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2021年4月6日火曜日

ながいつぶやき(92)【延期】「ジャグリングの展示」は、延期となりました。

しばしこのブログで必死に宣伝していた「ジャグリングの展示」が、延期となりました。

最短でも「GWが明けてから」になりそうです。

理由はさまざまですが、端的に言うと「明らかに時間が足りない」ことが主な理由です。

まだそこまで大々的に宣伝はしておらず、ギリギリセーフか…とは思っているのですが、楽しみにしてくださっていた方々、ごめんなさい!

そもそも、「展示」という形式でイベントを必ずしもやるかも含め、一旦保留した再スタートになります。

当初の構想と全然違うものになるそうな気はしますが、展示は、妥当性を、これ以上はちょっと納得できない、というぐらいまで、はっちゃめちゃに納得した上で、形を整えて、やりたい。というのが今の気分です。

いずれにせよ、やはり一旦仕切り直し。

でも。

今心の中に、自分の中にあるものを世に出したい衝動がメラメラと湧いてきています。

「展示をしよう」というきっかけを与えられて、初めは主にジャグリング雑誌の「YANA」をうまく紹介できるように、でもさらに大きい枠を用意しよう、と各方面にも迷惑をかけながら、躍起になってまとめようと考えていましたが、なんだかうまくいきませんでした。

そもそもどこを目指して走っているのか、何にもわからんかった。

でもそのおかげで、全然違う経路にはなったけど、これは、本当にやりたいことかもしれない、という、まだ小さいけれど、これだけは疑いえない、という真珠の核みたいなものが、見つかった気がします。

ちょっと、今までに味わったことがない気分。

少なくともそれが成長したものは、いつになるか保証がまだできませんが、皆さんにいずれお見せできると思います。

※※※

まぁ、言ってしまえば、やはり、本を書いている。

僕の人生の中で今までなかった、「本当に書きたいことを書きたいだけオールアウトでつぎ込んだ本」を一度、まずは書いてみたいと思っている。

それで、今、初めて、ああ、こういう風にやればいいのかもしれない、という、PONTEを始めた、2014年ぐらいからずっと探していた「やり方」の端緒を見つけたような気がする。長かった。

村上春樹と同じ、29歳だから、まだ間に合う。

どうか、この気分が続いてくれ。

その気分を忘れないため、到着するところだけははっきりするように、「あとがき」のような読み味の「はじめに」を、手短に、今日、1000字弱で書き上げた。こんなこと、今まで書いたことない、ということが書いてある。

※※※

そんなわけで一旦、明日からこの「ながいつぶやき」は、また、平常運転の、隙の多い話に戻ります。パァ🌞

2021年4月5日月曜日

ながいつぶやき(91)「ジャグリングの展示をつくる 12」15年間ジャグリングという単語ととも過ごしてきたことを、何かもっと大きな流れに変換する

「ジャグリングの周り」について考えている。「ジャグラーがジャグリングをしていないとき」について考えている。

少し長めに、明日発行されるメルマガに文章を書いた。多分これは今回の展示の軸になるんじゃないかとおもう。これが本の前書きになってもいい、とすら思う。

自分がジャグリングで「これがいいのさ」と思っていること。

ジャグリングを通して持った意識。

ジャグリングがきっかけで出会った人。

技術だけではなくて、そういう要素が、その人のジャグリングの色だ。それは当然だと思うのだが、同時に、それがはっきりと外に表明されること、人の目に見える形で発信されること、ってなかなかないな、と思う。

そして、そういう「ジャグリングの技術以外の部分」が、クオリティの高い形式でせっせと発信されていくと、それこそ、一つの文化を形成する気がしている。

もちろん、余計なお世話かもしれない。なんだか、僕が全然世の中を知らないだけかもしれない。

ただ僕の頭の中には例えば、エリック・オーベリが Object Episodesでいつか言っていたような、「ジャグリングには、スケートボードとか、そういうところに比べると、カルチャーがなくて」(だいぶ雑に要約)ということがきっかけとしてあって、しばらくの間考えていたのだった。

