2021年3月31日水曜日

ながいつぶやき(87)「ジャグリングの展示をつくる 8」今までの15年間を展示開催までの2週間の中に閉じ込めるように過ごして

だんだんと、展示を作る過程なんてなるべく見せない方がいいのかもしれないという気分にもなってくる。でもこれは展示そのものの宣伝も兼ねているので、まだまだ書いていく。
そして何をやっているのか、というとまだ何もできていない。

まぁ、アイデアは練っているんだけどさっきFacebookを開いたときに何かの投稿に「イマジネーションは実行しなければ意味がない」と書いてあって、ああ、もう、その通りだよ、と思っている。紙の上で5時間入念に考えるより、その5時間でさっさと無駄かもしれない1個の試作をする方が力がある。

とはいえ、もう一つの指針となりそうな言葉が出てきていて、それは「我々はジャグリングで世界を見ている」というものである。
「ジャグリング」がいわゆるステレオタイプ的な「パフォーマンスのために練習するもの」である、という観念を、タイトルだけでズドン、と撃ち落としたい。
でもまだ足りない。

もっとパーソナルな言葉を引き寄せてみたほうがいいのかもしれない。

僕がジャグリングとの関わりのうちで一番伝えたいのは、やっぱり旅をして人に会ってきた、ということである。それ以外にあまりない、と言ってもいい。
「ジャグリングそのもののよさ」みたいなものは、結局ジャグリングそのものを見ていただくしかない。
それを掘り下げて、一本の太い軸になって初めて、何か意味があるかもしれない、とも感じている。

考えて、作って、今までの15年間を展示開催までの2週間の中に閉じ込めるように過ごして、その結果をただ見せるだけだ、とも言える。

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