える

(この記事は、桜木町にあるお気に入りのドトールコーヒーで書いている。執筆は5月7日だが、明日の朝8時に公開)

朝6時に起きた。少なくともこのぐらいの時間には起きていないと、心の余裕が生まれない。

最近は9時、10時を過ぎて起きるような生活をしていたけど、これだと、気持ちのいい流れがこない。
昨日は、数日先のことまで手帳を見ながら予定を立てて、部屋を片付けて、明日の準備をしてから寝た。これぐらいして、初めて安心して寝られる。

思い返せば、小さいころは、かなり入念に明日の準備をする人間だった。今でもその頃の気持ちは残っていて、本当は、できる限りあらゆることの予定をしっかり考えて立て、何かを選択するにも十分に吟味してから選び取りたいと思っている。ただ、それ自体にものすごくい時間がかかってしまうことを知っているので、その全てが簡単にクラッシュを起こして、もういいや、アドリブで、となる。

今やりたいと思っていることを全てやるなら、選択肢の吟味に時間がかかることを受け入れてそれに見合った時間を確保するか、あるいは選択のスピードを今の10倍ぐらい速くしなければならない。アクションゲームくらいの感覚。

後者で行こう、と何年も思っているが、それは自分の肌には合わないのだろう、と薄々感じてきている。

2021年5月8日土曜日

ながいつぶやき(110) しゅうかん、いっしゅうかん

日々の習慣は、やらない期間が一週間も空いてしまうとなかなか復帰できない。

これをやる理由がわからなくなっちゃうからだ。

あるひとつの習慣を続けるには、その行為を始めるとき、何も考えずにいきなり始めることが肝心である。考える暇もなく、とりあえずやる、ということである。しかし、一週間も時間が空いてから、さあ、と突然その習慣を復活させようとすると、どうしても、なんでこんなことしてるんだっけ、別にやらなくても生きていられるんだけど、などと思いをめぐらし始めちゃうので、元の生活には、戻りづらくなる。文章を書くよりもやるべきことがあるんじゃないか、とも思う。1日15分文章を書くだけ、と言ったって、それなりの負担だからね。

つまり習慣を保つには、その行為自体の価値の是非については(少なくとも行為の最中には)考えないこと、これがかなり肝要になるということである。

今日から、再びこの場所を再開させようと思って、書いている。
今のところ、この場所の意義は、わかりやすい文章を書くための練習にしようと思っている。
筋力トレーニングのようなものだ、と思えば、意味がないことも、毎日続けることも、スジが通っている感じがする。

そして一回そのスジを確認できれば、あとは無批判にやっていくだけである。

結局のところ、文章を書くことには、特に重要な意味がないのは知っている。
でも、やっている最中は、意味があると思ってやっている、というその塩梅がいい。

学校に行くのと同じ。
とにかくそれが義務だ、と思い込むことで、続くのである。本当は学校なんてフィクションで、義務なんかじゃない。
でも、そのことを了解した上で、やっぱり、無批判に続けるのが習慣というものである。
会社も、本屋も、事務所も、本当はない。集団の妄想であると言える。
どうしてもやめられない習慣は、個人の妄想だ。それでいいのだ。

2021年5月1日土曜日

ながいつぶやき(109)ナビでいくのは簡単だけど

昨日は PMジャグリングのだいごさんに会いに世田谷までバイクを走らせた。数日ぶりに天気が良くて、絶好のバイク日和。少し日に焼けた。

ジャグリングをしながら、色々と面白い話ができた。

バイクに乗るときに、ナビでいくのは簡単だけど、そうじゃないんだよね、という話から、ジャグリングの話にも共通点を見出す。

自分の頭の中に地図を描いて、きっとこういうことではないだろうか、と道筋を考えて行くこと、ドキドキしながら答え合わせをすること。

そもそもの行先と、その解決方法を自分で考えながらそれを試行錯誤するときの心の持ちようについて、である。


帰り、なんだかこのまま帰るのはもったいないと思い、もう宮ヶ瀬ダムの方にまで行ってしまうか、とか思ったが、途中で疲れてやめて、大和駅近くの巨大な図書館に行く。スターバックスが併設されていて、とてもいい雰囲気であった。そこで仕事をする。

一旦自宅に帰って、綴方へ。考えることと、気持ちのいい話と、場所の移動がたくさんある日が好きだ。