「ジャグリング」という単語が一つあって、その単語から想起されることの厚み、というのか、まだ僕の頭の中でも言い方が固まっていないんだけど、そういうものが、つまり「文化」と呼ばれて参照されるものなんじゃないか、という気もしていて。

僕が個人として、少なからず、15年間ジャグリングという単語ととも過ごしてきたことを、何かもっと大きな流れに変換する、傍流から、意味のある流れとして合流していくには、そういう観点からのアプローチがもしかして有効かもしれない、と思っているのだ。

だからその始まりとして、今回の展示は、捉えることができるのかもしれない。

あるいは、とんだ勘違いかもしれないけどね(笑)

でも、少なくとも、そういう気でいるんだ。それが、楽しい。

2021年4月4日日曜日

ながいつぶやき(90)「ジャグリングの展示をつくる 11」

人間、真剣にものを考えると必ずいい流れが来るんだ、と今、如実にわかったのだった。
ある本を改めて読んだのだが、ああ、こういうことか、と一瞬で全部わかった。
ひとまずタイトルが決まった。
少し調整するかもしれないが、これでいけると思う。
というか、もし変えるにしても、どういう考え方でいけばいいのか、これがわかった。

どういうことか。

とにかく、楽しいことしかしない、これができたらいいな、ということをなるべく具体的にイメージして、それを実現する場でしかないんだ、ということがわかったのだ。

大体、今回の展示の道筋は、これでついた気がする。
あとは計画をして、進めるだけだ、という感じ。
ここからだ。
※※※
日本以外とつながる、ということをもっと意識していいな、とも思っている。
僕には幸いにしてその辺りの下地は十分すぎるほどあるのだ。

ここからが腕の見せ所だあぁ。

2021年4月2日金曜日

ながいつぶやき(89)「ジャグリングの展示をつくる 10」

今日はあまり触れられず。

特に書くこと、なし。

ただ、少し、イベントについて、進展、あった、かも。

「ジャグリングのジャグリングじゃないところ」が結構肝だとは思っているんだけど、逆に「ジャグリングそのもの」もそれはそれで提示したい、というところもあって、それはいい感じに叶うかもしれない。

2021年4月1日木曜日

ながいつぶやき(88)「ジャグリングの展示をつくる 9」

今日、初めて本格的に展示のことに取り組んだ。抜本的にまず展示の内容について改めて考え、メモ紙にいっぱい書いて、色々並べてみた。

本を書くのがまず先だ、と直感でわかる。

そのため、いくつか自分が手本にしたい本を並べて、それを取っ替え引っ替え読みながら、実際にB5用紙を折って、簡単な束見本みたいなものを作ってイメージをして、原稿も少し書いた。

旅のことについて、時間が経ってから思い出して書いてもなかなか面白くするのは難しいというのは、PONTEの頃からわかっている。書いたはいいが、本になっていない以前の原稿も、ベースとして使った方がいいだろう。えい、もう、腹をくくれ。

こういう時、本当に苦しい。でも、楽しいとも言える。

誰しもが通るんだ。こういうのは。決して特別じゃない。ちょっとでもいいものを生み出そうとしたら、そこには、誰だって理不尽なくらいの葛藤がある。挫折したり、妥協するのは簡単である。でももう発言をすると決めた以上、社会にいいものを一つでも増やすという気持ちでいなきゃ、ほとんどいらないものを作ることになってしまう。それだけは悔しい。いらないものを作るぐらいだったら、黙っとけばいい。でも黙っていられないんだったら、みんなが楽しくなるようなものを作らないといけない。

そして、自分で、「ここが狙うところだ」という線引きをしなきゃいけない。どうしても、人間は打算的になって、いい感じに落とし込めそうな、「みんなが妥協できるところ」みたいな、70%ぐらいのいいところを考えてしまう。そんなの、どこにも答えは転がっていない。そんなものない。

