2022年9月29日木曜日

全部やる日記 11

 僕はどうにも、いつも何かを焦っている、という感覚が拭えなくて、これはでも、原因もはっきりしていて、つまり何かを生み出したい、という焦りなのである。そのくせ、怠けること、というか、今やりたいと思ったことをすぐに実行に移すことが大好きなので、持続性のあるアクションからしか生まれないものというのを生み出すことができなくて、何かを継続して修練して、ちゃんとみんなから認められ、お金になり、楽しそうにしている他の人を見ると余計に焦る、という構造なのである。僕は自分の中で起きているこの構造自体に気づいているんだけど、でもそれをうまい向きに方向づけてやることができずにいるのである。
 僕は今、いつもの桜木町のスターバックスに来て、文字起こしを延々やっている。もちろん断ることだってできるんだけど、でも僕はなんとなく、来た仕事は全部受けるのが好きなのだ。それに、これを断ったところで、他にお金を稼ぐ道を今のところ持ち合わせているわけでもないし、終われば達成感があるのでやっている。配達仕事は、際限がない気がして、(ま、早い話飽きて)配達車両を自転車に切り替え、時々運動がてらやるぐらいでいいや、と思っている。自転車に切り替えて一週間経つが、一回もやっていない。
 とにかく、俺は全然本質的なことを進められていないなぁ、という焦りがある。これが焦りであるうちはいいんだけど、段々とこれが落ち込みに変化していくこともまた僕は知っていて、だからそうなる前に、何か、前に進むことでこれを上書きしないといけない。
 さて、ここで僕がぶつかっている難しさとは何か。この「文章を書きながら何かを探る」という作業も、いわば現実逃避なんだけど、でもそれはただ画面を見て、スクロールしてどうでもいい動物の動画とかよくわかんない芸人の動画とかを見てぼーっとしているよりは幾分マシか、ぐらいに思って、とりあえずやってみる。
 僕は、何かハッと目が覚めるような発見をいつでもしていたいと思っている。それは、外部の世界に見つけるというよりは、今までに行ったことがないようなところに行きたい、という欲ではあるものの、何か自分の内部から出てきたものに「なんてものが出てきたんだろう、すごいな」とびっくりしたい、ということである。そのためには、自分がしていることに、いつだって量と、質が伴っていないといけないんだけど、どちらが先立つか、と言えば量であろう。だから、最近少し停滞気味だけど、僕は毎日のように絵を描いているわけである。さっき、いつも絵を描くためのハガキ大のケント紙を入れている箱を見たら、かなり満杯に近くなっていた。思えば、休止していた期間はあるが、ほぼ二年間、毎日のように絵を描いている。だから、そりゃあいっぱいになるはずなのだ。数えてないけど、500枚以上にはなっただろう。
 でも、だ。僕はこれによって、何かが進歩していると思えない。本気でやる人はこの100倍以上やっているだろう。
 僕はどうしたら進歩をするのか。絵の教室に行ったらいいのか、デッサンのワークショップでも受けたらいいのか。
 もちろん、すでに確固たる技術を持った人に習いにいけば、そりゃあ技術は上がるんだろうけど、僕は何か、それは結局「きっかけづくり」に過ぎなくて、自分自身が納得するような絵を描くには、やっぱり最終的には自分が部屋にこもって、絵を描くしかないじゃないか、と思っている。だから、だったら最初っから「人に習う」という工程をすっ飛ばして、他人のきっかけ待ちをせずに、自分でバシバシ見つけたいものを見つけて行ったらいいんじゃないか、と思うんだけど、でも、それも難しいのだ。
 なんで難しいか、それは、怖いからだ。何度も書いていることだけど、僕は、明らかに「これをやらないとダメだ」と論理的に頭でわかることがあっても、それを始めることを躊躇してしまうクセがある。それはなぜかといえば、やるべきことの量があまりに膨大であることに気がついて、そして、もう手遅れである、ということに気がついてしまうのが怖いからである。
 これは仕事にも言える。1分でも早く始めれば1分早く終わることを、そのなすべきことの量の膨大さに気づいてしまうことが怖くて、結局やらずにどんどん先延ばしにしてしまうのである。
 僕はこの文章、つまりこの日記を書き始めるのにも、ずいぶん決心が必要だった。それは、僕は今文字起こしをしなければならないからだし、文字起こしの期限はほとんどが明日までで、その分量があと音声で3時間分くらい残っているので、これはやっぱり、今頑張ってやらないと終わらないからである。そして、まぁ、別に明日に回してもいいんだけど、これを後回しにしてしまうと、他の、僕が受けもっている、5個だか6個だか7個だか、自分でもいくつあるのかわからない仕事群をやることが後回しになることも意味していて、そうするとますます僕は、その他のことをする時間がなくなるであろうことを恐れて、それで、とりあえず文字起こしを、その恐怖から逃れるためのせめてもの現実逃避として、やる、というようなところがある。
 ここでまた思いを馳せる。じゃあ、文字起こしをスッキリやらないでいいや、一旦、これは断って、自分がもっと打ち込みたいと思っている創作の方をやろう、と思ったとして、僕は果たして集中できるのだろうか、ということである。
 多分僕は集中できず、なんだか悶々としてなんとなく手近にあるものを消費し、本を読んだりケータイを見たり、猫を観察してりして過ごし、それで中途半端な時間だけをそれにかけて、結局何も成さないだろう。これもわかっているのだ。もう30年生きてきて、このようなことは何十回もくり返しきたからすぐにわかる。僕はあんまり自分の人生にこれ以上の期待ができないような状態でもあるのだ。けど、野望は、それこそ1時間に一つ、いや、もっと頻繁に、現れては消える。素敵な家に住んで、面白いことをいっぱいやりたいぞう、と。その具体的な中身が、1日ごと、半日ごと、いや、1時間、いやいや、5分ごとに、本当に違うんである(これって、でも、きっと多くの人がそうなんだろうな)。そして、ああ、でも今目の前のことやるしかないんだよ、と、このように、毎日堂々巡りをしている。
 いつだって、何も考えずに、ただ行為の中に没頭できたらいいのに、と思う。そのためには何が必要なんだろうか、と僕はそのことばかり考えている。さっさと、本質的な、行為の方に没頭したいのだ。 
 そのためにはやっぱり、内容なんてなんでもいい、質なんてどうでもいい、と思うことがまず大事なのだ。現にこの文章は、もう前後の論理も、脈絡も、誤字脱字も、論旨も、読みやすさも、親切さも、読ませたい相手も、なんもかんも、とにかく意識なんかしないで、ただ何かをキーボードを打って画面に焼き付けるという行為にだけ没頭したいという思いを具体的な形にするためだけに行っている。ここまで書くのに、10分もかかっていないのだ。
 僕はこれぐらいの勢いで、自分の本だって書けたらいいのに、と思っている。どんどん作品を生み出して、読者も追いつけないぐらいのスピードで、ものをたくさん生み出して、でも読んだら面白いものを書けたらいいのに、と思っている。
 なんだか、今までまともなものを全然生み出してないじゃないか、みたいな気分になることだって、あるわけだけど、でも、そう言っている間に、いや、こういうふうに思った、ということをこうして文字にして書くとか、あるいは漫画にしてもいいし、絵にしてもいいし、なんらかの別のものに昇華することでそれは何か人に触れてもらえるものになる、ということもまた真実である。
 「失敗と、それによる無駄」を極度に恐れている自分がいる。

