2022年9月29日木曜日
全部やる日記 11
2022年9月25日日曜日
全部やる日記 10
2022年9月19日月曜日
全部やる日記 9
このままでは一日が終わってしまう、と思って、猫を置いてとりあえず家を出る。みなとみらいまで行こうと思ったが、生活綴方に寄ったら、話したい人たちがいたので、少し話をして、それから結局綴方の本屋の二階で仕事をしていくことにした。
2022年9月18日
2022年9月18日日曜日
全部やる日記 8
2022年9月17日土曜日
全部やる日記 7
2022年9月16日
2022年9月16日金曜日
全部やる日記 6
2022年9月15日
2022年9月15日木曜日
全部やる日記 5
2022年9月14日
2022年9月14日水曜日
全部やる日記 4
朝から事務所(タリーズ)に。朝は集中できていたようである。昼になって、母が来るというので、妙蓮寺駅まで迎えに行く。生活綴方の前にあるイタリアンでランチ。母はワインを飲んでいた。妙蓮寺にはワインの専門店もあって、この町の様子をすごく気に入ったようである。いつもは車で来ちゃうけど、車で来るところじゃないね、歩いたほうが楽しいね、と言っていた。そのあと僕の家にきて、猫のぽんを見ていった。ぽんは見知らぬ人が来ると、警戒して押し入れの中で身を潜め、ご飯もあまり食べなくなる。母は気を遣って、少しだけちゅーるをあげて帰っていった。妙蓮寺とは反対側、白楽の方面へ歩いて帰って行った。後でメッセージをしたら、白楽はあまり面白くなかった、という。妙蓮寺の方が気に入ったらしい。でも、母はまだまだ元気だな、と思った。父も、今年七十になるけどまだ元気で、白髪は増えたけど、一般的な七十歳の像よりは若々しいと感じる。きっちりしているのが好きで、やっぱり保守的な感覚を持ち合わせている、と感じる。でも僕がこうして特に定職にもつかず、何をして生活しているんだかわからないふうでも、別段文句を言うわけでもなく、ただ何かあったら頼れよ、というような態度でいてくれるだけ。
2022年9月13日火曜日
全部やる日記 3
昨日は朝からタリーズ。昼の一時に一旦家に帰る。猫に餌をあげ、シーツの洗濯をし、三十分昼寝をした。このままだらけた状態で、どこにも行けず四時半を迎えてはなるものか、と起き上がる。地区センターに、今夜の体育館の予約をとる電話を入れてから、再びタリーズへ自転車を漕ぐ。この新店舗は二年ぐらい前にできた。店内が綺麗だ。駅の中にあるせいか、イギリスとか、ドイツにあるような、今まで行ってきたヨーロッパのカフェを思い出す。家を出るときは嫌な気持ちでも、着いてみると気分は良い。そのまま5時まで机に向かう。
一度帰宅し、ジャグリング道具をもって、綴方に行く。着いたところで、Beleafカフェから出てきた俳優のほのさんと、ご近所の綴方店番ベテラン砂田さんに会う。二人とも、バックパックに付いたディアボロに興味がいく。店番の中島さんに綴方で挨拶をしてから体育館に行こう、と思っていたら、店から柏井さんが出てくる。サプライズサプライズ。ツイッターを見ていて、そろそろ柏井さんに会えたらいいなぁ、と思っていた矢先だった。仕事先でうまく行っていないことがあるようで、ほのさんと二人で話を聞く。そこに店長のまさよさんが来て四人で話す。ほのさん、この日記を読んでくれたようで、僕にも元気ですか、と声をかけてくれる。
こういう、ピンポイントで私的な部分を共有できる友人というのが大事だよね。根本的にはみんな一人だ。その時間を、それぞれが巨大な円の接点で共有している、これが心地いい。ベン図みたいに、ズズズ、と共通の部分を持ち始め、だんだんとその共有面積が大きくなっていって、半分ぐらい重なりあった時に、最終的に、古典的な家族に近づいていく。でも本当のところ、家族と言ったって別にそれほど多くのことを共有しているわけでもない。大半の時間は、人は一人でいる。