自分でなるべく高いところに線を引くこと。それこそがものを作ったり、何かを見せる人の責任だと思う。

「妥当な線」なんて存在しない。「まずはこれくらい」なんてものは存在しない。そんなものを狙っていたらいいものなんて作れない。いきなり一番いいものが作れないといけない。少なくともそういう気でやっていないといけない。

ここ数日、ずっと自分の水準が低いことが頭に来ている。不機嫌だ。そんなところに窓辺で猫を呼び寄せるために、「オイ、オイ 」と缶チューハイ片手に連呼する猫おじさんがくるもんだから、「ヨソでやれー!」と怒りたくもなる。

果たすべきことに対しての時間のなさを呪っているのでもあるし、自分が常に決断の先頭にいる、ということの怖さに向かい合うための、エンジンの鼓動でもある。

見てろよ、ほんとに。

※※※

展示の内容を生み出す作業と、それ以外のパソコン作業が両立する気がしない。

展示のことを考える頭と、そのほかのことをする頭が全然違う。1日の中でも、作業時間を分けないとだめだ。そして、なんだか僕は運が悪くて、こういう時に限っていつもより多く仕事が来たりする。翻訳、すごく多い。まいったまいった。

まぁ、やる。

2021年3月31日水曜日

ながいつぶやき(87)「ジャグリングの展示をつくる 8」今までの15年間を展示開催までの2週間の中に閉じ込めるように過ごして

だんだんと、展示を作る過程なんてなるべく見せない方がいいのかもしれないという気分にもなってくる。でもこれは展示そのものの宣伝も兼ねているので、まだまだ書いていく。
そして何をやっているのか、というとまだ何もできていない。

まぁ、アイデアは練っているんだけどさっきFacebookを開いたときに何かの投稿に「イマジネーションは実行しなければ意味がない」と書いてあって、ああ、もう、その通りだよ、と思っている。紙の上で5時間入念に考えるより、その5時間でさっさと無駄かもしれない1個の試作をする方が力がある。

とはいえ、もう一つの指針となりそうな言葉が出てきていて、それは「我々はジャグリングで世界を見ている」というものである。
「ジャグリング」がいわゆるステレオタイプ的な「パフォーマンスのために練習するもの」である、という観念を、タイトルだけでズドン、と撃ち落としたい。
でもまだ足りない。

もっとパーソナルな言葉を引き寄せてみたほうがいいのかもしれない。

僕がジャグリングとの関わりのうちで一番伝えたいのは、やっぱり旅をして人に会ってきた、ということである。それ以外にあまりない、と言ってもいい。
「ジャグリングそのもののよさ」みたいなものは、結局ジャグリングそのものを見ていただくしかない。
それを掘り下げて、一本の太い軸になって初めて、何か意味があるかもしれない、とも感じている。

考えて、作って、今までの15年間を展示開催までの2週間の中に閉じ込めるように過ごして、その結果をただ見せるだけだ、とも言える。

2021年3月30日火曜日

ながいつぶやき(86)「ジャグリングの展示をつくる 8」

ジャグリングについて考えていると、「仕事なんかしてる場合じゃねえー」と思う。

そして、それは抑えるべき衝動ではないと思う。

普通は、『生活』のための仕事が大事で、それは最低限やらなきゃいけなくて、まずそっちをこなしてから、余計な部分でジャグリングという遊びについて考えるものだ、という感じだと思うんだけど、いや、パッと考えた時に、楽しいことこそが生活だろう、と、猫なんか見ていても思う。猫、その場で思いついたやりたいことしかしてない。

そう、猫を見るとね、好きじゃない仕事なんかしてる場合じゃねえー、って思います。

※※※

自分のジャグリングについて改めて考えている。ディテールがものを言うジャグリングがしたい。空間をどのように使うか、練習の時から意識したい。そもそも最初からそれを練習したい。ある程度の技術はあるから、ジャグリングを空間の支配にどう使うか。その最中に壁にぶつかって初めて、必要な技術を考え、それを身につけたい。例としてディアボロだと、「回転が緩やかな状態でないとできないこと」って見過ごされている気がする。