 ※※※

さびねこのぽんが、少しずつ家に慣れてきているのがわかる。と同時に、なかなか慣れてくれないな、という焦りもある。なにしろ、以前うちにきた猫が、きた初日からお腹をみせてゴロンゴロンするような甘えた猫だったので、ついついそっちの方を基準にして、考えてしまうのである。
 家に帰ると、ぽんは、トコトコと隠れている場所から出てくる。ロフトの上にいたのならば、僕が玄関から部屋に入るや否や、とこん、とこんと梯子を降りてきて、こっちを伺いつつ下にくる。押入れにいたのならば、どどん、と物入れの上から降りてくる音がして、隙間からそっとこちらを伺いながら出てくる。そして、梯子や机に頭突きをしつつ、僕の足にもちょっとスリッとして、周りをぐるぐると歩き始める。餌が欲しいのかなぁ、と思って餌をあげる。食べる時もあれば食べない時もある。ぽんは、比較的カリカリを食べてくれる方だ、と思う。でも、ウェットフードをあげると特に喜ぶ。最近は、ウェットのおいしさに味をしめてしまったようで、カリカリをあんまり食べてくれないことも多い。それか、最近カリカリの種類を変えたので、それがいけないのかもしれない。
 そして初めのうちは、顎や額をなでなですると目を瞑ったりして少しは気持ちよさそうなのだが、それもしばらくすると、体に触ると「むっ」とした表情をするようになる。
 それでももう一回触ろうとすると、ぶんと前脚を振りかぶって、シャー、と威嚇してくる。
 僕はそれが怖くなってしまって、最初のうちはあまり気にせずワサワサと触っていたのが、だんだん迂闊に触れなくなってしまった。
 これはこれで、いいところに落ち着いたということなんだろうけど、僕としてはやっぱり寂しい、というか、少し悲しい気持ちになる。すぐそばにいて、毛繕いなんかしてくつろいでいるんだけど、なんだか僕はその猫に嫌われているんだろうか、という気分になってしまうのだ。
 もちろん、本当は嫌われていないのも知っている。昨日だって、そう、昨日は初めて、夜中に、呼んでもいないのに、僕が寝ている間、よっこいしょとベッドの上に上がってきて、足元で丸くなって寝ていた。むしろ、この猫は僕のことがどっちかというと好きな方なんだと思う。でも、やっぱり、時々は本気で殴られて、威嚇される、ということに、なんだか悲しさ、憤りを感じるのだ。普通こういうことってちょっと言いづらいと思うんだけど、僕はこれを吐露する相手がほとんどいないし、素直に感じたことを書くことが大事だろうと思うから、書いておく。こういう思いをする人だって、いっぱいいると思う。
 社会的に「こういう態度が望ましい」とされる(と、少なくとも自分が思っている)ものから無言で受ける圧力は、誰か他の人も、実は同じように感じていたんだ、とただ知ることですぐに解消するものだったりする。
 そして、自分なりの明るさに再び向かって行けたりする。
 ああ、僕はもっと自由になりたいな。

2022年9月25日日曜日

全部やる日記 10

 今週はほとんど、テニスの国際大会の手伝いをしていた。友人からの誘いで引き受けた。賞金を受け取りにくる選手たちに領収書を渡すだけの業務なんだけど、これが楽しかった。余った時間は、機材クルーの外国人から来たトラブル対応や、雑用係として会場を行ったり来たりしていた。僕はこうして現場で身体を動かすことが好きだ。そして、そこに窮屈さがない、ということがとても大事。規制の多いところにいると途端に悲しくなる。バッタみたいに、ぴょこん、ぴょこんとホップステップで移動して、違うところで仕事をしているのが好き。
 同時期に、3連休でジャグリング大会のJJFをやっていた。2007年に初めて参加してから、参加者としてだったり、海外ゲストのアテンドをしたりで密接に関わっていた時期もあった。今年は広報の翻訳業務という形で遠隔的に携わっているだけ。行ったら仲のいい人や、しばらくぶりの人にも会えるし、楽しいであろうことはわかっている。でもなんとなく今年はいいかなと思って、最終日に行こうと思えば行けたけれど行かなかった。それよりは、もっと個人的に仲のいいジャグラーとじっくり話をしたり、楽しいことをしたい。別にジャグリングをしなくてもよい。自分の中で何かが熟成される気配を感じるのが好き。
 そんなわけで今日は桜木町に行って、無印良品で少し秋服を揃えた。そのあと市役所のお気に入りのスターバックスに仕事をしに行ったが、連休だったこともあって座れず。結局妙蓮寺に戻る。野毛では、大道芸イベントもやっていたみたいだけど、それも行かずに帰ってきた。見たら楽しかったのだろう、それも知っている。懐かしい人にも会える。でも、なんとなくそういう気持ちにならなかった。
 大規模にジャグラーと交流するのは、年に一回、EJCに行くぐらいでいいかなと思っている。あんまり公演を見る気にもならない。なんでだろう。僕はそれこそ数年前まで、それなりの数の公演を見ていたけれども。僕は今、小さい規模で、本当に気の合う人たちだけで一緒に海でも眺め、ビールでも飲みながら話をする、というのがやりたい。やるならそれくらいでいい。レベルの高いジャグリングを見たい、という欲があんまりない。
 自分が心地の良い生活圏を維持することに興味がある。何か自分なりに納得できるものを生み出すまでは、あまり多くの人に会いたくない、ということもある。
 インターネットで情報が洪水のように流れてくる状況にも、やっぱり時々辟易する。
 普段生活をしているだけで、僕は初対面の人とどんどん話してしまう。あまり新しい出会いを特別なところで求めてもいない。もっと内面を向く時間を増やした方がいい、という自分なりの、身体からの指令なんだろう。あんまり波風を立てたくない、とも思っている。僕は今まで、あまりにもたくさん、人と関わりすぎてしまったと思っている。関わる分だけ、たくさんいい思い出も、悪い思い出もあって、それを処理しきれないでいる。
 どこか静かなところで隠遁しながら、時々、全然関係ない文脈のところで元気に跳ね回って、また帰っていく、というのがいいな。

2022年9月19日月曜日

全部やる日記 9

 朝から天気が悪く、タリーズには行かず。 家で文字起こしの仕事を進めようとするのだが、とんでもなく眠くて、ほとんど進まない。空気に押しつぶされるような感じがする。猫もなんだか落ち着きがなく、ロフトに登ったり降りたりを繰り返している。断続的に仕事をしながら、途中、耐えきれずベッドに突っ伏して、気づいたら一時間ほど寝ていた。
 このままでは一日が終わってしまう、と思って、猫を置いてとりあえず家を出る。みなとみらいまで行こうと思ったが、生活綴方に寄ったら、話したい人たちがいたので、少し話をして、それから結局綴方の本屋の二階で仕事をしていくことにした。
 小指さんの新作『人生』を買う。本を買うのは嬉しいね。
 猫をどうにかして慣れさせたいなぁ、と思っている。やっぱり、逆にしばらくかまわない方がいいのかな、と思う。餌だけ、自分の手から上げて、美味しいものをいっぱいあげて、あとは放って置いて、向こうの方からくるのを待ったらいいかもしれない。
 ぽんちゃんは自分が思い描いていたような猫ではなくて、でもそれは動物だから当然で、いや、もう少し僕も考えて連れてくることもできたのだろうけど、でももう過去に戻ることはできないし、ただ僕は今の状況を受け入れて、ここからどういうステップを踏んでいくと面白い、穏やかで幸せでいい感じになりそうか、ということだけを考えている。
 一度部屋の隙間を塞いでみて、あまり隠れられないようにしてもいいのかもしれない、と思っている。それで、ちょっとずつ距離を縮めてみる。焦らない、焦らない。