柏井さんの話を聞いていて、それぞれが、それぞれの場所で、人に見えないところで、息が詰まったり、開放的になったり、暗く沈んだり、明るく笑ったりしているんだ、と感じた。そうだよね。人に会うときは皆、その場所の一部となる。風景であり、会話と、場所を構成する一要素になる。でも人に会っていない時、僕らは一人で、こころになる、と思う。自分が考えていることしか眼前にない。身体を失い、こころになる。でもだからこそ、そこで何かが生まれる胎動も聞こえやすいような気がする。身体を失っている時はいいものができる。こともある。他者もないが、自分の身体もない。ただこころがある。
直前で声をかけたそいそいが体育館に遊びに来てくれる。二人でジャグリングを練習する。隣で「インディアカ」というバレーボールを羽根突きの羽根でやるようなスポーツを隣で練習していたお姉さんが、そいそいが回していたラバーを見て、「そのピザみたいなのはなんですか?」と聞いてくる。「ピザです」と答えた。
※※※
今日は実に集中できている。やることが決まっているからだろうか。それとも、昨日よく動き、よく寝たからだろうか。多分どちらもである。やっぱりUberの配達を、自転車に切り替えようかと思っている。稼ぎは減るだろうが、でもいずれにしても配達仕事は減らして行き、なるべく近いうちに無くそうと思っているからちょうどいい。配達はスポーツである、と捉えて、それさえも創作のアシストにしてしまうつもり。この日記は、こうやって自分の予定を書き込むところなのだ。自分の希望を、具体的なプランに落としこむ場なのだ。ただ「こうだったらいいなぁと思う」と書いてそれで終わるのではなくて、具体的に実行したいことを、覚悟を持って書く場所でもある。こういうことって、自分の中での一貫性、つまり流れが大事で、僕がこういうふうに書いていることを読んで「なんだあいつ調子のいいことばっかり言って」と思う人もきっといるんだけど、そういう人のことを考えるよりももっと大事なことがあって、それは、自分の流れを止めない、ということである。
2022年9月12日月曜日
全部やる日記 2
朝8時からタリーズコーヒーに来ることに成功した。落ち着く。ヴァイオリンやギターやピアノを使った、不思議な音楽が流れている。RPGの、平穏な村で流れるような音楽。周りにはほとんど人がいない。平日の朝はこんなもの。一昨日の土曜日は、昼が近づくにつれてほぼ満席になっていた。
昨日の夜、落ち込んでいたのでSと電話をした。色々とヘナヘナした愚痴を聞いてもらっている間に、スケジュールを固定した方がいい、という話になった。僕は今、どこに出勤をする必要もない。フリーランスの立場だ。いいときもあるし、悪いときもある。悪い、というのは、「細かい決定に至るまで、いちいちすべて自分でその決断を下さないといけないこと」である。そして、その決断の条件として「今はこういう気分だからこうしよう」というように自分のコンディションを勘定に入れていると、疲れる。自分で全部決められるのは、一見いいことのようでいて、決定を下すことに精神的なリソースを割かなければいけないが故に、とても疲れるのだ。そうやって無意味なことで疲れると、余計に落ち込む。悪循環に陥る。
一例として、僕は朝起きた時、家ではうまく集中して仕事をすることができない。だから、まず「どのカフェに行くか」を決めることに時間を割く。でもそのために一時間も二時間もダラダラする時がある。すると十時近くなって、あーあ、俺は今日何もできないや、という落ち込んだ気分になってくる。それだけでゲンナリしてしまう。そんなのは嫌なのである。でも自分でいちいち決めているとそういうことになるのだ。かといって、行く場所を一つのカフェにだけ決めていると、なんだか飽きてしまう。だから僕は、コインを投げて、表ならタリーズ、裏ならむさしの森珈琲にいくことにした。昨日の夜、コインを三回投げたら三回とも表だったので、タリーズに来た。
いや、でも、来てみて思うのだけど、毎日ここで朝ごはんを食べる、ということを一度徹底してみてもいいのかもしれない。少し嫌になるくらい自分を縛ってみるのもいいかもしれない。どうせ、本気で変えたい時には、いつだって簡単に変えられるのだから。
とにかく、大事な仕事以外に自分のリソースを使いたくない、というのが本音である。
