2020年10月15日木曜日

いまのことをかけ(6)それが気持ちいい、と思えていれば、最高じゃん、と思う。

 少し早く起きて文を書いている。

「仕事をする」という言い方を改めたくて、いろいろ自分の中で試行錯誤している。

「仕事」という言葉に誇りを持っていたり、これはとても気持ちのいい響きだ、と感じている人もいるだろう。それは知っている。僕自身にもそういう時がある。

ただここでは僕が、今、この、2020年10月15日木曜日午前8時33分に感じていることを書く。

「仕事」という語を使う時、多くの場合それは「嫌なこと」を、それ以外の「嫌じゃないこと」と隔離する意図で使われている感じがする。しかし誰だって嫌なことなんてしたくないじゃないか。わざわざ「さあ、これから嫌なことをするぞ」と自分に言い聞かせてから始めるなんて、愚行じゃないか、と思う。対外的に、これから何するの、と言われて「あ、仕事しようかなと思っている」と言うのは構わない。ここでいう「仕事」はあくまで記号で、記号として機能しているうちはまだいい。しかし「仕事だ」と言って残念そうな顔をしたくない。「仕事」を、とにかく、諦める理由の言葉として使用する症状が蔓延しているのは、どう考えても、社会的損失じゃないか。そこに、自分の力で抗うことを密かに諦めている匂いがする。そこに自分の健康との断絶があるようにも感じる。どうも、ここに流れているのは、気持ちのいい流れじゃないな、という感じがする。気持ちよくない流れよりは、気持ちいい流れの方が、いい。いいよね。

「仕事」という語には、絶対、本来、そんな風ではなかったと思うんだけど、自分ではいかんともし難いことにペースを乱されている感じが付きまとう。他人にペースを握られる、ことを意味しているような節がある。他人にペースを握られると、不安になり、心配になり、鬱々とし、やるせなくなり、怒りが湧く。

自分の裁量で管理する「仕事」がいいんだろうね。他者が制限をかけるのであれば、先回りして、自分から制限を設置しにいく方がいい、ということを思う。それが気持ちいい、と思えていれば、最高じゃん、と思う。

※※※

久々に加藤典洋さんの『言語表現法講義』冒頭を読む。ああ、俺は、この本と、この著者に出会って、文章を書くということに対する態度を一変させたのだった、と思い出した。

「わかったら、何がわかったのかを、考えなさい。」(『言語表現法講義』p.204)


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