2022年9月18日

2022年9月18日日曜日

全部やる日記 8 

 朝はやっぱりタリーズへ。のそのそと起きる、という感じ。のそのそ。スッキリ、でもパッと、でもなく、のそのそ。眠気が頭から離れない。家が悪いのか? 僕は今なんだか引っ越しがしたい。僕が悪いのか? 日当たりが悪いせいか? なんとなく、壁から漂う匂いがいけないのかもしれない。なんだろうね。ベッドが悪いのか?
 僕はとにかく解放感がない場所にいると鬱々とする。そりゃあみんなそうだ、当たり前だと思う。でもそうじゃない人もいるのかもしれない。窓なんか最小限でいい、暗いところで一人作業をしている方が落ち着く、という人もいるのかも。
 とにかく、そう長くない人生だから、なるべく居心地の良い場所で過ごしたいと思う。
 でも僕はこういう時に、今まで、「いい方向への変化」をなるべく早急に、と焦っていたけど、それもやめようと思っている。特に、お金と手間がかかることに関する決断をするには、慎重すぎるくらい慎重でもいい、と思っている。どうせ、本当にいい決断の時にはそれがすぐわかるだろうからだ。ちょっと無理して変化の方に行こうとして、失敗ばかりしてきた。変化したい、と思ったら、本当に大きな、本気の変化のために、黙って知恵と資金を貯めておくのが正解だろう、と僕は思っている。
 昼までタリーズにいて、急に思いついて席を立って浅草に行く。展示を見に。同世代の作家・荒牧悠さんの、「荒牧 悠 "こう (する+なる)” ― phenomenal # 02」。Twitterで少し話題になっていて、見ておいた方がいいような気がして、見ることを決めたら、予約を取ってその2分後に電車に乗った。
 浅草駅から結構歩いた。久しぶりの浅草駅は、人が多くて少し落ち着かない雰囲気だった。人力車がたくさんいた。まるでそれが主要な交通手段であるかの如く、人を乗せた大きなリヤカーが道を走り回っていた。
 展示では、荒牧さんと話した。一時間ほど滞在して、細かい話までたくさん聞いた。ジャグリングの話もした。荒牧さんがディアボロも買ってみて試した、ということを聞いて、すごい実験精神だなと思った。
 展示自体すごく良かった。こういう風に心地のいい空間は、とても好きだなと思った。家もこれぐらい心地がよかったらいいんだけど。

 展示だけ見て、僕はあんまり人混みが好きじゃないし、休みの日の東京なんてのは特に好きじゃないので、さっさと帰ってきた。ちょうどピッタリのタイミングで待ち合わせをしていたLさんと会った。白楽の中華を食べながら、仕事の打ち合わせをした。帰り、もう少しだけ話そうかな、という気になって、カフェ居酒屋のにゃらやに一緒に行った。一周年だ、というので、日本酒をふるまってもらった。シンクに皿が溜まっていたので、その皿も洗った。
 後で思い出したけど、僕がお酒を飲んでいるその間に、白楽ではドッキリヤミ市というイベントをやっていて、ギリヤーク尼ヶ崎さんも来ていたのだった。見にいけばよかった、としばらく後悔したが、こういう「あれをやっておけばよかった」という後悔に耐性をつけたい。「逃したもの」については考えなくていい。今持っているものと、これから持ちたいものについてだけ、それを少しでも良くしていこう、と考えるだけでいい。今の状況から、どっちに足を向けたらより良い方に行くのか。そういうことを考える。ただ、自分が今何を目指して進んでいるのか、それをしっかりと見据えよう、という気でいる。

 結局、外で起きていることを一切無視して、僕は家で文字起こしをして、少しだけ本の執筆を進めた。
 書き方について少し何かが見えた。これを待っていた。僕は、文章のための文章じゃなくて、状況を思い浮かべて、ただそれを描写していって話をするのが得意、というか、それがやりたいことで、一番ワクワクすることだったんだ、と思い出した。僕は漫画を描きたかった。それを文章でやりたいと思っている。
 読んだ人からの感想も時々もらうんだけど、早く続きが読みたい、と言ってくれる。素直に、僕は別に「本質的なこと」とか書かなくていいから、面白いものを書けよ、と自分に言っている。いいんだ、そんな、高尚なこと書かなくて。

2022年9月17日

2022年9月17日土曜日

全部やる日記 7

  朝遅め。相変わらず猫のぽんちゃんは警戒をしているようだけど、少し家の様子には慣れてきている感じもする。安心した目つきを見ることが多くなった。怖がって押し入れに引っ込んでから、再び外に出てくるまでの時間がほんの少し短くなった感じがする。ととん、と物入れから降りてくる時の音を聞くと嬉しくなる。出てきてすぐに構おうとすると、えっ、という顔をする。しばらくは放っておく。
 タリーズへ。日記をさっと書き、絵を描く。
 お昼は「加とう」の親子丼。ここは鴨せいろも美味しい。どれを食べても美味しいし、手頃な値段だ。そのまま少し歩いて、ドトールへ。シェイクを飲んで、少しだけ岸根公園で陽を浴びる。今日は妙に暑い。そして電車で、新百合ヶ丘に行って、映画『マルケータ・ラザロヴァー』を見る。映画館でやっているうちに見ておきたかった。始まって一時間は、一日動いてすでに眠かったこともあって、ほとんど寝ていた。響く不協和なコーラスに、「ああ、こういうタイプの映画か」と思い、予想はしていたけれど案の定退屈な気分になる。
 だが、本編が始まる前に予告が流れていたアリス・ギィという女性の映画監督の話を見て、この人が、それまで事実を記録するのが主だった映画に物語を持ち込んだ、というようなことを聞いて、映画が辿ってきた歴史について考えながら見ると、また違った印象だった。映画って、本来的にはもっと自由な表現形式なんだよね、と思った。
 三時間弱の映画内容。半日見ていたように感じた。一つの世界に入り込む、という意味では面白く、稀有な体験だった。じゃあもう一度見るのか、人に薦めるのか、と聞かれると、人には薦めないが、もう一回見てもいいかもしれない。意識が飛ぶ。
 サイゼリヤでワインとピザとパスタを食べて、帰った。安くて美味しい。
 不安で作れない、という日々が続いているけど、それは逆で、作っていないと不安だ、の裏返しであるような気がしてきた、というか、そうだと思うことにした。作っていないと不安だ、と思って、作り続けている方がまだ健康であるような気がしている。

2022年9月16日

2022年9月16日金曜日

全部やる日記 6

 相変わらず朝はタリーズ。自転車とバイクをおいているスペースの横で工事をしていた。自転車を取り出しにくかったが、ぐるっと回って車体を出す。十時半ごろカフェに到着。日記を書く。前日の夜に、絵を完成させようと思っていたのに忘れていた。途中まで描きかけだった絵を完成させる。
 そのまま、本の内容を書く作業に移行する。イメージとして、何か文章を隣に置いておいた方がいい、と思って、内田洋子さんの『十二章のイタリア』を手元に携えておく。石堂書店で前日に逗子に行く前に買ったものだ。これを買った時に、このところ、本を買わなくなっているなと思った。本屋に出入りが多いから、本を買っているし、読んでいるような感覚に陥ってしまう。文庫本を手頃な値段で買って、電車で片手で読んでいると、こういう種類の満足感って久しく感じていなかったな、と思う。
 それほど文字数としては進まなかったけど、核ができたような感じもあるし、そんなこともないような気がするが、とりあえず進める。思い出しながら書いている時の自分は今の自分である、という事実を内包しながら書き進めることができている感じがある。まぁ、どうなるかな。
 適当なところで終わらせて、迷っていたけれど桜木町までカブで走って、YDCの練習へ。行くと友達の子供が三人いて、その子たちどずっと追いかけっこをしたりおんぶしたり抱っこしたりをしていたら二時間半の練習時間が終わった。ジャグリングよりも、子供と遊ぶ方が楽しいなと思った。
 帰ったら、猫は相変わらずまだ僕のことを少し警戒している。