ひとまずこれからお昼まで、ここで仕事をしようと思う。僕はこのブログも仕事だと思って書いている。「仕事である」と断言することで、緊張感を保っている。自分のコンディションを整える作業であり、文章を書くという運動の練習である。早寝早起きをして、毎日同じように文章を書いて、絵を描いて、ジャグリングをして、そんな生活ができていれば、至極健康でいられるだろう。
※※※
このところ、落ち込んだ気分がなぜか続いている。今までの経験からして、心が沈む時というのは決まって疲労がある時だ。早く寝て、早く起きるだけで、きっと気分は良くなる。むずかしい話ではない。知っている。わかっている。でも昨日も、寝たのは夜中の一時だった。そして、朝の五時半には目が覚めた。あまりこういうことはない。少し不安になる。普段は、一度寝付いたら、何があろうと六、七時間は問題なく寝ていられる。でもここ最近は朝方に一度目が覚めることが続いている。猫を飼い始めたせいだと僕は考えている。
猫は夜中でも構わず、いや、夜中になったのを機に、のそのそと部屋を歩き回る。引き戸だって開ける。時々にゃ、にゃ、にゃ、と小声で鳴いたりする。トイレに行って、ザリザリ、と砂をかける音がする。猫と暮らすということは、猫と生活圏を共有するということである。ひょっとすると、僕にはもう少し大きい部屋が必要なのかもしれない。時々、賃貸のウェブサイトを見ている。半分本気で、引っ越しを考えてもいる。家賃の安くて広い場所に住めたら、と思う。
僕はこの日記で、文章を書く練習をする、と決めた。言うまでもないことだが、文章を書くことも練習が必要である。あらゆる芸と一緒である。大舞台に出る前に、息をするように練習をしているフェーズがあって、それをただ自然体で見せること。そういう在り方に憧れがある。僕はそういう人を見た時にこそ、感銘を受ける。腹を括って、一日一時間はこの日記を書くことに費やしてみたい。同じように、ジャグリングだって僕は、本当は最低一時間ぐらいやってないといけない。この要請はどこから来ているのか。他人ではない。誰にも言われていない。それは僕自身の内側からくる要請である。しっかりやれウイルス・陽性。日々意味のあることを積み重ねている、という実感が欲しい。でもこういうことを言ってしまうのも、優しくないよね、と思う。「意味のあることを積み重ねていなければ」という言明は、「意味のあることを積み重ねていない人間はダメだ」という価値判断を暗示しているからである。意地悪だ。でも、一方でやはり「前に進んでいたい、積み重ねたい」という、確かな実感もあるんだから仕方がない。
僕はなんでも、いつかは自分の思い通りになると思い上がっている。
本当の意味でのウケる、愛される、ということは、つまりリスペクトである、と最近考えている。表面的に何か面白いことをしたから面白い、というのとは別のレイヤーに、その人の舞台上でのパフォーマンスを見て、その裏に存在する膨大な時間と、探究心と、深く関わっているからこそ見出せる視点を感じた時に、自然な拍手が出てくる。賞賛せずにはいられない、参りました、そんな感覚。
※※※
この日記は、自分との対話である。公開することに意味があるだろうか? 僕は、意味がある、と信じる。自分を励まし、自分を知るための文章である。同時に、他人にとっても、励ましや、自己を知るための鏡になっていればいい。
2022年9月11日日曜日
全部やる日記 1
僕は日記を書くことで、自分を励ましている。僕が欲しいのは仲間である。思いついたことを気楽に吐き出せる相手を探している。でもそれは別に相手が人でなくてもいいので、むしろ人でない方がいいのだとすら思う。猫でもいい。こうして、日記でもいい。僕はいつでも何か書きたいことはあって、でも書けない、ということがたくさんある。それについて僕は何度も書いてきているんだけど、つまりそれは、質ばっかり気になってしまっているときに、何も書けなくなる。質が悪いものを作ってはいけない、という気持ちに邪魔をされて何も作り出すことができない、ということが起きている。
