さて、今日も15分である。日付が変わりそうだ。
もう、昨日考えていたことをそっくり忘れて、まぁ今日は短めで終わらせようか、とか考えていたので、昨日の文章を読んでみたら、おお、と襟をただされた。
ここまで織り込み済みで、昨日の文章には
「迷ったら、この記事を読み直して、なんでこういうことをしてるのか、思い出す。」
と書いてある。
その通りでした。もう、迷っていました。そうそう、15分間は、真剣に、考えていることをクリアにする、ということを日課とするんだ。
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さっき、面白い計画が持ち上がった。
ずっと僕がムニャムニャ頭だけで考えていたことを、人と一緒に考えて、話して、これはもう、船に乗らなきゃ、という気持ちになって、ついにそれを動かすのである。まだ具体的な話はしない(というかできない)けど、その計画についても、もう、今、こうして、初めのエンジンがかかった今この時、文章と、絵と、具体的な、日にち、いつまでに、これをやる、ということを、明確に定めなければ。
これが最終的にこうなるんだ、ということをわかっていると、ようやく、エンジンがかかる。
※※※
エンジン、という話でいうと、今日文字起こしをしながら思ったことがあるんだけど、バイクのことについて勉強しようと思った。
なぜか。
僕は、文字起こしをしている最中でもなんでも、とにかくここ最近は、バイクのことばかり散漫に調べてしまう。昔のバイクとか、今のバイクとか、どういう仕組みなのか、とか2ストロークと4ストロークの違い、とかそういうの。
で、こりゃあさあ、変に散漫に、断片的に調べ物をするんじゃなくて、いっそ、一つの体系だった、まとまった勉強として取り組んだ方がいいんじゃないか、と思ったんだよね。
そのほうが燃える。
集中力の散漫を、「勉強」として収斂させていく、というのがいいんじゃないかと思ったんだね。
なんでもかんでも、知識の体系を築く姿勢で取り組めばいいんじゃないかってさ。
YouTubeとか、なんでもそうだけど、インターネット全般、なんか、やたらにみちゃう。
で、僕はそれをなんか一抹の罪悪感と共に行うわけだよ。でもそれは、本当は好奇心の発露であって、本当はとても有効な力なんじゃないか、って思うわけさ。で、だったらその方向さえどこかに着地するように向けてやれば、とても大きな力として、船を前に進めるような力として利用できるんじゃないかと思ったんだね。
フィンランド語とかにしてもそうで、それをさ、中途半端にやるから、なんだか無駄になってしまうわけだよね。
なんでも、知識を体系として、まとまった形で仕入れる、自分の血肉にする思いで、いわゆる「現実逃避」をすればこりゃあ、向かうところ敵なしなんじゃないの、みたいな、まぁ、考えの中では、そう思ってる。
実際、そういうことなんだと思うね。
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