そして何をやっているのか、というとまだ何もできていない。
まぁ、アイデアは練っているんだけどさっきFacebookを開いたときに何かの投稿に「イマジネーションは実行しなければ意味がない」と書いてあって、ああ、もう、その通りだよ、と思っている。紙の上で5時間入念に考えるより、その5時間でさっさと無駄かもしれない1個の試作をする方が力がある。
とはいえ、もう一つの指針となりそうな言葉が出てきていて、それは「我々はジャグリングで世界を見ている」というものである。
「ジャグリング」がいわゆるステレオタイプ的な「パフォーマンスのために練習するもの」である、という観念を、タイトルだけでズドン、と撃ち落としたい。
でもまだ足りない。
もっとパーソナルな言葉を引き寄せてみたほうがいいのかもしれない。
僕がジャグリングとの関わりのうちで一番伝えたいのは、やっぱり旅をして人に会ってきた、ということである。それ以外にあまりない、と言ってもいい。
「ジャグリングそのもののよさ」みたいなものは、結局ジャグリングそのものを見ていただくしかない。
それを掘り下げて、一本の太い軸になって初めて、何か意味があるかもしれない、とも感じている。
考えて、作って、今までの15年間を展示開催までの2週間の中に閉じ込めるように過ごして、その結果をただ見せるだけだ、とも言える。
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