文章を書くときには、肩の力を抜いて、スーと流れるような書き方をしている方が、明らかに気持ちがいい。気持ちよく書けていれば、別にその文章自体が後でどうなろうとどうでもいいじゃないか。そういう文章があっていい。それとは別に、今取り組みたいと思っている文章も、別で書いたらいい。むしろ、そういうふうにして、一つ何かを達成した、と思えると、人は心からの自信を手にして、もう一つのことも勢いでやっちゃえるようにできている。だから1日の初めに何かを達成するのは大事だ。今日はもう10時半になってしまったけど、こうして1日を、何か好きなように文章を書く、という経験で始めるのはいいことだろう、と思っている、それがどんな質のものでもいい。ただ、何かを書いて発表する、という一連の流れに意味がある。ラジオ体操と一緒である。ただそれで1日を始める、ということ。それによって、次の行動がとてもスムーズになるのだ。絵を描くことだって一緒である。意味なんかないし、それが成果につながらないといけないわけではない。成果につなげたいと思っていることは、それとはまた別にやる、ということで何かが本気で生み出される、という気もしている。日課のようなものには、他人から見た時の面白みがなくたっていい。
まぁ、ラジオ体操を見るのも時々は面白いし、そこにいくといつもラジオ体操をやっている、ということが人を励ますことだってあると思う。
どうも僕は、「本当は優先順位としては一番にやらなければいけないことがあり、真っ先にそれをやらねばならないのだが、二番目、三番目にやりたいこともあって、むしろそちらの方が断然、やりたいことである」という状況に弱い。そういう状況に陥ると、一応、一番にやりたい方をやり始めるのだけど、結局二番、三番がやれていないということが気になってしまって、一番にも集中できない、そして二番目三番目もどんどん放置されていく、という状況になる。いいことがない。
邪魔しているのはいつでも恐れだ。恐れさえなければ、何かを作ることは無限の楽しみを提供してくれるはずで、でも恐れがない、という状況は待っているだけだと訪れない。それで、システマチックに何か、自分で仕組みを構築するしかない。つまり、擬似的に「恐れがない時間」を作り出すしかない。
僕は今、この日記とは別で、最近うちにきた猫についての文章を書いている。一体それがどこに向かうのかはよくわからないし、まだまだ僕はそういうふうに、文章を書いてそれをまとめる、最後に本にする、という作業には慣れていないので、手探りであるのも仕方がないことである。とりあえず何も考えずに技を繰り出してから、徐々にそれを、実際の現実に適応させていく、というのが僕のいつものやり方である。ゲームをしていたって、僕はいつもそうだ。考えて考えて、適切な一手を打つ、ということができない。とにかくトライ&エラーを膨大な量こなして、なんとか先に進んでいく、というやり方で進んでいる。だから、細かく行き届いた技術を身につけるのは苦手である。でもそれが僕である。あまり小賢しくやることができない。ただ愚直だ。というより、愚かだ。ノリで押し切ることしかできない。でもまずそこを認めるところからしか始まらない。下手だし、つまらないし、ただ欲望しかないけれど、でもそれでいい。何も期待しない。ただ、快感に従って動くことだけは、自分に嘘をつかない。反射神経で動く。動いた中から、技術を抽出していく。パターン認識をする。それが僕の学び方である。外国語で体験してきたのも、多くは、そういうことであるかもしれない。たくさん聞いていたら、意識的に解ろうとする前に、わかられていく。とにかく、飛び込んでいくしかない。わからないところに飛び込んで、そこで1年でも2年でも5年でも10年でもいい、もがいているうちに滑らかになる。でも何でもかんでも、ひとまずは、全然うまくいかない、とショックを受けるところから始まる。でもそれを楽しめているかどうかが、続くかどうかの分かれ目だ。自分の才能なんていうものに微塵も自信を持ってはいけないが、適応能力には自信を持っていい。適応することができる、ということは、これまでの30年間において、僕は身体をもって知っている。
とにかく、恐れを捨てて、評価されることから外れて、自分が書きたいという気持ちだけをぶつけた文章がある、ということ。そんな絵がある、ということ。そしてそんなジャグリングもある、ということ。そこから、徐々に「それ以外」を見つけていく。初めからうまくやろうとしないこと。そして初めを過ぎても、永遠に、うまくやろうとしないこと。