※※※

何かを説明したり、伝えたりするのに、「物分かりのいい人」を対象にしないようにしたい、と思う。物分かりがいい、というのはつまり向こうが勝手にいいように解釈をしてくれる、ということだ。

2021年3月29日月曜日

ながいつぶやき(85)「ジャグリングの展示をつくる 7」

ジャグリングをした。外で、1時間ぐらい。本屋・生活綴方で、「ジャグリング部」を作ることにした。今日は天気もいいし、ジャグリングの練習を公園でやろう、と思ったんだけど、「ジャグリング部」ということにすればみんな来てくれるし、色々これから面白いだろうと思っただけ。

そうしたら、予想外の人々が3人来てくれた。Uさん、少し教えた。Cもきた。Sさんも最後の方に、少し来る。予想通り、Fujiくんは、店番を終えて来てくれた。

※※※

つくづく僕は、何かを率いること、何かを決定することが苦手だ、と思う。雑にまとめると、プレッシャーに弱い、ということだと思う。他人の期待に応える、という状態だと、どうも、「いいね。でももっとできただろうね」と思われるかもしれない、という無意識の不安がある感じがする。まぁ、気負わず、自分のやりたいこととだけ戦うしかあるまい、とも思う。

※※※

いざ時間ができると、色々と迷ってしまう、ということがある。

絵を描くときの、最初の一筆が決まらない感じと似ているね。これは。

もう、最初の一筆は、えい、と直感で行くしかないのである。

それから、適切な空間に、適切な線が見えてくる。

そういう順序だ。

ながいつぶやき(84)「ジャグリングの展示をつくる 6」

長めの文字起こし終わる。これで少し展示のことを考えられる。

ジャグラーである、と言葉で考えてもしょうがない。ジャグラーはジャグリングをしている間に、特にジャグラーである。だから今日は少し真面目にジャグリングをした。ああ、これだと思った。

僕はブレイクダンスの映像を見るのが大好きなんだけど、いつも羨ましいなぁ、と思っていた。こんなにも自在に自分で表現ができるのって、素晴らしいなぁ、と。

でも考えてみれば僕にはそういう手段として、ジャグリングがある。(本当に、忘れるんである、こういうことを)

もちろん自在とはほど遠いが、ジャグリングで、ある程度の質感を表現することはできる。これこそ俺がしたかったことじゃないか、と思う。そして、なんか今まで俺はジャグリングがどういうものであるかということに縛られていたんじゃないか、とも思う。別に、自分がしたいようにジャグリングしたらいい。

ジャグリングと生活、ということには、「ジャグリングをするときの感じ」も含めねばならぬ。

※※※

インスタグラムは、もともとJugglernaoという名前で、ジャグリングの映像やらなんやらを上げていたけど、久々にジャグリングの映像をあげたらなんだか喜ばれて(あとダイレクトメッセージで髭を褒められた)これは、絵とアカウントを分けるべきだ、とやはり思った。

※※※

今日は朝は家、昼からは生活綴方の方で仕事をした。わざわざ遠方から生活綴方に、ジャグラーのめりーさんが遊びに来てくれた。こういうのは、いいね。

2021年3月27日土曜日

ながいつぶやき(83)「ジャグリングの展示をつくる 5」

頭で考えてばかりいてもね、と思う。
とにかく、手を動かして、ものを作って、出来上がってみて「さて、これをどうしてあげたら面白いだろうか」と考える、という手順であるべきだ。
それが「考える」ということの意味だろう。

何かに取り組む時、一番重そうなものをまず持ち上げないとな。

※※※
すぐ、「意味」とか考えちゃうんだけど、それ、全然意味ないよな、とよく思う。
もっと直裁的に、「これは絶対楽しい、やる」でいいのに、「妥当性」みたいなことばかり小賢しく考えてしまって、それが足枷になって全然前に進めない時がある。
もちろんそれは表裏一体で、一旦考えるからこそ問題なく進むこともあるけど足取りの軽い人には、とても、とても憧れる。

