なんとなく頭に浮かぶ情景で説明してみる。
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フィンランドはとにかくいいところ。なぜかと言えば、いい記憶ばかりがあるから。「悪い記憶が差し当たりない」ということが、すなわち「いい」ということだ。屋外でお風呂に入ったり、みんなでそこで裸でビールを飲んだり、そういうことが楽しかった。逆に、何か悪い思い出があったか、と言われると、本当にない。本当にないのだ。
2018年にフィンランドで2週間ぐらい過ごして、あの時、僕は今何をしてもいいんだ、という自由を感じた。自由とはなんであるか。
旅行に出ていると、もうどうしようもないことがある。30分後に横浜で待ち合わせだ、と言われても、どうしようもない。
そういったどうしようもないことだらけである、という状況で、僕は「もういいや、なんでも」と思う。
その、「なんでもいい」と心から思える、そのことこそが自由である。
今やりたい、と思ったことを、一切気兼ねなく行う、ということが自由である。
この「気兼ねなく」という部分が大事だ。
そこに、その純粋な「欲」以外が一切まみえない、ということだ。
そして僕はここで、気兼ねをなくす、というのは、どうも一個一個の「やらなければならないこと」をしっかり片付けることによってではなく、意識として、「俺は気兼ねなんかしないので」という姿勢を貫く、という、心のうごきによって、あらゆるものに先駆けて、まず感じるものなのだと思う。
涼しげな風の吹く大草原を前にして、「気持ちがいいからしばらく当たろう」と身体と心が感じる、その気持ち、それこそが自由であり、それ以上に有効な自由の定義なんてない。
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