うまくいく時は、どうせわかる。ああ、これはうまくいくな、と確信があるときに、ここ一番の集中力を出してその目標を捉えるようにすれば、必ずうまくいく。でも、その時までは極めて適当でいい。むしろ、適当でないと、つまり他者から見た評価を一旦脇においておかないと、そこに辿り着かない。「作りたい」のならば、とりあえず大半を駄作として切り捨てるつもりで、つくるという行為に埋没しながら、その中で光明を探すのみである。海に潜りたいのならば海に潜る。危険なところに行ったら、察知する能力がある。恐れを感じない範囲を広くしていきたいのならばまず飛び込む。
僕は今でも、時々自分でお金を稼いでいることが、ふと、子供の頃の自分から見たら、随分と立派なことに見えるんだろうな、と思うことがある。こうして僕も成長してきたのだ。でもそれは特別頑張ったのではなくて、勝手にそういうふうになっていった。幼いとき、僕は両親にずっと頼りっぱなして、自分で自分のお金を稼ぐなんていうことは微塵も考えていなかった。本当に成長している時、その瞬間は自分ではわからない。状況に対応しようと、身体が自然に組成を変えて、それは、単に肉体的な身体ということだけではなくて、精神も含めた身体が、適応していってくれる。それが自然な成長というものである。だから、あまり考える必要はない。本当に考える必要がある場面では、身体は自然に考えてくれる。それを信じる、ということが飛び込むということだ。一発で正解を出せると思っていることの方が思い上がりなのである。
文章を書くことに関して僕がよいと思う部分は、聞き手を必要としないこと。聞き手がいると、自分が言いたいことをフルで言うことはできない。まれに、自分が言いたいことを素で全部言えるようなパートナー、のような人に会うことだってないではないが、それでも、いつでも、話を聞いて欲しい瞬間にそこにいるわけではない。いないことの方が圧倒的に多い。
僕は、人と話をしていて、もちろんその人の話が面白いことだってあるのだが、自分の考えていることを知りたいとも思っている。それを線上に並べて、一体自分がどういう存在であるのか、ということを外部的な刺激に変換して、それを味わいたいと思っている。それが互いに満たされているときに、互いを仲間だと思えるような感じがする。そういう意味で、僕は仲間が欲しい、自分がよくわかるような面白い仲間が欲しい、と思ってもいるし、逆に、別に仲間なんか、関係ない、ここで一人で自分に対峙することが一番の表現だ、とも思う。
2022年9月10日土曜日
キジトラネコのぽん 1
家に猫がきた。
「ぽん」という推定八歳のメスのキジトラ猫である。ぽんというのは、僕がつけた名前だ。タヌキのように地味な柄で、しっぽが極端に短い。まるでポンポンのような形をしている。僕は里親募集の写真を見て、すぐに「ぽん」という名前をつけた。
その猫に実際に会いに行く時には、頭の中ですっかりその名を呼び慣れていた。だから家に来てキャリーケースから恐る恐る猫が出てきた瞬間、僕は、ぽんちゃん、と呼んだ。初めてその名を聞いた猫は、少し不安な声で「にゃー」と言った。
以前にも(三ヶ月くらい前の話だ)一週間だけ、二匹の猫が家にいたことがあった。オレンジのぶち模様で、すらりとした、人懐こい、かわいい猫の親子だった。でも、いろいろと噛み合わないことがあって、結局この二匹は元の飼い主のところに帰っていった。高知県から飛行機で僕が連れ帰ってきた猫だった。帰りもJALの飛行機に乗って帰っていった。父親に車を出してもらって、羽田空港の貨物エリアまで行って、キャリーを預けて見送った。
猫を飛行機に乗せた日、僕は久しぶりに、父と二人きりでコーヒーを飲んで話をした。空港の最上階にあるカフェの窓から飛行機を眺めて、今年七十歳になる父は、ちょっと楽しそうにしていた。
※※※
ぽんちゃんは、前に僕の家にいた猫に比べると、そこまで人好きではない。以前の猫は、家に着いてキャリーのドアを開けた瞬間に目の前に人を見つけてすり寄ってくるような、人間が大好きな猫だった。