※※※
昨日バイク屋から連絡。本来は最短5月末ぐらいの納期のはずだったものが、再来週末までには乗れる状態になる、という。とても嬉しい反面、思っていたよりあまりに早いので(笑)色々と準備しないといけないなぁ、と焦っている。

まぁ、なんにしても、いろんなことが楽しみです。

ながいつぶやき(82)「ジャグリングの展示をつくる 4」

どういう展示が面白いか、改めて全力で想像している。

今日、綴方の店番の一人である久常さんと話していて、ジャグリングの展示をやるんです、と言ったら、「ジャグリングの展示ですか?」と聞かれた。

一体何を展示するんですか、ということだろう。

そりゃそうだよね。当の僕もまだ明確に説明できない。

ジャグリングの何を展示するというのか。本当は、これを一言、二言ぐらいで「これこれこういうものを展示するんです」と言えた方がいいのかもしれない。でも、これを簡単に言い表せないこともまた、悪いことではないような気もしている。ものが展示されて初めて、それをまとめる言葉が出てくるんじゃないかとも思う。

でも展示を用意する上では、指針が必要だ。

「ジャグリングと生き方」という言葉は、もうある。

うーん。

とりあえず、僕以外の展示をしてもらう人には、なんとなくでいいからテーマにそって各自で考えてもらって、僕自身は僕の方で考える、というのが妥当だろうか。

展示をするといっても、別に、僕がその場にいて話をする、とか、別に「モノを置く」ということに限らなくてもいいだろう。パフォーミングアート、みたいなくくりで。ふふ。

さて、今まで見てきた展示の中でも、面白かったものってどれだろうか?

いやはや、困ったなあ。時間がないなあ。

※※※

綴方で、『しゃにむに写真家』の著者である吉田亮人さんにお会いした。妙蓮寺のそば香で一緒にそばを食べた。ああ、こういう人がこういう写真を撮るのだ、と思った。目を見ていて、すごく伝わってくることがあった。とても感じのいい方だった。なんだか、こういう、何かと真剣に向き合っていて、それをはにかむことなく、そのまま真剣に普通に語られる方と知り合えるのは、人生の醍醐味だな、と思った。

※※※

日付が変わってしまった。

今日は一日ずっと文字起こしをしていた。終わるかなぁ、と思っていたけど、今日ノルマだった4時間分をきっかりやったので、明日と明後日は楽になる。できれば明日終わらせたい。そうすれば一旦、展示の準備に集中できるはず。

しばらく一人の時は不機嫌である。



2021年3月25日木曜日

ながいつぶやき(81)「ジャグリングの展示をつくる 3」 

展示と本の準備に集中するため、まずは日銭稼ぎの方の仕事を終わらせる。

朝からせっせと文字起こしをしたり、翻訳をしたりしている。こういう時に、自分の「仕事」について無意識に考える。

別に今持っている、お金になる「仕事」、全然嫌じゃない。

「今やっている仕事が嫌で嫌でたまらない」という人にもときどきお会いするが、僕自身に関して、そういうことは一切ない。本当に嫌になったらやめて別のことをすればいいかな、と思う。多少の不満とか気になることがある場合はなくはないが、それはなんなら、洗濯とか風呂掃除と一緒で、面倒だと思うが、やったらやったで達成感があるので取り組める。

何より自営業をやっていると、人間関係のストレスみたいなものが皆無で、まぁそれが一番大きいかな。自分の生活を保つために、お金があると便利だからそれをなるべく納得のいく手段で獲得する、ということに意識的でいられる上に、「面倒くささ」と「楽しさ」のバランスの調整が割と簡単にできる。あとは、親族にも周りの人にも、自分のことについてとやかく言う人が誰もいない、ということもあり、まぁ、その辺り、人に恵まれているんだろうね。