2022年9月15日

2022年9月15日木曜日

全部やる日記 5

 朝九時起床。猫の水を交換し、餌をあげる。朝はお腹が空いているからか、シャンシャン、と袋を振ってエサの音をさせると、すぐに出てくる。でもあくまでゆっくりと出てくる。警戒心を解くことはない。押入れの空いた隙間からにゅっと顔を出して、身体は出さない。その状態で、周りのにおいを嗅いだり、部屋を隅から隅まで眺めたりして、危険がないかどうかを長い間確認する。僕が急に動くと、顔が変わる。すぐに逃げられるように、姿勢を低くする。
 本当は僕は「ほーれほれぽんちゃん、よーしよし」となでさすりたい。身体を抱き上げ、だるんと下がった脚をふりんふりんと揺らしたいが、それはできない。いや、できないこともないが、それをやるとハーッと歯を剥き出しにして威嚇され、しばらく奥から出てこなくなるので、やめておく。
 自転車でタリーズに行って日記を書く。翻訳も少しだけ。一度家に帰ってご飯を炊き、レトルトを温めてカレーを食べる。眠くなったので、少しボールジャグリングをして気を逸らす。三つで思うままにジャグリングをするんだけど、僕はバッククロスもまともにできない。
※※※
 今日は鎌倉の方に行って、中学一年生(彼は学校にはほぼ行っていないが)のRに英語と数学を教える日だ、とわかってはいるのだが、気合を入れて準備をする気が起きない。でも、その方が却っていいんじゃないか、と思う。面倒くさいのではなくて、ただ、気合を入れて付け焼き刃で内容を準備するんじゃなく、今までの自分の経験をただ自然に流していく、空気のようにその場に充溢させる、という方が、僕の伝達の術として合っているような気がしたからだ。
 僕はこの仕事を頼まれてから数日後に、中学生用の英語と数学の参考書を買いに行った。合計で七〇〇〇円した。どんな内容をやっているのか確認し、それに合わせてカリキュラムのようなものを作ろうとした。本を開いて、内容を読んで、ふむふむ、と思ってから白い紙を前にして、さて、と思ってペンを持って、手が止まった。
 手をつけるまでは至極簡単だと思っていたことが、一筋縄ではいかないことがわかった。
 英語をやるのに、どういう導入をしたらいいのか。音から入るのがいいのか。じゃあ、あいさつと簡単な会話でも教えたらいいのか。その前に、基本的な文法くらいはやったほうがいいだろうか。文法をやると言っても、どういう順序でやったらいいか。中学生ではまず、代名詞、be動詞、三単現のs、SVO、なんて順序でやるが、本当にこの順序でいいのか。これが王道だというだけで、もっといきなり海に突き落とすような方法の方が面白いんじゃないか。
 そもそも僕は、なんでこの人に英語を教えるんだろうか。
 具体的な教授の内容から逸れ、僕の思考は、勉学をする理由の方に向いていった。
 これを教える理由がはっきりしていないと、何をどういうふうに教えるかの方針が立たない。英語を話せる人にするべきだからか。受験がうまくいくようにすべきだからか。それとも、暇潰しのようなものか。義務教育だから、という理由づけだって、そもそも義務教育というものがなぜ存在するのか、その理由がいまいち自分なりに納得できない。歴史的な偶然でそうなっているに過ぎない。
 僕が英語を教える、ということで背負っているのは、どう生きるか、ということを人とぶつけ合うことだと思った。大袈裟なことではなくて、意識していなくても、何かを教える、人に技術を伝える、というとき、原理的にそういう構図を含んでいる。人は具体的な内容ではなくて、むしろそれを支える骨組みを教えている。具体的な内容は、実のところ、自分で会得する以外にない。もしそのことに無意識であるとしたら、そういうことに無意識である、という姿勢を含めて教えていることになる。

 そこでようやく、プロとして何かを教えている人は、要するにこういうことをいつも考えているんだ、と思った。自分で真剣にそういう立場になるまで、分からない感覚だった。これは悩む。難しい仕事だ。それでも、どこかでこの考察に線を引いて、ストップし、具体的な内容を教える、という行為に徹底しなければならない。それが教える人間の責任である。どこに思考を止める線を引くか、それを感じてもらうのが教師の任務だと思った。
 結局、以前プリントアウトした簡単な英語の文章以外には何も準備をせずに向かった。
 いつもと違って、リビングではなくて部屋で教えた。僕はもう、自分の人生をそのままそこに流し込むような意識で、俺は英語と二十年近く付き合ってきてるんだから、その話をすればいいんだ、と思って、気楽に臨んだ。文章を僕が読み上げて、この意味、わかる? と、ヒントを出しながら、クイズみたいな形で進めていった。僕自身も、知らない言語に相対した時、一番面白いのは兎にも角にも、「その内容がわかった時」だ。それをやることにした。細かいことは後からいくらでも直せる、と思って。包含している文法事項を細かくやること、などはあとでもいいと思った。これは、うまく行った。変にこわばって準備をするからいけなかったのだ。ただ、自然に身につけてきたことを発表すればいい。僕も自然に楽しめるし、相手が面白くなさそうにしていたら、瞬時に提供するものを変えらえれる。僕が普段人と話す時と同じようにやればいいんだ。その場限りの即興だから、先がどうなるか分からなくて面白い。日常生活で、自分が決めた内容に沿って話す、っていうことはない(あるいはそういう人もいるかもしれない。会話が苦手だからそういう戦略をとっている人もどこかにはいると思う。とりあえず僕は違う)。
 これは、ジャグリングを人に見せるにあたっても、大事なことだと思った。僕が憧れてきた表現者たちは、生活こそが表現を支える基盤である、ということを十分に了解している人たちだった。そして、見せる時には、それを自然体で見せている。どんな舞台でも、それを奪われないのだ。失敗がないように見えるのは、そういうことだ。予定したものをきっちりやる、という意識ではいない。僕だってそうありたい。予定をこなすのは、息が詰まってしまう。
 もし準備をするのならば、それは、何かに向けた準備ではなくて、日々の生活そのものが、準備でありたい。僕はそういう体験を何度もしてきているはずなのだ。TOEICなんか、五年くらい前に受けたことがあったけど、何も準備しなくたって無茶苦茶簡単だった。テストなんか意識しないでいい。発表の場なんか意識しないでいい。もっと長い目で見るんだ。囚われない方がいいのである。一生懸命準備しようとすればするほど、身体がこわばってうまくいかない。まずは柔らかくなることから始めるんだ。
 
