2021年5月8日土曜日

ながいつぶやき(110) しゅうかん、いっしゅうかん

日々の習慣は、やらない期間が一週間も空いてしまうとなかなか復帰できない。

これをやる理由がわからなくなっちゃうからだ。

あるひとつの習慣を続けるには、その行為を始めるとき、何も考えずにいきなり始めることが肝心である。考える暇もなく、とりあえずやる、ということである。しかし、一週間も時間が空いてから、さあ、と突然その習慣を復活させようとすると、どうしても、なんでこんなことしてるんだっけ、別にやらなくても生きていられるんだけど、などと思いをめぐらし始めちゃうので、元の生活には、戻りづらくなる。文章を書くよりもやるべきことがあるんじゃないか、とも思う。1日15分文章を書くだけ、と言ったって、それなりの負担だからね。

つまり習慣を保つには、その行為自体の価値の是非については(少なくとも行為の最中には)考えないこと、これがかなり肝要になるということである。

今日から、再びこの場所を再開させようと思って、書いている。
今のところ、この場所の意義は、わかりやすい文章を書くための練習にしようと思っている。
筋力トレーニングのようなものだ、と思えば、意味がないことも、毎日続けることも、スジが通っている感じがする。

そして一回そのスジを確認できれば、あとは無批判にやっていくだけである。

結局のところ、文章を書くことには、特に重要な意味がないのは知っている。
でも、やっている最中は、意味があると思ってやっている、というその塩梅がいい。

学校に行くのと同じ。
とにかくそれが義務だ、と思い込むことで、続くのである。本当は学校なんてフィクションで、義務なんかじゃない。
でも、そのことを了解した上で、やっぱり、無批判に続けるのが習慣というものである。
会社も、本屋も、事務所も、本当はない。集団の妄想であると言える。
どうしてもやめられない習慣は、個人の妄想だ。それでいいのだ。

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