ぽんは違う。怖がりな猫だ。顔にもそれが表れている。警戒心の強い顔つきをしている。家に着いてキャリーを開けると、目をまんまるく見開いて、ヤー、と鳴きながら、そっと出てきて、しばらく匂いを嗅ぎながら探検をした。そして三分もたたないうちにベッドの下にモゾモゾと隠れてしまった。
たいていは暗がりに隠れている。ロフトに置いている荷物の隙間か、押入れの下段にある、大きい道具箱の上がお気に入りのスペースだ。どちらもちょうど猫の身体がすっぽり入る空間だ。陽光が差している間は、トイレと食事の時以外、このスペースより外に出てこない。
今日で、ぽんが家に来てから十日が経つ。
※※※
ぽんがきた最初の日のこと。僕はカブにまたがり、予約した時間である朝の九時半に横浜市の動物愛護センターに向かった。愛護センターは、家からそれほど遠くなかった。家を出て二十分ほどで到着した。菅田町という少し田舎っぽい町の高台にあった。何も考えずにGoogleマップに打ち込んだ住所に辿り着いて、僕は以前にもこの施設の前を通ったことがあると思い出した。その時はバイクで配達仕事をしていた。その建物に至るまでの道沿いには古い住宅ばかりが並んでいて、昭和か、よくて平成前半ぐらいで時が止まっているような印象だ。そこにいきなり、現代的で綺麗な建物が現れる。不思議な佇まいだ。一体なんの施設だろう。宗教施設かな、と初めて訪れた時は訝しく思っていた。でも、謎が解けた。ここは方々から信徒が集まる場所ではなくて、保護された動物たちが集まるシェルターだったのだ。
猫の譲渡のために手続きをしている最中に職員の方に聞いてみると、十年ほど前にできた、まだまだ新しい施設とのことだった。大きくて白い建物の前には、広い芝生がある。僕が行った時には、女の人が、その芝生で小さなトイプードルと一緒に遊んでいた。施設全体は木々に囲まれていた。山の中を切り開いて作ったような、自然に囲まれた場所だ。犬のしつけを学べるホールや講義を行えるスペースもある。ただ単に保護動物を収容する場所ではなかった。愛玩動物との接し方について、総合的に教育や支援を提供している施設だった。
※※※
以前家に迎え入れた猫がいなくなってから、しばらく「猫はいいかな」という気持ちでいた。猫のいる生活が楽しくもあり、また辟易してもいた。猫を飼うのは初めてだった。世話の方法もあまりよくわからなかった。夜鳴きをしていたり、スピーカーをチョイチョイと触って床に落としたり、上に乗ってきたりするものだから、頻繁に目を覚まし、寝不足にもなった。ワンルームに猫がいるって、なんだか大変だなと思った。それも二匹も。
しばらく猫はやめておこう、猫カフェでも行こう、と思っていた。しかし、インターネットで猫の動画を見たり、実際に猫と触れ合ったり、友人が猫を飼い始めたりするのを見るにつけ、やっぱり家に猫がいたら楽しいのだろうな、と強く感じるようになってきた。
そしてある日突然、僕は猫をもらってくる気になった。その時僕はカフェにいて、そこから愛護センターに電話をかけた。腰の低い、穏やかな声をした中年の男性が電話に出て、あいにく譲渡の担当が不在でして、またかけ直します、と丁寧に言われた。一時間ぐらいして電話がかかってきた時、僕はバイクで配達をしていた。配達が終わったタイミングでこちらから電話をかけると、今度は若い女性の声だった。僕は、大口商店街の脇道を入って手帳を広げ、欲しい猫の特徴や、都合のいい日を伝えていた。
※※※
施設に行って、まずはタヌキのような柄をした猫、つまり、ぽんちゃんを一番最初に見せてもらった。「猫の家」と書かれた、小さな小屋のような建物の中に入って右側の部屋で、そのサビネコは佇んでいた。低めのキャットタワーの箱の穴から顔を出して、こちらをじっと見ていた。
規則で定められているらしく、白衣を着てから中に入る。こちらを見ているその猫には、怯えている様子はなかった。でも喜んでいるようでもなくて、ただこちらを見ていた。僕はゆっくりと手を近づけた。猫はより目になって、ふんふん、と指先の匂いを嗅いだ。そして半目びらきで、目を合わせてきた。さわれそうだったので、頭とほっぺたを、手の甲でそっと撫でた。猫は目を瞑って、されるがままになっていた。