 2022年9月14日

2022年9月14日水曜日

全部やる日記 4

2022年9月13日
 朝から事務所(タリーズ)に。朝は集中できていたようである。昼になって、母が来るというので、妙蓮寺駅まで迎えに行く。生活綴方の前にあるイタリアンでランチ。母はワインを飲んでいた。妙蓮寺にはワインの専門店もあって、この町の様子をすごく気に入ったようである。いつもは車で来ちゃうけど、車で来るところじゃないね、歩いたほうが楽しいね、と言っていた。そのあと僕の家にきて、猫のぽんを見ていった。ぽんは見知らぬ人が来ると、警戒して押し入れの中で身を潜め、ご飯もあまり食べなくなる。母は気を遣って、少しだけちゅーるをあげて帰っていった。妙蓮寺とは反対側、白楽の方面へ歩いて帰って行った。後でメッセージをしたら、白楽はあまり面白くなかった、という。妙蓮寺の方が気に入ったらしい。でも、母はまだまだ元気だな、と思った。父も、今年七十になるけどまだ元気で、白髪は増えたけど、一般的な七十歳の像よりは若々しいと感じる。きっちりしているのが好きで、やっぱり保守的な感覚を持ち合わせている、と感じる。でも僕がこうして特に定職にもつかず、何をして生活しているんだかわからないふうでも、別段文句を言うわけでもなく、ただ何かあったら頼れよ、というような態度でいてくれるだけ。
 僕の兄は小学校の先生。もう十年以上、教師の道を歩いている。その兄に比べたら僕は道化である。ギグワークばかり。いや、コメディアンでもない自分を道化と呼称するのは、本筋の道化師にも失礼だろう。父は警察官、母は教師で、兄も教師で全員公務員、僕だけジャグラー、と自己紹介することがある。そのことについて父がどう思っているのか、ちゃんと聞いたことはない。母は、「上の子はしっかり者に育てて、下の子は自由な子にしたかったから、計画通りだ」と言っていたことがあった。
 そういえば、母とパスタを食べ終わって歩いている時、もしかしたら2月に台湾でパフォーマンスをするかもしれない、と言ったら、母は嬉しそうにしていた。こういうプレゼントだったらいっぱいしてあげたいなと思う。
 また、タリーズに戻る。コーヒーを頼む。何か集中してやろうとするのだが、一日の後半に差し掛かると創作的な作業というのはできないな。頭にも身体にも、処理すべき余計な情報が溜まりすぎている。『ラストナイト・イン・ソーホー』という映画をMacBookで観た。この映画は、映画館で観ようと思っていたもの。プロットの面白さは普通で、ラストが少し駆けであっけなさはあったが、全体の映像が良いと思った。序盤に主人公がコーンウォールからロンドンに越してきたところを見て、旅情をそそられた。
 全然仕事にはならず、諦めて家に帰って、今度は配達仕事に出る。あまり気合が入らなかった。最後の一本で、某寿司チェーンの食べ物を届けた時、「足りない物がある」とお客さんから電話が入り、僕はその時ローソンで焼き鳥を買って食べていたのだが、まだ近くにはいたので、再び店に帰り、事情を伝えてその食べ物を出してもらい、届け直した。
 システム的にいえば、これは完全なる僕の「無賃のサービス」だ。配達はもう終了しているので、その後に僕が何をしようとも、賃金にはならない。そして、渡した商品が足りているか足りていないか確認するのは、基本的にはレストラン側の責任である。点数があっているかぐらいは確認できないでもないが、正確な内訳はこちらは分からない。なおのこと、今回は自動でロッカーから受け取るケースだった。僕の方はパッと取って、それを届けるだけ。まぁ、確認しなかった僕の落ち度もあろうが、現実的には、毎度毎度、ちゃんと足りているかどうかを詳しく確認するのは容易ではない。大きいもの二点入ってるはずが一点、くらいならまだギリギリ気づけるが、大きめと小さめのものが混在する三点のうち、一点足りなかった、だと、直感的に気付くのは難しい。どれがどの商品で、本当に足りているか足りていないか、をすべて明確に判断するのは難しいのだ。なおのこと、今回足りていないのは小さな商品だったので、さすがにこれに気付くのは無理だった。だが、商品を届け終わって評価を見たら案の定、「ビジネスに対するプロ意識」がない、としてBAD評価を受けていた。
 僕としてはすごく不満なのだが、でも届けられたお客さんの方だって、憤っている。それもわかる。こちらのシステムの都合なんて知る由もないのだ。まぁ、仕方がないね。「誰が悪いのか」ということではなくて、ただ生じた感情を、自分の方で対応するだけ。離れるべき場所からは、こっちから離れるだけ。それだけでいい。あとは自分の持ち場で集中するだけ。
 帰ったら猫が窓辺で外を見ていた。
 

2022年9月13日火曜日

全部やる日記 3

 昨日は朝からタリーズ。昼の一時に一旦家に帰る。猫に餌をあげ、シーツの洗濯をし、三十分昼寝をした。このままだらけた状態で、どこにも行けず四時半を迎えてはなるものか、と起き上がる。地区センターに、今夜の体育館の予約をとる電話を入れてから、再びタリーズへ自転車を漕ぐ。この新店舗は二年ぐらい前にできた。店内が綺麗だ。駅の中にあるせいか、イギリスとか、ドイツにあるような、今まで行ってきたヨーロッパのカフェを思い出す。家を出るときは嫌な気持ちでも、着いてみると気分は良い。そのまま5時まで机に向かう。

 一度帰宅し、ジャグリング道具をもって、綴方に行く。着いたところで、Beleafカフェから出てきた俳優のほのさんと、ご近所の綴方店番ベテラン砂田さんに会う。二人とも、バックパックに付いたディアボロに興味がいく。店番の中島さんに綴方で挨拶をしてから体育館に行こう、と思っていたら、店から柏井さんが出てくる。サプライズサプライズ。ツイッターを見ていて、そろそろ柏井さんに会えたらいいなぁ、と思っていた矢先だった。仕事先でうまく行っていないことがあるようで、ほのさんと二人で話を聞く。そこに店長のまさよさんが来て四人で話す。ほのさん、この日記を読んでくれたようで、僕にも元気ですか、と声をかけてくれる。

 こういう、ピンポイントで私的な部分を共有できる友人というのが大事だよね。根本的にはみんな一人だ。その時間を、それぞれが巨大な円の接点で共有している、これが心地いい。ベン図みたいに、ズズズ、と共通の部分を持ち始め、だんだんとその共有面積が大きくなっていって、半分ぐらい重なりあった時に、最終的に、古典的な家族に近づいていく。でも本当のところ、家族と言ったって別にそれほど多くのことを共有しているわけでもない。大半の時間は、人は一人でいる。

 柏井さんの話を聞いていて、それぞれが、それぞれの場所で、人に見えないところで、息が詰まったり、開放的になったり、暗く沈んだり、明るく笑ったりしているんだ、と感じた。そうだよね。人に会うときは皆、その場所の一部となる。風景であり、会話と、場所を構成する一要素になる。でも人に会っていない時、僕らは一人で、こころになる、と思う。自分が考えていることしか眼前にない。身体を失い、こころになる。でもだからこそ、そこで何かが生まれる胎動も聞こえやすいような気がする。身体を失っている時はいいものができる。こともある。他者もないが、自分の身体もない。ただこころがある。

 直前で声をかけたそいそいが体育館に遊びに来てくれる。二人でジャグリングを練習する。隣で「インディアカ」というバレーボールを羽根突きの羽根でやるようなスポーツを隣で練習していたお姉さんが、そいそいが回していたラバーを見て、「そのピザみたいなのはなんですか?」と聞いてくる。「ピザです」と答えた。

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 今日は実に集中できている。やることが決まっているからだろうか。それとも、昨日よく動き、よく寝たからだろうか。多分どちらもである。やっぱりUberの配達を、自転車に切り替えようかと思っている。稼ぎは減るだろうが、でもいずれにしても配達仕事は減らして行き、なるべく近いうちに無くそうと思っているからちょうどいい。配達はスポーツである、と捉えて、それさえも創作のアシストにしてしまうつもり。この日記は、こうやって自分の予定を書き込むところなのだ。自分の希望を、具体的なプランに落としこむ場なのだ。ただ「こうだったらいいなぁと思う」と書いてそれで終わるのではなくて、具体的に実行したいことを、覚悟を持って書く場所でもある。こういうことって、自分の中での一貫性、つまり流れが大事で、僕がこういうふうに書いていることを読んで「なんだあいつ調子のいいことばっかり言って」と思う人もきっといるんだけど、そういう人のことを考えるよりももっと大事なことがあって、それは、自分の流れを止めない、ということである。

2022年9月12日月曜日

全部やる日記 2

 朝8時からタリーズコーヒーに来ることに成功した。落ち着く。ヴァイオリンやギターやピアノを使った、不思議な音楽が流れている。RPGの、平穏な村で流れるような音楽。周りにはほとんど人がいない。平日の朝はこんなもの。一昨日の土曜日は、昼が近づくにつれてほぼ満席になっていた。

