2022年9月14日水曜日

全部やる日記 4

2022年9月13日
 朝から事務所(タリーズ)に。朝は集中できていたようである。昼になって、母が来るというので、妙蓮寺駅まで迎えに行く。生活綴方の前にあるイタリアンでランチ。母はワインを飲んでいた。妙蓮寺にはワインの専門店もあって、この町の様子をすごく気に入ったようである。いつもは車で来ちゃうけど、車で来るところじゃないね、歩いたほうが楽しいね、と言っていた。そのあと僕の家にきて、猫のぽんを見ていった。ぽんは見知らぬ人が来ると、警戒して押し入れの中で身を潜め、ご飯もあまり食べなくなる。母は気を遣って、少しだけちゅーるをあげて帰っていった。妙蓮寺とは反対側、白楽の方面へ歩いて帰って行った。後でメッセージをしたら、白楽はあまり面白くなかった、という。妙蓮寺の方が気に入ったらしい。でも、母はまだまだ元気だな、と思った。父も、今年七十になるけどまだ元気で、白髪は増えたけど、一般的な七十歳の像よりは若々しいと感じる。きっちりしているのが好きで、やっぱり保守的な感覚を持ち合わせている、と感じる。でも僕がこうして特に定職にもつかず、何をして生活しているんだかわからないふうでも、別段文句を言うわけでもなく、ただ何かあったら頼れよ、というような態度でいてくれるだけ。
 僕の兄は小学校の先生。もう十年以上、教師の道を歩いている。その兄に比べたら僕は道化である。ギグワークばかり。いや、コメディアンでもない自分を道化と呼称するのは、本筋の道化師にも失礼だろう。父は警察官、母は教師で、兄も教師で全員公務員、僕だけジャグラー、と自己紹介することがある。そのことについて父がどう思っているのか、ちゃんと聞いたことはない。母は、「上の子はしっかり者に育てて、下の子は自由な子にしたかったから、計画通りだ」と言っていたことがあった。
 そういえば、母とパスタを食べ終わって歩いている時、もしかしたら2月に台湾でパフォーマンスをするかもしれない、と言ったら、母は嬉しそうにしていた。こういうプレゼントだったらいっぱいしてあげたいなと思う。
 また、タリーズに戻る。コーヒーを頼む。何か集中してやろうとするのだが、一日の後半に差し掛かると創作的な作業というのはできないな。頭にも身体にも、処理すべき余計な情報が溜まりすぎている。『ラストナイト・イン・ソーホー』という映画をMacBookで観た。この映画は、映画館で観ようと思っていたもの。プロットの面白さは普通で、ラストが少し駆けであっけなさはあったが、全体の映像が良いと思った。序盤に主人公がコーンウォールからロンドンに越してきたところを見て、旅情をそそられた。
 全然仕事にはならず、諦めて家に帰って、今度は配達仕事に出る。あまり気合が入らなかった。最後の一本で、某寿司チェーンの食べ物を届けた時、「足りない物がある」とお客さんから電話が入り、僕はその時ローソンで焼き鳥を買って食べていたのだが、まだ近くにはいたので、再び店に帰り、事情を伝えてその食べ物を出してもらい、届け直した。
 システム的にいえば、これは完全なる僕の「無賃のサービス」だ。配達はもう終了しているので、その後に僕が何をしようとも、賃金にはならない。そして、渡した商品が足りているか足りていないか確認するのは、基本的にはレストラン側の責任である。点数があっているかぐらいは確認できないでもないが、正確な内訳はこちらは分からない。なおのこと、今回は自動でロッカーから受け取るケースだった。僕の方はパッと取って、それを届けるだけ。まぁ、確認しなかった僕の落ち度もあろうが、現実的には、毎度毎度、ちゃんと足りているかどうかを詳しく確認するのは容易ではない。大きいもの二点入ってるはずが一点、くらいならまだギリギリ気づけるが、大きめと小さめのものが混在する三点のうち、一点足りなかった、だと、直感的に気付くのは難しい。どれがどの商品で、本当に足りているか足りていないか、をすべて明確に判断するのは難しいのだ。なおのこと、今回足りていないのは小さな商品だったので、さすがにこれに気付くのは無理だった。だが、商品を届け終わって評価を見たら案の定、「ビジネスに対するプロ意識」がない、としてBAD評価を受けていた。
 僕としてはすごく不満なのだが、でも届けられたお客さんの方だって、憤っている。それもわかる。こちらのシステムの都合なんて知る由もないのだ。まぁ、仕方がないね。「誰が悪いのか」ということではなくて、ただ生じた感情を、自分の方で対応するだけ。離れるべき場所からは、こっちから離れるだけ。それだけでいい。あとは自分の持ち場で集中するだけ。
 帰ったら猫が窓辺で外を見ていた。
 

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