仕事そのものに関しても、やはりその向こうにいる「人」が好きな場合は、ああ、まぁ、なんだかんだでこの仕事はいいもんだ、と思える。

※※※

ジャグリングは自分にとって何か。

時折「ジャグリングの方忙しいかな?」と聞かれる。

「いえ、全然!」というのも何かがっかりさせるような気がして、たいてい、「まぁ、ぼちぼち」とか言う。いやしかしジャグリングのなにが忙しいんだ俺は、と思う。

日銭稼ぎはただの「ライスワーク」で、ジャグリングが自分の生活の中心である、という風に受け取られている。

でも僕は「ジャグリングの活動」ってあんまり最近はしていない。

雑誌の PONTE を活発に出していた頃は、まさに「ジャグリングで忙しい」みたいなこともあったが、うーむ、別に僕は、今、「ジャグリングで忙しい」という状況って、ない。

ただ、なんとなく、例えば演劇をやる人、お笑い芸人、ダンサー、ミュージシャン、なんでもいいけど、「芸事」に関わる人って、なんとなく、その芸が一番自分のやりたいことであって、それ以外のことは目標に向かうための補助、みたいなイメージがある。

朝から汗水垂らしてバイトをして、帰ったら夜遅くまで稽古をして、睡眠不足でまたバイトに向かう、みたいな姿が、なんとなく、モデルケースとしてパッと最初に浮かぶ感じがする。

たとえ、「そうじゃないかもしれない」と思うにしても、なんとなく、そういう在り方がステレオタイプとしてとりあえず暫定的に思い浮かぶかな、という感じがする。

僕とジャグリングに関しても、ともすると他人から見て、最初に浮かぶのはそういう情景なんだろうか。日々、人さまにジャグリングの見せるための鍛錬をしていて、それ以外は、「俺はこんなもののために生きているんじゃないんだ本当は」と歯を食いしばっている、みたいな(笑)

いや、まぁ流石に、これはステレオタイプがすぎると思うけど、でもやっぱり、全く想像がつかない世界のことを考えるとき、どうしても、ドラマとか小説とか、そういうもので描かれる「一般とは違った趣味や芸の道に進む人の姿」に引っ張られてしまうところはある。

僕が今回の展示で見せたいことは、「ジャグリングに関わる人の舞台裏」にまつわる想像力を広げてもらうためのものなのかもしれない、という気もしている。

ビーンバッグ製作記 16日目 何をつくりたいのか、あらためて考えてみる

今回関わってもらう PM Juggling のだいごさんも、色々と考えてくれている。

2021年3月24日水曜日

ながいつぶやき(80)「ジャグリングの展示をつくる 2」

昨日言った「原稿」というのは、僕のジャグリングの話のこと。

何を具体的に書いてくださいとは言われていないが、「青木さん、書いてください」と三輪舎の中岡さんに声をかけていただいていた。「年内にお願いします」と。2020年12 月の頭のことだった。

その締め切りの期間というのは、半分はノリだったのかも知れない。あるいは中岡さんのことだから、そういうふうにきつめに言っておいて、著者を伸ばすタイプなのかも知れない。どこまで本気だったのか、わからない。でもとにかく、本当に原稿を年内に書いて出して、あっと言わせてやる、と思って、朝4時に起きて毎日数千字書いていたんだけど、結局頓挫してしまった。根が本当に怠け者だ。