 昨日の夜、落ち込んでいたのでSと電話をした。色々とヘナヘナした愚痴を聞いてもらっている間に、スケジュールを固定した方がいい、という話になった。僕は今、どこに出勤をする必要もない。フリーランスの立場だ。いいときもあるし、悪いときもある。悪い、というのは、「細かい決定に至るまで、いちいちすべて自分でその決断を下さないといけないこと」である。そして、その決断の条件として「今はこういう気分だからこうしよう」というように自分のコンディションを勘定に入れていると、疲れる。自分で全部決められるのは、一見いいことのようでいて、決定を下すことに精神的なリソースを割かなければいけないが故に、とても疲れるのだ。そうやって無意味なことで疲れると、余計に落ち込む。悪循環に陥る。

 一例として、僕は朝起きた時、家ではうまく集中して仕事をすることができない。だから、まず「どのカフェに行くか」を決めることに時間を割く。でもそのために一時間も二時間もダラダラする時がある。すると十時近くなって、あーあ、俺は今日何もできないや、という落ち込んだ気分になってくる。それだけでゲンナリしてしまう。そんなのは嫌なのである。でも自分でいちいち決めているとそういうことになるのだ。かといって、行く場所を一つのカフェにだけ決めていると、なんだか飽きてしまう。だから僕は、コインを投げて、表ならタリーズ、裏ならむさしの森珈琲にいくことにした。昨日の夜、コインを三回投げたら三回とも表だったので、タリーズに来た。

 いや、でも、来てみて思うのだけど、毎日ここで朝ごはんを食べる、ということを一度徹底してみてもいいのかもしれない。少し嫌になるくらい自分を縛ってみるのもいいかもしれない。どうせ、本気で変えたい時には、いつだって簡単に変えられるのだから。

 とにかく、大事な仕事以外に自分のリソースを使いたくない、というのが本音である。

 ひとまずこれからお昼まで、ここで仕事をしようと思う。僕はこのブログも仕事だと思って書いている。「仕事である」と断言することで、緊張感を保っている。自分のコンディションを整える作業であり、文章を書くという運動の練習である。早寝早起きをして、毎日同じように文章を書いて、絵を描いて、ジャグリングをして、そんな生活ができていれば、至極健康でいられるだろう。

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 このところ、落ち込んだ気分がなぜか続いている。今までの経験からして、心が沈む時というのは決まって疲労がある時だ。早く寝て、早く起きるだけで、きっと気分は良くなる。むずかしい話ではない。知っている。わかっている。でも昨日も、寝たのは夜中の一時だった。そして、朝の五時半には目が覚めた。あまりこういうことはない。少し不安になる。普段は、一度寝付いたら、何があろうと六、七時間は問題なく寝ていられる。でもここ最近は朝方に一度目が覚めることが続いている。猫を飼い始めたせいだと僕は考えている。

 猫は夜中でも構わず、いや、夜中になったのを機に、のそのそと部屋を歩き回る。引き戸だって開ける。時々にゃ、にゃ、にゃ、と小声で鳴いたりする。トイレに行って、ザリザリ、と砂をかける音がする。猫と暮らすということは、猫と生活圏を共有するということである。ひょっとすると、僕にはもう少し大きい部屋が必要なのかもしれない。時々、賃貸のウェブサイトを見ている。半分本気で、引っ越しを考えてもいる。家賃の安くて広い場所に住めたら、と思う。

 僕はこの日記で、文章を書く練習をする、と決めた。言うまでもないことだが、文章を書くことも練習が必要である。あらゆる芸と一緒である。大舞台に出る前に、息をするように練習をしているフェーズがあって、それをただ自然体で見せること。そういう在り方に憧れがある。僕はそういう人を見た時にこそ、感銘を受ける。腹を括って、一日一時間はこの日記を書くことに費やしてみたい。同じように、ジャグリングだって僕は、本当は最低一時間ぐらいやってないといけない。この要請はどこから来ているのか。他人ではない。誰にも言われていない。それは僕自身の内側からくる要請である。しっかりやれウイルス・陽性。日々意味のあることを積み重ねている、という実感が欲しい。でもこういうことを言ってしまうのも、優しくないよね、と思う。「意味のあることを積み重ねていなければ」という言明は、「意味のあることを積み重ねていない人間はダメだ」という価値判断を暗示しているからである。意地悪だ。でも、一方でやはり「前に進んでいたい、積み重ねたい」という、確かな実感もあるんだから仕方がない。

 僕はなんでも、いつかは自分の思い通りになると思い上がっている。

 本当の意味でのウケる、愛される、ということは、つまりリスペクトである、と最近考えている。表面的に何か面白いことをしたから面白い、というのとは別のレイヤーに、その人の舞台上でのパフォーマンスを見て、その裏に存在する膨大な時間と、探究心と、深く関わっているからこそ見出せる視点を感じた時に、自然な拍手が出てくる。賞賛せずにはいられない、参りました、そんな感覚。

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 この日記は、自分との対話である。公開することに意味があるだろうか? 僕は、意味がある、と信じる。自分を励まし、自分を知るための文章である。同時に、他人にとっても、励ましや、自己を知るための鏡になっていればいい。

2022年9月11日日曜日

全部やる日記 1

僕は日記を書くことで、自分を励ましている。僕が欲しいのは仲間である。思いついたことを気楽に吐き出せる相手を探している。でもそれは別に相手が人でなくてもいいので、むしろ人でない方がいいのだとすら思う。猫でもいい。こうして、日記でもいい。僕はいつでも何か書きたいことはあって、でも書けない、ということがたくさんある。それについて僕は何度も書いてきているんだけど、つまりそれは、質ばっかり気になってしまっているときに、何も書けなくなる。質が悪いものを作ってはいけない、という気持ちに邪魔をされて何も作り出すことができない、ということが起きている。

文章を書くときには、肩の力を抜いて、スーと流れるような書き方をしている方が、明らかに気持ちがいい。気持ちよく書けていれば、別にその文章自体が後でどうなろうとどうでもいいじゃないか。そういう文章があっていい。それとは別に、今取り組みたいと思っている文章も、別で書いたらいい。むしろ、そういうふうにして、一つ何かを達成した、と思えると、人は心からの自信を手にして、もう一つのことも勢いでやっちゃえるようにできている。だから1日の初めに何かを達成するのは大事だ。今日はもう10時半になってしまったけど、こうして1日を、何か好きなように文章を書く、という経験で始めるのはいいことだろう、と思っている、それがどんな質のものでもいい。ただ、何かを書いて発表する、という一連の流れに意味がある。ラジオ体操と一緒である。ただそれで1日を始める、ということ。それによって、次の行動がとてもスムーズになるのだ。絵を描くことだって一緒である。意味なんかないし、それが成果につながらないといけないわけではない。成果につなげたいと思っていることは、それとはまた別にやる、ということで何かが本気で生み出される、という気もしている。日課のようなものには、他人から見た時の面白みがなくたっていい。

まぁ、ラジオ体操を見るのも時々は面白いし、そこにいくといつもラジオ体操をやっている、ということが人を励ますことだってあると思う。

どうも僕は、「本当は優先順位としては一番にやらなければいけないことがあり、真っ先にそれをやらねばならないのだが、二番目、三番目にやりたいこともあって、むしろそちらの方が断然、やりたいことである」という状況に弱い。そういう状況に陥ると、一応、一番にやりたい方をやり始めるのだけど、結局二番、三番がやれていないということが気になってしまって、一番にも集中できない、そして二番目三番目もどんどん放置されていく、という状況になる。いいことがない。

