2021年3月30日火曜日

ながいつぶやき(86)「ジャグリングの展示をつくる 8」

ジャグリングについて考えていると、「仕事なんかしてる場合じゃねえー」と思う。

そして、それは抑えるべき衝動ではないと思う。

普通は、『生活』のための仕事が大事で、それは最低限やらなきゃいけなくて、まずそっちをこなしてから、余計な部分でジャグリングという遊びについて考えるものだ、という感じだと思うんだけど、いや、パッと考えた時に、楽しいことこそが生活だろう、と、猫なんか見ていても思う。猫、その場で思いついたやりたいことしかしてない。

そう、猫を見るとね、好きじゃない仕事なんかしてる場合じゃねえー、って思います。

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自分のジャグリングについて改めて考えている。ディテールがものを言うジャグリングがしたい。空間をどのように使うか、練習の時から意識したい。そもそも最初からそれを練習したい。ある程度の技術はあるから、ジャグリングを空間の支配にどう使うか。その最中に壁にぶつかって初めて、必要な技術を考え、それを身につけたい。例としてディアボロだと、「回転が緩やかな状態でないとできないこと」って見過ごされている気がする。


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何かを説明したり、伝えたりするのに、「物分かりのいい人」を対象にしないようにしたい、と思う。物分かりがいい、というのはつまり向こうが勝手にいいように解釈をしてくれる、ということだ。

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