折に触れて、「書いていますか」とは言われるのだが、どうにも曖昧な返事しかできなかった。

だが、本をきちんと出してみたいという思いはずっとあった。ただ、僕は怠け者だから、このままだと一生本なんか出さないんだろうな、と思った。

PONTEとか、自費出版のちょっとしたエッセイ集とか、出したことはあるが、あれはまた別の話で、もっとパブリックなものが作りたい。

であれば、そのきっかけとして、「ジャグリングの展示に間に合わせないとダメ」という状況を作るしかない、と思った。

もう一ヶ月ない。

普段から「やるしかないとなれば、人はやるんだ」などと自分でも言うが、実際に自分をそういう状況に自ら追い込んだことなんてほとんどない。

やるなら今しかないだろうなぁ、と思った。

入念に準備をして、時期が整ったら満を持してやる、みたいなやり方はダメだ、ということも常々思っている

展示と本が出来上がっていく様子をこんなふうにしてウェブで発表していたら、本当の本当に、後に引けないだろう、と思っている。

※※※

昨日、PM Juggiling という、手作りのジャグリング道具を売るお店を経営しているだいごさんとあって話をした。今度の展示には、だいごさんにも関わってもらおうと思っている。

「ジャグリングと生き方」というのがテーマである。であれば、就職などの道を選ばず、ジャグリングとずっと向き合ってきて、PM Juggling を運営するだいごさん、こんなにも適した人はいないじゃないか、と思う。

他にも数人声はかけていて、あとは、展示という形式にどう落とし込むか、もし、必ずしも「展示」という形ではないとしたらどういうことが考えられるか、展示以外にもイベントをたくさんやりたいので、どういうことができるか、と、計画を立てている。

今のところ、トークをたくさんやりたい、と思っている。

ジャグリングの話が幅広く聴かれる機会なんてそうそうないから、選りすぐりの、面白いトークをやってやりたい、と思っている。

※※※

日銭稼ぎの仕事も過去最高に増えていて(4日以内に文字起こしオーディオ9時間分とか、笑っちゃうぐらいの量がある(笑)けどこれは計画通りやらなかった僕のせい)全然時間がないのに、昨日は、それでも、バイクに乗りたくて乗りたくてしょうがない気持ちで、何にも集中できなかったので、バイクに乗ってきた。

些細なこと、荷物を載せる部分の大きさとか、乗った時の感じとか、いろんな、ウェブで見ているだけではわからなかった、そのバイクと、自分の身体との関係性に関する一次情報がたくさん得られたので、やっぱり、パソコンと向き合ってずっとリサーチなんかするの、本当、意味ないな、さっさと形あるものと向き合うのが吉だな、と思った。

ほんとに。



2021年3月23日火曜日

ながいつぶやき(79)「ジャグリングの展示をつくる 1」

2021年4月16日から、5月5日、つまりGWの終わりまで、横浜にある「本屋・生活綴方」でジャグリングに関する展示をすることが決まった。

この書店は、僕が昨年8月から関わり始めた、地域にねざしつつ、詩歌などを中心に、ことばを扱う、またさまざまな創作を応援する書店である。

僕の展示のきっかけになったのは、ジャグリングの雑誌「YANA」である。この雑誌を仕入れたいんですが、と店長の鈴木さんに言ったら、喜んで受け入れてくださり、早速10冊仕入れて、それも思ったよりも早く売り切れ(何より、購入者がジャグラーではない人たちがほとんどだったのが意外だった)ではでは、と次は20冊仕入れた。それも好調に売れていっている。

それで、「何かイベントをやってください」と鈴木さんにせっつかれ、うんうん唸っていたのだが、それを見かねて、数ヶ月たち、改めて店の奥にある小上がりで「考えましょう」と正式に言われ、逃げ場を失った中で、そういえば、次の展示(この書店ではいつも壁を使って展示が行われている)がまだ決まってないんですが、というので、じゃあやったろうじゃないか、と、もう後には引けない状態を作ろう、と思って展示の開催を決めた。

実はこの決定には、前々から頼まれていた文章の原稿のことも関わっているんだけど、それについては明日書く。

ひとまず、「ジャグリングの展示をつくる」を、ここで連載開始することにします。

時間がないぜ。まいったまいった。

※※※

というわけで、今日はPM Juggling の大吾さんに会うために、東京の方に来ている。カフェでこれを書いている。

まぁ、これは、前から決めていたことだったんだけど、ちょうど、タイミングが重なったのだった。

僕一人で作るのではなくて、ジャグラーを何人か巻き込み、計画を進めていく予定である。