邪魔しているのはいつでも恐れだ。恐れさえなければ、何かを作ることは無限の楽しみを提供してくれるはずで、でも恐れがない、という状況は待っているだけだと訪れない。それで、システマチックに何か、自分で仕組みを構築するしかない。つまり、擬似的に「恐れがない時間」を作り出すしかない。

僕は今、この日記とは別で、最近うちにきた猫についての文章を書いている。一体それがどこに向かうのかはよくわからないし、まだまだ僕はそういうふうに、文章を書いてそれをまとめる、最後に本にする、という作業には慣れていないので、手探りであるのも仕方がないことである。とりあえず何も考えずに技を繰り出してから、徐々にそれを、実際の現実に適応させていく、というのが僕のいつものやり方である。ゲームをしていたって、僕はいつもそうだ。考えて考えて、適切な一手を打つ、ということができない。とにかくトライ&エラーを膨大な量こなして、なんとか先に進んでいく、というやり方で進んでいる。だから、細かく行き届いた技術を身につけるのは苦手である。でもそれが僕である。あまり小賢しくやることができない。ただ愚直だ。というより、愚かだ。ノリで押し切ることしかできない。でもまずそこを認めるところからしか始まらない。下手だし、つまらないし、ただ欲望しかないけれど、でもそれでいい。何も期待しない。ただ、快感に従って動くことだけは、自分に嘘をつかない。反射神経で動く。動いた中から、技術を抽出していく。パターン認識をする。それが僕の学び方である。外国語で体験してきたのも、多くは、そういうことであるかもしれない。たくさん聞いていたら、意識的に解ろうとする前に、わかられていく。とにかく、飛び込んでいくしかない。わからないところに飛び込んで、そこで1年でも2年でも5年でも10年でもいい、もがいているうちに滑らかになる。でも何でもかんでも、ひとまずは、全然うまくいかない、とショックを受けるところから始まる。でもそれを楽しめているかどうかが、続くかどうかの分かれ目だ。自分の才能なんていうものに微塵も自信を持ってはいけないが、適応能力には自信を持っていい。適応することができる、ということは、これまでの30年間において、僕は身体をもって知っている。

とにかく、恐れを捨てて、評価されることから外れて、自分が書きたいという気持ちだけをぶつけた文章がある、ということ。そんな絵がある、ということ。そしてそんなジャグリングもある、ということ。そこから、徐々に「それ以外」を見つけていく。初めからうまくやろうとしないこと。そして初めを過ぎても、永遠に、うまくやろうとしないこと。

うまくいく時は、どうせわかる。ああ、これはうまくいくな、と確信があるときに、ここ一番の集中力を出してその目標を捉えるようにすれば、必ずうまくいく。でも、その時までは極めて適当でいい。むしろ、適当でないと、つまり他者から見た評価を一旦脇においておかないと、そこに辿り着かない。「作りたい」のならば、とりあえず大半を駄作として切り捨てるつもりで、つくるという行為に埋没しながら、その中で光明を探すのみである。海に潜りたいのならば海に潜る。危険なところに行ったら、察知する能力がある。恐れを感じない範囲を広くしていきたいのならばまず飛び込む。

僕は今でも、時々自分でお金を稼いでいることが、ふと、子供の頃の自分から見たら、随分と立派なことに見えるんだろうな、と思うことがある。こうして僕も成長してきたのだ。でもそれは特別頑張ったのではなくて、勝手にそういうふうになっていった。幼いとき、僕は両親にずっと頼りっぱなして、自分で自分のお金を稼ぐなんていうことは微塵も考えていなかった。本当に成長している時、その瞬間は自分ではわからない。状況に対応しようと、身体が自然に組成を変えて、それは、単に肉体的な身体ということだけではなくて、精神も含めた身体が、適応していってくれる。それが自然な成長というものである。だから、あまり考える必要はない。本当に考える必要がある場面では、身体は自然に考えてくれる。それを信じる、ということが飛び込むということだ。一発で正解を出せると思っていることの方が思い上がりなのである。

文章を書くことに関して僕がよいと思う部分は、聞き手を必要としないこと。聞き手がいると、自分が言いたいことをフルで言うことはできない。まれに、自分が言いたいことを素で全部言えるようなパートナー、のような人に会うことだってないではないが、それでも、いつでも、話を聞いて欲しい瞬間にそこにいるわけではない。いないことの方が圧倒的に多い。

僕は、人と話をしていて、もちろんその人の話が面白いことだってあるのだが、自分の考えていることを知りたいとも思っている。それを線上に並べて、一体自分がどういう存在であるのか、ということを外部的な刺激に変換して、それを味わいたいと思っている。それが互いに満たされているときに、互いを仲間だと思えるような感じがする。そういう意味で、僕は仲間が欲しい、自分がよくわかるような面白い仲間が欲しい、と思ってもいるし、逆に、別に仲間なんか、関係ない、ここで一人で自分に対峙することが一番の表現だ、とも思う。

2022年9月10日土曜日

キジトラネコのぽん 1

 家に猫がきた。

 「ぽん」という推定八歳のメスのキジトラ猫である。ぽんというのは、僕がつけた名前だ。タヌキのように地味な柄で、しっぽが極端に短い。まるでポンポンのような形をしている。僕は里親募集の写真を見て、すぐに「ぽん」という名前をつけた。

 その猫に実際に会いに行く時には、頭の中ですっかりその名を呼び慣れていた。だから家に来てキャリーケースから恐る恐る猫が出てきた瞬間、僕は、ぽんちゃん、と呼んだ。初めてその名を聞いた猫は、少し不安な声で「にゃー」と言った。

 以前にも(三ヶ月くらい前の話だ)一週間だけ、二匹の猫が家にいたことがあった。オレンジのぶち模様で、すらりとした、人懐こい、かわいい猫の親子だった。でも、いろいろと噛み合わないことがあって、結局この二匹は元の飼い主のところに帰っていった。高知県から飛行機で僕が連れ帰ってきた猫だった。帰りもJALの飛行機に乗って帰っていった。父親に車を出してもらって、羽田空港の貨物エリアまで行って、キャリーを預けて見送った。

 猫を飛行機に乗せた日、僕は久しぶりに、父と二人きりでコーヒーを飲んで話をした。空港の最上階にあるカフェの窓から飛行機を眺めて、今年七十歳になる父は、ちょっと楽しそうにしていた。

※※※

 ぽんちゃんは、前に僕の家にいた猫に比べると、そこまで人好きではない。以前の猫は、家に着いてキャリーのドアを開けた瞬間に目の前に人を見つけてすり寄ってくるような、人間が大好きな猫だった。

 ぽんは違う。怖がりな猫だ。顔にもそれが表れている。警戒心の強い顔つきをしている。家に着いてキャリーを開けると、目をまんまるく見開いて、ヤー、と鳴きながら、そっと出てきて、しばらく匂いを嗅ぎながら探検をした。そして三分もたたないうちにベッドの下にモゾモゾと隠れてしまった。

 たいていは暗がりに隠れている。ロフトに置いている荷物の隙間か、押入れの下段にある、大きい道具箱の上がお気に入りのスペースだ。どちらもちょうど猫の身体がすっぽり入る空間だ。陽光が差している間は、トイレと食事の時以外、このスペースより外に出てこない。

 今日で、ぽんが家に来てから十日が経つ。

※※※

 ぽんがきた最初の日のこと。僕はカブにまたがり、予約した時間である朝の九時半に横浜市の動物愛護センターに向かった。愛護センターは、家からそれほど遠くなかった。家を出て二十分ほどで到着した。菅田町という少し田舎っぽい町の高台にあった。何も考えずにGoogleマップに打ち込んだ住所に辿り着いて、僕は以前にもこの施設の前を通ったことがあると思い出した。その時はバイクで配達仕事をしていた。その建物に至るまでの道沿いには古い住宅ばかりが並んでいて、昭和か、よくて平成前半ぐらいで時が止まっているような印象だ。そこにいきなり、現代的で綺麗な建物が現れる。不思議な佇まいだ。一体なんの施設だろう。宗教施設かな、と初めて訪れた時は訝しく思っていた。でも、謎が解けた。ここは方々から信徒が集まる場所ではなくて、保護された動物たちが集まるシェルターだったのだ。

