2020年10月18日日曜日

いまのことをかけ(9)本当はそもそも勇気がいるのだ

今日も、書くことでなにかを、呼び起こそうとしている。自分が考えるための文章を書いている。人が読んだところで、大した益にならないことはもちろん予想がつく。
それでも「このことは、実はみんな関係があることなのかもしれない」という一縷の望みがあるから、こうして公表されるような場所に置いてみることになる。
あとは、こういう話を、いったん自分の外に置いてみないと、とにかく、抱えきれないぐらいになってしまっている、というところが一番の理由だろう。



やさしい言葉をかけるなんていうことが自分にできるのか?
という気分になっている。

オレは、どうしようもないくらい不遜で、上から目線で、自分が発する言葉など、誰かの優しさにはなりえないのではないか、という気分になっている。

もちろん、そんなのは嫌だ。嫌だが、そんなふうに思われているんだ、と突きつけられたときに、「自分には断じてそんなことはない」と断言できるだろうか。そりゃあ、ずっと寄り添う、なんてことはできないと思う。いつまでも、適切に、喜ばれるように。それは、できない。たぶん、僕には。
しかし目の前に困っている人がいて、その人に対して、倒すか、支えるか、という二極のバロメーターがあるのならば、いつでも、「支える側」である人間でありたい、と僕は本気で思う。
生ぬるい「一見やさしい」お世辞やねぎらいや褒め言葉ではなくて、本当に必要な真実を伴った言葉で人を支える、力になれる人間だったらといつも思っている。
しかし極力真実を言うことは、基本的に「やさしい」行動ではない。ときにそれは攻撃的である。でも、なんの真実も含まれていない、うわべだけのやさしいことばは、もっと攻撃的で、残虐である、と僕はおもう。それは、この世で最も攻撃性を持つ「無関心」に等しいとおもう。
(でも僕が強い言葉を向けられるとき、それは相手に僕が向けた一抹の「無関心」に起因していたのかもしれない)

僕は、自分から積極的な嘘をつくのがとても苦手である。
別に正義感があって、とかそういうことを言いたいのではない。本当に。
その、とにかく苦手なんだ。嘘をつくのが。目があっちゃこっちゃ泳いで、しどろもどろになってしまう。わらってごまかす、というような結果になってしまう。
だから、どうせバレるので、なるべく本当のことを言うように努めている。

しかしだ。

「なるべく人の役に立てる人間でありたい」と思っていることにまったく偽りはないのに、もしかして、その「嘘をつけない」自分の態度が、まるきり人を傷つけるような力としてしか作用していないのではないか、ととても不安になることがある。



今、もうひとつ思ったことがある。
それは、「思う」ことと「言う」ことには、とても大きな隔たりがある、ということである。
なにかを言ったり、書いたりすることによって、それを受け取った人から不快感を示され、嫌われることがある。
さて、その「思ったこと」を、表現した、すると、それを受け取った人が不快になった、という過程の中で、このとき、一番の原因はなんだったのか。

それはすべて、「それをそのように表現した」ということに尽きる。

「表現がなされた」ということがすべての原因である。
けっして、「そう思っている」こと自体が悪いのではない。
「僕がこのように思うことには、正当性がある」と文句をいっても、それは的を外している。
そう思っても、それを表現しない人がいる。
そう思っても、それを別のやり方で表現する人がいる。
思うことが同じでも、その表現の仕方に差異があり、そして、「表現を受容する」以外の形で、人は他人の考えには触れられない。
結局のところ、その「思うこと」がどのように外界に表出したか、ということでしか、他人の反応は生まれない。
(でも、だからこそ、嘘をつく、ということは、実はとても切実で大事な能力なのかもしれない、といま頭をよぎった)

これはとても面倒なことだ。
人と付き合う以上、いつでも、何を、どのように表現するか、ということにいちいち結果が伴ってくる。

これは、ちょっと、やっぱり、怖いことだな、と一瞬、ひるむ。

そして、そんなもの、自分の力でなんかほとんどコントロールできないように思えるよ。
他人の反応というのは、いつだって不可知だ。うまく行かないことのほうが多いくらいだ。

しかし僕は、その面倒くささを避けて、「それとは関わらない」ことを選ばないようにしたい。

自分の取ったろくでもない行動によって嫌われることだっていっぱいあるのだが、それでも、それを避ける、という結論に至らないように、すんでのところで自分を踏みとどめている。

でも、みんなそんなふうにして、人と関わっていく、という勇気を出しているのだろう、と思う。

僕はただ、諦めないでいよう、と改めて決意をする。
人と関わるということは、みんななんでもないことみたいにやっているけど、誰にとってだって、本当はそもそも勇気がいるのだね。

やはりこの文章は書いてよかったな。
ありがとう。

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