2021年3月15日月曜日

ながいつぶやき(71)名乗る、というのを、一つのごっこ遊びと捉えればいいのだ。

あれっ?昨日、書いていなかった。

今日は動いた日であった。でも、何度も言うがこれぐらい動く日が一番脳みその調子がいい。これを忘れてはいけないんだ、本当に。無駄になっていいから動くこと。

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朝は家でちょっとした作業をして、昼、今日は天気もいいし、ちょっとバイクで走らねば、と思って、‪Uber Eats‬をちょろっとやる。その最中に妙蓮寺の方に寄って、お昼ご飯を公園で食べ、またすぐに妙蓮寺をでて、どこかカフェにでも行こうと思って、‪Uber Eats‬の注文が受けられる状態でバイクでぶらぶらした。給油をしなければ、というタイミングで、ちょうどそのガソリンスタンドにドトールがあったので、(前から行ってみたかった)そこに入ることにした。そのドトール、外から見た感じも、なかなかさっぱりしていて、きっと中も気持ちいいんだろうな、と思っていたのだが、案の定、小さな店内がゆえに開いたドアがいい具合に室内の換気をしており、空気がサラッと抜けていてよかった。

今度から、カフェで少し時間を過ごしたいよ気はここに来ようかな、と思う。

店員さんも何だか和やかだったし。

そこで絵を描いて、一旦家に帰る。洗濯物を取り込んだら、今度は自転車に乗り換えてまた妙蓮寺まで行った。そこで、これを書いている。

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自分が旅先にいるんだ、という妄想をすると、うまくいく。

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先日6歳の子から教わったことがある。

それは、自分の頭で考えている妄想で生きるのは、とても、とても楽しいということである。

僕は昔、ぬいぐるみで遊ぶのが大好きで、カゴいっぱいのぬいぐるみをざざっと畳にあけて、手に取ったぬいぐるみをとにかく喋らして、他のぬいぐるみと交流させる、ということをしていた。

その時、僕の頭では、そのぬいぐるみたちは、はっきり、生きていた。

もちろん現実と妄想の区別がついていない、というのではなくて、むしろそのメタ認知ははっきり存在しているんだけど、その理解がある中で、頭の中で展開される「こうだったらいいな」を、近似値で現実に投射していた。

それこそが僕の「遊び」の真骨頂だったのである。そして、今でもそれは、もう少し洗練された形で、行えることのはずなのである。

僕はこのところそれをすっかり忘れていて、でもその女の子と一緒に、タイムスリップをしたりしている間に、ああ、なんだ、俺のやりたかったのは、これじゃないか、と思ったのである。

最近僕は自分のことをどう名乗るか、ということについて考えていたんだけど、それについての一つの天啓が降りてきたような気分だった。

名乗る、というのを、一つのごっこ遊びと捉えればいいのだ。

(続く)

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