 猫の譲渡のために手続きをしている最中に職員の方に聞いてみると、十年ほど前にできた、まだまだ新しい施設とのことだった。大きくて白い建物の前には、広い芝生がある。僕が行った時には、女の人が、その芝生で小さなトイプードルと一緒に遊んでいた。施設全体は木々に囲まれていた。山の中を切り開いて作ったような、自然に囲まれた場所だ。犬のしつけを学べるホールや講義を行えるスペースもある。ただ単に保護動物を収容する場所ではなかった。愛玩動物との接し方について、総合的に教育や支援を提供している施設だった。

※※※

 以前家に迎え入れた猫がいなくなってから、しばらく「猫はいいかな」という気持ちでいた。猫のいる生活が楽しくもあり、また辟易してもいた。猫を飼うのは初めてだった。世話の方法もあまりよくわからなかった。夜鳴きをしていたり、スピーカーをチョイチョイと触って床に落としたり、上に乗ってきたりするものだから、頻繁に目を覚まし、寝不足にもなった。ワンルームに猫がいるって、なんだか大変だなと思った。それも二匹も。

 しばらく猫はやめておこう、猫カフェでも行こう、と思っていた。しかし、インターネットで猫の動画を見たり、実際に猫と触れ合ったり、友人が猫を飼い始めたりするのを見るにつけ、やっぱり家に猫がいたら楽しいのだろうな、と強く感じるようになってきた。

 そしてある日突然、僕は猫をもらってくる気になった。その時僕はカフェにいて、そこから愛護センターに電話をかけた。腰の低い、穏やかな声をした中年の男性が電話に出て、あいにく譲渡の担当が不在でして、またかけ直します、と丁寧に言われた。一時間ぐらいして電話がかかってきた時、僕はバイクで配達をしていた。配達が終わったタイミングでこちらから電話をかけると、今度は若い女性の声だった。僕は、大口商店街の脇道を入って手帳を広げ、欲しい猫の特徴や、都合のいい日を伝えていた。

※※※

 施設に行って、まずはタヌキのような柄をした猫、つまり、ぽんちゃんを一番最初に見せてもらった。「猫の家」と書かれた、小さな小屋のような建物の中に入って右側の部屋で、そのサビネコは佇んでいた。低めのキャットタワーの箱の穴から顔を出して、こちらをじっと見ていた。

 規則で定められているらしく、白衣を着てから中に入る。こちらを見ているその猫には、怯えている様子はなかった。でも喜んでいるようでもなくて、ただこちらを見ていた。僕はゆっくりと手を近づけた。猫はより目になって、ふんふん、と指先の匂いを嗅いだ。そして半目びらきで、目を合わせてきた。さわれそうだったので、頭とほっぺたを、手の甲でそっと撫でた。猫は目を瞑って、されるがままになっていた。

 僕はその猫の頭を触った時、瞬時に、叡智と、経験の積み重ねのようなものを感じた。僕よりも何か厳しいことを経験してきた人に対峙した時のような気持ちになった。箱はL字型で、頭と反対の側も穴になっていた。その穴からは、写真で見た通り、ポンポンの尻尾がついたおしりが突き出ていた。今度はそちら側から、背中の方を撫でてみた。特にいやがる様子はなかった。背中に触った時、明らかに歳をとっていることがすぐに了解された。硬い背骨の感触がはっきりとわかる。

 僕は今まであまり老いた猫を撫でたことがなかった。触れ合ってきたのは、六歳ぐらいまでの、比較的若い猫だ。それくらいの歳の猫を撫でたり抱き上げたりした時に真っ先に感じるのは、肉の柔らかさだ。でもこの目の前の猫の身体は、どちらかというと、その人生の後半に足を踏み入れた生き物の手触りをしていた。

 そのあと僕は、もう一匹の候補だった二歳のメスの三毛猫も触らせてもらった。その猫は、最初のキジトラネコとは対照的に、元気いっぱいだった。にゃーおにゃーおと鳴き盛って、僕が手のひらから餌をあげようとすると、怒ったような声をあげて手を甘噛みしてきた。可愛いけれど、少し元気すぎるような気がした。建物を移動して、生後半年くらいまでの子猫も、何匹も見せてもらった。とても、とても可愛かった。

 子猫はすぐ貰われていくんですよ、と案内をしてくれている所長さんが言った。この所長さんは、最初に電話に出てくれた穏やかな中年男性だった。どれぐらいの頻度で譲渡希望が来るんですか、と聞いてみたら、平日なら二、三人はいらっしゃいますね、と言った。それぞれの猫の特徴についての説明を聞きながら、僕は大きなケージに入って並んでいる子猫たちを見て歩いた。そのうちの一匹に、心が通じそうな見た目をした、白黒の子猫もいた。ああ、この猫だったら、きっと僕と仲良くなるだろうな、と思った。それは明らかな直感だった。

 でも僕は、さっきの所長さんの言葉を思い出した。きっとこの猫も、すぐに貰われていくのだ。そして、それが僕でなくてもいいような気がした。もちろん、とても可愛いかった。小さくて、まんまるで、好奇心いっぱいの目をしていて、とんでもなく愛くるしかった。今すぐ連れ帰って、おもちゃで一緒に遊び、ちゅ〜るをあげたいなと思った。

 でもこの子だったら、どこに行ったって愛されるだろうと思った。

 僕はもう一度、「猫の家」にいるさっきのサビネコ、触ってもいいですか、と言った。所長さんも、譲渡担当のお姉さんも「もちろんです、長い付き合いになりますからね、どうぞゆっくり選んでください」と言った。僕は再び猫の家に戻り、右側にいるサビネコに声をかけながら、部屋に入っていった。そして再び、背中を触ってみた。やっぱり、年老いた手触りだった。猫は、特に何も反応しなかった。

 僕は一体、猫に何を求めているんだろう?

 最後の決断をしようと思って、不意に、猫を家に迎える明確な理由がよくわからなくなった。ただ、猫が欲しい、という思いで僕はここに来た。愛くるしい動物を自分に懐かせたいんだろうか。それとも、仲間が欲しいんだろうか。それとも、他の理由なんだろうか。よくわからなかった。

 猫を選ぶための明瞭な基準なんて、特になかった。

 僕はもう一度、今度は猫の頭を撫でた。

 猫は、おとなしかった。

 「この猫にします」と僕は言った。所長さんは、「そうですか、とてもありがたいです、どうもありがとうございます」と、頭を下げた。キャリーに入れて持っていきますので二階で手続きをしていてください、と言った。僕はお姉さんと一緒に階段で二階に上がって机の前に座り、書類を読み、サインをした。手続きが終わる頃に、所長さんが猫の入ったキャリーを持ってきてくれた。よいしょ、と持ち上げてから、机にそっと置いた。「おい、よかったな」と所長さんは言い、窓になっている部分をコツンと叩いた。猫は少し不安げな声で「らーお」と言った。

 僕は嬉しかった。キャリーの蓋に頭を押し付けて外を眺めている猫を見て、笑顔になった。僕はさっきこの猫を触った時の手触りをもう一度思い出していた。これからこの猫と一緒に暮らすんだ。

 僕はお礼を言って、建物を出ると、カブのエンジンをかけた。

 こうして僕の家に、キジトラ猫のぽんが住むことになった。

(キジトラネコのぽん 2 に続く。  2022年9月10日