僕はその猫の頭を触った時、瞬時に、叡智と、経験の積み重ねのようなものを感じた。僕よりも何か厳しいことを経験してきた人に対峙した時のような気持ちになった。箱はL字型で、頭と反対の側も穴になっていた。その穴からは、写真で見た通り、ポンポンの尻尾がついたおしりが突き出ていた。今度はそちら側から、背中の方を撫でてみた。特にいやがる様子はなかった。背中に触った時、明らかに歳をとっていることがすぐに了解された。硬い背骨の感触がはっきりとわかる。
僕は今まであまり老いた猫を撫でたことがなかった。触れ合ってきたのは、六歳ぐらいまでの、比較的若い猫だ。それくらいの歳の猫を撫でたり抱き上げたりした時に真っ先に感じるのは、肉の柔らかさだ。でもこの目の前の猫の身体は、どちらかというと、その人生の後半に足を踏み入れた生き物の手触りをしていた。
そのあと僕は、もう一匹の候補だった二歳のメスの三毛猫も触らせてもらった。その猫は、最初のキジトラネコとは対照的に、元気いっぱいだった。にゃーおにゃーおと鳴き盛って、僕が手のひらから餌をあげようとすると、怒ったような声をあげて手を甘噛みしてきた。可愛いけれど、少し元気すぎるような気がした。建物を移動して、生後半年くらいまでの子猫も、何匹も見せてもらった。とても、とても可愛かった。
子猫はすぐ貰われていくんですよ、と案内をしてくれている所長さんが言った。この所長さんは、最初に電話に出てくれた穏やかな中年男性だった。どれぐらいの頻度で譲渡希望が来るんですか、と聞いてみたら、平日なら二、三人はいらっしゃいますね、と言った。それぞれの猫の特徴についての説明を聞きながら、僕は大きなケージに入って並んでいる子猫たちを見て歩いた。そのうちの一匹に、心が通じそうな見た目をした、白黒の子猫もいた。ああ、この猫だったら、きっと僕と仲良くなるだろうな、と思った。それは明らかな直感だった。
でも僕は、さっきの所長さんの言葉を思い出した。きっとこの猫も、すぐに貰われていくのだ。そして、それが僕でなくてもいいような気がした。もちろん、とても可愛いかった。小さくて、まんまるで、好奇心いっぱいの目をしていて、とんでもなく愛くるしかった。今すぐ連れ帰って、おもちゃで一緒に遊び、ちゅ〜るをあげたいなと思った。
でもこの子だったら、どこに行ったって愛されるだろうと思った。
僕はもう一度、「猫の家」にいるさっきのサビネコ、触ってもいいですか、と言った。所長さんも、譲渡担当のお姉さんも「もちろんです、長い付き合いになりますからね、どうぞゆっくり選んでください」と言った。僕は再び猫の家に戻り、右側にいるサビネコに声をかけながら、部屋に入っていった。そして再び、背中を触ってみた。やっぱり、年老いた手触りだった。猫は、特に何も反応しなかった。
僕は一体、猫に何を求めているんだろう?
最後の決断をしようと思って、不意に、猫を家に迎える明確な理由がよくわからなくなった。ただ、猫が欲しい、という思いで僕はここに来た。愛くるしい動物を自分に懐かせたいんだろうか。それとも、仲間が欲しいんだろうか。それとも、他の理由なんだろうか。よくわからなかった。
猫を選ぶための明瞭な基準なんて、特になかった。
僕はもう一度、今度は猫の頭を撫でた。
猫は、おとなしかった。
「この猫にします」と僕は言った。所長さんは、「そうですか、とてもありがたいです、どうもありがとうございます」と、頭を下げた。キャリーに入れて持っていきますので二階で手続きをしていてください、と言った。僕はお姉さんと一緒に階段で二階に上がって机の前に座り、書類を読み、サインをした。手続きが終わる頃に、所長さんが猫の入ったキャリーを持ってきてくれた。よいしょ、と持ち上げてから、机にそっと置いた。「おい、よかったな」と所長さんは言い、窓になっている部分をコツンと叩いた。猫は少し不安げな声で「らーお」と言った。
僕は嬉しかった。キャリーの蓋に頭を押し付けて外を眺めている猫を見て、笑顔になった。僕はさっきこの猫を触った時の手触りをもう一度思い出していた。これからこの猫と一緒に暮らすんだ。
僕はお礼を言って、建物を出ると、カブのエンジンをかけた。
こうして僕の家に、キジトラ猫のぽんが住むことになった。
(キジトラネコのぽん 2 に続く。 2022年9月10日)